野鳥・旅行・観光・テニスなど趣味の写真ブログ
ROSSさんの大阪ハクナマタタ



遷宮の直後となる伊勢神宮の初詣は、相当混雑すると思い、年末に行ってきました。・・・最初に外宮に参拝、外宮前からバスに乗って約15分、内宮の宇治橋前に到着です。

伊勢神宮(内宮=皇太神宮)は、当初大和国(檜原神社辺り)にありましたが、丁巳の年(垂仁紀)に現在の伊勢渡会宮地に遷っています。丁巳の年とは、西暦297年ではないかと三橋健さんは著書「伊勢神宮」 に書いています。・・・五十鈴川の上流

天照大神が瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に与えた八尺の勾玉、鏡(八咫鏡)、草薙の剣(宝剣)は三種の神器と言われ、皇位の標識として歴代天皇が継承していました。しかし、平家が都落ちした際(1183年)に三種の神器を持ち出したために後鳥羽天皇は三種の神器無しで即位しています。(後に壇ノ浦からは勾玉と鏡が回収されますが宝剣は不明のままでした)・・・参道

後鳥羽上皇は、1200年に実子順徳天皇が践祚する際、伊勢神宮から献上された剣を三種の神器の宝剣としています。実は、皇太神宮の正殿には今も八咫鏡(皇室の鏡はそのは形代か)があり、かつて剣(草薙の剣か)もあったのですが、順徳天皇即位の際に伊勢から持ち出された可能性があります。・・・火除橋の向こうに一の鳥居が見えてきます。

古来伊勢神宮は、祭神の天照大御神が皇室の先祖神という関係で、一般の奉幣や参詣を禁止する「私幣禁断」という制度があり、天皇の奏聞を経なければ皇后や皇太子といえども祈祷を許されなかったそうです。・・・一の鳥居を通ると御手洗場です。

しかし、平安時代に民衆の崇敬を受け入れはじめ、承平四年(西暦934年)には神嘗祭に千万人(多数の意味)の参詣があったと記録されています。・・・天照大神を祀る正宮への表参道は、この時期のこの時間、太陽に向かって歩くことになります。

1186年、鎌倉幕府に追われ吉野から逃走した源義経が伊勢神宮に立ち寄り、黄金造りの太刀を奉納しています。伊勢神宮は義経にとっても、どうしても参詣しておきたい場所だったのでしょう。・・・新しい正宮の奥(東側=米座)に旧正宮がありますが、そこに至る参道は立ち入りできなくなっていて、旧正宮を正面から見ることはできません。

鎌倉時代には、全国的な信仰を集めるようになり、1268~1300年に書かれた勘仲記には「遠近万邦の参宮人、幾千万を知らず」とあります。安土桃山時代(1585年)には、宣教師ルイス・フロイスが訪れ、「日本人は、伊勢神宮へ参詣しない者は、人間の数に加えてもらえないと思っている」と書いています。・・・石段の上にあるのが新しい正宮の板垣南御門の鳥居です。

伊勢神宮には、東西に「御敷地」があり、20年ごとに全く同じ建物が造営されるのですが、東の敷地を米座、西の敷地は金座と言うそうです。・・・板垣南御門鳥居の先に、外玉垣南御門とその屋根。「私幣禁断」のため一般参詣者はここから中へは入れません。

米座に正宮があるとき(1993~2013年)には経済が停滞(実際、その通りでしたね)、金座に正宮があるとき(2014~2034年)には経済が発展するとされています。20年ぶりに正宮が金座に遷宮されたので、これから景気はどんどん良くなるのではないでしょうか。

つづく

参考文献:「伊勢神宮」 三橋健著

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )