サブタイトルは「卑劣なジャップ」グレート東郷である。
最初、見つけたとき、新書?!しかも岩波?!と思った。
何しろ帯には、あの「グレート東郷」の写真である。
若干躊躇したが、置いてあるところに人がいなくなったのを見計らって、そっと上から二冊目を抜いた。
ワタシ、こう見えても、プロレス、好きです。
小さい頃というか小学校から中学くらい、よく弟と二人でプロレスをやっていた。
みると、著者は1956年生まれ。同い年ではなかろうか。
近頃、文章や書かれていることによって「あっ、この人、同じ年代だ」と思うことがある。
この本を読み始めてもそう感じた。
日本のなかで、育った年代が同じということは、どこかに共通した考え方や感じ方を持っているらしい。
というわけで、この本は、実在のプロレスラー「グレート東郷」を調べることによって、戦後の日本社会の思想というか慣習というか、そういうものを考え直している、というものではないか・・・
グレート東郷は、なぞめいたプロレスラーである。
日本のプロレスラーで誰一人彼をよく言うものはいない。しかし、力道山だけは彼を慕っていたもしくは頼りにしていた。
このことに著者はずっと違和感を感じていて、それが実は東郷は中国系だった、という話を聴き、力道山が「韓国系」だったことと合わせて「そうだったのか」と納得しようとする。
しかし、グレート東郷を調べれば調べるほど、わからなくなる。
ある人は「中国系」だといい、ある人は「韓国系」さらには「沖縄」いややっぱり「熊本」だよ、と。
著者はこれら情報に翻弄されると同時に、どうして、そのようになっているのか?を考える。
日本の、純日本人たちは「異」なる者たちをどう扱ったか、「異」なる者たちはどのようにして「異」ではないことを証明しようとしたか。
プロレス、という「真と偽」「虚と実」をいったりきたりする、スポーツとはどこか異質で胡散臭い、ものは、戦後日本のなかで何を象徴したのか?
なんて、ワタシまで考えさせられたりしたのであった。
弟と二人でプロレスをして、技をかけあう(といっても7対3くらいでワタシのほうが技をかけていた)なかで、実はプロレスの技というのは、かける方とかけられる方が協力しないとダメなんだということを知り、プロレスというのはそういうものなんだ、つまり、なんともいいがたいもの、なんだと思ったのであった。
その、なんともいいがたいところに、魅力を感じるか、「ケッ!」と思うかが、プロレスに対する態度なんだろうと思う。
この本の著者の考え方には若干異論もあるが、プロレスを通して、戦後日本を、今の日本を暴いているところは迫力がある。
あとがきの日付が2005年10月29日であるから、オンタイム、のものである。
追伸
続いて小林信彦の「テレビの黄金時代」を読んでいる。
最初、見つけたとき、新書?!しかも岩波?!と思った。
何しろ帯には、あの「グレート東郷」の写真である。
若干躊躇したが、置いてあるところに人がいなくなったのを見計らって、そっと上から二冊目を抜いた。
ワタシ、こう見えても、プロレス、好きです。
小さい頃というか小学校から中学くらい、よく弟と二人でプロレスをやっていた。
みると、著者は1956年生まれ。同い年ではなかろうか。
近頃、文章や書かれていることによって「あっ、この人、同じ年代だ」と思うことがある。
この本を読み始めてもそう感じた。
日本のなかで、育った年代が同じということは、どこかに共通した考え方や感じ方を持っているらしい。
というわけで、この本は、実在のプロレスラー「グレート東郷」を調べることによって、戦後の日本社会の思想というか慣習というか、そういうものを考え直している、というものではないか・・・
グレート東郷は、なぞめいたプロレスラーである。
日本のプロレスラーで誰一人彼をよく言うものはいない。しかし、力道山だけは彼を慕っていたもしくは頼りにしていた。
このことに著者はずっと違和感を感じていて、それが実は東郷は中国系だった、という話を聴き、力道山が「韓国系」だったことと合わせて「そうだったのか」と納得しようとする。
しかし、グレート東郷を調べれば調べるほど、わからなくなる。
ある人は「中国系」だといい、ある人は「韓国系」さらには「沖縄」いややっぱり「熊本」だよ、と。
著者はこれら情報に翻弄されると同時に、どうして、そのようになっているのか?を考える。
日本の、純日本人たちは「異」なる者たちをどう扱ったか、「異」なる者たちはどのようにして「異」ではないことを証明しようとしたか。
プロレス、という「真と偽」「虚と実」をいったりきたりする、スポーツとはどこか異質で胡散臭い、ものは、戦後日本のなかで何を象徴したのか?
なんて、ワタシまで考えさせられたりしたのであった。
弟と二人でプロレスをして、技をかけあう(といっても7対3くらいでワタシのほうが技をかけていた)なかで、実はプロレスの技というのは、かける方とかけられる方が協力しないとダメなんだということを知り、プロレスというのはそういうものなんだ、つまり、なんともいいがたいもの、なんだと思ったのであった。
その、なんともいいがたいところに、魅力を感じるか、「ケッ!」と思うかが、プロレスに対する態度なんだろうと思う。
この本の著者の考え方には若干異論もあるが、プロレスを通して、戦後日本を、今の日本を暴いているところは迫力がある。
あとがきの日付が2005年10月29日であるから、オンタイム、のものである。
追伸
続いて小林信彦の「テレビの黄金時代」を読んでいる。