万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

国家の多様性に応じた防衛・安全保障政策を

2022年05月02日 16時36分38秒 | 国際政治
 平和という価値は、’戦争反対’だけを声高に叫んでいても手にすることはできないようです。安定的な国際秩序を構築するには、抑止システムや対立要因の解消を含む予防、世界戦争化回避の仕組みを組み込んだ武力行使時の即応システムの整備、並びに、司法手続きによる戦後処理の制度化…といった課題が人類には待ち受けています。いわば、過去、現在、未来の三つの時間的段階全てをカバーする制度構築を必要とすると言えましょう。そして、このような平和のための国際システムを考案するに際しては、国家の多様性をも考慮すべきように思えます。

グローバリズムは、‘多様性の尊重’というキャッチフレーズとともに世界規模で広がってきました。グローバリズムの文脈における‘多様性’とは、おそらく、国境を越えた人の移動、すなわち、移民の増加に伴ってその受入国社会において頻発が予測された人種・民族差別を緩和し、国境の壁を低くすることへの抵抗を和らげる効果が期待されたのでしょう(多文化共生主義の唱導者…)。このため、この言葉は、その本質において単一性を追求していながら、表面的には多様性を唱えていることにおいて、‘グローバリズムの欺瞞性’としても指摘されてもきたのです。

ところが、よく考えてもみますと、多様性とは、グローバル時代以前のみならず、今日でも国際社会の現実でもあります。アメリカ等の多民族国家も存在し、かつ、近年、先進国を中心に移民の増加による人口構成の変化がみられるものの、国家の多くは、DNAの塩基配列、言語、慣習等において共通性を有する民族集団を凡そ’国民’としています。国家には、それぞれ、他に二つとない個性があるのです。つまり、グローバリズムが唱える’国境なき多様性’と現実の国境が区切る’国家の多様性’は全く別物なのです。国家の多様性こそ現実であるならば、その現実の多様性に対応しない限り、平和の構築は危ういということになりましょう。

それでは、国家の多様性という現実は、どのような形で国際社会の脅威となっているのでしょうか。第一に指摘し得るのは、価値観、とりわけ、時代感覚とも言うべき世界観に関する認識の違いです。例えば、ウクライナ危機は、ロシアとウクライナとの間に発生している危機は、奇妙な時代感覚の対立として捉えることもできましょう。

帝国主義の道を歩んできたロシアの世界観では、大国が軍事力を以って周辺諸国を征服する行為は自然の摂理に近い感覚なのでしょう。あるいは、ロシア系ウクライナ人並びにウクライナ人を同族とみているならば、大国ロシアの保護下に入ることは、これらの人々にとっても’幸福なこと’であると考えているかもしれません。ロシアが時代錯誤と批判されるのは、国民国家体系にあって主権平等の原則が確立しているにもかかわらず、強い序列意識に囚われている同国の世界観では、’大国はヒエラルヒーの頂点にあるべき’と見なしているからなのでしょう。この点は、中華思想が染みついている中国にも見られる意識です。

それでは、ウクライナは、現代国家の時代意識を代表しているのでしょうか。ウクライナの世界観が、ロシアとは著しく違っていることは確かです。しかしながら、ウクライナの場合、ロシアとは別の意味で、独自の世界観を有しているように思えるのです。ウクライナとは、ユダヤ教徒の多くをキリスト教徒に改宗させたヤコブ・フランクの出生地でもあり(もっとも、その多くは、トロイの木馬的な’隠れユダヤ教徒’であったかもしれない…)、世界に張り巡らされているユダヤ系ネットワークの重要拠点の一つとも言えます。グローバリストやセレブが同国を積極的に支援しているのも、ユダヤ人脈の連帯意識によるのでしょう。仮に紛争当事国がウクライナでなく、他の別の中小国であったならば、迅速、かつ大規模な’世界的な支援’を受けることは難しかったかもしれません。

以上の観点からしますと、ウクライナ危機は、過去の帝国主義から抜け出すことができないロシアと、未来を先取りしているグローバリストとの対立として描くことができます。しかも、ウクライナを支援しているリベラル派は、ロシアとは逆にフラットな世界観を持つ人々のようにも見えつつも、フランキストは、王族や欧州貴族層にも入り込んでいるがゆえに、ヒエラルヒー志向もまた共通しているのかもしれません。表面的にはロシア・ナショナリズムとウクライナ・ナショナリズムが鋭く対峙しているように見えながら、その実、双方とも、過去と未来という違いがありながら、現代という時代の国民国家のモデルからは逸脱しているのです(こうした共通性は、両者を上部から操る超国家権力体の存在に信憑性を与えている…)。

ウクライナ危機から垣間見えるように、それぞれの国家には時代感覚において著しい違いがあります。こうした国家の多様性を考慮しますと、今後の平和的な秩序形成に際しても、様々な個別具体的なケースに対応し得る多層・並列的な構造を内包する体制を必要としているのではないかと思うのです(つづく)。

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