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イシュタル門へ3 年表(前)

2019-07-07 10:46:37 | Weblog
写真はペルガモン博物館の展示の一つ。ヨルダンのウマイヤ朝・ムシャッタ宮殿の入口。未完成の宮殿で700年代から沙漠に置かれていたとのこと。


 前回は、イシュタル門がベルリン以外にはイスタンブ-ルにもあるという事実を考えてみようということで終わりました。以下、考えてみたことです。ちょっと長くなるので、退屈な方は年表をすっ飛ばしてください。

【3B政策】
 ドイツ帝国が世界進出のために、後に3B政策と呼ばれる覇権主義を推し進めていました。3Bとは、ベルリン、バグダッド、あと一つなんだっけ? と、授業で習っても、すぐに忘れるほど覚えにくかった記憶しか残っていない街・ビサンティウム。これはイスタンブールの昔の名前なのだとか。Bにそろえるためのこじつけですね。

 当時、ドイツは国力を増大させて、オスマン帝国にバグダード鉄道の建設や軍事派遣団を送るなど関係を深めていました。その当時、イラクはオスマン帝国の一部でした。
 ここでドイツ帝国の歩みとイシュタル門の発掘を時系列に追ってみました。すると、あまりの絡み具合の絶妙さに驚愕。くっきりとイシュタル門が国家事業の象徴であることが浮かび上がってきました。

【イシュタル門発掘 年表・前編】
1871年 ドイツ帝国成立
1889年 オスマン帝国から利権を得てアナトリア鉄道(ハイダルパシャ-コンヤ間)の敷設に着手。(た    だし、ハイダルパシャ-イズミトまではイギリス資本により既設。ドイツ銀行がイギリスより買    収する)
1892年 アナトリア鉄道のイズミット-アンカラ間 完成
1896年 アナトリア鉄道のイズミット-コンヤ間 完成。つまり全線開通。
1898年 ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世がイスタンブ-ルのスルタンを訪問。
    ハイダルパシャ(イスタンブール)の築港権を獲得。ヴィルヘルム2世は「ドイツは全世界3億の    イスラム教徒の友である」と演説した。
1899年3月 ロベルト・J. コルデヴァイがバビロン遺跡を発見。
      以後、15年間、年間約200人以上を動員した発掘が休むことなく行われる。
1902年 コンヤ以東のバグダード鉄道敷設の利権を獲得。
1902-4年 イシュタル門発見
1903年 バグダード鉄道会社設立。建設。(コンヤ-バグダード-ペルシャ湾)
1903年 オスマン帝国との交渉を経て、イシュタル門などのレンガの第一陣がベルリンに到着。

 年表はなかばですがここで注釈です。

 ハイダルパシャは、イスタンブールにあります。イスタンブールの大きさは東京都の2倍ほど。イスタンブールから東側のトルコ各地、さらにはその先のアジア側を結ぶターミナル駅となっていきます。
 ボスポラス海峡を挟んだ西側のイスタンブールの駅からは後にオリエント急行の始発駅となった駅があります。そこまで船で乗り継げるように、ドイツは海に1100本の杭を作ってハイダルパシャ駅を作りました。
 ドイツがオスマントルコに鉄道を建設して、7年で後にバグダード鉄道の一部となるアナトリア鉄道全線が完成しました。その翌年、ドイツ皇帝がイスタンブールにトルコ皇帝を訪問し、各種利権の先鞭を付けていきます。工程表が完璧ですね。

 その翌年3月26日にドイツ皇帝の名前で組織された考古隊がバビロン遺跡を発見し、その3年後、イシュタル門のレンガの一部を発見。翌年にはバグダード鉄道の建設会社が組織され、バビロン遺跡のレンガが初めてベルリンに到着したのです。
 具体的な価値ある物を輸送する作業は、膨大な関係者、およびそれをマスコミが記事にすることで全国民にバグダード鉄道の必要性を痛感させる、ドイツ帝国にとって最高の仕事になったことでしょう。

 また、じつはロベルト・コルデヴァイ(前回はペルガモン博物館の英文で書かれた綴りで英語読みでロバート・コールドウェイと読みましたが、ドイツ人でしたのでドイツ読みにしました)がバビロン遺跡を発掘する以前から、そこに遺跡があるだろうことは、考古学会でささやかれていました。そこにドイツ皇帝の名前で考古学隊が組織され、聖書に出てくるバビロンの都市、およびバベルの塔の存在を証明していったのです。

 ここで思い出すのが敦煌やインドで仏跡調査を行った大谷探検隊。日本では国ではなく、私事業の運営だったのですが、世界的にそういう時代だったというわけです。

※おもに、日本大百科全書(ニッポニカ)岡部健彦 著および、各種、百科事典で「バグダード鉄道」を引き、世界の歴史やウィキペディアで「ドイツ帝国」「第一次世界大戦」「ヴィルヘルム2世」発掘者の「ROBERT JOHANN KOLDWAY」の記述で年表を作ってみました。
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