京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

生まれて初めての御手洗祭

2015年07月24日 04時47分29秒 | 社寺
7月19日から26日まで下鴨神社で恒例の「御手洗祭(みたらしまつり)」を実施している。私にとっても4年振りなんです。
我が父親に聞くと「御手洗祭」には、行ったことがないとのこと。
父は、西陣に生まれ育った。
北野天満宮や今宮神社は、よく行ったと思うけど、きっと圏外だったのでしょうね。
同じ京都市内なのに・・・と思われるでしょ。
でも地元京都人の反応はそんなものなんです。
自分の産土(うぶすな)さんを優先にするのが普通なんです。



産土?と思う人がおられるかもね。
産土神(うぶすながみ、うぶしなのかみ、うぶのかみ)といいます。
神道において、その人が生まれた土地の守護神を指します。
その人を生まれる前から死んだ後まで守護する神とされており、他所に移住しても一生を通じ守護してくれると信じられているのです。
京都人は、この産土信仰がどこか心の底にすり込まれている。
町内会単位で神社の祭りや寄附、お供えのおさがりが届けられていたからかも。
最近は、宗教行事を毛嫌いする他府県の人がいたりして、ダンダン少なくなってきています。



父親の本籍でいうと確実に北野天満宮の氏子だから、他の神社の行事に参加する訳がないのです。
他所の神社の行事に参加したら、菅原さんがいい顔をしないでしょう。
心が狭いって?そりゃそうです。元人間なんですから。
というようなことで、祇園祭だって他の産土さんの地域の京都人からしたら「なんや観光のお人がいっぱいきはって、ややこしいこってす」と近づかないのです。
葵祭だってそうです。
「時代祭は?」と聞かれるでしょうね。あれはどちらかというとパレード的なもんです。だから京都人からすれば圏外ねっ!



平安神宮の氏子は、京都市民全員なんです。
だから町内会で平安神宮の御札が配られます。
あれって、扱いがこまりますよね。
御札が来るということは、氏子として奉納金を支払っているということになる。



というような事情で我が父親は、御手洗祭には行ってないのでしょう。
兄弟が12人もいて、商家だったから、子供を連れて行くことが不可能だったのかも。
でもおばあさんに連れられて、草津の穴村へ墨灸につれて行かれたのは覚えているのできっと夜泣きの子供だったのかも。



今日の写真、あまりグレードが良くないです。
父親は一人で水の中を歩けなかったから手を繋いで歩きました。
しかもロウソクの火を消さず、靴を持ち、撮影をしていた。
いい写真が撮れるはずがない。



この下鴨神社の御手洗祭も禊ぎの一つの形なんでしょうね。
人間は、放っておくとすぐに穢れてしまう悲しい存在みたいです。
この世に肉体を持って生きるというのはそういうことなのかも。
でも穢れがあるから清いというのもある。
「穢れ」も「清い」のも同じことと気付かない間は、こんなお祭や行事をしないといけないのでしょうね。


↑こんなのは4年前になかった。行列ができるということなんだ。ゾッとしました。

父親は、ちょっとだけ嬉しそうでした。
91年生きて来てまだまだ体験していないことはいっぱいある。
食べ物だってそう。
生きている間は、楽しく生きようね。

和菓子
中村 肇
河出書房新社

↑これから暫くの間、京男の和菓子本のお知らせをさせてもらいます。説明は1月27日の記事をご覧ください。(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

Twitter→@kyo_otoko
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする