たにしのアブク 風綴り

86歳・たにしの爺。独り徘徊と追慕の日々は永い。

須賀敦子の著作に出会う「コルシア書店の仲間たち」<4>

2011-01-22 09:42:13 | 須賀敦子の著作

今年はイタリア統一から150年ということで、NHKbsでは「イタリア7つの輝き」という、
集中放送が元日から始まっている。
朝から晩までイタリアに関する番組ばかりだ。

全部見るわけには行かないが、
昨秋から須賀敦子の著作に集中しているたにしの爺には、
大変好都合で興味深い番組もある。
柄にもなく、ミラノ・スカラ座のオペラなどにはまっている。



須賀敦子が暮らしたミラノについて、3回ほど記したので、
今回はその「コルシア書店」は、どんな書店であったのか知りたいと思う。
正式名は「コルシア・デイ・セルヴィ書店」
1945年、連合軍によってファシズムとドイツ軍の圧制から開放された、
イタリアの知識人らによって始められたのが「コルシア書店」だった。
この書店の精神のバックボーン的存在になっていたのが、
詩人でもあったダヴィデ・マリア・トゥロルド神父。

書中の「銀の夜」から引用します。

ダヴィデ・マリア・トゥロルド神父。司祭で詩人。イタリアでは、かなり名を知られた人物である。一九一六年、北伊フリウリ地方の貧農の農家に、九人兄弟の末っ子に生まれた。とうもろこしのパンにつける塩が買える日はよかった、というほどの貧しさだったらしい。
そんな家の子が学問をするには、修道院に入るしかなかった時代だった。成人してミラノのカトリック大学に学び、そのころから友人の輪が広がっていく。戦争末期には、ドイツ軍に占領されたミラノの、知識人が中心になって組織した地下活動をおこし、戦後、親友のカミッロ・デ・ピアツといっしょに、数人の若者をまじえて、都心にあるサン・カルロ教会の場所を借りうけ、コルシア・デイ・セルヴィ書店をはじめた。




彼らを中心としたグループは「カトリック左派」といわれ、精神主義に閉じこもるカトリック教会を「聖と俗」の垣根を取り払おうとする運動として広がっていった。
ダヴィデ神父。大聖堂でインターナショナルを歌ったこともあるという。

そんなグループに、どうして須賀敦子が関わるようになったのか。
ダヴィデ神父と知り合ったことが契機だったことこともあるが、
彼女の育った環境と大学時代からの方向性の帰結でもあった。
全著作を通じてダヴィデ神父と書店の仲間たち、
とくに結婚してわずか6年で亡くなったペッピーノへの回想が、
清冽な記憶となって、タテヨコの時間軸のなかで綴られている。

カットの写真は「須賀敦子が歩いた道」(新潮社、トンボの本から撮ったものです)(この項未完)