尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

2014年1月の訃報

2014年02月08日 00時03分49秒 | 追悼
 一本の記事を書くほど知らないので追悼の記事は書かなかったけれど、2014年1月に亡くなった人の記憶。僕は訃報や書評の新聞切り抜きを40年ほども続けている。結局追悼記事を書いたのは小林カツ代さんだけだった。簡単な訃報のまとめを今までも書きたかったけれど、機会がなかった。今年からまとめ記事を月ごとに書くことにしたい。もっと早く書くつもりが2月の一週間経ってしまったけれど、自分の備忘の意味も大きいので書いておきたい。以下、敬称略。

 1月は1面に訃報が載った人は小野田寛郎(おのだ・ひろお、91歳、1.16没)だけだった。小野田はフィリピンのルバング島で、敗戦を知らずにジャングルに潜み続けた人物である。1974年に「救出」された時は大きく報道され、その後もブラジル移住、若者野外教室など活動を続けた。その時期を知っている人には忘れがたい人物だけど、若い人は知らないだろう。「たった一人の30年戦争」と新聞には表現された。

 女優の淡路恵子(あわじ・けいこ、80歳、1.11没)は、女優淡島千景に憧れ「淡」の字を芸名にもらった。その淡島千景の追悼上映が新文芸坐で行われた時に、淡路恵子のトークショーがあり話を聞いた経験がある。それはテレビなどで見るのと同じく、自由闊達で奔放な人生を語り、大変面白い思いでとなっている。だから追悼記事を書いても良かったんだけど、肝心の女優としての人生について、書くことが少ないのである。それは淡路が恋に生き、女優業を離れた時期が長かったという理由による。あまり私生活のことを書きたくない。映画では「野良犬」「新・夫婦善哉」「男はつらいよ 知床慕情」が面白いと思う。

 詩人の吉野弘(87歳、1.15没)は僕にはとても思い出深い。若い時に詩をよく読んでいた時期があり、思潮社の現代詩文庫というのをかなり持っている。吉野弘詩集も持っていて、その判りやすく暖かな世界は大好きだった。特に「夕焼け」に感動したわけだけど、今ではそれは教科書で知る詩になってしまった。その時代には「自分で発見するもの」だったわけだが。その頃多くの詩人を読んだけれど、その後あまり読まなくなってしまった。だから吉野弘の全体像を書くことができない。これから読んで行く機会を作りたいと思う。

 ところで追悼記事を読むことで、自分の苦手なフィールドも判ってくる。例えば「サザエさん」の父波平の声をやっていた声優、永井一郎(82歳、1.27没)は、これほど大きく取り上げられる人だったのか。声優というジャンルはほとんど知らないのである。声優では「巨人の星」の星一徹役だった加藤精三(86歳、1.17没)も亡くなった。

 概していえば、僕は音楽関係が弱い。年末に書き忘れたが、大滝詠一(65歳、2013.12.30没)が急死した。この人の名前は「はっぴいえんど」の時から知っている。その後の活躍も面白いし、すごい人だと思っていたけど、では自分の言葉で語れるかというとできない。ただ「夢で逢えたら」「冬のリヴィエラ」などの不思議なムード、それが日本の70年代から80年代と結びついて忘れがたいのである。
 指揮者のクラウディオ・アバド(80歳、1.20没)ももちろん名前は知っているが、あまり聞いていない。何しろベルリン・フィルでカラヤンの後継だった人である。ウィーン国立歌劇場などの音楽監督も務めた。昔、クラシックをよく聞いていた時代があり、レコードも一枚くらいあるかと思い調べてみたら、モーツァルトのピアノ協奏曲20番と21番があった。グルダがピアノを弾いている。交響曲ではなく、協奏曲や室内楽曲が好きだったので、これもグルダの名演目当てだったと思う。日本に何回か来ているが聞いてはいない。カラヤンもベームも聞いたけど、多忙な時期は高いクラシックを買えない。

 アメリカのフォークソング歌手であるピート・シーガー(94歳、1.27没)も書いてもよかったけれど、小林カツ代の訃報と重なったので書かなかった。それと「花はどこへ行った」や「天使のハンマー」などが大好きだけど、それはピーター、ポール&マリーで聞いていたという事情も大きい。PPMが大好きだなんて、どうも書きたくない気もするんだけど。(「チャップリンが好き」というより「マルクス兄弟はすごい」とか言いたい時代に大きくなったので。)この人は長い人生で第二次大戦以前からの社会運動家としての歴史がある。その評価は僕の手に余るが、「ウィ・シャル・オーバーカム (We Shall Overcome)」を抵抗歌の世界的スタンダードにした人であるという。これは霊歌だったものを公民権運動の中で歌い始めたという。僕はこの歌を、原語はもちろん韓国語と日本語でも歌える。韓国の民主化運動に昔触れた過去がある人は、「ウリ・スンニ・ハリラ」とうたえる人がかなりいるだろう。

 俳優、演出家の高橋昌也(83歳、1.16没)は前年の公演がキャンセルされていたので体調不良は公表されていた。銀座セゾン劇場で黒柳徹子の舞台を演出、共演していたので見たことがある。訃報によると、俳優座養成所から小沢昭一らと新人会を結成、以後、劇団四季、文学座、劇団雲、劇団円と長い舞台歴があるという。まあ後の方は新劇分裂史だけど。直木賞作家の坂東眞佐子(ばんどう・まさこ、55歳、1.27没)はその年齢から若すぎる死だった。ホラー小説ブームの先駆けで、「山妣」(やまはは)で直木賞。でも日本の風土に根ざしたホラーがどうも僕には親しめなかったので、ほとんど読んでいない。評論家の森本哲郎(88歳、1.5没)は朝日新聞の記者で世界を回る中で、独自の世界文化論、日本文化論をたくさん書いた。紀行エッセイみたいな本が多く、テレビにもたくさん出た。だから昔は文庫にいっぱいあって、あちこちでよく聞いた名前だった。今は忘れれてしまったかもしれない。

 音楽プロデューサーの佐久間正英(61歳、1.16没)になると僕にはもう知らない。元運輸相、厚生相、総務庁長官、官房長官の山下徳夫(94歳、1.1没)などは、一般には全然忘れられた名前だろう。三木派、河本派ながらポストに恵まれた。しかし海部内閣で官房長官になりながら女性問題が報じられて16日間で辞任に追い込まれた。多分これが政治家山下のもっとも有名な出来事ではないかと思うが、最初の入閣の運輸相時代に日航ジャンボ機墜落事故が起こったことしか報じられていない。「武士の情け」というようなものか。政治評論家の岩見隆夫(78歳、1.18没)の名も。

 この記事の名前を「訃報」として「追悼」にしなかった。世の中には「追悼」ではない訃報もあるからである。イスラエルのシャロン元首相(85歳、1.11没)がようやく死去。ようやくというのは、2005年に右翼政党リクードを飛び出し、「カディマ」を結党した直後に倒れ、そのまま意識を取り戻さなかったからである。「もしシャロンが倒れなかったら」は、現代史の「イフ」として残ると思うけど、その生涯の決算はどうなのだろうか。大阪で橋下徹なる人物を人気モノに押し上げたやしきたかじん(屋鋪隆仁、64歳、1.7没)は、歌手というか、テレビ司会者というのか。東京では放映されない「たかじんのそこまで言って委員会」なる番組はもちろん見たことはない。見てないものは語らないことにしたい。
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