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非嫡出子法定相続分は嫡出子法定相続分の二分の一:民法900条四号但書前段と法の下の平等:最大判H7.7.5

2012-05-02 16:40:32 | シチズンシップ教育
民法第九百条  同順位の相続人が数人あるときは、その相続分は、次の各号の定めるところによる。
一  子及び配偶者が相続人であるときは、子の相続分及び配偶者の相続分は、各二分の一とする。
二  配偶者及び直系尊属が相続人であるときは、配偶者の相続分は、三分の二とし、直系尊属の相続分は、三分の一とする。
三  配偶者及び兄弟姉妹が相続人であるときは、配偶者の相続分は、四分の三とし、兄弟姉妹の相続分は、四分の一とする。
四  子、直系尊属又は兄弟姉妹が数人あるときは、各自の相続分は、相等しいものとする。ただし、嫡出でない子の相続分は、嫡出である子の相続分の二分の一とし、父母の一方のみを同じくする兄弟姉妹の相続分は、父母の双方を同じくする兄弟姉妹の相続分の二分の一とする。

 相続についての民法900条四号ただし書前段の規定(下線部)を、皆様は、いかがお考えになりますか。

 「非嫡出子の法定相続分は、嫡出子の法定相続分の二分の一」と定められています。


 そのことの是非が、最高裁判所で争われましたが、平成7年7月5日、この民法900条4号の規定が、憲法違反ではないという判決が出されました。

 ただ、反対意見や追加反対意見は、傾聴に値すると考えます。
 民法制定当時は、やむをえない規定だったかもしれませんが、今、必要かどうか考えていかねばなりません。

 司法では、解決をしえない以上、立法で解決をしていかねばならない課題のひとつと思います。

 以下、それら意見の部分を抜粋します。

 法の下の平等の趣旨を考える重要な問題提起です。法の下の平等の実現した社会を目指していきたいものです。

**********判決文 該当箇所 抜粋*********

裁判官中島敏次郎、同大野正男、同高橋久子、同尾崎行信、同遠藤光男の反対意見(裁判官尾崎行信については、本反対意見のほか、後記のような追加反対意見がある。)は、次のとおりである。

 一 私たちは、民法九〇〇条四号ただし書前段(以下「本件規定」という。)が非嫡出子の法定相続分を嫡出子の法定相続分の二分の一と定めていることは、憲法一四条一項に違反して無効であり、原決定を破棄すべきものであると考える。
 二 (相続制度と憲法判断の基準)
 相続制度は社会の諸条件や親族各人の利益の調整等を考慮した総合的な立法政策の所産であるが、立法裁量にも憲法上の限界が存在するのであり、憲法と適合するか否かの観点から検討されるべき対象であることも当然である。
 憲法一三条は、その冒頭に「すべて国民は、個人として尊重される。」と規定し、さらにこれをうけて憲法二四条二項は「相続…及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」と規定しているが、その趣旨は相続等家族に関する立法の合憲性を判断する上で十分尊重されるべきものである。
 そして、憲法一四条一項が、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」としているのは、個人の尊厳という民主主義の基本的理念に照らして、これに反するような差別的取扱を排除する趣旨と解される。同項は、一切の差別的取扱を禁止しているものではなく、事柄の性質に即応した合理的な根拠に基づく区別は許容されるものであるが、何をもって合理的とするかは、事柄の性質に応じて考えられなければならない。そして本件は同じ被相続人の子供でありながら、非嫡出子の法定相続分を嫡出子のそれの二分の一とすることの合憲性が問われている事案であって、精神的自由に直接かかわる事項ではないが、本件規定で問題となる差別の合理性の判断は、基本的には、非嫡出子が婚姻家族に属するか否かという属性を重視すべきか、あるいは被相続人の子供としては平等であるという個人としての立場を重視すべきかにかかっているといえる。したがって、その判断は、財産的利益に関する事案におけるような単なる合理性の存否によってなされるべきではなく、立法目的自体の合理性及びその手段との実質的関連性についてより強い合理性の存否が検討されるべきである。しかしながら、本件においては以下に述べるとおり、単なる合理性についてすら、その存在を肯認することはできない。
 三 (本件規定の不合理性)
 本件規定の合理性について多数意見の述べるところは、民法が法律婚主義を採用している以上、婚姻関係から出生した嫡出子と婚姻外の関係から出生した非嫡出子との区別が生じ、法定相続分につき前者の立場を後者より優遇することに合理的根拠があるとの前提に立つものと解される。
 婚姻を尊重するという立法目的については何ら異議はないが、その立法目的からみて嫡出子と非嫡出子とが法定相続分において区別されるのを合理的であるとすることは、非嫡出子が婚姻家族に属していないという属性を重視し、そこに区別の根拠を求めるものであって、前記のように憲法二四条二項が相続において個人の尊厳を立法上の原則とすることを規定する趣旨に相容れない。すなわち、出生について責任を有するのは被相続人であって、非嫡出子には何の責任もなく、その身分は自らの意思や努力によって変えることはできない。出生について何の責任も負わない非嫡出子をそのことを理由に法律上差別することは、婚姻の尊重・保護という立法目的の枠を超えるものであり、立法目的と手段との実質的関連性は認められず合理的であるということはできないのである。
 また、本件規定の立法理由は非嫡出子の保護をも図ったものであって合理的根拠があるとする多数意見は、本件規定が社会に及ぼしている現実の影響に合致しない。すなわち、本件規定は、国民生活や身分関係の基本法である民法典中の一条項であり、強行法規でないとはいえ、国家の法として規範性をもち、非嫡出子についての法の基本的観念を表示しているものと理解されるのである。そして本件規定が相続の分野ではあっても、同じ被相続人の子供でありながら、非嫡出子の法定相続分を嫡出子のそれの二分の一と定めていることは、非嫡出子を嫡出子に比べて劣るものとする観念が社会的に受容される余地をつくる重要な一原因となっていると認められるのである。本件規定の立法目的が非嫡出子を保護するものであるというのは、立法当時の社会の状況ならばあるいは格別、少なくとも今日の社会の状況には適合せず、その合理性を欠くといわざるを得ない。
 四 (非嫡出子に関する立法状況の変化、条約の成立と今日における不合理性)
 法律が制定された当時には立法目的が合理的でありその目的と手段が整合的であると評価されたものであっても、その後の社会の意識の変化、諸外国の立法の趨勢、国内における立法改正の動向、批准された条約等により、現在においては、立法目的の合理性、その手段との整合性を欠くに至ったと評価されることはもとよりあり得るのであって、その合憲性を判断するに当たっては、制定当時の立法目的と共に、その後に生じている立法の基礎をなす事実の変化や条約の趣旨等をも加えて検討されなければならない。
 本件規定は、その立法当初において反対の意見もあったが、その立法目的は多数意見のいうとおり婚姻の保護にあるとして制定されたものであり、またその当時においては、諸外国においても、相続上非嫡出子を嫡出子と差別して取り扱う法制をとっている国が一般的であった。しかしながら、その後相続を含む法制度上、非嫡出子を嫡出子と区別することは不合理であるとして、主として一九六〇年代以降両者を同一に取り扱うように法を改正することが諸外国の立法の大勢となっている。
 そして、我が国においても、本件規定は法の下の平等の理念に照らし問題があるとして、昭和五四年に法務省民事局参事官室は、法制審議会民法部会身分法小委員会の審議に基づいて、非嫡出子の相続分は嫡出子の相続分と同等とする旨の改正条項を含む改正要綱試案を発表したが、法案となるに至らず、さらに現時点においても同趣旨の改正要綱試案が公表され、立法改正作業が継続されている。
 これを国際条約についてみても、我が国が昭和五四年に批准した、市民的及び政治的権利に関する国際規約二六条は「すべての者は、法律の前に平等であり、いかなる差別もなしに法律による平等の保護を受ける権利を有する。このため、法律は、あらゆる差別を禁止し…出生又は他の地位等のいかなる理由による差別に対しても平等のかつ効果的な保護をすべての者に保障する。」と規定し、さらに我が国が平成六年に批准した、児童の権利に関する条約二条一項は「締約国は、その管轄の下にある児童に対し、児童又はその父母若しくは法定保護者の…出生又は他の地位にかかわらず、いかなる差別もなしにこの条約に定める権利を尊重し、及び確保する。」と規定している。
 以上の諸事実及び本件規定が及ぼしているとみられる社会的影響等を勘案するならば、少なくとも今日の時点において、婚姻の尊重・保護という目的のために、相続において非嫡出子を差別することは、個人の尊重及び平等の原則に反し、立法目的と手段との間に実質的関連性を失っているというべきであって、本件規定を合理的とすることには強い疑念を表明せざるを得ない。
 五 (違憲判断の不遡及的効力)
 最後に、本件規定を違憲と判断するとしても、当然にその判断の効力が遡及するものでないことを付言する。すなわち最高裁判所は、法令が憲法に違反すると判断する場合であっても、従来その法令を合憲有効なものとして裁判が行われ、国民の多くもこれに依拠して法律行為を行って、権利義務関係が確立している実態があり、これを覆滅することが著しく法的安定性を害すると認められるときは、違憲判断に遡及効を与えない旨理由中に明示する等の方法により、その効力を当該裁判のされた時以後に限定することも可能である。私たちは本件規定は違憲であるが、その効力に遡及効を認めない旨を明示することによって、従来本件規定の有効性を前提にしてなされた裁判、合意の効力を維持すべきであると考えるものである。

 裁判官尾崎行信の追加反対意見は、次のとおりである。

 本件規定が違憲とされる理由は反対意見に示されているが、私は、次の観点を加えれば、その違憲性はより明らかになると考える。
 一 法の下の平等は、民主主義社会の根幹を成すものであって、最大限尊重されなければならず、合理的理由のない差別は憲法上禁止されている(憲法一四条一項)。本件規定は、非嫡出子の法定相続分を嫡出子の法定相続分の二分の一と定め、嫡出子と非嫡出子との間に差別を設けているが、右差別が憲法一四条一項の許容する合理的なものであるといえるかどうかは、単なる合理性の存否によって判断されるべきではなく、立法目的自体の合理性及びその手段との実質的関連性についてより強い合理性の存否が検討されるべきであることは、反対意見に示されているとおりである。右検討に当たっては、立法目的自体の合理性ないし必要性の程度、差別により制限される権利ないし法的価値の性質、内容、程度を十分に考慮し、その両者の間に実質的関連性があるかどうかを判断すべきである。
 二 憲法は婚姻について定めているが、いかなるものを婚姻と認めるかについては何ら定めるところはない。あり得る諸形態の中から、民法が法律婚主義を選択したのは合理的と認めるが、法律婚に関連する諸要素のうちにも立法目的からみて必要不可欠なものとそうでないものとが区別される。必要性の高いもののためには、他の憲法上の価値を制限することが許される場合もあり、重婚の禁止はその例である。しかし、必要性の低いものについては、他の価値が優先するべきで、これを制限することは許されない。
 本件規定は無遺言の場合に相続財産をいかに分配するかを定めるための補充規定である。人が、その人生の成果である財産を、死後自らの選択に従って配偶者や子供など愛情の対象者に残したいと願うのは、極めて自然な感情である。民法も、本人の意思を尊重して、相続財産の分配を被相続人の任意にゆだねている(遺留分は別個の立法目的から定められたものであるからしばらくおく。)。この点をみれば、民法は相続財産の配分について法律婚主義の観点から一定の方向付けをする必要を認めなかったと知ることができる。相続財産をだれにどのような割合で分配するかは、法律婚や婚姻家族の保護に関係はあるであろうが、それらのために必要不可欠なものではない。もし民法が必要と考えれば、当然これに関する強行規定を設けたであろう。要するに、本件規定が補充規定であること自体、法律婚や婚姻家族の尊重・保護の目的と相続分の定めとは直接的な関係がないことを物語っている。嫡出子と非嫡出子間の差別は、本件規定の立法目的からして、必要であるとすることは難しいし、仮にあったとしてもその程度は極めて小さいというべきである。
 三 本件規定の定める差別がいかなる結果を招いているかをも考慮すべきである。双方ともある人の子である事実に差異がないのに、法律は、一方は他方の半分の権利しかないと明言する。その理由は、法律婚関係にない男女の間に生まれたことだけである。非嫡出子は、古くから劣位者として扱われてきたが、法律婚が制度として採用されると、非嫡出子は一層日陰者とみなされ白眼視されるに至った。現実に就学、就職や結婚などで許し難い差別的取扱いを受けている例がしばしば報じられている。本件規定の本来の立法目的が、かかる不当な結果に向けられたものでないことはもちろんであるけれども、依然我が国においては、非嫡出子を劣位者であるとみなす感情が強い。本件規定は、この風潮に追随しているとも、またその理由付けとして利用されているともみられるのである。
 こうした差別的風潮が、非嫡出子の人格形成に多大の影響を与えることは明白である。我々の目指す社会は、人が個人として尊重され、自己決定権に基づき人格の完成に努力し、その持てる才能を最大限に発揮できる社会である。人格形成の途上にある幼年のころから、半人前の人間である、社会の日陰者であるとして取り扱われていれば、果たして円満な人格が形成されるであろうか。少なくとも、そのための大きな阻害要因となることは疑いを入れない。こうした社会の負の要因を取り除くため常に努力しなければ、よりよい社会の達成は望むべくもない。憲法が個人の尊重を唱え、法の下の平等を定めながら、非嫡出子の精神的成長に悪影響を及ぼす差別的処遇を助長し、その正当化の一因となり得る本件規定を存続させることは、余りにも大きい矛盾である。
 本件規定が法律婚や婚姻家族を守ろうとして設定した差別手段に多少の利点が認められるとしても、その結果もたらされるものは、人の精神生活の阻害である。このような現代社会の基本的で重要な利益を損なってまで保護に値するものとは認められない。民法自体が公益性の少ない事項で当事者の任意処分に任せてよいとの立場を明らかにしていることを想起すれば、この結論に達せざるを得ないのである。
 四 婚姻家族の相続財産に対する利害関係は、非嫡出子のそれと比べて大きいといわれる。普通、嫡出家族の方が長い共同生活を営んでいるから情愛もより深く、遺産形成にもより大きく協力しているから、相続分もより大きいのは当然とされる。それぞれの家族関係は千差万別で、右のような一般論で割り切り、その結果他人の基本的な権利を侵害してよいかは、甚だ疑問である。あえていえば、非嫡出関係が生じる場合には、一般論の例外的な場合に当たることもあろう。しかし、仮にこの一般論に譲歩して婚姻家族の相続分をより大きくしようとすれば、他人の基本的な権利に抵触することなく、かつ憲法上の疑義を生じさせるまでもなく、その目的を達成する手段が存在する。つまり、遺言制度を活用すれば足りるのである。
 もともと遺産の処分は、被相続人の意思にゆだねられているのであって、遺族の期待に反する処理がされても何人も異議を差し挟み得ない。それは生前処分の場合でも遺言による場合でも異ならない。被相続人の意思が何であるか、親族関係が真にその名に値する愛情によって結ばれていたかが帰結を決定するのである。これが本来の遺産相続の在り方であって、無遺言の場合の法定相続分の定めは全くの便法にすぎない。基本的人権に対する配慮が希薄であった立法当時には、本件規定は深く疑問を抱かれることもなく受容されていた。本件規定が非嫡出子を不当に差別するものであり、その差別により生ずる侵害の深刻さを直視するならば、そして他方、得ようとする利益は公益上のものでなく、当事者の意思次第で容易に左右できる性質のものであることに思いを致せば、非嫡出子のハンディキャップを増大させる一因となっている本件規定の有効性を否定するほかない。
 五 我々が目指す民主主義社会にとって法の下の平等はその根幹を成す重要なものであるが、本件規定の立法目的には合理性も必要性もほとんどない上、結果する犠牲は重大である。しかも、本件規定がなくとも具体的事情に適した結果に達する方途は存在する。本件規定の立法目的と非嫡出子の差別との間には到底実質的関連性を認めることはできない。いわば無用な犠牲を強いる本件規定は、憲法に違反するものというべきである。
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国際私法の論理のおもしろさ。

2012-05-02 01:14:56 | 文化振興、異文化交流

 国際私法を聴講していて、たいへんおもしろい法の考え方に出会いましたのでご紹介します。

 フィリピン人ご夫婦が日本で10年ほど住んでいたとします。

 しかし、そのご夫婦が離婚をすることになりました。

 法の適用に関する通則法第27条で、

(離婚)第二十七条  第二十五条の規定は、離婚について準用する。ただし、夫婦の一方が日本に常居所を有する日本人であるときは、離婚は、日本法による。

 同法第25条で、

 (婚姻の効力)
第二十五条  婚姻の効力は、夫婦の本国法が同一であるときはその法により、その法がない場合において夫婦の常居所地法が同一であるときはその法により、そのいずれの法もないときは夫婦に最も密接な関係がある地の法による。

 よって、このフィリビン人ご夫婦の離婚の問題は、両人がフィリピン人ゆえ、フィリピンの法を適用することになります。


 ところが、フィリピンでは、離婚を法で禁じています。

ということは、二人は、離婚できなくなるのでしょうか。

 取り得るべきひとつの方法は、二人とも日本の国籍をとり、その後、日本の民法に沿って、離婚をする手段、法律回避の方法があります。


 そして、もうひとつ取り得る手法があります。

 同法42条で

(公序)
第四十二条  外国法によるべき場合において、その規定の適用が公の秩序又は善良の風俗に反するときは、これを適用しない。

 同法を用い、今回の場合、離婚を求めるフィリピンのご夫婦に、フィリピン法を適用した結果が、離婚が出来ないという公の秩序に反しており、よって適用をしないことにし、故に離婚を可能にするという手法がとれます。

 第42条の適用の仕方には、二つの学説が分かれています。

 1)準拠法なしに、判断をするというやり方と、2)外国法が排除されたと言うことで、内国法を適用するという手法です。
 1)は、準拠する法律なしに行う点で不都合です。2)は、「国際私法の自殺」だと言われています。

 第42条では、その適用が公の秩序又は善良の風俗に反するとき」とあるところ、
 その適用の結果と読むことが大切です。
 上記の場合、フィリピン法自体が、公の秩序又は善良の風俗に反するという意味ではなく、
 フィリピン法を、具体的にその個人に適用したその“結果”が、公の秩序又は善良の風俗に反することを意味しています。


******実際の判例(○○○○、下線は、小坂)****

【事件番号】 東京地方裁判所判決/昭和32年(タ)第14号
【判決日付】 昭和33年7月10日
【判示事項】 離婚禁止の外国法と国際私法

主   文

 原告と被告とを離婚する。
 訴訟費用は被告の負担とする。

       事   実

 原告は、主文同旨の判決を求め、その請求の原因として、
 原告は、日本の国籍を有する者であり、被告は、フイリピン共和国(以下、単にフイリピン国という。)の国籍を有する者であるが原被告は、昭和二五年一二月二七日東京都で事実上婚姻し、昭和二六年七月一一日千代田区長に対してその婚姻の届出をした。
 ところで、原被告は、右婚姻後東京都で同棲し仝年八月被告が先ず沖縄に渡り、次いで翌年秋原告も沖縄に赴き仝地で同棲生活を送つた後、昭和二八年七月初め日本に帰り、ともに東京都にある原告の実家において居住するに至つたが、被告は、沖縄滞在中同地の会社に技術者として就職し、相当額の収入があつたにかかわらず、東京にいた原告には生活費をほとんど与えたことがなく、被告の勤務さきであつた右会社が解散するに至つた際、被告は、同地で就職ができたにもかかわらず、日本での就職を望んだ結果、さきに述べたように再び原被告は、日本に帰国したのである。しかるに、被告は、その後労働の意慾を失い、無為に過ごすのみで、原告の実家の援助を受けて、かろうじて生活を支えることができるありさまであつたから、原告が被告に対して極力収入の道を講ずるよう求めたところ、遂に昭和二八年八月二一日行くさきを告げずに単独で原告のもとを去つた。そこで、原告は、被告との離婚もやむをえないものと考えるに至つたところ、被告は、原告との協議離婚の届書に署名すると申し述べて、原告や原告の実母からしばしば金銭をもらい受ける一方、右届書の作成に協力しようとしないことは、もちろんのこと、その所在さえ原告に明かさず、昭和二九年初めころ以後は、音信を絶つてしまつた。
 更に、被告は、昭和三二年一一月初めその本国に強制送還されるべき旨の決定を受けたが、被告の本国法であるフイリツピン国法によれば、原告の同国への入国は許されず、原被告が同棲する可能性さえもない。
 このようなわけで、原告は、民法第七七〇条第一項第二号にいわゆる配偶者から悪意で遺棄されたときにあたり、また、同条項第五号にいわゆる婚姻を継続しがたい重大な事由があるときにあたるから、右各事由に基づき裁判上被告との離婚を求めるため、本訴請求に及んだ、と述べ、
 証拠として、甲第一、二号証を提出し、証人○○○○、○○○○の各証言、原告本人尋問の結果を援用した。
 被告は、原告請求どおりの判決を求め、原、被告の国籍に関する事実(ただし、原告の婚姻後の国籍に関する点を除く。)原、被告の婚姻の成立に関する事実、原、被告の婚姻後の滞在地、滞在期間に関する事実がいずれも原告主張のとおりであること、被告が、原告主張のころから原告のもとを去り、別居していることは、認めるが、その余の点は、争う。
 被告は、沖縄滞在中及びその後を通じて原告に対する生活費の供与を欠かしたことがないから、扶養の義務を怠つたものでなく、被告が原告のもとを去つたのは、原告主張のように両名が原告の実家に居住中、被告の人格を無視した取扱いを受け、そのあげくに原告から追い出されたのであり、被告の意思によるものでなかつた。と述べ、甲号各証の成立を認めた。
 当裁判所は、職権により、被告本人を尋問した。

       理   由

 公文書であつて、真正に成立したものと認める甲第一号証(戸籍謄本)、同第二号証(東京都新宿区長作成にかかる外国人登録済証明書)、原、被告本人尋問の各結果を綜合すれば、原告は、日本国籍、被告は、フイリツピン国籍を有する者であるが、原、被告は、昭和二五年一二月事実上婚姻し、昭和二六年七月一一日東京都千代田区長に対しその婚姻の届出をしたこと及び原被告は昭和二八年七月沖縄から帰り東京都新宿区の原告の実母方に別居する迄仝居していたが別居后被告の所在ははつきりしないことを夫々認めることができる。そうして、フイリツピン国法律第四七三号によれば、フイリツピン市民と婚姻した外国人の妻は、婚姻により当然にフイリツピン国籍を取得するものでなく、また原告本人尋問の結果によれば、原告がフイリツピン国に帰化したものでもないことが認められるから、原告は、現に日本国籍を有する。そうとすれば、被告の住所が日本にあるかどうかにかかわりなく、本件離婚につき日本の裁判所は、裁判管轄権(裁判権)を有するのであり、この場合国内における土地管轄は人事訴訟手続法第一条に則り夫たる被告の最后の住所地である東京都を管轄する、当裁判所の管轄に属する。
 次に、証人○○○○、○○○○の各証言、原告本人尋問の結果を綜合すれば、原、被告は昭和二四年一二月原告が駐日フイリツピン大使館に勤務中、知りあい、その当時被告は、沖縄で自動車修理工として働いていたのであつたが、前記の日に東京都において婚姻した後、昭和二七年九月三〇日原告が沖縄に赴き、それ以来同地において右両名は同棲するに至つた。ところが、被告が同地の勤務さきを解雇されたため、昭和二八年七月初め原、被告は東京都に帰り原告の実母○○○○方に身を寄せたが、被告は、まつたく働く意思がなく、沖縄居住当時たくわえた金銭を消費し尽し、原、被告所有の家財道具を売却してしまつたうえ、同年八月その行くさきを告げずに原告のもとを去つた。
 このような事実を認めることができ被告本人尋問の結果のうち右事実認定と抵触する部分は当裁判所の信用し得ないところであり、他に右認定を妨げるに足りる証拠がない。そうして、本件訴訟の係属後漸く被告の所在が判明したが、被告は、昭和三二年一一月五日強制退去を命ずる命令に基き前記本国に強制送還されたものであることは、本件訴訟の経過に照らして明白である。
 法例第一六条によれば、離婚は、離婚原因事実の発生当時における夫の本国法によるべきであるから、本件離婚は、被告の本国法であるフイリツピン国の法律によらなければならないが、一九五〇年六月一九日施行のフイリツピン国法第三八六号フイリツピン民法を制定する法律は、第九七条において(一)刑法において定められている妻の姦通及び夫の蓄妾行為(Concubinage)(二)夫婦の一方の他の一方に対する殺人未遂の場合に法定別居(Legal Separation)を求める訴を提起することができると規定するのみで、離婚に関する法規を欠き、外務省アジア局長作成の回答書によれば、フイリツピン国においては、右フイリツピン民法を制定する法律の解釈上同法の施行後において同国は、離婚を禁止したものとされていることを認めることができる。また、右フイリツピン民法を制定する法律第一五条は「家族の権利義務または人の法律上の身分、地位及び能力に関するフイリツピンの法律は、外国にあるフイリツピン人にも適用される。」旨を規定し、同条は、国際私法上のてい触規定でもあり、右所定の各法律関係に関してフイリツピン国は、いわゆる本国法主義を採用したものと解すべきものである。(Javito R.Salonga,Private InternationalLaw 1st edition 1950 p.445)従つて、法例第二九条によるいわゆる反致条項を適用すべき余地がない
 本件離婚の準拠法を決定するにさきだち、試みに諸外国の法制を顧みよう。ドイツ国際私法は、周知のように離婚は、訴提起の当時における夫の本国法に準拠すべきものと定めるが、判決当時において妻のみドイツ国籍を有するとき、妻の離婚の訴については、ドイツの法律を適用すべきものとする。(ドイツ民法施行法第一七条第三項)イギリス法は、婚姻の結合を解消する、ことができるかどうかは、イギリスの道徳上、宗教上、公の秩序上の根本観念にかかわるという理由に基づいて常に法廷地法であるイギリス法が適用されるべきものとする見解を樹立している。(Martin Wolff,Private International Law.2nd edition 1950 p.374)フランス法は離婚につき、夫の本国法主義を採用するとともに他方妻がフランス人である場合にもなおフランス法によるものとする(Niboyet,Traitede droit international Prive Fran□ais Tome V§ 1514,B,b,p.438.et suiv.フランス法の右原則は、一九二二年七月六日のフランス破毀院判例以来樹立されたところである。)このように、離婚禁止国に属する者と離婚を許容する国に属する者との間の離婚につき離婚禁止国の法律を適用する結果を避けるために諸国の法制は周到な・配慮を示すものということができる。
 もとより、国際私法は、外国法規の内容が内国法規の内容と異なることを前提として、各種の連結点を定め、当該渉外法律関係につき適用すべき外国法規を指定する。しかしながら、その適用を命ぜられた外国法規の内容が内国法規、すなわちわが国の私法法規の内容と異なるため、その外国法規を適用した結果が、わが国の私法法規の根本観念に著しく反し、または、わが国民の法律感情ないし道義の根本観念を著しく害するとき、これが法例第三〇条にいわゆる公序良俗の問題として、その外国法規の適用は、排除されなければならない。法例第三〇条は、国際私法の右のような前提に基き例外的に適用されるべきものであるけれども、具体的にいかなる場合が同条の適用を受けるべき場合であるかは、わが国の内国法規の精神を尋ね、また国家の道義に照らして判断されるべきものである。たとえば、これを婚姻について考えるに、重婚または多数婚を許容する外国法規は、重婚を禁止するわが国の法制(民法第七三二条)のもとでは、わが法規の根本観念に著しく反すると同時に国家の道義的見地からしてもこれを認容することができないであろう。また、離婚についてみれば、法例第一六条但書により離婚原因事実が夫の本国法上離婚原因となるとともにわが国の法律によつても離婚の原因となる場合に限り裁判所は、離婚判決を宣告することができるのであり、国際私法上のてい触規定である法例自体が、特殊的に内国法規の重畳的適用を命ずることからもさきに述べたように解釈すべきものであることをうかがい得る。
 ところで、いかなる場合において婚姻の当事者に離婚請求権を付与するかについては、諸外国の法制上いわゆる絶対的離婚原因に限定するものもあり、またわが民法第七七〇条第一項第五号と同じくいわゆる目的主義を採用するものもあり、絶対的離婚原因として列挙する離婚原因の内容についても諸種の相違がある。仮に当該外国法規が絶対的離婚原因として単一、一個の事実たとえば、いわゆる不貞行為のみを規定するに過ぎないものであるとしても、それが法例第一六条により指定を受けた夫の本国法である以上、当該外国法規を適用して判断すべきであろう。しかし、このような場合と、絶対的に離婚の請求を否定する場合とは、同様にみることができない。離婚原因として離婚請求権を付与する場合が数量的に減少して、その極限の場合として絶対的に離婚請求権が否定された場合には、外国法規と内国法規との間に本質的差異があるとみるべきである。
 わが民法第七七〇条は、離婚が、ほんらい許容されるべきものであることを前提とするのみでなく、同条第一項第五号は、いわゆる目的主義を採用して、離婚請求権を付与する場合を拡大し、離婚の自由を広く承認しようとするのであり、他面当事者から絶対的に離婚請求権を剥奪し、永久に離婚の機会を与えないことは、わが国の道義的見地からみて許されるべきことがらではないといわなければならない。すなわち、明文をもつて離婚を禁止または明文を欠く場合において解釈上離婚の禁止が承認されている外国法規を適用する結果、わが国において現実に離婚が行われない結果をみるときは、その外国法規は、法例第三〇条にいわゆるわが国の公序良俗に反するものとしてわが国の裁判所は、これを適用することができないのである。そうして、この場合右の外国法規が排除される結果適用すべき法規の欠缺が生ずる。一般的にいえば、法例第三〇条は、内国の公序良俗に反する外国法規の排除を命ずるだけで、その法規が存在する外国法秩序全体を排除することを命ずる、ものでない。従つて、右外国法規を排除することにより生じた法規の欠缺は、その外国法秩序における他種の規定または、その法秩序全体の精神から類推解釈することにより欠缺の補充がなされるべきものであり、これによる補充ができない場合、またはその補充によつては、法例第三〇条により外国法規を排除した目的が達成されない場合に限り法廷地法である内国法規が適用されるべきである。ところで、離婚を禁止する外国法規を法例第三〇条により排除すべきとぎにおいて、たとえば、当該外国法が離婚に代えて別居の制度を認める場合、その別居をもつて右法規の欠缺を補充することは、法例第三〇条により排除を無意味のものとならしめることは、明らかであり、その他に右欠缺の補充がなされるべき方法はないであろう。従つて離婚の禁止規定である外国法規を排除する場合、結局適用されるべき法規は、法廷地法である内国法規である。
 そうして、離婚につき右のように法例第三〇条を適用し、内国法規を適用した結果離婚の宣告がなされた場合、離婚を禁止する外国が右離婚判決を承認することなく、依然として婚姻が継続するものとみることは、明らかであり、従つて、いわゆる跛行婚が発生するのであるけれども、法例第三〇条が内国における公序良俗を原則的に指定した外国法規に優先せしめるものである限り、右の結果もまた避けえないものとして承認されるべきものである。
 斯く解しない限りドイツ、フランスに於ては法廷地国の国籍のあることにより、イギリス、アメリカに於ては住所(Domicile)があることによつて法廷地国の婚姻法の適用を受け、妻は離婚禁止国の夫と離婚を許されるに拘らず、夫の本国法主義を無制限に適用すれば、自国民である妻をして離婚禁止国の夫との間に終生別居以外に離婚を許し得ないのに、夫の本国法の適用によつて妻であるフイリツピン人からの離婚を許容する国の国籍を有する夫に対する離婚請求は当然許容せざるを得ない(当庁昭和三十一年(タ)第七二号、仝年五月二六日判決、当庁同年(タ)第二四〇号昭和三二年一月二三日判決参照)結果、離婚禁止国の国籍を有するフイリツピン婦人には離婚を認容し得るのに、離婚を許す法廷地国の国籍を有する婦人には離婚を認容し得ないという奇現像を呈するに至るであろう。
 本件についてみるに、フイリツピン国の離婚禁止の法観念は、法例第三〇条によりわが国の公序良俗に反するものであるから、その適用は、排除されるべきであり、その排除の結果生じた法規の欠缺は、フイリツピン国における前記フイリツピン民法を制定する法律をもつて補充すべきものでないから、わが民法に準拠して判断されるべきであり、前記認定事実をこれに照らせば、原告は、同民法第七七○条第一項第二号にいわゆる配偶者である被告から悪意で遺棄されたときにあたるとともに、同条第一項第五号にいわゆる婚姻を継続しがたい重大な事由があるときにあたることは、明らかである
 そうすると、裁判上被告との離婚を求める原告の本訴請求は、その理由があるから、これを認容すべきものとし、訴訟費用は、敗訴の当事者である被告の負担とし、主文のとおり判決する。
 (裁判官 加藤令造 田中宗雄 間中彦次)

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違法な処分をする行政に相対峙するための行政学的論理法ー守るべきものを守るために

2012-05-02 00:31:06 | シチズンシップ教育

 行政の側も、ひとの生命、身体、財産を守るため、様々な規制をかけざるを得ないことも理解するところです。

 ただ、ときには、違法な処分がなされることも、ごくまれにとは思いますが、あるでしょう。

 行政の主張もある程度は理解はしても、この部分は、わかってもらいたいということもあるでしょう。

 そのようなとき、 一企業、一NPO、一個人が行政に相対峙することは、並大抵なことではありません。


 行政学的な論理で立ち向かうのであれば、以下の手法が、論理構成として必要とされると思います。

********論理構成の一例******************
 請求の趣旨:○○の処分が違法

 請求の理由: なぜ、処分が違法か主張

 手続きの瑕疵があることの証明
 そのために、
 1)理由の不備(行政手続法第14条1項)
 2)基準の設定が不十分(行政手続法第12条、第5条)
   関連ブログ:http://blog.goo.ne.jp/kodomogenki/e/eadadbd5b0ad615ec1e6786c164b4fed
 3)聴聞手続きの不備(行政手続法第20条)
 などを証明
 
 証明をしうるなら、
 手続きの瑕疵が 、処分の違法を言える。

 処分の実体的違法 裁量の逸脱濫用など

**************************
 
 では、なかなか、勝てないのが実情です。
 そこで、とくに重要なのが 、「手続の瑕疵としての1)理由の不備」であります。
 これは、最高裁で判決がなされているところであり、この部分が証明されれば、「100%手続の瑕疵ゆえ処分の違法」がいえます。 
 過去の最高裁判例がそれを示しています。
 参照:*最高裁平成23年6月7日第三小法廷判決「一級建築士免許取消処分等取消請求事件」
     関連ブログ:http://blog.goo.ne.jp/kodomogenki/e/f23691ca33592936555944b79a8fda4e
    *最高裁昭和38年5月31日第二小法廷判決
    *最高裁平成4年12月10日第一小法廷判決
    
           *新潟地判平成23年11月17日
行政手続法14条1項本文が,不利益処分をする場合に同時にその理由を名宛人に示さなければならないとしているのは,名宛人に直接に義務を課し又はその権利を制限するという不利益処分の性質に鑑み,行政庁の判断の慎重と合理性を担保してその恣意を抑制するとともに,処分の理由を名宛人に知らせて不服の申立てに便宜を与える趣旨に出たものと解される。そして,同項本文に基づいてどの程度の理由を提示すべきかは,上記のような同項本文の趣旨に照らし,当該処分の根拠法令の規定内容,当該処分に係る処分基準の存否及び内容並びに公表の有無,当該処分の性質及び内容,当該処分の原因となる事実関係の内容等を総合考慮してこれを決定すべきである(最高裁平成23年6月7日第三小法廷判決・判タ1352号123頁,最高裁昭和38年5月31日第2小法廷判決・民集17巻4号617号,最高裁平成4年12月10日第1小法廷判決・集民166号773頁等参照)。
  


 

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