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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



本能寺の変での織田信長の悲劇を教訓とした徳川家康は、将軍上洛の際の宿泊所として本格的な城郭が京都に必要と考えて1603年に二条城を造営、1626年に後水尾天皇の行幸を迎えるにあたってさらに拡張されています。この秋、二条城の紅葉を見た際、その唐門がピカピカとなっているのを発見しましたので紹介しましょう。・・・二条城清流園の紅葉

ネットで調べてみると2年前から実施されていた唐門の保存修理工事は、今年(平成25年)8月28日に完成していました。・・・二条城、桜の園前のイチョウ

京都市文化局のHPには<彩色復原等で寛永2年(1625年),建築当初さながらの美しい姿に蘇った唐門を是非御覧ください>とあります。・・・二の丸庭園の南外側

唐門は,一間の四脚門で,檜皮葺の屋根の前後に唐破風をつけ、極彩色の彫刻を多用し,冠木上には龍虎,両妻には唐獅子など様々な主題で飾られ、木部はすべて欅材、破風には漆を塗り,各部に金箔を押した飾金具を打つという豪華なもの。・・・南側から見た唐門

二条城御殿唐門の小屋裏には、1625年の年号のある墨書が見つかっているので、唐門は1626年の水尾天皇の行幸に際して建立されたものでしょう。・・・二の丸御殿

日本建築は、木や土など自然素材で作られているために定期修理が必要で、建造から388年を経過している二条城唐門も過去に何度(前回は1973~75年)も修理されてきたようです。・・・二の丸の内側から見た唐門

さて今回の修理の際、唐門の飾金具を取り外したところ,垂木鼻先金具で,菊紋(天皇家)の下に隠された葵紋(徳川家の家紋)が発見されています。・・・唐門の装飾(唐獅子牡丹)

前回の修理(昭和48年~50年度)の際、破風飾金具の菊紋裏に葵紋があることは知られていましたが,この部分に関しては新発見だそうです。・・・東大手門

二条城は1867年大政奉還により一旦朝廷の管理下となり、さらに京都府、陸軍省と移った後、1884年に宮内省の所管となっています。葵紋から菊紋への改装はその頃にあったようですが記録には残っていないとか。・・・南外堀



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