知命堂日記   ~  人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり ~ 2005.9.11

いつ死んでもおかしくない年のころ。
夢も希望もなく、やっと生きてます。
今を夢幻と思って、ただひたすらに…

非エリート教育というエリート教育

2014-04-12 09:45:47 | 自由研究
自分の子供には、将来苦労を負わせたくないということで教育に熱心になるわけです。
それで、公立教育よりも私立のエリート教育を選好するものです。
しかし、これが落とし穴というか
これからの社会、益々価値観が多様化し、かつそれを肯定する方向で進んでいるのです。
昔のように権威を背景に他人を納得させるということが難しくなりつつあります。
ハーベイロードの前提などあり得ないわけです。
そうなると私立のエリートの中で育った人間に問題解決能力は疑問ということになります。
結局、公立という射会の縮図の中でいろいろなパターンの人間と触れ合う中で
学問的にも人間的にも成長していく過程こそ本当のエリート教育ではないかと思います。
おそらく、一番よろしくないのは私立大学にエスカレートで進める付属校での教育でしょう。