草花好きのひとりごと

植物の栽培記録や鉄道・路線バスなどの趣味について記しています。

このブログで再開

2012-02-29 | お知らせ
この数日間で、1月からの更新休止中に準備していた記事のアップ作業を全て終えました。

私の栽培についての記録は、休止期間中はもう一つのブログに書いていましたが、次回からは再びこのブログに「さくらそう栽培(2012年より)」というカテゴリーを作って書くことにしました。

とりとめの無い内容ばかりになると思いますが、今後ともよろしくお願い致します。

あと、さくらそう以外の草花の画像などもアップしていくつもりです。
なんだかんだで、ちょっと前までのスタイルに戻ったという感じ(^_^;)


4年に一度の2月29日は雪。
夜中から降り始めて朝には積もっていたものが、さらに昼間に増えた様子。
画像は家の北側で、奥の方にさくらそうのポットなども置いてあるけれど、とりあえず行くことも無いので雪はそのまま(^_^;)


手前の方を雪かきしたものを右側に積み上げていて、測り方もかなりいい加減ではあるものの、10cmは積もったのかな。


西側でちょっとは庭木の陰になりそうな場所でも、鉢が雪に埋もれていた。


歩道の雪は、歩道と車道の間の側溝の上あたりに、歩道との間をちょっと空けて積み上げておき、我が家の方から歩道にとけた水が流れ出そうな場所の雪は、庭の土の上に持って行った。
とりあえずこれで気温が下がって凍っても、通る人が滑るようなことはないと思う(^_^)
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桜草花壇

2012-02-28 | さくらそうに関するあれこれ
さくらそう(日本桜草)の開花鉢を展示鑑賞するための設備として、「花壇」と呼ばれるものが存在します。
江戸時代に植木屋などで小屋や屋根の下に棚を置き、鉢植えを並べて展示したことが桜草にも取り入れられ、明治に入ってから桜草独特の幅一間の小屋に5段の棚という形態が生まれたともいわれています。

よほど器用な人でない限りこれを自作するのは難しく、どこかに注文して作ってもらうことになると思いますが、さくらそうの花の形や色、咲き方の違いが一目にわかり、近づいて見ると品種ごとの特徴も見ることができ、風雨を避けられるという、優れた鑑賞法と考えられます。

これは5号か6号の鉢を並べて鑑賞するもので、小屋の大きさは幅が一間(約1.82m)、奥行き5尺(約1.52m)、5段の棚(棚板の幅5、6寸(約15 ~18cm))に一段ごとに鉢を置く位置をずらして33あるいは38鉢並べるのが標準的なようです。

開花時期の違いを考慮して、良い状態の鉢を鑑賞しようと思うと、その3倍以上の鉢を栽培する必要がありそうに考えられ、それだけの鉢数を栽培し、開花時期だけとは言っても小屋を設置する場所は、我が家の庭にはありません。

仮に5、6号鉢用で棚板幅6寸(約18cm)と考え、鉢数はそのままで4号鉢用に縮小して棚板の幅を5寸(約15cm)にすると、幅5尺(約1.52m)、奥行き4尺(約1.21m)に収まりそうです。
設置面積は3分の2になるのですが、現代の住宅事情を考えると、これでもまだ大きいですし、そのような場所があれば、なにも4号鉢で栽培することは無いように思います。

棚の幅はそのままにして、小屋の間口と棚の長さを5尺(約1.52m)、4尺(約1.21m)・・・と縮める方法も考えられますが、小屋の前に立って見ることと、鉢の出し入れ時に小屋の中に入る事を考えると、高さは小さくできませんし、奥行きも5段を維持するとあまり小さくすることはできず、かといって棚の段数を減らすと全体の見た目が寂しくなるほか、鉢数が少な過ぎて花色や形、咲き方の違いを見比べることが十分にはできなくなると思います。

小屋と棚の材質は古くから伝わるような木造の方が見映えがする事は間違いないですが、風情には目を瞑り価格と組み立ての容易さを優先して、金属や樹脂などの素材という選択肢もあるとは思います。
でもそれだけのものを作るくらいなら、価格よりも見映えを優先させた方が良いかとも思います。

と、まあいろいろと考えてみましたが、簡単にできるものではありません。
伝統的な様式の桜草花壇は、古いものが残されていたり、現代に再現されたりしていて、中には開花時期に公開されているものもあるようですから、私などはもっと容易にできる別の鑑賞方法を模索した方が良いのかなと思っています。
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孫半土(孫半斗)と桜草鉢

2012-02-28 | さくらそうに関するあれこれ
江戸時代にさくらそう栽培の鉢として使われた容器に、孫半土、孫半斗などと呼ばれた陶器に底穴をあけたものがあったそうです。
これについての情報は多くはないのですが、貴重な陶磁器を焼成する際の保護用、壷のように使われたものなど、一種類のものではなく、複数の種類が存在したようですし、先に記した「孫半土」「孫半斗」以外の名称もあったようです。

大きさも一種類だけではなかったようですが、主にさくらそう栽培に使われたものは、直径が5、6号鉢に相当する程度だったともいわれ、時代が下ると入手困難となったため、それを模した植木鉢が作られることとなり、それも同名で呼ばれているようです。

その材質など栽培に利用する上での特性について、私の手元にある書籍に記載されている事柄もあるのですが、後に再現されたものも含めて複数の種類が存在したということで、その全てに当てはまる事なのかどうか、私にはわかりませんし、私は書籍に掲載された写真及び記述と、以前に展示されていた鉢を何度か見ただけで、言わば現存する孫半土・孫半斗の中でもごく一部の種類しか見ていないはずで、先に記した以外の事は何もわかりません。

写真を含めて私が見たことのあるその鉢について、見た目ということを個人的な好みによって考えると、素朴さや作為の無さのようなものは感じられても、現代に再現すべき美しさやデザイン性があるとは感じらず、おそらく改良が進んだ園芸品種の花には似合わないのではないかと思っています。

桜草鉢の中には、孫半土(孫半斗)を参考にして、それを洗練させて綺麗に見えるようにしたものといった感じの鉢が、私の知るものだけでも複数あります。


内側にも釉薬がかけられていることと、鉢の厚みがやや厚いことが、これらに共通した特徴かと思われます。


私の場合、このタイプの鉢では根腐れさせてしまうことが多く、栽培結果が思わしくありません。
私の栽培管理に問題があるのだとは思いますが、現代使われている赤玉土を主とした用土と、かつて使われていたとされる荒木田土や田土を主とした用土、あるいはそれより前の時代の用土との性質の違いが影響している、と考えることもできるかもしれません。

ここからは、さくらそうを栽培する鉢に必要とされる性質とは何なのか、少し考えてみます。

近頃は20~30年前と比べると夏の気温が高いように感じられますし、最高気温が30度を超える日の日数などを見ても、かなり増えています。
そのことから、根腐れを防ぐ意味で、保水性よりも排水性や通気性、断熱性などを重視した鉢が必要なように思われます。

鉢の外見については、孫半土(孫半斗)や、過去に存在したものと現在入手可能なものを含めた各種の桜草鉢は、鑑賞時にほとんど見えない内側を除いて考えると、濃い茶色や黒といった暗い色のものがほとんどのようです。
それは、さくらそうの花色、葉の色が映えるように考慮されていると説明される場合が多く、確かに白とか薄茶色などの鉢と比べると、見映えが良く感じられる気がします。

「桜草鉢」という名で販売される鉢は、現在入手可能なものでも複数存在していますが、その形状や通気性や排水性といった性質は、各々違いがあります。
見た目が自分の好みに合うかどうかということも大事ですが、自分の栽培方法に適した鉢を選ぶと良いと思います。

しかし、私の知る範囲内ではどの鉢も鉢底の穴が小さいように思うのですが、何か製造上の理由でもあるのかもしれません。
水はけの良さということを考慮すれば、雪割草の鉢ほどではなくても、大きい方が良いと私には思えるのですが・・・

もちろん、むやみに桜草鉢に拘ってばかりいる必要は無く、他の植物用の鉢でも良いと思えるものがあれば、それを選べば良いのだと思います。

さくらそうを栽培する人は現在でもそう多くは無いと思いますし、今後は減っていくのかもしれません。
それに、陶器鉢は割れてしまうことはあっても、プラ鉢のような劣化はしないので、数が売れるものではないと思います。
そのため残念ながら、今後新たな桜草鉢が作り出される可能性は低いのかもしれません。

現代では入手しやすく、それなりに見映えのするプラ鉢もあります。
展示会でも見かけることがあり、軽量なので搬入搬出時に多大なメリットがあるようですし、ビニールポット(ポリポット)も含めて、陶器製の鉢よりもさくらそうの生育が良いと仰る方も少なくありません。

しかし、鑑賞時のみ使うのならばともかく、栽培に使っていると日射や降雨の影響で劣化してきます。
陶磁器ならば、風雨にさらされて味わい深くなるということもあるのでしょうが、プラスチックの場合はどう考えても鑑賞価値は低下する一方です。

そしてやがては劣化が進んで壊れて使いものにならなくなりますから、リサイクル可能な素材とはいえ、個人的には無駄にゴミを増やしているように思えて気になります。
また、陶器鉢をモデルにしたようなプラ鉢は割と高価で、2、3鉢分の金額で陶器の桜草鉢が買える程度です。

しかし、ホームセンターや園芸店などで容易に入手できるのは良いところで、いったいどこに行けば買えるのやら、というような桜草鉢の現状とは比べものになりません。
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さくらそう栽培と植え替え

2012-02-27 | さくらそうに関するあれこれ
さくらそう(日本桜草)を鉢植えで栽培する上で必要不可欠と思われるのが、毎年の植え替えです。
植え替えをしないでいると、すぐに枯れてしまうようなことこそないものの、芽が大きく育たず花が咲きにくくなるように私は感じています。

以前、せめて一年おきにできないものかと考えて、少し大きな鉢に植えてみたり、用土の水はけが悪くなるのを防ごうと砂や軽石を増やしてみたり、私が思いつく範囲で試してみましたが、どれも2年後には毎年植え替えたものよりも芽が小さくなり、根や根茎が複雑に絡まっていて植え替え作業に手間どるなど、良い結果が出ませんでした。

何度か庭植えにしたこともありますが、芽の大きさは鉢植えと同様の結果となりました。
日当たりが良いと夏に暑くなり過ぎ、土が乾き過ぎる。逆に日当たりが悪ければ芽が大きく育たない。ということの影響も少なからずあるとは思うのですが、そのことよりも、野生のサクラソウの自生地のように様々な生物が共存する環境を作り出さない限り、地植えでも植え替えをせずに栽培するのは極めて難しく、無理に近い事なのかもしれないと考えています。

私には何となく、さくらそうは育てるのが難しい植物という先入観があったのですが、何年か栽培してみると思ったよりも難しくないのかなと思えるようになったので、さくらそうは育てやすい、というような事を過去にこのブログやWebサイトに書いたことがあります。
しかし他の植物と比べて改めて考えてみると、そうでもないように思います。

サクラソウと同じように、元は日本に自生している多年草、園芸趣味で言うところの宿根草である、キキョウ、カワラナデシコなどは、私が栽培したものを見る限り、鉢植えで3年に一度くらいの植え替えでも毎年花が咲きますし、それによって株が衰弱した様子にも見えません。

これは、さくらそうが改良された園芸品種なので、性質が弱くなっているというのでもなさそうで、野生種の栽培増殖品をいくつか入手して栽培してみると、芽が大きく育ちやすいものと大きくなりにくいもの、よく増えるものとあまり増えないものなど、種類によって園芸品種間の差異と似たような違いがあるように感じられました。
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栽培しやすいものと難しいもの

2012-02-27 | さくらそうに関するあれこれ
以前、さくらそう(日本桜草)の園芸品種には、品種によって育てやすいものと育て難いものがあるのではないか、と記したことがあり、その後、品種による性質とは関係なく、根腐れさせるなど一度栽培に失敗してしまうと、回復させるのには時間を要するというようなことも記しました。

書籍などによる品種の解説には、栽培しやすい、あるいは難しいなどと記載されている場合がありますが、私が持っている2冊の書籍と自分の栽培結果を比べると、それが当てはまる場合もあれば全く逆の結果が続いている場合もあり、それは人によって少しずつ違いがある栽培方法や環境の違いによって生じる差なのかと考えています。

例えば、花が咲くと消耗が激しくて(?)大きな芽ができ難くなるというような性質を持った品種など、数多く存在する園芸品種の中には、育て難いと感じる人が多いものもあるかと思います。
しかし、何年も続けて順調に育っていて、栽培が容易、育てやすい、と思っていた品種でも、根腐れさせてしまうことがあります。
そうなると、状態にもよりますが回復には早くて1年、多くの場合は2、3年、場合によってはそれ以上の時を要することになります。

それとは逆に、何年も根腐れがひどく、絶やしてしまうかと心配していた品種が、特に変わったことをしたつもりはないのに、急に回復することもあります。
私の観察が足りないか、見る目がないというだけかもしれませんが、その原因はさっぱりわかりません。

さくらそうが環境の変化に順応するには時間がかかるのか、苗を譲り受けた品種などに、最初の1、2年は現状維持といった状況だったのが、3年目あたりから急に芽の成長、増殖ともに良くなることがある、という話を知人から聞いたことがありますし、私自身も何度か経験したことがあります。

新たに入手したものは、自分の栽培環境下で少なくとも数年経ってからでないと、性質を見極められないものなのかもしれません。
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野生種が人気?

2012-02-26 | さくらそうに関するあれこれ
インターネット上で、さくらそう(日本桜草)に関する情報収集をしていたり、ネットがきっかけとなってお付き合いが始まった知人と、メールでの情報交換をしていて私が感じることは、野生種の人気の高さです。

私の住む神奈川県内だけの現象かもしれませんが、10年近く前と5年ほど前、そして近年のことを思い出してみると、展示会での野生種の鉢数が増加傾向にあるようにも思います。

野生種というと、自然破壊、環境への影響、などといったことを指摘される向きもあるかと思いますが、野生種愛好者の大多数は直接自生地を荒らすのではなく、栽培増殖品を入手して栽培を楽しんでおられるようです。

もちろん間接的に自生地を荒らしていることにはなるのですが、多くの場合、同名で呼ばれる野生種は花の特徴から見て同一個体である可能性が高く、1株採集されたものが時間をかけて増殖され、出回ったものと推測できますから、そうであれば影響は最低限に抑えられていると考えられます。

さくらそうに興味と関心を持つ人々に、野生種を好む傾向が少なからず見られるのはなぜか、数年前から私なりに考えていて、このブログにも少し記したこともありましたが、現時点での仮説を立てておきます。

1. さくらそうに興味、関心を持つ人々に、山野草愛好者の割合が高くなってきた。
2. 主として華麗な大輪花を目指して改良が進んだ園芸品種を、あまり好まない人が増えた。

上記2.について、さらに詳しく記すと、最近というよりもかなり以前からのことですが、様々な園芸植物が容易に入手できるようになり、世間に溢れていると言っても良い状況です。

そうした状況下において、花に、華麗、豪華、派手、といった要素を求めるのなら、さくらそう(日本桜草)をあえて選ぶ必要は無いのではないかとも思われ、さくらそうに関心を持った人々が求めているのは、可憐、素朴、といった要素だと考えると、野生種に人気が集まるのにも納得できます。

小輪の花が咲く園芸品種にも、可憐さ、素朴さ、という要素は多分に含まれていると思いますが、集めて楽しめるほどの品種数を容易に入手できるものだとは、とても言えないのが現状だと思います。

あるいは、さくらそう趣味栽培者という存在が、園芸品種系、野生種系というように、好みによって分かれていく過渡期に現在はあたっているのかもしれません。

この仮説が当たっているかどうか、または一過性の現象なのかどうか、10年、20年後には判明しているかもしれません。
それを楽しみに待ちたいと思います。
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さくらそう趣味の雰囲気

2012-02-26 | ひとりごと
世の中には様々な園芸植物があり、それぞれに栽培を楽しまれている方がおられます。
言うまでもなく、複数の植物を愛好される方も少なくありません。

同好のお仲間が集まって会を作られ、展示会を催されたりする場合もあります。
面識の無い個人のお宅の花を拝見させて頂くのは難しいものですが、そうして展示公開されると、比較的容易に花を見せて頂くことが叶います。

近くで展示があると、私も訪れて見させて頂くことがあります。
そこで感じられるのは、それぞれの園芸植物の愛好家、栽培家の方々の間の雰囲気のようなものが、対象とされる植物によって異なるように思えることです。

それは、各々の植物の栽培方法や仕立て方などの影響を受けているものなのかもしれません。

展示された花を眺めている時に、周囲の方々のお話が聞こえてきたりするのですが、栽培法に教科書的な基本のようなものがあり、それを先輩方から教わって何年か栽培して一通り覚えてから、各自研究して工夫する、といった道順があるように私には感じられる植物もあります。
その教科書は地域により、または会により違う、といったことはあると思います。

そして、会に入るとそれに従わなければいけないというような雰囲気が、どことなく漂っているように感じられるときもあります。

さくらそう(日本桜草)では、比較的自由な雰囲気が漂っているように感じられることも少なくないのですが、時にはそうではなく感じられることもあり、組織として直接の関係は無いとは言え、江戸時代の「連」の慣習の影響が未だに残っているのかもしれません。

私がさくらそうを栽培していて疑問に思ったことや、迷ったこと、悩んだことなどに対して、「私はこうしています」といったご意見を頂くことはありますが、「こうしなさい!」というような言い方をされたことは一度もありません。
他の植物では、先輩方からそういった強制的なアドバイスをされたという話を聞いたことがあります。

もし、さくらそうがそうであったなら、私はとっくに栽培を止めていたと思います。

しかし、栽培に慣れてくると、自分の栽培方法が絶対に間違いない、といった思考に陥りやすいものなのかなという気もします。
自分が将来そうしたアドバイスの仕方をすることのないように、肝に銘じたいと思っています。
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栽培の失敗

2012-02-25 | ひとりごと
先週からいくつかの記事をアップしてきましたが、今日から休止期間中に準備していた記事をアップしていきますので、今後ともよろしくお願い致します。

私は、さくらそう(日本桜草)を鉢植え栽培していて、上手くできたり失敗したりを繰り返しています。
栽培を始めた頃は、5年10年と続けていれば、少しは上手になるかと思ったのですが、10年近く経ってもあまり変わらず・・・

私が大雑把に考えただけでも、栽培が上手くいく、あるいは失敗することに関わっていると思われる要素は、たくさんあります。

置き場所(栽培場所)、鉢の材質、鉢の大きさ、用土の種類と配合、水やり、施肥、植え付けた芽の数や根の数の多少、栽培が上手くできているか作落ち状態かという違い、品種による性質の違い、など。

それらの要素には、各々一つの正解があるのではなく、地方によって気候の差があることのほか、自宅庭の中でも場所によって少しずつ状況が違ってくるので、求められる答えも違ってくるようです。

例えば、鉢の材質や大きさと用土のように、それぞれの要素の組み合わせ方によって、栽培が上手くできたり失敗したりということもあると思います。

品種によって、性質に違いがあると考えた方が良いとも思うので、全てを画一的に栽培するのではなくて、品種ごとに、あるいは同品種でも鉢ごとに生育状態は違うので、それを良く観察して、一つ一つ栽培管理を変えた方が良いのではないかと2年くらい前から考えています。
しかし、言うは易く行うは難し。という言葉の通り、考えた事を日頃の栽培に生かせずにいます。

私は昨年までとは変えて、5号鉢とポットや小型のプランターを併用していくらかでも芽数を多く育てる品種、花茎の長さや葉の大きさから4号鉢でも綺麗に見えると思う品種、小さな鉢やポットのみにして栽培芽数を減らした品種、の三つに栽培品種を分けたところなので、これを機にせめて5号鉢に植えた品種だけでも、より注意深く観察しながら栽培を続けていきたいものだと考えています。
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紅葉ノ橋、紅葉の橋、紅葉橋

2012-02-23 | さくらそうに関するあれこれ
私の手元にある出版物に取り上げられている、さくらそう(日本桜草)に関する明治時代の資料である「宇治朝顔園月報 第六号(明治37年宇治朝顔園発行」、「桜草銘鑑(明治40年常春園発行)」を見ていて気づいたことがあります。

「宇治朝顔園月報」には、紅葉の橋 鴇色地ニ紅砂子絞リ鑼咲中輪
「桜草銘鑑」には、紅葉ノ橋 鴇色地紅小絞鑼咲中輪

他の品種名も含めて、「宇治朝顔園月報」は「の」、「桜草銘鑑」は「ノ」が使われていますが、どちらも同じものと思われる品種名が掲載されています。

そして、花容を示す文字からは、断定はできないものの現存する「紅葉橋(もみじばし)」と同じではないかと考えることもできるかと思います。
仮に同じものだとすると、いつしか「の」が取れたということになります。

「紅葉の橋」「紅葉ノ橋」「紅葉橋」が同じ花を指していると仮定して、話を進めます。

古い資料の品種名には無かった「の」が、後には付けられるようになったという例は少なくないと思うのですが、無くなったものは珍しいと思います。
後から付けられた「の」は、読みを示すために付けられたと考えられます。
例えば「駅路鈴」と書かれていたら、現代人の中でも浅学な私などは、そのまま「えきろすず」と読んでしまいます。

しかし、「宇治朝顔園月報」「桜草銘鑑」の時代になると、平仮名片仮名の違いは別にして、ほぼ現代の品種名の表記と同じように「の」が付けられています。

紅葉の橋、おそらく「もみじのはし」と読むと思いますが、特に発音し難いというわけでもなさそうですし、「の」が消えた理由は私には思いつきません。
突飛な想像かもしれませんが、「紅葉橋」は、「紅葉の橋(紅葉ノ橋)」とは別のものと考えた方が、私としては合点がいきます。
その想像を以下に記します。

1. 明治の末頃に記録されていた「紅葉の橋(紅葉ノ橋)」はその後、絶種してしまった。
2. それよりも後に、現存する「紅葉橋」が実生によって作り出されたか、以前から品種名が無い状態で伝承されていた。
3. 誰かが桜草銘鑑などの記録を見て、「紅葉の橋(紅葉ノ橋)」と上記2.の花と花容が類似していることに気づき、古い記録を参考にして、2.の花に「紅葉橋」と命名した。
4. さらに後の時代の人が、現存する「紅葉橋」と記録に見られた「紅葉の橋(紅葉ノ橋)」を同一と考えて、作出年代を江戸末期と推定して発表した。

古い資料に記載された品種名を見て、あれこれ想像するのは楽しいものですが、実際に時を遡って確認することは不可能で、写実的に描かれた絵図などの資料もほとんど発見されていないと考えられることから、江戸時代に作出されたものかもしれないし、後の時代に作出されて同名が命名されたものかもしれない、と曖昧に捉えておくのが間違いのないことだと私は考えています。

さくらそう(日本桜草)の鉢植え栽培という趣味について、江戸時代以来の伝統を重視し強調される向きもあるようですが、現代の方が栽培者、実生育種家の増加によって品種数が多くなり、さまざまな鉢や用土、肥料などが容易に利用できるようになったことで栽培技術も向上し、おそらく過去には見ることができなかったのではないかと思われる、美しい花を咲かせることが可能になっていると思います。
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思い込み2

2012-02-22 | ひとりごと
前回の記事に、書籍に掲載された写真やインターネット上に公開された画像などの情報によって、さくらそう(日本桜草)園芸品種の類似品を見分けるのは難しいと記しました。

しかし、写真や画像の掲載間違いのようなことが無ければ、類似あるいは酷似した品種ではなく、名札の付け間違いなどに起因するものと思われる品種名の誤りについては、ある程度有効な資料となり得ると思います。

私が数年前に、とある展示会場で見かけた、その類の誤りと思われる例を記すと、'千鳥遊'と見分けがつかないほど似た花に「千鳥貝」の名札が立てられていたことがありました。
これは'千鳥貝'の写真や画像を見れば、すぐにわかりそうです。

少なくとも私には'花車'と見分けがつかなかった花に'花車'のほか、「花筐」「検光」「華錦」「東陽殿」の名札が立てられていたものが、同じ時同じ場所に展示されているのに出くわしたことがあります。

資料によれば、「検光」は'唐子遊'の異名、「華錦」は'濡燕'の異名、「東陽殿」は'宇宙'の異名と他に1種類、という説があるようですから、書籍の写真やネット上の画像を見れば、違っているのかなとの推測はできるだろうと思います。
なお、上記の「花筐」については、資料には「花筺」は掲載されているものの「花筐」は無く、私にはわかりませんでした。

前の記事で書籍について記したのと同様に、自分の栽培品の品種名の正誤を確かめる、あるいは参考にするという目的は、展示会の趣旨からは外れていると思われます。
そのため、展示会で品種名の確認をしようなどというのは間違いだと言われれば、その通りだと思います。

私は以前、同じ展示会場で頒布苗を購入して栽培していた「二重鶴」の花が、'花車'と見分けがつかず、何年か後に、その「二重鶴」と'花車'の展示品を会場で見かけ、その2つの花の違いについて、展示をされている会の会員の方にお尋ねしたことがあります。

その方は、それらの鉢を出品された方ではない様子で、'花車'の咲き方は車咲きという説明をして下さったのですが、それを「二重鶴」と比べて説明されようとして説明を続けられなくなってしまわれ、結果的に私としては不本意ながら、丁寧にご説明下さった年長者の方を困らせてしまうようなことになりました。
先頃、知人からコピーを頂いた資料によれば、「花車」と「二重鶴」には混同が見られるそうですので、この時のものはどちらも'花車'であった可能性が高いと今にして思います。

展示会を拝見したら、綺麗ですね。とか、これだけの鉢数が揃うと壮観ですね。などというお世辞の一つも言って、帰って来れば良いのだと、私はその時になってようやく気付きました(^^ゞ
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