飛行機さつえい奮闘記
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2013年03月30日、日本航空のマクドネルダグラスMD-90が広島発羽田行きJAL1614便でラストフライトを迎えました。
同時に、長年日本の国内線を支えてきたダグラスDC-9型モデルが全て日本の空から消えてしまいました。

MD-90が日本の空を飛んだのは1996年3月31日。当時の日本エアシステム(JAS)が羽田-広島線に就航させ、以降地方路線を中心に全16機が活躍していました。
私も物心がついた頃からMD-90にはよくお世話になっていました。エンジンが後方にあるリアジェット機、機内がとても静かだったのが印象的です。
そんなMD-90にありがとうの気持ちを込めて、JALのMD-90ラストフライトであるJAL1614便に、本日搭乗してきました。

今回はこのMD-90にスポットを当て、過去に撮影した写真を中心にMD-90の勇姿を振り返りたいと思います。

先頭の写真は2012年の写真、桜の中に飛び込んできたMD-90。『退役』というよりも、『卒業』という感じに仕上げてみました。
ラストフライトを担当した機長さんに私も何かお礼がしたい、ということで、駄作ですが、今まで撮影したMD-90のお写真をお渡しし、その表紙にしました。


【MD-90主要スペック】 参考文献:日本の旅客機 2011-2012 (イカロス・ムック)
全幅:32.9m
全長:46.5m
全高:9.4m
最大離陸重量:71.0t
巡航速度:815km/h
後続距離:2330km
装備エンジン:IAE製V2525-D5
エンジン推力:11339kg×2
座席数:150席

JALのMD-90には低騒音・低燃費が自慢の低公害エンジンV2500を搭載しています。MD-90の完全退役によってV2500エンジンは日本の空から姿を消すかと思われていましたが、ジェットスター・ジャパンのA320-200に同型のエンジンが積まれており、まだまだ日本の空を飛ぶことになりそうです。
JAL マクドネルダグラス MD-90 フリートリスト


ここからは主に羽田空港や伊丹空港、その他にも新千歳や福岡で撮影したMD-90。
これはJA8066、黒澤レインボー#5。撮影したのは2005年。JALとJASの経営統合によって徐々にサンアーク塗装に塗り替えられていましたが、まだ数機、旧JAS塗装になっていた機体がいました。
映画監督の故黒澤明氏のデザインによる、虹を模した7種類もの塗装は、その大胆ユニークで斬新な塗装から話題を呼び、就航先の空港では飛行機ファンのみならず、搭乗客、空港を訪れる大勢の人々を驚かせ、目を楽しませてくれました。


JA8029。元黒澤レインボー#3。MD-90のラストフライトを飾った機体でもあります。


JA006D。元黒澤レインボー#2。JASが導入したMD-90の最終号機です。


時間は進んで2007年。初めて訪れた中部国際空港(セントレア)では、ジャンボとMD-90が縦に並んで駐機していました。まるで親子のように見えます。
両方とも退役してしまった機体。このような光景はもう二度と見れません。私にとって大切な一枚です。


ここからはサンアークMD-90の様々な勇姿。2008年2月、羽田空港。夕陽を浴びながらタキシングする。


2008年8月13日。羽田空港環八ポイントより。青空の下、ランウェイ16Rから離陸するMD-90。


2008年8月20日。羽田空港新整備場ではMD-90を使用してプッシュバック訓練が行われていました。


2008年8月24日。初めての伊丹遠征。




千里川の土手より。


伊丹空港から帰りの飛行機。羽田空港に到着したら隣のスポットにはMD-90が駐機していました。


2008年9月28日。新千歳空港。


翌日の2008年9月29日。少し見づらいですが、虹の中をアプローチしてきました。


2009年2月8日。まだ建設中の羽田空港国際線ターミナルと富士山。


2009年5月18日。福岡空港ランウェイ34エンドの歩道橋より。


夕方になりランウェイチェンジ。MD-90が美しいシルエットになってくれました。


2009年8月18日。伊丹空港は珍しいランウェイ14運用となっていました。背後に写るのは先に退役したMD-81。


晩秋は羽田空港をベースに活躍していたMD-90でしたが、かの頃は伊丹空港で多く活躍していました。


伊丹遠征では、千里川の土手で撮影していた際に、休暇でランニングをしていたMD-90のパイロットさんに話しかけられたことが非常に印象に残っています。
まさか現役のパイロットさんと話す機会なんてそうそうなかったので、とても感激し、ますますMD-90が好きになっていきました。


2010年9月12日。羽田空港第一ターミナル展望デッキ。このようにMD-90同士が重なることは珍しくありませんでした。


2011年10月24日。山口宇部空港。エプロン南側には展望台があり、到着便をお出迎えしている方々が。


2011年12月4日。羽田空港。富士山とMD-90。


2012年6月14日。東京ゲートブリッジと一緒に。2012年に入り、MD-90の退役は徐々に進んで行きました。


退役して塗装が剥がされたMD-90も見かけることが多くなりました。
JALは経営再建を果たし、生まれ変わりの象徴として尾翼の鶴丸を復活させ、国内線機材を中心に塗装変更を進めていました。
2012年度中の退役が予定されていたMD-90は鶴丸塗装への塗替えは無いと航空ファンの間では言われていましたが…。


予想は見事に裏切られてしまいました。2012年9月末、鶴丸塗装のMD-90が登場したのです!


鶴丸塗装にされた機体はJA8070。ちょうど塗装の耐用期限を迎え、コスト的にもサンアークと鶴丸ではそこまで変わらないということで、1機のみの鶴丸MD-90が実現しました。
初めて見た鶴丸MD-90の姿は『カッコイイ!』の一言!今までの鶴丸塗装の中で一番似合っているのではないでしょうか。


1月にはMD-90退役記念チャーターフライトが実施され、この鶴丸MD-90が投入されました。


この鶴丸MD-90、1月末にはラインアウトし、退役してしまいました。4ヶ月という短い間でしたが、多くの航空ファンがこの『鶴丸エムディー』を求めて空港に通っていました。
JALも粋なことをしてくれますねε-(´∀`*)


2013年1月1日。MD-90にとって最後のお正月。シルエットとなった富士山とMD-90。


退役1ヶ月前の2013年3月3日。
MD-90はお世話になった空港を挨拶するように、日本各地の空港に機材変更で飛んでいました。
沖縄から帰ってきた私は南紀白浜空港行きのMD-90を出発ロビーから撮影する為に第一ターミナルの出発ロビーをダッシュε≡≡ヘ( ´Д`)ノ


最後まで残った機体はJA8020とJA8029の2機。MD-90のL1ドア横に、747-400やA300-600Rの際も行った『ありがとうペイント』がされたということで撮影しにいきました。
写真特集:引退予定のMD90に「ありがとう」のペイント JAL 毎日jp


『17年分の感謝をこめて MD90 ありがとう』の文字とMD-90を前から見たシルエットが描かれています。


ここからは機内での写真。実はMD-90の機内の写真ってあまり撮っていないのです…。
2-3配列の5アブレストとなっている機内。あたかも新幹線のようですね。
頭上にはオーバーヘッドパネルの液晶モニターがあります。離着陸時は収納されてしまいます。


エンジンは後方にあるので、前方の席に座るととても静か。多くの席で翼も後方にあり、多くの席で翼がかからず外の景色が見れるところも好きでした。


羽田空港に到着したMD-90はオープンスポットへの到着が多くありました。これはこれで機体が近くで見れて好きでした。


なんといってもMD-90で好きだったのは、ボーディングブリッジから出発準備を行なっているコックピットが見れたこと。
2011年10月30日、広島発羽田行きのJAL1602便に搭乗した私は窓越しにコックピットを撮ろうとしたら、機長さんがコックピットの窓をよっこいしょと開け、『ご搭乗ありがとうございま~す!』と挨拶してくれました。
憧れのMD-90のコックピットを前に大興奮!このように写真も撮らせて頂き、とても思い出に残るフライトとなりました。

私が搭乗記を書いたフライトログ。
2010年1月7日:JAL1841便
2011年10月24日:JAL1642便
2011年10月27日:JAL1601便
2011年10月30日:JAL1602便

2012年は一度も乗っていないのですよね…。なんで乗らなかったんだろう…。

繰り返しになりますが、本日のJAL1614便にてMD-90は完全退役しました。とても大好きだった機体だけあり、悲しいのですが、最後にラストフライトに乗れてとても満足です。

ありがとう!そして17年間お疲れ様!MD-90!

次回より、このラストフライト旅行の搭乗記、まずは行きのJAL1613便からです。往復ともにMD-90です!

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