波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

            思いつくまま

2010-01-20 13:23:47 | Weblog
ある時、韓国の金甫空港から台北空港への飛行機に乗った。飛び立つと直ぐ急上昇して機首は上を向いていた。すると機内の乗客の一人に突然気分の悪くなったひとが出て、スチュウワーデスヘ助けを求めた。気圧の急激な変化のためだったらしい。直ぐトイレに連れて行かれ暫くして出てきたが、回復している様子ではなかった。機は予定通り中正国際空港へ到着したが、既に救急連絡が取られていたと見えて、空港には医療チームが待機していて、最優先で運ばれ、サイレンを鳴らしながら、病院へ搬送されていった。この出来事を通して考えさせられたのだが、機内にこのような病人が発生した場合、機内(または車内)で放送し、
医療資格を持っている人の申し出を募り、応急の手当てをされると聞いている。
その場合、必ずしもその時の病状に適した医師が見つかるとは限らない。(当然ながら)
その時乗り合わせた人が、何らかの医師資格を持っていてその緊急治療に当るのであるが、
日本と、アメリカ、カナダなどとは事情が違うということを聞いたのである。つまり、アメリカ、カナダでは「良きサマリヤ人法」が適用されるのである。これは緊急事態になされた救急処置については救助者の責任を問わないというものであるが、日本ではこれが明確になっていない。したがって、ケースによって救助者の責任を問われることがあるということである。従って協力要請を要請されても申し出を躊躇するケースが出てくるのだ。日本の場合、89㌫の人が医療過誤責任問題を考え、ドクターコールに応じた医師も4人に一人は次は応じたくないと答えているのである。つまり業務上過失致死の責任を問われることもあるとする司法、医療報道の影響を含んでいることである。
「良きサマリヤ人法」の出所は聖書であって、ある旅人(ユダヤ人)が旅の途中に強盗にあってけがをさせられて、身ぐるみはがされて放置されていた。そこへ同じユダヤ人の祭司と呼ばれる人が通りかかったが、道の反対を知らない振りをして通り過ぎていった。次に又同じような人が通ったが、見てみぬ振りで行ってしまった。そして、その後、普段は口も聞かないほど憎みあっているサマリヤ人が来た。彼は直ぐ馬を下りて怪我の手当てをして、宿まで連れて行き、金を渡し医師の手当てを頼み、宿代を払った。そして自分は旅を続けるが、不足分は帰りに必ず、立ち寄り支払いをするから病人をよろしく頼むといって立ち去ったという。この話に基づいて出来たとされている。私たちもこの事を他人事としてではなく、考えてみたいと思う。