尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

都知事選の諸問題②

2014年02月11日 00時02分44秒 |  〃  (選挙)
 都知事選、宇都宮、細川両候補の問題を引き続き。10日付、東京新聞の特報部「本音のコラム」に宮子あずさ氏(看護師)が次のように書いていた。「非自民の票は細川、宇都宮の両氏に割れた、候補者を一本化できなかったのは、それぞれの支持者に切実な理由があったからだろう。私はどうしてもコイズミ的手法が受け入れ難く、宇都宮氏を選んだ。(中略)私にとって、反コイズミは何よりも切実な選択であった。(後略)」

 このような人がいることは僕にはよく判る。細川陣営に一本化されれば、宇都宮陣営の票が自動的に細川に流れるわけではないことが判るだろう。細川陣営には「コイズミ」という劇薬が処方されていて、副作用が心配な人は服用できない。この「小泉問題」は小さな問題ではないと思う。竹中平蔵氏を重用した新自由主義的経済政策や自衛隊のイラク派遣問題は、軽々しく忘れられる問題ではない。(だから、今や自民の支持団体に戻った郵政票も舛添当選に力をつくしたらしい。)鎌田慧氏などが、元総理大臣が脱原発に宗旨替えしたことを高く評価するのを僕は不思議に思っていた。それとも、今は脱原発を進めるためには「恩讐を超えて」「何でもあり」の政治的局面なのか。そうかもしれないとは思うが、そのためにはもう少し違った、若く清新な候補が必要だったと思う。僕には細川に雪崩を打って無党派票が集中するという事態は考えがたいとずっと思っていた。しかし、細川・小泉連合は、自分たちの主観においては「元総理二人が決起すれば、必ず奇跡が起こせるはず」と思い込んでいた可能性が高い。自分の歴史的位置が見えなかったということだろう。

 一方、宇都宮陣営は山下共産党書記局長がいみじくも総括したように「一定の成果はあった」ということで、勝つことではなく「一定の成果」を目指したのではないかと思う。前回は石原都政の転換を求めるという点で、石原後継の猪瀬に対抗する「市民候補」を模索する動きがあった。その中で様々な打診もあったらしいが、なかなか出馬する候補は現れず、結局日弁連前会長で反貧困運動で一定の知名度があった宇都宮健児氏が出馬を表明した。そこに共産党、社民党に加え、当時衆議院選挙に多数の候補を立てていた日本未来の党、緑の党、新社会党、都議会に議席を持つ地域政党・生活者ネットワークが支持した。都議会で議席を持つのは共産党と生活者ネットだけとはいえ、一応市民連合的な色彩があった。しかし衆院選と同時になったこともあり、100万票には達しなかった。

 その票数は2007年の浅野史郎氏が獲得した169万票にはるか及ばず、そのため今回も宇都宮氏では勝てないのではないかという観測が強かった。だから、他の候補を模索する動きもあったらしいが、結局先に宇都宮氏が出馬表明してしまい、共産党、社民党、緑の党に支援依頼をしてしまった。この時点で「フライング」であり、そのような「サヨク」の枠組みでは勝てないと判っているはずなのに、どうして先走るのだろうかという批判も強かった。僕も宇都宮氏の意欲は認めるものの、リーダーシップや「小泉氏にあるような有権者を鷲づかみにするようなオーラ」には乏しい面があると危惧していた。ここで一端話を変えて、都知事選の過去を振り返っておきたいと思う。

 戦後、知事が直接選挙になってから3期ほど安井誠一郎、続いて64年東京五輪をはさみ2期が東龍太郎、さらに67年から3期ほど革新知事の美濃部亮吉が務めた。その後、自治官僚出身の鈴木俊一が4期務める。鈴木時代の最初の2回は、美濃部時代から引き続く「社共共闘」の対抗馬を破って当選した。
79年 鈴木俊一 1,900,210  次点 太田薫  1,541,594
83年 鈴木俊一 2,355,348  次点 松岡英夫 1,482,169
 太田薫は元総評議長で知名度はあったが、すでに過去の人だった。松岡英夫は評論家で選挙時に71歳だった。もっとも鈴木知事はさらに2歳年長だったが。誰か「進歩的知識人」で引き受ける必要があっての出馬で、2期目に挑む現職知事に勝つ可能性は最初からなかった。

 87年から社共共闘が崩れ、87年は社会党和田静夫が次点となるが、91年には高齢の鈴木知事が自民の公認を得られず、無所属で当選した。次点は自民、公明、民社の磯村尚徳(NHKキャスター)で、3位が共産の畑田重夫、社会党の大原光徳は4位にしか入っていない。(ちなみに5位に内田裕也54,654票がいた。)そこで、共産党が推薦した候補の各回の得票を見ておきたい。
87年 畑田重夫 698,919 (当選鈴木俊一)
91年 畑田重夫 421,775 (当選鈴木俊一)
95年 黒木三郎 284,387 (当選青島幸男)
99年 三上満  661,881 (当選石原慎太郎)
03年 若林義春 364,007 (当選石原慎太郎)
07年 吉田万三 629,549 (当選石原慎太郎)
11年 小池晃  623,913 (当選石原慎太郎)
12年 宇都宮健児968,960 (当選猪瀬直樹)
14年 宇都宮健児982,594 (当選舛添要一)

 ちょっと細かくデータを挙げたが、これを見れば一目瞭然。畑田重夫、三上満、吉田万三、小池晃などの知名度がある程度高い候補を立てた場合、60万票台は取れる。しかし、候補者がたくさん立ち、党外に知名度のない候補の場合、2、30万程度しか取れない。ところが前回宇都宮候補で戦い、100万に近い票を獲得したのである。これは社共共闘が崩れて以来、共産党推薦候補の都知事選最多得票だったのである。

 一方、石原知事に対する次点候補は誰だったかを振り返ってみる。
99年 石原慎太郎 1,664,558 鳩山邦夫  851,130(民主推薦)
03年 石原慎太郎 3,087,190 樋口恵子  817,146(民主、社民支持)
07年 石原慎太郎 2,811,486 浅野史郎 1,693,323(民主、社民、国民新支援)
11年 石原慎太郎 2,615,120 東国原英夫1,690,669

 このように見てくれば判るように、2007年の浅野候補169万票は民主党系で得られた票であり、その時も共産党は吉田候補で63万票ほどを得ていた。(ちなみに吉田万三はかつて保守が分裂した時に足立区長に当選した人物である。)この「石原三選」時こそが「一本化」が望まれた選挙だったのである。浅野史郎(元宮城県知事)を押し上げた力も、2009年の政権交代につながる民主党の勢いだったのだろう。そして、それをもってしても石原都政を転換することはできなかった。

 07年の浅野候補の得票と比較すると、前回の宇都宮候補の得票は物足りない。しかし、共産党推薦候補の得票を見れば判るように、共産党は宇都宮出馬で「一定の成果を挙げた」と思ったのだろう。これが多分、今回共産党が宇都宮出馬を早々と進めた理由だろうと思う。実際、投票率が前回より16%も減少(総投票数では170万票ほどの減少)したというのに、1万6千票ほども増やしている。得票率で言えば、14.6%から20.2%へと大幅に増やした。共産党から見れば、これは「正しい政策」を一定程度浸透できたということになるのではないか。しかし、はっきりしているのは、その枠組み(共産、社民)では当選できないということである。ではどうすればいいかは、また別の問題。でも今までの都知事選の得票と現在の力量を見れば、「サヨク政党」の力だけでは勝てないのははっきりしている。次回も何か突発事がなければ、五輪目前に現職の舛添に誰が対抗しても勝てないと思われる。
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