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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



大阪からわずか1時間の距離にある和歌山城には、なかなか行く機会がなかったが、今回思い切ってブログの取材に行ってきた。



JR和歌山駅から南海和歌山市駅行きのシャトルバスが出ていて、それに乗れば5分で和歌山城大手門前にあるバス停、公園前に到着である。



1909年に自然倒壊したものを再建した大手門から城内に入ると、丁度大手門広場を利用した写真展をやっていた。



大手門広場よりも5~6m高くなった二の丸庭園の石垣の上部には幹の周囲7m、高さ25m、枝の広がり35m、推定樹齢450年という楠の大木があったが、樹齢が正しければ豊臣秀長の和歌山城築城時に樹齢30年の若木として既にこの地に生えていたことになる。



大手門広場の先にはクランク状に曲がっている中御門址の石垣があり、部材が巨大で隙間無く美しく組まれているので最近改修されたものであろう。



南に向かってさらに進み、岡中門址の石垣を曲がると松の丸址の美しいカーブを描く高い石垣があったが、これも最近改修されたもののようである。



その南側に、和歌山城の中で、戦災の被害を免れた数少ない建造物、重要文化財の岡口門(1621年建造)があった。



ちょうど大坂城の青屋門のような、搦め手の門という位置づけであろうが、巨大な和歌山城の規模と比べるとかなり小さな門である。

大坂城の青屋門



岡口門から西にある南の丸に向かうと、現存している石垣は和歌山城の石垣の中でもかなり古いもののようであった。



南の丸址を西に向かって歩きながら、北の石垣を見ると比較的小さな石を乱雑に積んだ高い石垣があり、その南側の高い石垣の外には広い空堀があった。



城の南西部分は、和歌山護国神社の敷地になっていたが、その先にこじんまりとした勝手口のような朱塗りの追廻門(1629年建造)がある。



和歌山城の南西から西側部分にもかなりの高さの石垣があるので、その規模と比べると不自然なくらいに小さな門であったが、徳川幕府も安定期にはいろうとする時期で、大きな門は必要なかったのかもしれない。



南西の追廻門から引き返し新裏坂から本丸天守のある丘に至る階段を登ると、天守を守る高い石垣が続き、石垣の途中から大木が生えている場所もあった。




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