万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

東京都知事選挙は女性対決による二頭作戦?

2024年05月29日 11時49分39秒 | 日本政治
 かつて、日本国の集団的自衛権をめぐり、‘権利はあるけれども行使できない’とした内閣法制局長の言葉が物議を醸しましたが、選択する権利が保障されていながら、その実、この権利は行使できない、という状態は、あり得ないようであり得ることです。権利があってもその権利を行使することができなければ、その権利は存在しないに等しく、たとえ権利が法律に明記され、厚く保障されていようとも、それは空文となってしまうのです。

 権利がありながらそれが失われるケースの代表的なケースは、実質的に選択肢がない状態となる場合です。例えば、リンゴを5つならべて、「自分の好きな‘果物’を選んでください」といっても、5つとも全てリンゴなのですからこの選択は無意味です。あるいは、三つの形や大きさや色の異なる箱を並べて、「自分の好きなお菓子の入っている箱を選んでください」と言われても、その中身がすべてキャンディーであれば、チョコレートを選びたい人にとりましては、好の箱は選べても、その中身を選ぶことは出来ません。前者よりも後者の方が巧妙なのですが、選択肢をなくしてしまうことは、権利を奪うことでもあるのです。二者択一の状態に追い込み、どちらを選んでも結果は変わらない、あるいは、より悪くなるという二頭作戦は、権利を奪う手法の一つです。

 同手法が政治に使われますと、国民は、参政権という国民の権利も失われかねない重大な事態に直面します。この方法が使われますと、民主主義の実体化でもある民主的選挙制度は、合法的に毀損されてしまうのです。こうした国民の選択肢消滅の問題は、二大政党制の諸国では既に顕在化しています。例えば、アメリカの政党政治は、基本的には共和党と民主党の二つの大政党の対立構図によって特徴付けられてきました。両者は、保守とリベラルという、相反する価値観をもって対立軸を構成してきたのですが、米ソ冷戦の終焉後の90年代当たりから両政党の政策上の違いが曖昧化するという現象が起きています。また、多党制でありながらも、左右の対立軸で二分されてきた日本国の政治を見ましても、今日では、与野党のどちらを選んでも、移民政策であれ、環境政策であれ、デジタル化政策であれ、少子化対策であれ、ほとんど違いが見られなくなっています。何れを選択しても、国民は、民意に添った政策の実現を期待することは難しいのです。

 こうした実質的に選択肢をなくしてしまうという手法を用いようとしますと、これを意図した者は、選択の場そのものをコントロールする必要があります。政治の世界にあっては、全ての政党の上部にあり、かつ、これらの政党に対して決定的な影響を与える、あるいは、命じることができる存在のみが、同手法を用いることができるのです。前出の喩えに当てはめれば、全ての果物をリンゴに決めたり、全てのお菓子をキャンディーを詰めることができる人のみが、選択者から権利を奪うことができるということになります。今日の政治にあっては、各政党に自らの指揮命令系統を浸透させ、選挙全体を上部から操作し得る唯一の存在は、巨大なマネー・パワー、並びに、先端的なテクノロジーを有するグローバリスト、即ち、世界権力というものなのでしょう。前回のアメリカ大統領選挙にあっては、候補者の選定のみならず、電子投票システムをめぐる不正投票疑惑も持ち上がっており、民主主義は危機の時代を迎えているのです。

 憲法が国民に保障する参政権を形骸化してしまう選択肢の実質的な消滅の試みは、今般の東京都知事選挙にも見られるように思えます。現職の小池百合子知事の最有力の対抗馬として、蓮舫氏が登場してきているからです。小池知事については、学歴詐称疑惑に加え、神宮外苑再開発事業で反対運動が起きるなど、目下、都民からの支持率も低下傾向にあります。再選が危ぶまれる中で蓮舫氏が出馬すれば、女性政治家同士の対立という、有権者の関心を引き寄せる格好の構図ができあがるのです。マスメディアの多くも、女性候補者による一対一の対立が都知事選の争点であるかの如くの報道ぶりです。

 二頭作戦、あるいは、選択肢の同一化による権利の消滅という手法が知られていなかった時代には、誰もが選挙に際しての対決構図に疑問を抱かなかったかも知れません。しかしながら、全世界において同手法が広がり、かつ、有権者には選択肢が殆ど無い状態が認識されてきますと、政治をみる国民の視線も自ずと変わってきます。選挙戦そのものが、世界権力が仕組む‘演出’であるかもしれないからです。民主主的選挙制度も、国民に権利があってもそれが行使することができなければ、共産主義国家における‘人民民主主義’と同様に、存在しないに等しくなります。東京都知事選挙に際しても、女性候補対決という二者択一を迫るような二頭作戦が仕掛けられている可能性は否定できませんので、有権者は、大いに警戒すべきではないかと思うのです。

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