波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

            思いつくまま   

2009-04-29 09:20:32 | Weblog
先週、15年振りぐらいでサラリーマン時代の先輩に会うことが出来た。当時は毎日のように共に仕事をしながら、いろいろと公私共に面倒を見てもらいお世話になった方である。仕事を離れてから会うことも無くいたが、年賀状にぜひ会いたいとあって、実現したのだ。待ち合わせの場所で時間通り会うことが出来て、食事をしながら、近況を語り合ったが、先輩は84歳と言うこともあり、かなり体が弱っていた。聞いてみると、50歳を過ぎた頃から直腸がんの手術を二回、肺胞の病気で入院をして、現在は黄変症のために目が不自由で歩行も儘ならない様子だった。
人間はいずれ死ぬものではあるが、一度に死ぬとは限らない。(中にはそういう人もいるが、)機能が少しづつ死んでいくようになっている。それは言い換えれば
健康との決別ともいえる。
又、病気は絶対しない決心をして、いろいろと予防処置をすることはいいことだと思う。しかし、病気をしなくて済むと思うわけにはいかない。
病気になったとき、どのように対処し見事に病気を克服できるか,どうかが人間に課せられた大きな課題であり、能力であり、才能ではないかと思っている。
そんなわけで先輩は多くの病気を重ねながら、如何に上手に克服するかを模索しているようであった。私は、今のところ、自覚するほどの病気をしていないが、これから起きてくるだろう病気に対して、やはり覚悟をしておかなくてはと思った次第である。
そんなわけで予定していた「ツツジ見物」も少し遅くなったが、出かける事が出来た。近くの公園であるが、5メートルはあろうかと思われる古木のツツジが色とりどりに咲いていて、楽しませてくれた。種類も多いがその形もそれぞれで飽きが来ない。帰りに掘りたての「たけのこ」を無料で配っている管理人に会い、お土産としていただくことが出来たことは、ありがたいことだった。
新緑に囲まれ、オゾンを感じながら歩いていると、早めのショウブノ花や、チューリップもある。又名前は分らないが、可憐な可愛い草花もあって、それぞれにその美しさを感じさせてくれて、飽きる事がない。
春は四季の中でも、一番心を弾ませ元気付けてくれている気がする。この明るさこそが今の時期、一番大切なのであろう。贅沢を言わなければ、ここで食べるおにぎり弁当が、高級なレストランで食べる豪華ランチよりも数段おいしいことを改めて知らされる思いでもあった。自然の備えてくれる恵みを心から感謝したい。

          波紋    第87回

2009-04-27 10:36:53 | Weblog
谷中の人の良い心情を察しながら小林は、彼が健康で仕事を続けることを願っていた。そしてもう少し話を聞くことが出来ないか模索した。
松山のいた部屋には、いくつかのセクションがあり、そのセクションごとに女性が一人配属されていた。彼のところにも長くいた女性がいた。佐藤さんと言って、もうかなりの年(?)のような気がしていたが、ずっと松山と一緒に仕事をしていたのだが、彼女はどう見ていたのだろうか。小林は女性に電話をすることにためらいがあったが、松山のことを思うと何故か勇気が出た。「佐藤さん、小林です。その節はお世話になりました。暫くご無沙汰しているけど、元気ですか。」「ありがとうございます。どうしたんですか。小林さん、何かあったのですか。」「
いや近くまで来たものだから、お昼の時間にお茶でもしたいと思って、電話しました。」「そうですか。じゃあ、正面の出口のところで待っててください。すぐ用意して出ますから」ほっとして電話を切る。きらわれて断られても仕方が無いと覚悟していたが、タイミングが良かったのかもしれない。彼女も仕事一筋でもう長い。
いずれ定年で辞めていくのだろうが、昔と変わらない応対が嬉しかった。
「せっかくのところを急に呼び出してしまって、悪かったね。」「小林さんも昔と変わらなくてお元気そうで何よりですわ。」「ありがとう。もうすっかり年をとりましたよ。」そんな会話をしながら、近くのホテルのロビーの応接セットに座った。この場所でコーヒーも取れるのである。
「佐藤さんには私もお世話になって、その節はありがとうございました。」「何かお話があるんじゃあありませんか。」「えー。実は亡くなった松山さんのことなのですが、」「ああー、お気の毒でしたわ。お葬式にも行きましたけど、娘さんが二人も居られたんですね。知らなかったんですけど、松山さん、心残りだったでしょうね。」「奥さんがね、松山がトイレに行っている間、誰も気づいてもらえなかったことに疑問のようなものを感じているらしいんだよ。」「えー。そうなんですか。だって、あの時、松山さんがトイレに行っていたことを知っていた人がいるんですか。」「いや、誰も知らなかったと思うよ。ただね。どこへ行ったんだろうと
心配してくれる人がいなかったのかと言うことらしいんだ。」小林が其処まで言うと、佐藤は黙ってしまった。少し考えているようである。
確かに、あの時、松山さんが消えたことは不思議だった。突然いなくなったし、そのまま帰ってこなかったし、机はそのままだった。考えてみると、不自然なことである。

      波紋     第86回

2009-04-24 08:56:07 | Weblog
谷中とは長い付き合いだった。子供が同じ年頃であったこともあり、時々は家族ぐるみでの交わりもあった。そんな飾らない彼が好きだったし、親しみやすかった。なかなか管理職にもなれず、苦労の多い仕事が多かったが、愚痴も言わずに頑張っていた。重い口を開いた。「小林さん、松山君のことは本当に残念だったと思っています。そして、自分も何も出来なかったことを悔やんでいます。あの日の午後、私は予定していたことがあって、外出していました。出かける時チラッと、彼を見たときには、席にいました。そのまま出かけてしまい夕方帰ってきたときには、席に見えなかったのは知っていました。勿論すぐ帰ってくるのだろうと頭の隅には会ったと思います。片付けをして、誰かを誘って、いつものように一杯やって帰ろうかと考えていたのですが思い当たらず、松山君を誘うかともう一度机を見たのです。彼の席は私が出かける時見たままでそのままになっていました。私は不図、おかしいなあと言う思いがよぎりました。あの几帳面な男が机の上をあのまんまの状態で何時までもそのままにしておくはずが無い。そう思ったのです。
しかし、それ以上のことは考えられませんでした。確かに考えてみたら、おかしかったのです。何か異変が起きたと考えても不思議は無かったと思います。
具合が悪くなってトイレにでも行ってると思って、見ても良かったと今でもおもっています。彼とは仕事は別でしたけど、結構飲み友達でよく安い酒を飲んだものでした。決して人の悪口を言わないし、愚痴も言わないやつで、付き合いやすかったです。」そこまで言うと、思い出したかのように涙声になっていた。
谷中は真剣に心配していたことが分った。しかし、それは行動にはつながらなかった。其処まで思いが届かなかったことになる。しかし、これが家族であったり、もっと身近な人であったらどうだったろう。やはり放っておくことは無かったのではないだろうか。それは小林の勝手な思いであり、愚痴であった
「それで結局、その後どうしたの。」あえて小林は聞いてみた。「他の課の人間と飲んで帰ってしまったので、何も知りませんでした。」
やはりおかしいと何となく気づいた人間はいたのである。小林は「君が悪いわけではないんだから、気にしないでくれ。いろいろ聞かせてもらってありがとう。」
最後は湿っぽい別れになったが、彼の気持ちは良く分った気がした。
人は、善意であっても、それが報われないこともある。そんなときそれを運命と言うのだろうか。

思いつくまま

2009-04-22 10:17:12 | Weblog
今年の花巡りも花暦にそって始まっている。3月の梅はお彼岸の墓参の時に出来た。その時見たつくしも終わった。桜は清水公園まで出かけてゆっくり見ることが出来た。その時新しい発見として、「れんぎょう」を知る事が出来た。弥生三月を代表する花で可憐である。そして山吹、もくれんをあちこちの庭で鑑賞できた。
そして、今「はなみずき」の季節を迎えている。町の通りに静かに並んで立っている姿は本当に春を思わせ、その咲いている期間が長いことも合わせて楽しませてくれる。近くのお寺の庭に行くと、ボタン、藤が開花し始めており、そのあでやかさはまた格別である。来週は満開を迎えるツツジを見に行く予定である。
こうして、春の花を追いかけて歩く事が出来るのはこの時期だけしかない。
我が家の小さな庭にも春がやってきて、毎日、水遣り、日光の当る場所への移動
、花の手入れなどがある。今、ナスタチューム、ダリヤ、シラン、パンジー、水仙、サクラソウなどがある。
人間はその生涯を豊かにしてすごしたいと願っているが、その物差しはどれだけ
この世で「会ったか」と言うことで計ることで考えることが出来るような気がする。それは人間だけではない。(私の場合、この70年の間で印象に残っている人の数は100人足らずである。)自然や日々の出来事そしてもっと抽象的な魂や
精神的なこと又思想もいれてそれらのことに触れる出会いのことだと思う。
すべてのことに新しい出会いを感じて、其処から新しいもの見出し、それを良いものとして取り入れ、身につけていくことが出来るか、どうかでその人の人生が豊かになっていくか、どうかが決まるような気がする。
人は自分を飾ることに、大きな犠牲を払うことがある。そのために投資をすることもある。しかし、野の花を見ていると、私はその美しさに飾られた美しさよりも数段違った美しさを見る事が出来る。人はあまりにも自分に無いものを求め、それにしがみついているような気がしてならない。
それよりも、中からにじみ出てくる美しさを自分で作り出していく、出会いを持ちたいものだと思う。本当の美しさは其処から生まれ、育ち、完成していくものだと
思いたい。そのために自分がどれほどのものかと言うことを自覚することから始めなければならないのではないだろうか。

波紋    第85回

2009-04-20 09:56:39 | Weblog
思い出しているうちに一人の人物が浮かんできた。彼はどうしているだろう。そろそろ定年に近いはずだが、まだいるだろうか。小林がまだいた頃、若手として配属されてきて共に仕事をした仲間の一人だった。エリートサラリーマンにしては珍しく太めで(100キロ近い体格)風采も上がらない男だったが、人一倍気配りの出来て、神経も細やかだった。高卒だったためか、管理職にもならず、ずっと下積みが長く、そのまま過ごしていたが、仕事は出来た。努力家であり、苦労を厭わなかった。上司の命令には絶対いやと言わず、夜も昼も駆けずり回っていたことを今でも思い出す。
「もしもし、谷中さんいますか。」小林は電話をしてみた。「谷中ですが、」懐かしい声が聞こえてきた。「小林だけど、ご無沙汰しています。お元気ですか。暫く会っていない気がするけど、変わりないですか。」「えー。まあ何とかやっています。」「そうだすか。忙しいところ申し訳ないけど、一度会って話したいことがあるんだけど、時間を作ってもらえないだろうか。」「いいですよ。じゃあ時間の取れる日を決めて連絡しますよ」そんな男だった。気さくにいやと言わないでそして気取ることも無く話せる。それが彼の特長だった。
朝からでもビールを飲むほど酒が好きだった。小林とユーザー周りのときは駅前での待ち合わせの喫茶店でコーヒーの変わりに冷たいビールをグイット一気飲みをして出かけるのがパターンだった。
数日後、二人は上野の居酒屋で落ち合った。「やあ、今日は悪かったね。忙しいところを時間をとってもらって」「いやー良いんですよ。小林さんとは長い付き合いだし、それほど忙しくは無いんですよ。」「ありがとう。今日はしっかり飲んでくれよ。体の調子は悪くないんだろ。」「まあ、まあです。」
二人は再会を祝って乾杯して、つまみの魚を食べながら、暫く飲みながら近況を語り合った。「ところで、お話っていうのはどんなことですか。」「改まって言うほど大げさなことでもないんだが、、実は松山君のことなんだ」「ああ、彼のことですか。かわいそうなことをしました。」彼は素直にすぐそう答えた。
「奥さんがね。どうもあの日のことにこだわっていてね。詳しいことが分らないかと頼まれてね。実は困っているんだよ。なんだか、夜もゆっくり眠れないそうで気になっているらしいんだ。」そう聞くと、彼は今までの明るさが急に曇り、暫く考え込むように黙ってしまった。それはあの日のことを思い出しているかのようでもあった。

波紋    第84回

2009-04-17 09:53:39 | Weblog
そういえば、最近のニュースで似たような出来事があったことを思い出した。
ある有名大学の教授が、朝の10時ごろ、刺殺されたという事件である。僅か
10分程度の間にである。そしてその時間にその凶行をはっきりと確認した人は出てこないのである。見た人がいたかもしれないし、誰もその場にいなかったのかもしれない。そのトイレには多くの学生が使用しているはずであり、まして刃物を持ち殺人まで犯しているとあれば何らかの形で誰かが何かを目撃していても不思議は無いのだが、確たる目撃証言は得られていない。
松山の場合も似たような状況だったのだろうか。個室トイレを使う人がいなかったのか、物音に異常を感じた人はいなかったのか、いや、感じたかもしれないが、
我関せずと用を足してそそくさと出て行ってしまったのか、この数時間が彼の
運命を決めてしまったのだ。「くも膜下出血」はある時間内の手当てによっては命が助かると聞く。その意味では返す返すも残念なことであり、家族にとってはあきらめきれない思いであろうか。さりとて、誰を怨むこととて出来ないのである。
小林は松山の最後の日の仕事のことを考えていた。トイレに立った彼の机の上は恐らく書類の紙やノート、そしてパソコンが立ててあったことだと思う。急な体調の
変化でそれらを片付ける間もなく、トイレに駆け込んだのだろう。そして、其処で動けなくなったと思われる。机の上の状態は本人にしか分らないことで、そのままになっていたに違いない。しかし、時間がたつにつれて、部屋の誰かが、あの几帳面な松山の机がそのまま散らかっているのに気がつかなかったのだろうか。彼が
そのままにして帰ったと思う人はいないはずである。とすれば、松山の上に何かが起きたと思う人が一人ぐらいいてもおかしくないはずだ。「おかしいな。あいつどこへ行ったのだろう。散らかしたままで帰るはずは無いのだがなあ。」と不思議に思う人はいなかったのだろうか。午後の仕事が終わりに近づき、夕方になり、やがて終業の時間を過ぎて、それぞれが家路に、又夜の付き合いに出かける頃となる。
しかし、松山の机の上はそのままである。そして誰もいなくなっていた。
小林は共に働いていた頃を思い出し、自分がその時いたら、探していただろうか。
いや、必ず探していたはずだ。そう思いたかった。
そして、何とか、彼が助かる方法を講じたかもしれない。そう思うといても立ってもいられなかった。誰かいたはずだ。何とかそのときいた人を探し、話を聞いてみたい。

         思いつくまま

2009-04-15 09:44:15 | Weblog
人間には二重人格とか、多重人格とか言われるものがあると聞いている。それほど大げさではなくとも、自分自身を良く見つめてみると、確かに一人の人間で統一されるほど、考えがすべて統一されていないことが分る。ある時は素直に心の命ずるままに行動できたかと思うと、自ら思ってみないことを口走ったり、そんなことをするつもりは無いのに行動することもある。それほど大げさでないにしても一日のうちには心が様々に揺れ動き、良いことも、悪いことも考えることがある。
それは意識している時もあれば、無意識の場合もある。このような人間の行動を
心理学的に昔から調べてその考えを発表しているのが、ユングであったり、フロイトであったりするらしい。そしてその表現も「影」といったり、「もう一人の自分」と言う言い方をしている。
考えてみると、確かに程度の問題はともかく、人間にはそのような心理が存在していることは間違いない。それを各々の理性がどのようにコントロールして人間形成をしていくかと言うことになるのかもしれない。其処には心理的葛藤があったり、
ストレスを生じることもあるのだろう。それらを乗り越えて生きていくものなのかもしれない。しかし、人生にはその中にあって大きな障害をもたらすこともある。
それは絶望につながる問題であったり、病気、悩み、不安、死、その他様々ある。
そのようなことに当たった時、どのように対処できるか、そしてその結果によってはその人の運命を左右することになる。そして理性では乗り越えることの出来ないものを感じることになる。その時、人間ではない大きな存在を知ることもある。
それは「神」ともいえる存在かもしれない。それを信じるか、信じないかはその人の決するところであるが、大きな問題になることもある。
毎日の生活の中で、自分の心の中を覗きながら、ある時は自問し、ある時は自答することもあるが、そんなとき、「もう一人の自分」ではない、「あるひと」を感じる時がある。その人と共に歩いていると思うとき、私は心に平安を感じることが出来る。どんな時にも、どんな場合でも、その人は私をじっと見つめていることを信じる時、勇気と希望の中にいることが出来るのである。
庭の小さな花が心を癒してくれる良い季節になってきた。暫く花めぐりが出来そうである。

        波紋     第83回

2009-04-13 09:49:56 | Weblog
中山も、小林も冷静に考えれば、考えるほど、松山の死については納得にいかないことが多かった。加代子にすれば、それは尚更であり死ななくても済んだのではと言う思いが残っていても不思議は無かった。やはり身内でないものは、それだけ
冷たいと言われても仕方の無いところかもしれないのだ。
その日の朝、トイレで最初に発見したのはビルの清掃を委託されていた業者の人たちであった。始業前の早朝に行われることになっているはずである。各階のトイレを中心に清掃されるのだが、遺体のあったトイレの扉は鍵はかかっていなかったのか、恐らく扉を開けたときに発見されたものと思われる。その姿はどのようになっていたのか、その時既に心肺停止状態だったのか、経緯から考えると、急を要して
119番通報したと思われる。救急隊が駆けつけ、すぐさま応急の処置を取ったと思われる。そして警察への連絡になったのだろう。正式な診断の結果、「くも膜下出血」による死とされた。しかし、それは誰の証言も無く立会いも無いため「変死」とされたのである。
しかし、彼がそのトイレに入ったのは午後の1時から3時ぐらいと推定される。
そして、発見され加代子が警察から連絡を受けたのは翌日の昼前であった。
少なくても、最初の発見までの翌日の朝の6時までの約15時間の間は、誰もそのことについてのことに気がつかなかったことになる。
その日の就業時間の終わる午後7時までとしても3時間から4時間ぐらいの時間はあったのである。ではその時間はどんな時間だったのだろうか。
その時間こそが、「空白の時間」であり、彼の生死を左右する時間でもあったのである。彼はそのトイレに入って、その中で、息を殺して隠れていたわけではないのである。逆に言えば、今まで経験をしたことの無い異常体験をしていたのである。
とすれば、恐らく様々な行動が考えられ、様々な状況が想像される。
例えば、苦しみを訴える唸り声であるとか、ドアをたたく音であるとか、あるいは何らかの声を発していたことも想像される。
それらの物音と、其処に出入りした人たちとの関係、すなわち、その時間帯にそのトイレに何人の人が出入りをしていたのだろうか。そして、その人たちはこれらの異常な物音に全く気がつかないまま立ち去ったのであろうか。
遺体の状況は加代子が警察の安置所で見たまま以上には詳しいことは聞かされていない。したがって、どんな状態で発見されたのかは詳しいことはわかっていないのだが、その説明もされていない。
二人は話しているうちに、その様子が見えるように考えられ始めていた。

        波紋   第82回

2009-04-10 09:20:17 | Weblog
数日後、小林は加代子から会社から弔慰金が送られてきたことを知らせて、御礼を言われた。僅かでも、自分のした事が役に立ったことを知り嬉しかった。それにしても、松山の死はいろいろなことを考えさせ、知らされた思いだった。
この世における人間関係が如何に希薄なもので、いざと言う時には何の役にも立たず、彼に対する思いとか、信頼とかはその時だけのもので、その場を過ぎればその存在さえも消えてしまうものであり、意識からも消えてしまうものである。
どんな高名な人であっても、それは同じであろうし、人間の存在とはそんなものなのだろう。自分もまた、そのように消えていく身であること、又そのように静かに消えていくことが望ましいようにも思えた。
その後、小林は松山のことを忘れるとも無く忘れ、元の生活のリズムに戻っていた。そんなある日、突然、中山から電話を受けた。
「一度、会って相談したいことが起きたのだが」彼の仕事が片付く夕方上野で待ち合わせ、駅に近い居酒屋で二人は話すことにした。
小林は、飲めないが、中山に合わせて、カンパリソーダを頼んだ。彼は日本酒を手酌で飲み始め、少し落ち着いたようであった。二人とも、いい年になり、頭は白くなっていたが、昔と変わらぬ間柄だった。「何か、あったのか。」小林が切り出した。「松山の奥さんから相談を受けてね。仕事がしたいので、何か探してくれって言うんだよ」「奥さんは幾つになるのかな。」「松山より下だから、60にはなっていないと思うよ。」「じゃあ、パートならまだできるね。」「それで、うちの下請工場で働いてもらうことにしたんだ。」「そりゃあ、良かったね。」「それは良かったんだけど、その時ね松山の話がまた出たんだよ。」「何だって」「いやね。
どうしてもあの死にかたが納得いかないということなんだ」「そう言われれば確かに不自然であったことは事実だから、警察も変死扱いで処理したからね。奥さんがそう思うのも無理は無いと思うけど、それでどうしてくれって言うことなの。」
「その時の、つまりあの日の午後の様子をもう少し詳しく調べて欲しいと言うことなんだ」「そうか、しかしもう済んだ話しだし、時間も経っている事だし、調べると言っても、何が調べられるか……」「ところが、女の感情と言うか、妻としての思いなのか、そのことを考えると、落ち着かないらしく、夜もゆっくり寝られないそうだ」話に夢中になり、テーブルの上の料理が冷めてしまっているのも忘れていた。あても無い話が続き、酒だけが進み二人はそれでどうするかと言う考えも浮かばなかった。

思いつくまま

2009-04-08 09:26:15 | Weblog
私の住んでいる柏にも桜前線が到着、見事な花を今年も見ることが出来た。
やはり桜は日本を象徴するものでステータスとしての意味もあるような気がする。
桜と共に子供たちは新学期の学校が始まり、新入社員も新しいスタートをした。
こうして日本は今年も若い力、新しい力で動き出したと言える。
景気としては良くないかもしれないが、忍耐と、努力の時でもあろうと思う。
自分達の力で、このような環境、状況の中でどうすることが大切かをお互いに学んで生きたいとも思う。過去の歴史を見ても、決して良い時ばかりがあったわけではなく、困苦の時代も多かったが、その都度切り抜けてきたのである。
そのことを思えば、今はその力と知恵を試されている時かもしれない。
桜は、寿命があり、その樹齢は60年ほどであるとされている。上野の桜が戦後間もなく植えられており、間もなく60年を迎えることとなる。そろそろ、世代交代を考慮して準備をしなければならないときであるとのこと。
しかし、もっと長い樹齢のものもあり、一概には言えないのかもしれないが、枯れて花が咲かなくなる前に、次を備えることも大切である。
ところで、自分はこの春を迎えてどんな感慨があるのだろう。若者や子供たちのようにはちきれるような、希望と夢は無いにしてもやはり新しい春を迎えて、気分を一新したいものだが、残念ながら、全方位的にその半径が小さくなりつつあることは否めない。しかし、その反面、下に掘り下げることは出来る。今まで表面的にしか考えられなかったことが、その心理を静かに掘り下げて考えられるようになる気がする。また自分の心の中を覗くことも出来るようになる。今まで、そんなことに気づかず、人を傷つけたり、批判したり、自分本位だった罪を覚えるようになり、自らを省みて、罪を覚えつつ、恥ずかしくないじぶんをつくりあげたいとねがうのである。そしてその中にあって、決して、無関心で絶望的になるのではなくて
身の回りにおけることに関心を払いたい。そして、何であれ、好奇心を燃やし、すべてのことに興味を持つことであろうか。そのことによって、老化を避け、あり姿の中に、自分を磨くことが出来るような気がする。
次の世界に行くための心そのもので生きる準備がそれであろうか。