たにしのアブク 風綴り

86歳・たにしの爺。独り徘徊と追慕の日々は永い。

須賀敦子の著作に出会う「コルシア書店の仲間たち」<3>

2010-12-30 07:25:11 | 須賀敦子の著作

たにしの爺、28日で年内の仕事納めとなった。
爺と言っていますが、これでも通う仕事があるのです。
本はもっぱら車内読書です。なぜか車内が一番集中できますね。
メガネを掛けかえるのが少しばかり面倒です。
今回も「コルシア書店の仲間たち」で、
須賀敦子が記したミラノについて辿ってみたい。



地図で見ると、ミラノはイタリアのかなり北部なんですね。
国境の向こうはアルプスを挟んでスイス。
ミラノ大聖堂からアルプスが遠望できるこについて、
須賀は、十数行を費やしています。

そしてミラノといえば、やはり大聖堂ですね。
本物を見たことはありませんが、何度も写真やフィルムで見ています。
須賀はこの大聖堂とともに周辺の風景について、かなりのページを割いています。
生活者だった人の見ていた街角の情景に溢れています。
いまテレビ番組のトレンドになっている「街歩き」の、50年前のミラノ活字版といえます。

大聖堂について、現地で生活した人でなければ、感じられないユニークな見方を示した後、
須賀は中心街を歩き出します。

「中心に大聖堂を抱くミラノの街には、もうひとつ、大切な記号がある。ナヴィリオ運河だ。」と書き、
ミラノの歴史は運河の歴史で、街の成り立ち、川筋に生きる人々の暮らしについて、優しい眼差しを向けます。
大聖堂をはさんで右側と左側では様相を異にすることも。
方や庶民の街筋で、一方は対照的に上流階級の街で、貴族夫人たちが集う街筋となっている。オペラハウス・スカラ座や社交界が集う高級レストランが並ぶ。
その中でも飛び切りの「ヴッフィ・スカラ」にある日、初対面のマリーナ・V公爵夫人から昼食に招待される。



その招待に限らず須賀敦子はいく度か、
ヨーロッパ社会の階層を形成する貴族社会というか、
歴史の厚みみたいなものを思い知る交際も経験する。

50年前といえばヨーロッパで暮らす日本人女性は希少だった。
決して豊かでなかった彼女がどうして、
公爵夫人に昼食に招待される機会が出来たのか。
それは「コルシア書店」にいたからと言えるでしょう。
「街」の章は次のように結ばれている。

「私のミラノは、たしかに狭かったけれども、そのなかのどの道も、だれか友人の思い出に、なにかの出来事の記憶に、しっかりと結びついている。通りの名を聞いただけで、だれかの笑い声を思い出したり、だれかの泣きそうな顔が目に浮かんだりする。十一年暮らしたミラノで、とうとう一度もガイド・ブックを買わなかったのに気づいたのは、日本に帰って数年たってからだった。」

そう、この本はコルシア書店にて、知り合った人たちと、その縁で会った人たちへの思い出つづりであり、須賀自身の歴史とも言えるでしょう。
終章は、その歴史に大きな力を与え続けた人への、まさに鎮魂の譜ですね。
「コルシア書店の仲間たち」には、
どのような人々がいたのでしょうか。
次回からその人たちについて知ることにします。