幼い頃から、姉妹のように育った、ひとつ違いの従姉妹がいた。 従姉妹は、私の母の妹の娘。
従姉妹の、生みの親は、従姉妹を生んで、再婚をした。育ての親は、今86才になる、長男の嫁であり続ける、山の上の叔母さんだ。
従姉妹は、私とは全く正反対の女の子だった。わかりやすい説明すると、従姉妹はどこか垢抜けていた。
目が、パッチリで、小さな鼻がかわいらしく、拗ねたような仕草が、似合っていた。
私が、山の上の家で過ごした幼少期の思い出の中に、贅沢な時間がある。
昔、日曜日の朝になると、行商の松〇のおばちゃんが、山道を荷を背負って、やってきていた。
段ボール箱、二段重ねの中身は、お菓子!
「オルカエ~、おはようござんした~」
の声が、庭に響く。
叔母さんは、すかさず、「オルゾヨ~」と答えて、障子を開ける。
私と従姉妹は、布団の中で、その声を聞きながら、ニンマリと笑う。呼ばれるタイミングを待つ。
「起きいよ~松〇のおばさん、キトンゾ~欲しいもん、来て見いよ~」
この声がかかったら、私達は、布団から一気に脱出し、縁側に走る。
箱には、色とりどりのお菓子が、びっしりと列んでいた。
その中から、二つを叔母さんが、買ってくれた。
いつしか、喧嘩しないように、私達は同じお菓子を選ぶ癖が、ついていた。
今、仲良く遊んでいたと思えば、すぐに喧嘩が始まる。
「喧嘩ばっかりするんなら、庭のツボクサでもせえ!」
と叔母さんに怒られた。
ツボクサとは、草むしりのことだ。
ツボクサをしていても、また口喧嘩が始まる。真ん中に枝で線を引き、
「絶対に入ってくな!」
と言いながら、暫くして、また口喧嘩が始まると、お互いに手に握っていた、草を投げ付けあうという始末。
従姉妹は、中学生になった頃に、髪に巻く〈カーラー〉を持っていた。夜眠る前に、前髪を外向きにクルッとまく。私は、それを始めて見た時に、
「外に向けて巻いたら、髪の毛、上に持ち上がって、おでこ見えて、変だろ~」
と言うと、
従姉妹は、自信満々に鏡を見て、ドライヤーをあて、素早く形を整えた。
カーラーを巻いた前髪は、緩やかなカーブをえがき、前から少し斜めに綺麗にまとまっていた。
従姉妹は、数年、そのオシャレな前髪を、チャームポイントとした。
私といえば、伸ばしっぱなしの、ただの横分け。
カッターシャツを着ても、従姉妹は第二ボタンまで外し、私は首までボタンをかけていた。
中学を卒業し、私達は、全く別々の道を進んだ。
私生子として、この世に生まれ、社会の波に投げ出され、縁薄く、数回の離婚を経験した。寂しさを酒で紛らすだけの日々。
12年位前、従姉妹から電話が入った。故郷に新しい家族を紹介がてら、一晩泊まりで、帰りたいと言った。
三度目の、結婚相手だった。
従姉妹とは、離れて暮らすようになってから、疎遠になっていた。それは、お互い様だった。
『故郷・祖谷』を、新しい家族に見せたかった、従姉妹の純粋な望郷心を、私は大事にしたかった。
相手や、その家族には正直いい印象は、受けなかったが、従姉妹の育った家で、私は郷土料理に腕を振るい、精一杯の持て成しをした。
台所に立って、一人でお酒を沸かしていると、従姉妹が小声で、言った。
『ゴメンよ…迷惑かけて…』
その夜は、賑やかに更けて行った。
あくる日、
従姉妹達が、帰る時、私は従姉妹に、そっと言った。
『いつでも、もんてきなよ。ここが、〇〇〇の家なんじゃけん!』
従姉妹と、直接会ったのは、それが最後だった。
二年後、心不全により、呆気なく、逝ってしまった。
38才だった。
今日は、従姉妹の命日。
あの頃、ツボクサを投げあった庭は、とても広く感じたのに、今では小さく見える。
従姉妹は、約束通り、故郷に帰ってきた。
酒好きな爺やんの隣に陣取って、毎晩浴びるように、飲んで騒いでいるだろう。
私はいまだに、
カーラーを上手く、巻けないでいる。
従姉妹の、生みの親は、従姉妹を生んで、再婚をした。育ての親は、今86才になる、長男の嫁であり続ける、山の上の叔母さんだ。
従姉妹は、私とは全く正反対の女の子だった。わかりやすい説明すると、従姉妹はどこか垢抜けていた。
目が、パッチリで、小さな鼻がかわいらしく、拗ねたような仕草が、似合っていた。
私が、山の上の家で過ごした幼少期の思い出の中に、贅沢な時間がある。
昔、日曜日の朝になると、行商の松〇のおばちゃんが、山道を荷を背負って、やってきていた。
段ボール箱、二段重ねの中身は、お菓子!
「オルカエ~、おはようござんした~」
の声が、庭に響く。
叔母さんは、すかさず、「オルゾヨ~」と答えて、障子を開ける。
私と従姉妹は、布団の中で、その声を聞きながら、ニンマリと笑う。呼ばれるタイミングを待つ。
「起きいよ~松〇のおばさん、キトンゾ~欲しいもん、来て見いよ~」
この声がかかったら、私達は、布団から一気に脱出し、縁側に走る。
箱には、色とりどりのお菓子が、びっしりと列んでいた。
その中から、二つを叔母さんが、買ってくれた。
いつしか、喧嘩しないように、私達は同じお菓子を選ぶ癖が、ついていた。
今、仲良く遊んでいたと思えば、すぐに喧嘩が始まる。
「喧嘩ばっかりするんなら、庭のツボクサでもせえ!」
と叔母さんに怒られた。
ツボクサとは、草むしりのことだ。
ツボクサをしていても、また口喧嘩が始まる。真ん中に枝で線を引き、
「絶対に入ってくな!」
と言いながら、暫くして、また口喧嘩が始まると、お互いに手に握っていた、草を投げ付けあうという始末。
従姉妹は、中学生になった頃に、髪に巻く〈カーラー〉を持っていた。夜眠る前に、前髪を外向きにクルッとまく。私は、それを始めて見た時に、
「外に向けて巻いたら、髪の毛、上に持ち上がって、おでこ見えて、変だろ~」
と言うと、
従姉妹は、自信満々に鏡を見て、ドライヤーをあて、素早く形を整えた。
カーラーを巻いた前髪は、緩やかなカーブをえがき、前から少し斜めに綺麗にまとまっていた。
従姉妹は、数年、そのオシャレな前髪を、チャームポイントとした。
私といえば、伸ばしっぱなしの、ただの横分け。
カッターシャツを着ても、従姉妹は第二ボタンまで外し、私は首までボタンをかけていた。
中学を卒業し、私達は、全く別々の道を進んだ。
私生子として、この世に生まれ、社会の波に投げ出され、縁薄く、数回の離婚を経験した。寂しさを酒で紛らすだけの日々。
12年位前、従姉妹から電話が入った。故郷に新しい家族を紹介がてら、一晩泊まりで、帰りたいと言った。
三度目の、結婚相手だった。
従姉妹とは、離れて暮らすようになってから、疎遠になっていた。それは、お互い様だった。
『故郷・祖谷』を、新しい家族に見せたかった、従姉妹の純粋な望郷心を、私は大事にしたかった。
相手や、その家族には正直いい印象は、受けなかったが、従姉妹の育った家で、私は郷土料理に腕を振るい、精一杯の持て成しをした。
台所に立って、一人でお酒を沸かしていると、従姉妹が小声で、言った。
『ゴメンよ…迷惑かけて…』
その夜は、賑やかに更けて行った。
あくる日、
従姉妹達が、帰る時、私は従姉妹に、そっと言った。
『いつでも、もんてきなよ。ここが、〇〇〇の家なんじゃけん!』
従姉妹と、直接会ったのは、それが最後だった。
二年後、心不全により、呆気なく、逝ってしまった。
38才だった。
今日は、従姉妹の命日。
あの頃、ツボクサを投げあった庭は、とても広く感じたのに、今では小さく見える。
従姉妹は、約束通り、故郷に帰ってきた。
酒好きな爺やんの隣に陣取って、毎晩浴びるように、飲んで騒いでいるだろう。
私はいまだに、
カーラーを上手く、巻けないでいる。
試験勉強の邪魔?して、ゴメンナサイネ♪
わたくしは、ブンキチ様の挑戦し続ける、前向きなファイト!一発!に、脱帽してます。
飯をおごってくれるなら、ワメイ宅にて、お願いします♪