本日4/28、佃中学校 初代校長先生 奥原千里氏とお話させていただく貴重な機会を得ました。
20年前、何もかもが白紙の状態から、作り上げていったといいます。制服、スリッパ、文化祭、校歌から始まり、大切な学校の方針まで。
ひとつひとつが歴史を刻んでいく、伝統を作っていくという気概で、教職員、生徒が一丸となっての学校づくりでした。
私も、智辯学園和歌山中学・高等学校の中等部からの第二期生でした。中学生であった当時、学校の歴史を刻むという大きなことは実はあまり感じず、日々の中学生活を仲間達と楽しく過ごしていました。
さて、佃中学校では、開校20周年事業が今年とりおこなわれます。20年という節目を超え、さらに発展していっていただきたいと、応援しております。
奥原氏は、いまだに現役で、江戸川区で子ども達に科学教室(化学)を開かれているということでした。奥原氏の後輩等が、ここ中央区で子ども達の理系教育の充実を支援くださっています。
教育が根付くのには、時間がかかりますが、しっかりと根付いきているのを感じることが出来た一夜でした。
20年前、何もかもが白紙の状態から、作り上げていったといいます。制服、スリッパ、文化祭、校歌から始まり、大切な学校の方針まで。
ひとつひとつが歴史を刻んでいく、伝統を作っていくという気概で、教職員、生徒が一丸となっての学校づくりでした。
私も、智辯学園和歌山中学・高等学校の中等部からの第二期生でした。中学生であった当時、学校の歴史を刻むという大きなことは実はあまり感じず、日々の中学生活を仲間達と楽しく過ごしていました。
さて、佃中学校では、開校20周年事業が今年とりおこなわれます。20年という節目を超え、さらに発展していっていただきたいと、応援しております。
奥原氏は、いまだに現役で、江戸川区で子ども達に科学教室(化学)を開かれているということでした。奥原氏の後輩等が、ここ中央区で子ども達の理系教育の充実を支援くださっています。
教育が根付くのには、時間がかかりますが、しっかりと根付いきているのを感じることが出来た一夜でした。
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