須賀敦子の著作のほとんどは、イタリアから帰って、
長い年月と熟成を経て書かれたものです。
この「ヴェネツィアの宿」は、ヴェネツィアのホテルで自身の幼少時代から、
父と母・家族への想いを綴った表題作から、
最終章の父との最期の再会までの12編からなっています。
ヴェネツィアの宿 ¶夏のおわり ¶寄宿学校 ¶カラが咲く庭 ¶夜半のうた声
¶大聖堂まで ¶レーニ街の家 ¶白い方丈 ¶カティアが歩いた道 ¶旅のむこう
¶アスフォデロの野をわたって ¶オリエント・エクスプレス
どの章も前の2作に比べ、
著者自身の心情が本来なら高ぶる気持を冷静に切なく、透徹した言葉を繋いでいく。
各編とも著者の思い出と思索が自由に織り込まれて、
エッセイを超えた高質な文芸作品といえます。
なかでも、後半の2作は著者の孤高の精神性と情感が哀しい。
「アスフォデロの野をわたって」の一篇には夫・ペッピーノへの喪失の予感が語られます。
夫のペッピーノと休暇で南伊のソレント訪れたとき、
寝てばかりいる夫も見ていて、
夫の親族の持つ早死にの宿命を思い「不吉な予感」に捉われます。
ペストゥム遺跡を見に行きます。そこで須賀さんは夫の姿を見失います。
ペストゥム遺跡の夏枯れの野に、私はひとり立っていた。
捜し求めた果てに、須賀さんは何の関連もなく、
好きな「オデュッセイア」の一節を頭に浮かべます。(文春文庫・263ページ)
アキレウスは、アスフォデロの野を
どんどん横切って行ってしまった
それから数ヵ月して、ペッピーノは肋膜炎で急逝します。