尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

二人の名優の死-フィリップ・シーモア・ホフマンとマクシミリアン・シェル

2014年02月03日 23時37分13秒 | 追悼
 ともに米国アカデミー賞主演男優賞を獲得した二人の名優の訃報が伝えられた。マクシミリアン・シェル(1930~2014)は高齢だから意外感はないが、フィリップ・シーモア・ホフマン(1967~2014)は、近年もっとも旺盛な活躍をしていたアメリカの演技派で、まだ46歳である。死因は薬物の過剰摂取と伝えられているが、全く残念というしかない。

 米英では実話の映画化が多く、数年前のホワイトハウス事情や英国王室まで実名で映画になってしまう。そういう映画で実在の人物を演じるのはとても苦労が多いのではないかと思うが、成功すれば演技賞レースで大きく評価される。エリザベス2世を演じたヘレン・ミレン(「クイーン」)も、その父のジョージ6世を演じたコリン・ファース(「英国王のスピーチ」)もアカデミー賞を取った。昨年の主演男優賞はリンカーン大統領を演じたダニエル・デイ・ルイス(3回目の受賞)。昔からそういう傾向はあり、受賞拒否したジョージ・C・スコットのパットン将軍やマハトマ・ガンジーを演じたベン・キングズレーなど思い浮かぶ例は多い。

 マクシミリアン・シェルはオーストリア出身で、亡くなったのもインスブルックと伝えられる。姉のマリア・シェル(1926~2005)も有名な国際的女優で、特にルレ・クレマン監督がエミール・ゾラの原作を映画化した「居酒屋」で世界的な評価を得た。弟のマクシミリアンも「若き獅子たち」(アーウィン・ショー原作で評判になった戦争小説の映画化)でハリウッドに進出。スタンリー・クレイマー監督の傑作「ニュールンベルグ裁判」(1961年)で、ドイツ人弁護士を演じてアカデミー賞を獲得した。この映画はナチス幹部を裁く有名な裁判ではなく、その後に行われた法律家を裁くB級裁判に材を取り、僕もテレビでしか見ていないが、ものすごい迫力だった。有名人物役ではないが、実在の裁判のドラマ化で、戦争犯罪をめぐり丁々発止が繰り広げられる難役で、米映画でナチス時代の法律家を弁護する。それでアカデミー賞を得たのだから、演技力の素晴らしさが判る。その後も「トプカピ」「オデッサ・ファイル」「遠すぎた橋」「ジュリア」など60、70年代の映画ファンには懐かしい映画に出ていたらしいけど、あまり強い印象はなかった。1970年には監督にも乗り出し、ツルゲーネフの原作を映画化した「初恋」を製作した。

 マクシミリアン・シェルだけなら記事を書かなかったが、フィリップ・シーモア・ホフマンの逝去は惜しまれる。もっともこの人の名前も風貌も知らないという人がたくさんいるだろうと思う。容貌魁偉な巨漢なので、娯楽映画の主役にはなれない。映画ファンでなくても名前を聞いたことがあるスター、例えばトム・クルーズ、ジョニー・デップ、レオナルド・ディカプリオなんかと違い、大ヒットするアクション映画なんかには出ていない。舞台にも立っていたらしいけど、映画では「セント・オブ・ウーマン」で注目されたという。これはようやくアル・パチーノが主演男優賞を得た映画だけど、僕にはホフマンの記憶はない。名前も覚えにくいし、一目見て「あの、イケメン俳優、誰?」と関心を持つような俳優ではない。「ブギーナイツ」「マグノリア」「パンチドランク・ラブ」というポール・トーマス・アンダーソン監督作品、さらに「ビッグ・リボウスキ」「あの頃、ペニー・レインと」など僕も見て印象が強い作品に出ているとデータにはあるが、これらでもホフマンは覚えていない。まあ、最近は全然外国映画の俳優が覚えられないんだけど。

 こうして、個性の強い映画監督に重用され脇役の演技派として知られ始めていたわけだけど、これでは主役が回ってこない。そこで彼は自分で映画会社を作ってしまい、作家トルーマン・カポーティを演じた「カポーティ」(2005)を製作する。これでアカデミー賞を受賞、一気に知名度を上げた。戦後米文壇の寵児だったカポーティがセレブ生活の中で自分を見失う中、乾坤一擲の大勝負として恐るべき殺人事件の取材を始め、ノンフィクション・ノベルという形式で「冷血」という傑作を書く過程の映画化である。この死刑囚との長い取材は心身に大きな負担となり、早すぎる死につながる。こういう映画は非常に難しい。実在人物がスキャンダラスな人物で(カポーティはゲイだったけど、まだカミングアウトできる時代ではなかった)、しかも殺人事件と死刑囚が出てくる。名前を知ってても「冷血」を読んでない人の方が多いわけで、見る側に敬遠されやすい。しかし、これはオスカーにふさわしい名演で、映画の出来も傑作だった。僕は昔からカポーティが好きで、ほぼ全作品を読んでいるが、この映画のカポーティはほぼ完璧な「なりきり演技」だったと見ていて感心した。

 21世紀に入ってから、実在人物を演じてアカデミー賞を取った映画が多い。ジェイミー・フォックスのレイ・チャールズ(「レイ」)、フォレスト・ウィテカ―のアミン(元ウガンダ大統領、「ラスト・キング・オブ・スコットランド」)、ショーン・ペンのハーヴィー・ミルク(「ミルク」)などだが、フィリップ・シーモア・ホフマンが演技力という意味では一番ではなかったか。その後も「ダウト」と「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」で助演男優賞候補となり、「その土曜日、7時58分」、「マネーボール」などに出演している。でも娯楽大作というよりアート映画系が多いので、やはりあまり一般的には知られていないだろう。

 最近では「25年目の弦楽四重奏」や「ハンガーゲーム2」などにも出ているということだが、何と言ってもカンヌ映画祭で男優賞を獲得した「ザ・マスター」がある。ポール・トーマス・アンダーソン監督作品で、新興宗教みたいな団体の教組みたいな役で、なんだかよく判らないけど、すごい迫力で演じている。こういうのを見ると、怪優という表現をするしかない。この映画は昨年のキネマ旬報ベストテンで8位に入り、特集上映が行われるのでこれから見る機会もある。映画としては僕にはあまり評価できなかったのだが、ホフマンの演技のすごさだけは特筆に値する。彼にしかできないタイプの役柄があり、アメリカ映画には珍しい作家の映画には不可欠の存在だった。全く惜しまれる死と言うしかない。
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