昨日の記事で紹介しました細雪の<幸子たちは、去年は大悲閣で、一昨年は橋の袂の三軒家で、弁当の折詰めを開いたが、>、この大悲閣まで足を伸ばしてみました。
大悲閣へは、渡月橋の手前から桂川(この辺りは別名、大堰川とも保津川とも呼ばれています)沿いの遊歩道を上流に向かいます。・・・大堰川と船
かつて丹波国から嵐山の麓までを保津川と呼び、嵐山周辺から渡月橋下流を大堰川、さらにその下流域を桂川と呼んでいましたが、現在の国土地理院では桂川に統一しています。・・・左が遊歩道
遊歩道から桂川上流を見ると、満開のサクラが山を彩って、ここが京都を代表する景勝の地であることが判ります。
平安京造営の時、桂川は丹波と山城、摂津の木材輸送によく用いられ、今から400年前には角倉了以(1554~1614年)が桂川を開削しています。後ろを振り返ると、渡月橋です。
角倉了以の開削で現在の丹波町から下流の淀や大阪まで水運が通じることになり、園部、保津、山本、嵐山、梅津、桂津などは湊町として栄えたといいます。・・・20分くらい歩くと、こんな場所に出ます。
さらに歩くと、「星のや京都」の船着き場です。「星のや京都」のゲストは、渡月橋の袂にある桟橋から船に乗ってここまで来ることになります。左にちょっと見える屋根が「星のや京都」です。
船を見送る女性は、星のや京都の従業員でしょう。この辺り対岸の桜が見事ですね。「星のや京都」のHPによれば宿泊料は、素泊まりで3万円(二人なら6万円)1泊2食付きなら5万円(二人なら10万円)前後とか。
余裕のあるひとのための京都の隠れ家的な宿ということでしょうか。・・・この桜、トロッコ列車の線路沿いに植えられた桜のようです。
角倉了以の別荘だった大悲閣は、「星のや京都」山側にある道を少し登ったところにありました。