インターネット上で、さくらそう(日本桜草)に関する情報収集をしていたり、ネットがきっかけとなってお付き合いが始まった知人と、メールでの情報交換をしていて私が感じることは、野生種の人気の高さです。
私の住む神奈川県内だけの現象かもしれませんが、10年近く前と5年ほど前、そして近年のことを思い出してみると、展示会での野生種の鉢数が増加傾向にあるようにも思います。
野生種というと、自然破壊、環境への影響、などといったことを指摘される向きもあるかと思いますが、野生種愛好者の大多数は直接自生地を荒らすのではなく、栽培増殖品を入手して栽培を楽しんでおられるようです。
もちろん間接的に自生地を荒らしていることにはなるのですが、多くの場合、同名で呼ばれる野生種は花の特徴から見て同一個体である可能性が高く、1株採集されたものが時間をかけて増殖され、出回ったものと推測できますから、そうであれば影響は最低限に抑えられていると考えられます。
さくらそうに興味と関心を持つ人々に、野生種を好む傾向が少なからず見られるのはなぜか、数年前から私なりに考えていて、このブログにも少し記したこともありましたが、現時点での仮説を立てておきます。
1. さくらそうに興味、関心を持つ人々に、山野草愛好者の割合が高くなってきた。
2. 主として華麗な大輪花を目指して改良が進んだ園芸品種を、あまり好まない人が増えた。
上記2.について、さらに詳しく記すと、最近というよりもかなり以前からのことですが、様々な園芸植物が容易に入手できるようになり、世間に溢れていると言っても良い状況です。
そうした状況下において、花に、華麗、豪華、派手、といった要素を求めるのなら、さくらそう(日本桜草)をあえて選ぶ必要は無いのではないかとも思われ、さくらそうに関心を持った人々が求めているのは、可憐、素朴、といった要素だと考えると、野生種に人気が集まるのにも納得できます。
小輪の花が咲く園芸品種にも、可憐さ、素朴さ、という要素は多分に含まれていると思いますが、集めて楽しめるほどの品種数を容易に入手できるものだとは、とても言えないのが現状だと思います。
あるいは、さくらそう趣味栽培者という存在が、園芸品種系、野生種系というように、好みによって分かれていく過渡期に現在はあたっているのかもしれません。
この仮説が当たっているかどうか、または一過性の現象なのかどうか、10年、20年後には判明しているかもしれません。
それを楽しみに待ちたいと思います。
私の住む神奈川県内だけの現象かもしれませんが、10年近く前と5年ほど前、そして近年のことを思い出してみると、展示会での野生種の鉢数が増加傾向にあるようにも思います。
野生種というと、自然破壊、環境への影響、などといったことを指摘される向きもあるかと思いますが、野生種愛好者の大多数は直接自生地を荒らすのではなく、栽培増殖品を入手して栽培を楽しんでおられるようです。
もちろん間接的に自生地を荒らしていることにはなるのですが、多くの場合、同名で呼ばれる野生種は花の特徴から見て同一個体である可能性が高く、1株採集されたものが時間をかけて増殖され、出回ったものと推測できますから、そうであれば影響は最低限に抑えられていると考えられます。
さくらそうに興味と関心を持つ人々に、野生種を好む傾向が少なからず見られるのはなぜか、数年前から私なりに考えていて、このブログにも少し記したこともありましたが、現時点での仮説を立てておきます。
1. さくらそうに興味、関心を持つ人々に、山野草愛好者の割合が高くなってきた。
2. 主として華麗な大輪花を目指して改良が進んだ園芸品種を、あまり好まない人が増えた。
上記2.について、さらに詳しく記すと、最近というよりもかなり以前からのことですが、様々な園芸植物が容易に入手できるようになり、世間に溢れていると言っても良い状況です。
そうした状況下において、花に、華麗、豪華、派手、といった要素を求めるのなら、さくらそう(日本桜草)をあえて選ぶ必要は無いのではないかとも思われ、さくらそうに関心を持った人々が求めているのは、可憐、素朴、といった要素だと考えると、野生種に人気が集まるのにも納得できます。
小輪の花が咲く園芸品種にも、可憐さ、素朴さ、という要素は多分に含まれていると思いますが、集めて楽しめるほどの品種数を容易に入手できるものだとは、とても言えないのが現状だと思います。
あるいは、さくらそう趣味栽培者という存在が、園芸品種系、野生種系というように、好みによって分かれていく過渡期に現在はあたっているのかもしれません。
この仮説が当たっているかどうか、または一過性の現象なのかどうか、10年、20年後には判明しているかもしれません。
それを楽しみに待ちたいと思います。