たにしのアブク 風綴り

86歳・たにしの爺。独り徘徊と追慕の日々は永い。

須賀敦子の著作に出会う「ヴェネツィアの宿」<2>

2011-04-09 18:12:42 | 須賀敦子の著作

須賀敦子の著作のほとんどは、イタリアから帰って、
長い年月と熟成を経て書かれたものです。
この「ヴェネツィアの宿」は、ヴェネツィアのホテルで自身の幼少時代から、
父と母・家族への想いを綴った表題作から、
最終章の父との最期の再会までの12編からなっています。



ヴェネツィアの宿 ¶夏のおわり ¶寄宿学校 ¶カラが咲く庭 ¶夜半のうた声
¶大聖堂まで ¶レーニ街の家 ¶白い方丈 ¶カティアが歩いた道 ¶旅のむこう
¶アスフォデロの野をわたって ¶オリエント・エクスプレス

どの章も前の2作に比べ、
著者自身の心情が本来なら高ぶる気持を冷静に切なく、透徹した言葉を繋いでいく。
各編とも著者の思い出と思索が自由に織り込まれて、
エッセイを超えた高質な文芸作品といえます。



なかでも、後半の2作は著者の孤高の精神性と情感が哀しい。
「アスフォデロの野をわたって」の一篇には夫・ペッピーノへの喪失の予感が語られます。
夫のペッピーノと休暇で南伊のソレント訪れたとき、
寝てばかりいる夫も見ていて、
夫の親族の持つ早死にの宿命を思い「不吉な予感」に捉われます。
ペストゥム遺跡を見に行きます。そこで須賀さんは夫の姿を見失います。



ペストゥム遺跡の夏枯れの野に、私はひとり立っていた。
捜し求めた果てに、須賀さんは何の関連もなく、
好きな「オデュッセイア」の一節を頭に浮かべます。(文春文庫・263ページ)
 アキレウスは、アスフォデロの野を
 どんどん横切って行ってしまった

それから数ヵ月して、ペッピーノは肋膜炎で急逝します。