先週、15年振りぐらいでサラリーマン時代の先輩に会うことが出来た。当時は毎日のように共に仕事をしながら、いろいろと公私共に面倒を見てもらいお世話になった方である。仕事を離れてから会うことも無くいたが、年賀状にぜひ会いたいとあって、実現したのだ。待ち合わせの場所で時間通り会うことが出来て、食事をしながら、近況を語り合ったが、先輩は84歳と言うこともあり、かなり体が弱っていた。聞いてみると、50歳を過ぎた頃から直腸がんの手術を二回、肺胞の病気で入院をして、現在は黄変症のために目が不自由で歩行も儘ならない様子だった。
人間はいずれ死ぬものではあるが、一度に死ぬとは限らない。(中にはそういう人もいるが、)機能が少しづつ死んでいくようになっている。それは言い換えれば
健康との決別ともいえる。
又、病気は絶対しない決心をして、いろいろと予防処置をすることはいいことだと思う。しかし、病気をしなくて済むと思うわけにはいかない。
病気になったとき、どのように対処し見事に病気を克服できるか,どうかが人間に課せられた大きな課題であり、能力であり、才能ではないかと思っている。
そんなわけで先輩は多くの病気を重ねながら、如何に上手に克服するかを模索しているようであった。私は、今のところ、自覚するほどの病気をしていないが、これから起きてくるだろう病気に対して、やはり覚悟をしておかなくてはと思った次第である。
そんなわけで予定していた「ツツジ見物」も少し遅くなったが、出かける事が出来た。近くの公園であるが、5メートルはあろうかと思われる古木のツツジが色とりどりに咲いていて、楽しませてくれた。種類も多いがその形もそれぞれで飽きが来ない。帰りに掘りたての「たけのこ」を無料で配っている管理人に会い、お土産としていただくことが出来たことは、ありがたいことだった。
新緑に囲まれ、オゾンを感じながら歩いていると、早めのショウブノ花や、チューリップもある。又名前は分らないが、可憐な可愛い草花もあって、それぞれにその美しさを感じさせてくれて、飽きる事がない。
春は四季の中でも、一番心を弾ませ元気付けてくれている気がする。この明るさこそが今の時期、一番大切なのであろう。贅沢を言わなければ、ここで食べるおにぎり弁当が、高級なレストランで食べる豪華ランチよりも数段おいしいことを改めて知らされる思いでもあった。自然の備えてくれる恵みを心から感謝したい。
人間はいずれ死ぬものではあるが、一度に死ぬとは限らない。(中にはそういう人もいるが、)機能が少しづつ死んでいくようになっている。それは言い換えれば
健康との決別ともいえる。
又、病気は絶対しない決心をして、いろいろと予防処置をすることはいいことだと思う。しかし、病気をしなくて済むと思うわけにはいかない。
病気になったとき、どのように対処し見事に病気を克服できるか,どうかが人間に課せられた大きな課題であり、能力であり、才能ではないかと思っている。
そんなわけで先輩は多くの病気を重ねながら、如何に上手に克服するかを模索しているようであった。私は、今のところ、自覚するほどの病気をしていないが、これから起きてくるだろう病気に対して、やはり覚悟をしておかなくてはと思った次第である。
そんなわけで予定していた「ツツジ見物」も少し遅くなったが、出かける事が出来た。近くの公園であるが、5メートルはあろうかと思われる古木のツツジが色とりどりに咲いていて、楽しませてくれた。種類も多いがその形もそれぞれで飽きが来ない。帰りに掘りたての「たけのこ」を無料で配っている管理人に会い、お土産としていただくことが出来たことは、ありがたいことだった。
新緑に囲まれ、オゾンを感じながら歩いていると、早めのショウブノ花や、チューリップもある。又名前は分らないが、可憐な可愛い草花もあって、それぞれにその美しさを感じさせてくれて、飽きる事がない。
春は四季の中でも、一番心を弾ませ元気付けてくれている気がする。この明るさこそが今の時期、一番大切なのであろう。贅沢を言わなければ、ここで食べるおにぎり弁当が、高級なレストランで食べる豪華ランチよりも数段おいしいことを改めて知らされる思いでもあった。自然の備えてくれる恵みを心から感謝したい。