万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

巨大ITとイノベーションのパラドックス

2021年08月03日 12時33分07秒 | 国際政治

 コロナ禍という追い風も受けて過去最高の増収を記録しつつも、今日、巨大ITに対する風当たりは強くなる一方です。デジタル化推進の旗振り役であったかの日経新聞でさえ、経済のみならず社会全体に対する支配力への警戒感から、規制強化に向けてIT大手を取り巻く空気が変化してきているアメリカの現状を報じています。

 

 もっとも、巨大ITに対する規制強化の動きは今に始まったわけではなく、数年前から活発な議論がなされてきており、政治サイドでも、CEOの議会招致から始まり規制強化のための立法化へと至る一連の流れが見られます(規制強化のための大統領令の発令も…)。いわば、既定路線化しているとも言えるのですが、守勢となった巨大IT側が自らを弁護する’魔法の杖’としてしばしば’一振り’するのがイノベーションという言葉です。イノベーションとは、シュムペーターによって最初に理論として定義化され、今日では、誰もが知る現代用語の一つとなったのですが、この言葉を聞くと、巨大IT批判はトーンダウンしてしまいます。巨大ITは、規制強化をすれば、イノベーションを阻害すると主張しているからです。

 

 それもそのはず、今日のデジタル社会とは、巨大ITによるイノベーションの結果であるからです。そもそも、実のところ、イノベーションは様々な場面で多義的に使われてはいるものの、基本的には、新しい技術や考え方の出現によって、既存のシステムや社会通念などが一新されてしまう現象をとして理解されています。狭義には’破壊的イノベーション’と表現されるのでしょうが、この定義に照らしますと、今日のデジタル社会の出現とは、ネット空間にあってPCやスマホ等を繋ぐプラットフォームを構築し、これを基盤として様々な新たなビジネス・モデルを提供してきた巨大ITこそ、イノベーターと言えましょう。全世界の人々の生活様式を一変させることになったのですから。そして、イノベーターとしての自負があるからこそ、今なお、巨大ITは、卓越したイノベーション力を以って自らの存在を擁護しているのです。

 

 しかしながら、イノベーションが本質的に’既存のものの破壊’という意味を含んでいる限り、巨大ITが創り出した社会もまた、その誕生と同時に、壊されるべき’既存のもの’となる運命にあります。しかも、上述したように、巨大ITがもたらす様々な側面におけるマイナス影響や弊害は、一般の人々の忍耐の限界を越えようとしているようにも見えます。中国において既に顕在化しているように、人々の生体情報から言動、あるいは、脳内の思考活動に至るまでその全てをデジタル情報化し得るテクノロジーの発展の先には、それが政府であれ、私的集団であれ、完璧なる監視社会が待っていることに人々が薄々気付くようになったからです。目に見えない監視付きの檻の中にあって、内面の自由さえも侵害され、私的空間が剥奪された状態に、果たして、人々の精神は耐えられるのでしょうか。他者の視線とは、高い認知能力、あるいは、感受性を有する故に、人というものにはストレスなのです。

 

 このように考えますと、デジタル社会の限界点が見えてきた今日にあって、真に人々が願っているイノベーションとは、巨大ITが構築してきた監視型システムの破壊や刷新であるのかもしれません。そしてそれは、デジタル化を’進歩’とする立場からすれば’退化’に見えるとしても、政府や私的組織から支配されることも、巨大ITに利益が集中することもない、より分散的であり、個々の主体性や自由な空間が護られる新たなシステムであるのかもしれないのです。


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