尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

2月の読書日記

2014年02月26日 22時42分18秒 | 〃 (さまざまな本)
2月26日(木)
 皆川博子に続き、昔のイギリスもの。マイケル・コックス「夜の真義を」(文春文庫)は2006年の作品で数年前に翻訳され、昨年9月に文庫化された。ヴィクトリア朝ノワールで、当時の告白記が発見されたという体裁で、異常な復讐譚が「痛切だが圧倒的な美しさ」(帯のコピー)で描かれる。一人称の告白、それも博識でまだ若い当事者が書いたという趣が慣れれば素晴らしい迫力で迫ってくる。幼少より数奇な運命を生きる恵まれない主人公、ともいえるが客観的に見れば、もっと幸せな人生もあったはずだ。だが本人の意識は失われた、というか奪われた自己の人生を取り戻すことだけに賭けてしまった。ものすごい書誌的な知識(実際の著者はオックスフォード大学出版局の編集者で、専門的知識が豊富だった)も魅力的。最後の最後に、ものの見事にすべてを失う主人公の無惨は、実に心打たれる。最後の雪のシーンは、「キル・ビル」か「修羅雪姫」かと脳内で映画化必至。

 さらに枕元でに10年以上置かれてあったローレンス・ノーフォーク「ジョン・ランプリエールの辞書」(創元推理文庫)上下に取り掛かる。だけど、これは思った以上に難物で上巻だけで一週間以上かかった。帯には「エーコ+ピンチョン+ディケンズ+007」とあるけれど、上巻470頁(会話が少なく字がびっしり)読んでも、全然007にならず、ピンチョン+ディケンズである。これは18世紀、フランス革命直前の頃、東インド会社をめぐる多様な陰謀の渦が描かれるが、まだまだ全貌が見えてこない。これは大変過ぎる。2月はこれで終わりそう。
2月13日(木)
 記事に書いた「殺人犯はそこにいる」とちくま文庫「新トラック野郎風雲録」(鈴木則文)を除き、ひたすらミステリー。後者は「トラック野郎風雲録」の文庫化かと思って買ったら、別に編まれた本だった。でも快著で、東映の娯楽映画の心意気を味わえる。
 芦辺拓「グラン・ギニョール城」(創元推理文庫)は出来がいいメタミステリで、途中で物語が現実と混在していくところに感心した。でもミステリ好き向けの本だろう。

 物語世界の面白さに没頭しつくす体験を味わえるのは、スペインのカルロス・ルイス・サフォン「天使のゲーム」(集英社文庫)。前作「風の影」があまりにも素晴らしく、2012年7月に出たこの本はしばらく読まなかった。同じレベルを維持できてるか、怖かったのである。でもそれは杞憂で、バルセロナの街への愛情と共に、素晴らしい物語が戻ってきた。今回は前日譚と言うべき話で、第一次大戦後のバルセロナで作家をめざす少年の哀しき運命が圧倒的な迫力と面白さで語られる。それにしても、報われない愛のゆくえはあまりにも切ない。伝奇ミステリには違いないが、世界中の本マニアに捧げられた物語であり、同時に愛を追い求める熱情の物語。これほど切ない愛の物語はちょっとない。

 一方、皆川博子「開かせていただき光栄です」(ハヤカワ文庫)も止められなくなるミステリの傑作。18世紀ロンドン、まだ解剖が自由にできなかった時代。近代的な警察、裁判システムが機能していなかった時代。墓暴きから死体を買って、医学のための解剖を進める医者と弟子たちがいた。そこに古詩を持ってロンドンで詩人になるべく上京した少年が絡む。いつのまにか、医者の解剖台に死体が3つも。一つは妊娠中に死亡した未婚の上流令嬢。もう一つは先の少年らしい。そこに何故もう一つの死体が見つかるのか。謎は謎を呼び、当時の恐るべきロンドンの監獄や社会の腐敗が明るみに出される。「トム・ジョーンズ」という小説で知られるヘンリー・フィールディングは作家である前に警察官僚だった。その弟である実在の盲目判事と彼の「生きた目」となる男装の姪が解決に奔走する。時代は日本で言えば大岡越前の50年くらい後、「大ロンドン捜査網」の面白さ。驚くべき物語であり、本格ミステリの楽しみを味わえるが、同時に壮大な構想の物語性が素晴らしい。ディケンズを18世紀に展開させたような話。これは英訳されて欲しい。ナチス時代の「死の泉」を超えているのではないか。80代でこれほどの作品を書く皆川博子に脱帽。2011年に出て、去年9月に文庫化された。
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栃木県東北部の旅行

2014年02月26日 00時05分35秒 |  〃 (温泉)
 栃木県の東北部、那珂川町や大田原市のあたりを旅行。栃木県は日光に何十回も行ってる他、那須・塩原あたりもよく行っている。温泉や観光地はいっぱいあるが、東北新幹線、東北自動車道(あるいは国道4号線)を境にして、西の方に集中している。だから、東の茨城県の近い辺りはほとんど行ったことがない。(那須へ行ったときに雨だったので、「那須風土記の丘」という古代文化の集中地域をドライブしたことがあるだけ。)今回は「とちぎ券」という栃木県内の旅館で使えるクーポン券の日付が今週末までということで。買ったはいいけど、なかなか時間が取れず、結局日切れ近くになってしまった。

 ところで、この地方には何があるのか?合併して今はなき町名だが、喜連川(きつれがわ)とか黒羽(くろばね)などの地方。その黒羽(今は大田原市)は松尾芭蕉が「奥の細道」を歩いた時に一番長く(13泊も)滞在した場所なのである。当時は「黒羽藩」があり、その城跡に「芭蕉の館」がある。(近くの国道から川を渡るときの案内板がないので判りにくい。)館の前には、芭蕉と曾良の碑がある。あれっ、芭蕉が馬に乗っている。いや「奥の細道」では那須野で馬を借りているのである。黒羽のあちこちに、「俳聖芭蕉と黒羽」の案内板がある。
  
 写真を見れば判るように、まだ雪がかなり残っていた。芭蕉が黒羽を訪ねたのは、黒羽藩の城代、浄法寺図書(俳号桃雪)という人に招かれたのである。黒羽藩大関氏1万8千石で、幕末までずっと大関氏が続いた。もともとは下野北部の那須氏を支える「那須七党」と呼ばれた一族だというが、1590年に大関高増が小田原に参陣し、1600年には子の資増が東軍に味方して家康の小山評定に参陣した。こうして主家の那須氏が秀吉の怒りを買ってつぶされた後も、独立大名として生き延びた。地元の人々を除けば、よほどの歴史マニアでも知らないと思うけど、小なりと言えども幕末まで続いたのである。幕末には外様ながら海軍奉行を務めるが、戊辰戦争では新政府軍について会津戦争に参加して功を挙げる。よくよく、重要な時期に付く側を間違わなかった一族である。その大関氏の黒羽城に「芭蕉の館」が建てられている。城跡はなかなか堀が深く、今は公園として整備されている。今はまだ雪がいっぱい。
  
 その大関氏一族の墓のある大雄寺(だいおうじ)が城のすぐ下にある。なかなか立派な禅寺で、一族の墓がズラッとあるのは壮観。(なお、芭蕉は黒羽の奥にある雲巌寺(うんがんじ)というところも訪れ、一句詠んでいる。是非行きたかったが、多分雪が大変だろうと思い、次の機会にすることにした。)
  
 芭蕉ゆかりの地は、平泉、山寺、象潟などの他、尾花沢や市振なんかも行っている。特に「奥の細道」を追いかけているわけでもないんだけど、機会があれば他のところも見てみたい。さて、そこから道の駅「那須与一の郷」で休む。近くの那須神社には那須与一の刀もあるらしい。今年になって国の重要文化財に指定されたという。ちょっと離れたところに「くらしの館」というかやぶき農家の建物が残り、物産センターなんかもある。そこで竹細工を展示して売っていた。下の写真の左側は「里芋洗い機」とあって、6000円なり。
 
 泊ったのは那珂川町なのだが、そこには何があるのか?「広重美術館」や「いわむらかずお絵本美術館」などがある。(今回は月曜で休館)また「御前岩」や「唐の御所」という他の地域ではほとんど知られていない名所もある。「御前岩」は水戸黄門が見て奇岩なりと命名したという岩。「国史跡・唐の御所」は、それだけ聞くと不思議なネーミングだけど、行ってみたら古代の横穴墓だった。埼玉の「吉見百穴」みたいなもの。あれほど多くはないけど。将門伝説と絡んで、「御所」と名前が付いたらしい。最初が山登りで、どこにあるんだか判らない。ホントにあるんかと思うくらい登って、そこに案内がある。
    
 さて、いつもは泊った場所の感想を書くのだが、今回は泉質は良かったけど、残念ながら紹介はしない。自分もうっかりしていたのだが、情報で得たつもりの値段と請求の値段が違った。よく見ると「お二人様の場合千円増し」とすごく小さな字で書いてあった。さらに建物が外壁改装工事中だった。建物全体が足場で覆われ、作業員が5時過ぎまでガラス清掃や外壁塗り替えをしている。4時半過ぎに部屋に入ったのに窓の外を見たら、ガラスに高圧で水をかけていた。向こうに人がいた。外にある露天風呂の帰りに見た裏からの全景を載せておく。
 ま、今回は栃木県の道の駅をめぐりながら、東京では高い野菜の買いだしに行ったという感じの旅行。
(宿は工事中)
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