波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

  コンドルは飛んだ  第18回

2012-09-28 11:02:58 | Weblog
初めてのフライトのような海外赴任の旅ではあったが、何の不安もなかった。マイアミでのトランジットでもイミグレーションで、いくつかの質問を受けたり携帯物のチエックがあったりしたが、何の問題もなかった。そして無事に任地のラパス空港へ着いた。高地であることでの初めての経験で、少し気になるところはあったが殆ど身体への影響はなかった。(このことについては辰夫は医学的な予備検査をしていた。高山病、その他の影響をどの程度考慮しておくべきか、又そのために心得ておくべきことはないか、考えられることを医者と相談していた。結論から言えばそれらの決め手はなかった。個人的な体質や血液における血中組成のありかたが、各々異なるためにその反応は変わるのであるが、それを明確に示す規準はないとのことであった。)
空港に降り立ったときの体感もあまり変わる事もなく、ボンベも必要なかった。「よし、これならやれるぞ」心中期するものがあった。ラパスの市内の事務所で着任の挨拶をして打ち合わせに入る。
現地の鉱山のあるところまでは此処から数百キロ先である。前任者との引継ぎ事項をしっかりと済ませて数日滞在の後、現地への出発となった。いよいよ新しい任務に就くことになる。作業をしている現場を視察してこれからの計画を練る。
彼らは、作られた坑道を交代で出入りをしながら、鉱石を採掘している。よく見ると仕事をしながらしきりに口を動かしている。その姿は通常、若者がかんでいるガムに見えるのだが、よく調べてみるとそれは「コカ」と言われる、一種の麻薬とも言われる興奮剤であることが分かった。彼らはこれを常時口にしながらでないと身体を動かすことが出来ない習慣がついているのだ。その気力で仕事が出来ているようであった。
まさに別世界である。辰夫は落ち着くと本来の仕事への計画をスタッフと練ることにした。これらは彼らに知られてはまずい。
どんなことが起きるか、妨害行為が想定されるからだ。やはり大事なことはこの仕事が終わることへの影響が、彼らの生活への不安とならず、保証をきちんとして納得させることが肝心だった。その内容とそれをどんな方法で伝達し、悪い影響を抑えることが出来るか、併しどんな方法で説得したとしても平穏に目的を達成できるとは思えなかった。
何らかの暴動を含めた動きが起きることは覚悟せざるを得ないだろうと覚悟を決めざるを得なかった。

      思いつくままに

2012-09-25 09:50:40 | Weblog
私の数少ない知人の一人が80歳になって「肺がん」を宣告された。治療法としては摘出手術、薬品による化学療法、放射線治療があるが、年齢、体力から考慮すれば、放射線治療しか受けられないと分かった。必要期間を要しながら二回にわたる放射線治療が施された。その結果は順調で効果が表れ、当人も治癒したのかと思われるほど身体が楽になったと言っていた。
しかしその後、間もなく体調は悪くなった。当人は医師に告知を迫った。しかし医師はそれを拒否したが当人は頑として聞かず結果として「二年」の告知を受けた。その間、私は当人とも数回話しをする機会があって、話をすることが出来たが、その後
夫人から亡くなったことを知らされるところとなった。告知を受けたあと、「あなたは信仰をおもちですか、それとも無神論者ですか」と聞いてみたい気もしたが、それは出来なかった。「苦しいときの神頼み」もあるかと思ったからだ。
彼は日頃の言動から多分無神論者であったと想像される、それは自分のことは自分で始末し人に迷惑をかけず、誰にも(神を含む)助けを求めないと思っていたのではないかとおもわれた。
しかし一方では「もし誇るとすれば、わたしは自分の弱さから来ることを誇ります」と言う人もいるのです。
無神論者は一見自己をしっかり保ち、強そうに見え、後者は女々しく弱いし、人を頼っているようでもあるが自然態である。
自分が弱い人間であることを知っていれば、相手のつらさ、痛さも理解できる度合いが違ってくる気がする。
逆にある程度、何不自由なく幸せにある人は本当のことが見えにくいかも知れないし、理解しにくいこともあるかもしれない。
それは自信を持ち続けることとその状態が続くことを願う不安の中にあることと自分が幸せに相応しい人間であることに
意識しているからかも知れない。
しかし、世の中は正当に報いられていることで成り立っているのではないし、痛みを通して人生の本当の意味を理解して生きることも大事であるし、生きることの意義を知ることにつながる気がしている。そして何より自分自身を見つめなおすことが出来るのではないかと思っている。本当に強い人間とは「弱さを知る」ことではないかと。

 コンドルは飛んだ  第17回

2012-09-21 09:47:47 | Weblog
出発の日が決まった。それなりに準備は進んでいたが、これで安心と言うわけには行かなかった。生活用品はすでに現地へ送ってあり、宿舎へ着いていた。ささやかな社内の送別会が行われた。乾杯の掛け声はあったが、何となく気合が感じられなかったのはやはり現地の様子が分からないことで心配が先にたっつたからか、ただひたすら「お元気で頑張ってください」を声をかけるのみであった。辰夫はそんなみんなの言葉を聞きながら気持ちが高ぶっていた。何か自分が今までに感じない大きな壁を登るような、
強い気持ちと挑戦する勢いのようなものであった。
その夜、久子とまだ小さい娘と三人で食卓を囲んだ。いつものように静かな夕食である。久子は翌日が早いことを考えて
「鯛のお頭」を置いた。食事が終わるとやがて風呂から上がった子供は「おやすみなさい」と寝床に行く。父親が明日から遠くへ仕事で行き、暫く会えないことなど知らないままである。
片付け物を終わった久子を、テーブルを挟んで座らせた辰夫はお茶を飲みながら話し始めた。「国内の出張のように、帰ってくることは出来ない。おそらく一年に一回ぐらいの休暇が取れるか、どうかだと思う。長い間留守をするので、苦労をかけるが
よろしく頼む。お腹の子供のことが一番心配だが田舎のお父さん、お母さんが面倒を見てくれることを聞いて安心だ。
電話は緊急でない限りかけられないが、手紙は時間を見て出来るだけ出すつもりだ。」筆まめな辰夫のことを知っている久子は
そのことを良く知っていた。きっとこの人は手紙を欠かさず送ってくるだろうと信頼していた。
「知らないところだから水と食事は気をつけてね。」
布団に入り、二人は自然に身体を寄せ合い、熱い抱擁を重ねた。それは二人の信頼を確かめ合い、又再び見えることへの望みを託するものであった。二人は寝る間もなく白々と空ける朝を迎えていた。
羽田の国際空港の待合室は、その日珍しく大勢の人が集まった。誰が言うともなく彼の見送りを確かめ合い、声を掛け合って
会社を抜けてきたらしい。辰夫は全てに大げさなことを避けていたが、この日のことは黙って見るしかなかった。
「万歳、万歳」の声を後に機上の人となり、無事に飛行機は離陸した。空路アメリカのフロリダのマイアミ空港まで16時間、
そしてトランジットの上、ラパスまで行くことになる。到着まで23時間強の旅程である。
席についた辰夫はベルトをはずすとそれまでの緊張が緩み、何時の間にか熟睡の世界に入っていた。

      思いつくままに

2012-09-18 09:47:52 | Weblog
先日何気なくTVを見ていたら、世界のあちこちに存在する「不思議なこと」について紹介する番組があった。中でも水晶玉を使って
人が紙に書いた内容(文字、形)を見ないで見事に言い当てたり、手を使わないで人形に手をかざすだけで動かして見せるものであった。併しこれらには全て仕掛けがあり不思議でも何でもないマジックの一種であり、人が考え出した知恵であり、人の目を眩まして錯覚を起こさせているのだと説明があった。
毎日の生活において私たちが何気なく使っている「言葉」も考えようによっては大きな力を持っていると思っていると考える。それは楽器において各々が音を立てるだけではなく、その音に変化をつけることでその音が何を弾いているのか、何を吹いているのかが分かるのであって、ただ音だけでは何も分からないのと同じで、言葉もはっきり意味が分かる言葉を口にするのでなければ本当のことは伝わらないのだろうと思うのです。
言葉は各々が思っていること、考えていること心を伝える道具ともいえるが場面場面での使い方は考えるほどに難しいもので、
例えば子供だと自分本位で他人のことはあまり考えることが出来ないから自分の思ったことをストレートに言えば、それで済んでしまう。しかし大人は自分と異なった立場を理解しながら、自分とどちらも生かすようなことを考えながら話さなければならないから、中々簡単ではないのだ。時には苦しみ、時にはずるく、時にはいい加減になることや単に妥協で済ませて行動することも起こりうるのである。
と言ってひたすら「誠実に」と心がけて相手に自分の発言がどういう感じを与えるかを考えて計算してみても返ってそれがピンとはずれになることもあるから余計考えてしまうことにも成る。
「不思議な言葉」それは誰もが知らないことであったり、予言になるような事であるかもしれないが、それよりも大事なことは
「物を判断することにおいては、一人前のものになりなさい」と言う言葉がある。
それは例えば子供らしい若々しさをも持ち素直さ、ひねくれることのない言葉を持って、人に心を伝えることであろうか。
事実、この世のことは全てに正しいことが通るとは限らない。まして私たちの行為や言葉の意図が悪くないからと言って
人もそれを認めるべきであるとするのも甘えすぎなのかも知れない。
謙虚にある意味では「不純な人ね」と言われるようなことがあっても、仕方がないのかもしれないと自分自身を見つめている
のである。

  コンドルは飛んだ  第16回

2012-09-14 09:40:18 | Weblog
ボリビアと言う国名を聞いたとき、確かにそんな国の名前を学生時代に聞いたことがあることを思い出したが、どんな国かは
イメージが何も浮かんでこなかった。休日や仕事の合間を縫って調べていくうちに少しづついろいろなことが分かってきた。
そして分かるほどに、何となく不安や心配が募ってきた。何しろ国全体が高度三千メートルの所にあり、仕事をする採掘現場の山は四千メートルを越すとあっては、日本の富士山を越えている高さである。唯一の国際空港であるラパス空港には常時
酸素ボンベが置いてあり、降りてきた客に備えてある。気温も寒暖の差が激しく春夏秋冬が一日のうちに起き、日中は30度を越す暑さになるかと思えば、夜になるとマイナス温度になることもあると言う。こんな環境の中で果たして日本のときのような健康を維持しながら、仕事を続けていくことが出来るのか。?
併し辰夫には人には無い強い信念と胆力が備わっていた。(取締役は岡本のそんな人物像を何時からか調査済みだったらしい。)「今度、本社の総務から海外勤務の内示を受けたよ」と久子に話した。長女が生まれてちょうど三歳になっていた。
女の子らしくおしゃべりをするようになって可愛い盛りであった。そして二番目の子を宿して少しお腹が膨らみかけていた。
そんな姿を見ながら辰夫はあまり心配をかけないようにと気を使っていた。
「そう、大変ね。海外って何処なの?」「うん、南米のボリビアだ」「そうなの、遠いのね」考えてみると、日本の真裏になる位置だ。羽田から飛んでアメリカのマイアミへ飛び、其処から乗り換えてラパスまで行き、現地へ着くまでに、23時間ぐらいは優にかかる。久子はボリビアを何処まで知っているのか、いつものようにあまり驚く様子もなく、仕事柄都市であるとは思っていなかったらしく、それ以上詳しく聞くこともなかった。
数日後岡本は再度取締りと会い、正式に内示を受けることを承諾した。それは彼の人生を大きく変換させる出来事でもあった。
しかし辰夫には其処に何の逡巡もなかった。「男は行動半径が大きいほど楽しいものだ」そんな先輩からの言葉を思い出していた。出発の日までの時間は長いようで短かった。中でもスペイン語の学習は必須だった。何はともあれ少しでも言葉を覚えておかなければ何も出来ないことを覚悟して、必死で取り掛かった。便利な機器があるわけもなく全て独学である。
しかし辰夫の良さはここでも発揮されていた。

     思いつくままに

2012-09-11 09:21:37 | Weblog
世間では人の評価や噂で「あの人は外面は良いけど内面は良くない」などということを聞くことがある。確かに人間は
多面的であり、必ずしもいつも冷静で同じと言うことは難しいことだ。まして少し言えばタイプの好き好きもあって、女性の
言い方に寄れば「あの人はタイプだわ」となるか、「タイプじゃないわ」と内面はともかく外面で峻別してしまう。
私自身を考えてみると、若いときから営業と言う職業柄、どんな人物との関係でも「好き、嫌い」を表に出すことはなかったが
それでは、誰も好ましかったかと言われれば正直そうでもない。
強いて言えば、一つは無意識のうちに権力主義的なプライドが見え隠れする人ともう一人は「あなたは幸せでいられるんだから良いんじゃない」というそぶりが見える人だった。その人は一見謙虚に見えるのだが、いざとなると結構突き放して、同情することが見られなかった気がする。
しかし人は誰しも何らかの「重荷」を担って生きているものである。そしてその重荷は他人から負わされるものと自分自身でその重荷を作っている場合とがある。前者は突然の交通事故であったり、保証人になった相手から責任を負わされるようなことになった場合などであろうか、そして後者は自分自身の身体の不自由さや病気などが考えられる。よく親が子供病気や不幸をみながら「代わってやれるものなら代わってやりたい」との声を聞くが、それは誰しも背負うことが出来ないことなのである。
「困ったときの神頼み」は昔から日本に伝わる考え方だが、そうではなく真の神を信じていると言う信仰を持つものであれば
その「重荷」はどうなるのだろうか。やはり変わらない存在であり続けるのか。
重荷は無くなりはしないが、その重荷は「変型」すると考えられる事実がある。それは歴史的にも身近にも見られることで、
その代表的な人物としてヘレンケラーや星野富弘氏を思い出す。つまり言い換えれば人間は自殺でもしない限り、、必ず誰かがその重荷に打ち勝つ力を与えられるだけでなく、幸運で健康であったときより「いい人」としての存在になることが出来ることである。(全ての人がそうなるとはいえないが)
神は思いも付かない方法で人間を完成へと導かれるものだと信じている。だから私たち人間にもいささかの、ささやかな責任もそこにはあることに気づき、その努力をしなければ成らない。それはその「重荷」を如何に有効に使うことができるかと言うことである。一見マイナス財産に見えるものかもしれないが、財産である。これを捨てることは財産を捨てることにもなることを考えれば、これを捨てることなくしぶとく活用することを考えるべきであろう。
そしてその重荷は一人より二人で担うことも大切であり、それを担い合うことが大切であることも知るべきだとも思う。

コンドルは飛んだ  第15回

2012-09-07 10:59:56 | Weblog
いきなり現実の話になり、初めは自分のこととは考えられずにぼんやりと聞いていたが、少しづつ実感として耳を傾けるようになっていた。「現在、現地には当社の社員が事務職、技術者合わせて8名派遣している。しかし今回の目的は事業の継続ではなく撤退することにある。それは今までの構成を変えることであり、既設の設備を始め、全ての施設を休止または廃止することになる。一つの町としてあったものを無くすことになる。それは其処に棲み生きてきた数百人の家族の生活圏を奪うことでもある。当然この計画が知れれば、想定できないことも起こりうるかも知れない。もっと言えば身の危険も考慮しなければならないことにもなりかねないのだ。」聞いているうちに辰夫は身の引き締まる思いと緊張感に包まれていた。
話を聞きながら、聞きたいことや確認したいことなどが浮かんだが、口を挟むことは出来なかった。
「色々と準備やしたくもあるだろうから、出発は半年先ぐらいを考えているが、まずは君の返事や考えを聞いておきたいと思ってね、今日は突然だったが来て貰ったのだ。」と其処まで話すとようやく表情が柔らかくなり、いつもの人懐っこい優しい目になった。新しいコーヒーが運ばれ、二人は黙って一息ついていた。
辰夫の頭の中は色々なことがぐるぐると駆け回り、火花が閃光のように飛び散る感じがしていた。まだ診ぬ異国の土地で自分が負わされる任務と、其処で発生するであろう様々な出来事、そしてその対応と処理、それらを考えると、とても自信はなく
不安に襲われる思いだった。
「取締役、責任ある大きな仕事についてお話をありがとうございました。私のようなものが果たしてこんな大きな問題を
果たせるかは全く自信がありません。しかしお言葉ですので自分なりに考えてみたいと思います。」とこれだけ言うのが
やっとであった。
「勿論、すぐ返事を聞こうと思っていないよ。ただ私は君にぜひこの仕事を託してみたいと考えていたんだ。」
その日は、それだけで話は終わった。辰夫はすでに定刻を過ぎて誰もいなくなった大部屋の片隅にある自分の席に戻り、其処に座った途端、どっと疲れと緊張が解けて動けない感じになった。それは何か自縛から解き放たれたような、妙な感じでもあった。どれくらい時間が過ぎたのだろうか。やがてのろのろと立ち上がり、家路についていたのだった。

      思いつくままに

2012-09-04 09:30:15 | Weblog
ここに「喜ぶものと喜び泣くものとともに泣きなさい」と言う言葉がある。この言葉は何を意味しているのだろうか。
この世の生活の中で人間関係ほど難しいものはない。だからこそ毎日のようにあちらこちらで問題が起きている。そんな中で
自分がどうあるべきか、どんな心でいるべきかを考えさせられることが多い。
色々な会合でこんな場面を見ることがある、自分が親切で、よく気がつくそして大体のことは分かっていると物知り顔でいる人だ。しかし実はその人がそうではないことが多いことが分かる。むしろ相手が望んでいないことまで言ったり、したりしようとすることがあり、それがエスカレートすると他人の生き方まで干渉するようなことにもなるのである。
悪意があってするのなら拒否も出来るが、そうでもなければ黙っているしかない。こんなとき、他人には「冷たい」と思われるかもしれないが、無関心を装うことがあっても仕方がないかもしれないし、それが相手にとって不愉快に感じることがあっても
困らされることまで行かなければと思うからだ。
人間関係は殊ほど左様に難しい。最も身近な家族であっても時には相談や意見を求められても、すぐ助言や口出しをせずに様子を見る時間を持つことも大切なことがある。また年齢とともに言葉や表現も変える必要もあるようだ。
まして自分が高齢者になってくると、かつて自信のあったことでも、自分自身で責任を持って担当するとか、やり遂げることが出来ないことがわかるとなお更に静かに見守るほかないことが分かってくる。
つまり、「そこまで言うなら、責任を持って実行して欲しい」と言われて出来ないことを自覚せざるを得なからである。
先ほどの言葉の続きに「全ての人と平和に暮らしなさい。愛する皆さん自分で復讐せず神に怒りを任せなさい」とある。
人の心は、真剣に相手の立場に立って考えたとしても、理解できたようで分からないことが多い。まして途中で変わることさえあるのだから、その人の気持ちを理解できないと思うべきだろう。
だからこそ、自分が賢いものだとうぬぼれることなく、と言って何があっても無関心で関係ないとするのではなく、
「喜ぶものと喜び、泣く者と泣く」人間であることが大切なのかなと考えている。