「……………………
夜、寝つくまえにふと読んだ本、研究のために少し苦労して読んだ本、亡くなった人といっしょに読みながらそれぞれの言葉の世界をたしかめあった本、翻訳という世にも愉楽にみちたゲームの過程で知り合った本。それらをとおして、私は自分が愛したイタリアを振り返ってみた。
…………………………」(「あとがき」から)
須賀敦子の最初の著作「ミラノ 霧の風景」は、次のような目次から成っている。
遠い霧の匂い
チェデルナのミラノ、私のミラノ
プロシュッティ先生のパスコリ
「ナポリを見て死ね」
セルジョ・モランドの友人たち
ガッティの背中
さくらんぼと運河とブリアンツァ
マリア・ポットーニの長い旅
きらめく海のトリエステ
鉄道員の家
舞台のうえのヴェネツィア
アントニオの大聖堂
あとがき
霧を吸い込むとミラノの匂いがするという。
ミラノの霧のすごさから始まる本書。
ミラノで暮らした13年余の時空、人、文学、旅、街を、
20年後に現在進行形で綴ったエッセイ。
なかでも「マリア・ポットーニの長い旅」と「鉄道員の家」が印象深い。
前者は須賀が始めての留学でフランスに向かう旅で、
1953年8月10日の朝、イタリアのジェノアの埠頭で、
船から降りる須賀を出迎えたマリアとの出会いから、
東京での再会と別れで知った衝撃のマリアの過去。
後者は夫・ペッピーノ氏の父は鉄道員で実家の官舎など、しゅうとめや兄弟にまつわる、貧しくも誇りに満ちた暮らしが追想される。
映画「鉄道員」を観た須賀の衝撃を記した数行が、
なんとも切ない。
この章に限らず、別の著作にもローマ・ミラノ線の鉄道と、官舎の人たちが登場する。
「いまは霧の向うの世界に行ってしまった友人たちに、この本を捧げる。」
あとがきの最後の1行です……
フロントの写真は須賀さんが最初の留学地フランスへ行く際、
1953年8月10日に上陸した港・ジェノアのGoogle Earth で見た最近の地形です。
●<須賀敦子の著作に出会う>アーカイブ
須賀敦子の著作に出会う
須賀敦子の著作に出会う「コルシア書店の仲間たち」<1>
須賀敦子の著作に出会う「コルシア書店の仲間たち」<2>
須賀敦子の著作に出会う「コルシア書店の仲間たち」<3>
須賀敦子の著作に出会う「コルシア書店の仲間たち」<4>
須賀敦子の著作に出会う「コルシア書店の仲間たち」<5>
須賀敦子の著作に出会う「ミラノ 霧の風景」<1>
須賀敦子の著作に出会う「ミラノ 霧の風景」<2>