松明 ~光明を指し示して~

暗闇を照らし赤々と燃える。が、自身が燃え上がっては長くはもたない。火を消すことなく新しい松明へと引き継がれねばならない。

初任者の授業 3年国語科「三年とうげ」

2008-07-24 14:29:48 | Weblog
 初任者の教師でも「追求方式の授業」を意識してやれば、かなりよい授業ができることが分かってきた。例えば、「自分の考えを持つ」「自分の考えを発言する」「全員が意見を持つ」「友だちの考えを聴く」「グループで話し合う」などの学習の基本ができてきたこと。加えて、国語科でいうならば「文章や言葉に着目する」「文を分ける」「考えを選択する」「証拠をあげる」などの学習活動ができるようになってきたことなどである。
今、多くの学校の教室では、およそ次のような国語の授業が展開されている。
 教 師  しばらくいくと、○○は何がおこりましたか。
 子ども  ○○になりました。
 教 師  そのとき○○はどうしたのでしょうか。
 子ども  ○○をしました。
 教 師  では、そのときの○○の気持は、どんなでしょうか
 子ども  ○○だったと思います。
 と、いうように、事柄的であったり、イメージや感覚にたよるような授業である。しかし、このような授業では、少しも子どもたちは頭を働かせない。子ども同士のコミュニケーションや交流もない。新しい考えも出てこない。辞書も使わない。ただ教師は、子どもの発言を黒板に並べるだけですませる。だから教師の教材解釈もいらない。
 追求方式の授業はそうではない。例えば、3年生国語「三年とうげ」の授業では、次のように課題を設定して授業がされた。
 病気のおじいさんが長生きできるかもしれないと思いついたのはいつだろう。
 教科書の文章は次のようになっている。
  そんなある日のこと、水車屋のトルトリが、みまいに来ました。
  「おいらの言うとおりにすれば、おじいさんの病気はきっとなおるよ。」
  「どうすればなおるんじゃ。」
  おじいさんは、ふとんから顔を出しました。
  「なおるとも。三年とうげで、もう一度転ぶんだよ。」
  「ばかな。わしに、もっと早く死ねと言うのか。」
  「そうじゃないんだよ。一度転ぶと、三年生きるんだろ。
二度転べば六年、三度転べば九年、四度転べば十二年。このように、
何度も転べば、ううんと長生きできるはずだよ。」
   おじいさんは、しばらく考えていましたが、うなずきました。
「うん、なるほど、なるほど。」
   そして、ふとんからはね起きると、三年とうげに行き、
わざとひっくりかえり、転びました。
  そして、ここの場面での授業はおよそ次のように展開した。
  教 師 おじいさんが長生きできるかもしれないと思いついたのはいつ
だろう。
子ども ①おじいさんはふとんから顔をだしました。のところです。
子ども ②おじいさんは、しばらく考えていましたが、うなずきましたの
ところです。
子ども ③「うん、なるほと、なるほど。」のところです。
子ども ④ふとんからはね起きると、三年とうげに行き、わざとひっくり
かえり、転びましたのところです。
教 師 ①②③④のうち、どれだろうか、選んでください人数を数えて
②③が多いと確認する
  教 師  文章から②③の証拠を出してください
  子ども  うなずきましたはまだ迷っている。
  子ども  命にかかわることである。簡単に信じない。だから、うなずく
ところではない。
  子ども  しばらく考えている、それから、うなずいた。
  教 師 「うなずく」を辞書で調べてみよう。
  子ども 「うなずく」は首をたてにふる。
子ども 首を下に動かす。
  子ども  声に出していない。まだ、はっきりと決めていない。
  子ども  「なるほど」を調べたら、確かにとか本当にという意味でした。
  子ども  「なるほど」は本当にです。
  子ども  「なるほど」は確かにという意味だから、「うん、なるほど
 なるほど」のところで、おじいさんは、長生きできるかもしれな
いと思った。
  子ども  「なるほど、なるほど」と2回も続けて言っているからここだと
思います。
教 師  それでは、おじいさんはどこで長生きするかもしれないと思
ったのですか。
①おじいさんは、うなずきました②「うん、なるほど なるほど」 ①か②かどちらですか。
  子ども ③もつくってください。③の考えは、①と②の両方です。
  教 師  それでは、どれですか。
  子ども ③を多くの子どもが選ぶ
                    ・
                    ・
                    ・
 このような話し合いがなされた。教師は、子どもの③の意見に従って、ここのところは終えた。「おじいさんは、ふとんから顔を出しました」の意見も、おじいさんの「ばかな。わしに、もっと早く死ねと言うのか。」の文章を関連させて考えさせたかったし、「しばらく考えていましたが」の「しばらく」の意味も辞書で子どもたちが積極的に調べたので、もう少し、はっきりさせたかった。また、「うなずきました」から「うん、なるほど なるほど」の間の時間はどのくらいなのか、また、何を考えていたのか。「うん」は何に対して「うん」なのかも取り上げるとよかった。このように、課題はたくさん残ったが、最初に紹介したような多くの授業と違って子どもたちは、深く授業の中に入り、一つ一つの言葉に着目して考えた。そして、発言し、聞き合い、うなずき合い、新しい考えを見つけていくことができた。参観していた同じ学校の先生方も興味深く、そして授業の中に入り込んでいるようであった。授業者も授業後、手応えのある授業ができたと喜んでいた。
 これらは、教師の力量もあるかもしれないが、多くは、追求方式の授業の効果であると思われる。
 これまでの国語科の読解のイメージや感覚にたよりがちだった読みの方法を追求方式の授業を取り入れていくことにより、「どうしてこのようになったのか」「なぜこのように考えられるのか」という文章における原理・原則を理解し、話し合うことにより、授業自体が大きく変わることを改めて知ることができた。
 追求方式の授業とは
○“教え込み”と“放任”の授業
  長く行われてきた“教え込み”での教育は、知識を詰め込むことで成果を上げてきた。 しかし、知識偏重が叫ばれ、考える力をつけなければとゆとり教育として“放任”での教育が広がった。
 しかし、日本の学力低下が叫ばれだし、少人数や習熟度別、小学校でも教科担任制を掲げだしたが、一番のよさであった学級経営力が生かされなくなり、全国的に苦しくなっているのが現状である。それを打破する授業。それが追求方式である。
 追求方式のよさには、以下のようなものが挙げられる。
  ①全員が集中する
  ②お互いの発言をよく聞くようになる
  ③思考力がつく
  ④ていねいな子どもになる
  ⑤子ども同士が仲良くなる
  ⑥内容のある価値あるものを求めるようになる
  ⑦子どものすごさを見いだすことができる