秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

彼岸に寄せて(二つのお墓)  SA-NE

2010年03月20日 | Weblog
お彼岸の休日の日には私達は、決まって主人と半日は、別々の行動をとっていた。
祖谷地方には、分譲された墓地はない。
集落ごとに、お堂があり、近くに昔からの、墓地がある。
最近では、家の敷地に、代々墓を建て、古い仏様を集めるような家が、増えた。
高齢者が増え、皆が足腰を痛め、沢山のお墓を掃除していく事が
困難になったからだ。ましてや、お墓の場所も知らない、子孫が増え
一つに集めておけば、拝みやすいだろうという、この世にいる側からの
勝手な都合なのだ。
老人達は、今の現実を、
「墓守りができんようになった…」
と嘆いている。

主人は、半日は母親と、義理の父親のお墓参りに行っていた。
私は、私の母方のお墓参りと帰省して来る、親戚の食事の支度をしていた。
午後には、主人が立ち寄り、お昼を一緒に食べる。そんな
習慣が20年以上、続いていた。お彼岸の習慣は、三年前から
すっかりと形を変えてしまった。
三年前から、私のお彼岸の役割が増えた。
主人のかわりに、行かなければならない、お墓がある。

釣井集落の、丁度中間の場所に、集落のお堂がある。
標高800メートル以上は、あるだろうか、山々を一望できる、静かな場所だ。
突風が、時折吹く。
農道に、車を止め、少しの小道を降りると、墓地がある。

静かに並ぶ、二つのお墓。
左側は主人のお母さん。
右側に、義理のお父さん。
小学五年生の頃から、育ててくれた、母親の再婚相手だ。
母親だけが、籍を入れ、主人は祖父方の籍のままだった。

主人の叔母さんに、お通夜の際に、聞いた昔話があった。
主人が、小学五年生の時、母親は周りから再婚話を勧められた。
その際に、主人に直接、大人達が、尋ねたそうだ。

「名前は、どっちがええ?どっちでもええんぞ!
〇〇か、それとも、今のままの名前か?」
主人は、今のままでいいと答えたそうだ。
幼い子供に、そんな話が、理解出来る筈がない。
生まれ育った、陣地がいきなり変わり、
全く知らない場所に、訳の解らないままに、連れて行かれるのだ。
22年間も、主人の隣に居ながら、主人の淋しさを聞いたことが、余りない。
生まれた時には、父親はすでに家族を捨て、近所の未亡人の家に、入り浸り
そのまま名字は捨てずに、あちらで三人の子供をつくり、立派に育て上げた。
主人に、その話を詰めると、怒り浸透の私とは対照的に、主人は決まって笑って答えた。
「生まれた時から、親父はおらんもん!って思とった!腹はたたんわ。
おらんのに、腹立てても、しょうがない」

主人の、そんなところが、私は、大好きだったし、尊敬もしていた。私は、両親には
沢山愛されて、育ったから、主人の寛大さが、余計に可哀相に見えたのだ。

四年目の春彼岸。
二つのお墓。
今日も一人で掃除をし、ハナシバを供え、水をあげ、お菓子を置いた。
お米を手の平から、ゆっくりと滑らせた。
残して置いた少しの、お米を、ほんの少しだけ高く、無造作に撒き、呟く。
「無縁仏さま…」

お母さんのお墓の前に、座り手を合わせる。三年前から、同じ言葉を、心の中で呟く。
「お母さん、主人と逢えましたか?そちらに行きましたよ。お母さん
主人を生んでくれて、ありがとう。私の所にありがとう。
お母さん、あなたの孫が健康で生きられるように、見守って下さい…」

お父さんの、お墓の前に座り、手を合わせる。やっぱり、同じ言葉を、心の中で呟く。

「お父さん、主人を育ててくれて、ありがとう。お父さんのお陰で、私達は逢えました。」

そっと、空を見上げた。息を大きく、吸ってみた。
キリーンと、静かな透明な風が、心の奥に落ちていく。

二つのお墓に、
静かに眠る、二つの魂。
主人と、繋がる事が出来た、大切な二つの魂。
お堂に、風が吹き抜けていく。杉林が、一斉に大きく唸り声をあげる。
いがぐり頭の、やんちゃな少年が、駆け回った頃と、変わらない場所に
同じ風が吹いていく。同じ空が、ここにある。
永遠の証がある。

3月20日曇り空

彼岸の合掌。








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