波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

     思いつくままに  「老化現象」

2013-04-29 09:51:55 | Weblog
団塊の世代と言われていた人たちが65歳を超えたことで全国平均で65歳を超える人たちが3千万人を超すということになった。(つまり4人に一人は65歳を超えていることになる。)私もここ数年日々の生活での「健康管理」に特に気を遣っているつもりだが、具体的にどんなことかと言われると明解に説明できない。しかし冷静に普段の行動を分析するといくつかの特徴が見られる気がする。
①は「ぼけ」の兆候と言われる「物忘れ」だが、その延長線に予兆として、少しづつ
「寡黙」になる傾向がある気がする。こんな年齢になっても、色々な場面で発言したり、話す機会があるのだが、そんな時でも以前よりは黙っていることが多くなった。
自分の中で年齢的にその責任を果たすことに自信がないことが分かり、話すことに気後れがするので、つい黙ったままになるのだ。然し、そんな余り喋りたくないときでも義務として少し、会話を楽しむことを心がけたほうが良い気がする。
②は周囲の人や他人の存在が希薄になっていることである。自分の周囲で起きていることに前より鈍感になって、気にならなくなっている、逆に言えば自分が相手に迷惑をかけていても平気で行動することがあると言うことでもあるが、一つには耳が遠くなって
聞こえにくくなっていることも関係しているかもしれない。
その他にもともすれば何時までも一人でしゃべっていることに気付かなかったり、自分の書いたものや自分が作ったものをやたらに人に送りつけたり、渡したがって(読みなさいと強要する)様なこともあるかもしれない。
つまり、相手は「私」のことなど興味も関心もなくなりつつあるのに、そのことが分からなくなっていてそういう意識のブレーキが利かなくなっている状態である。
こう書いてきて、どれもそれほど特別悪いことでもないじゃないかと思いつつ、単に
善意の表れの一つとして「まあ、良いじゃないの」と気にしなくても良いかもしれないが、これだけ高齢人口が増えてくると若い人たちから「ボケ予備軍」にはかまっていられないと思われることもあろうから、当該者と思われる各人が夫々の「予兆」を
自覚し、注意することも必要かなと最近思いつつあるところである。最近近所の老人が
毎年「胃カメラ」検査をしていながら、今年の検査で「初期胃がん」を告げられていたが、どうしても免れられない場合もあるかもしれないが。

コンドルは飛んだ  第49回

2013-04-25 09:30:27 | Weblog
ドイツのケルン空港についてパリのドゴール空港を離れるまでの移動日をはさんで10日はあっという間の時間であった。辰夫は機中で好んで頼むカンパリをちびちびと飲みながら、この10日間を回想していた。南米のボリビアとは比較にならない世界を垣間見ることが出来たこと、それは長い歴史の中に生き続けている空間であり、又それを大事にしながら、その中に近代の新しい世界を築いていこうとするものであり、古いものと新しいものの同居である。残念なことに観光の時間が取れないことで、その新しさらしきものを確認できなかったが、東南アジアにはないものを見ることが出来たことに満足していた。特に印象に残ってまぶたに浮かぶのはケルンの大聖堂であり、ライン川の
悠然とした流れにたたずむ古城の姿、そして中華料理の店が何処の町に行ってもある
不思議さであった。(日本料理が簡単に食べられない場合のストレス解消には欠かせない。)
帰国して、その足で自宅へ直行し息子の様子を久子から聞くことにしていた。息子は長い治療とリハビリを終えて帰宅していた。しかしその様子は想像とは違って、片足は
松葉杖を離せない状態であった。その姿を確認して辰夫は励ましの言葉を躊躇したが、そばに寄り添っている彼女の姿に慰められていた。二人で力を合わせてこれからを生きていってもらうことを願い、自分は何がしてやれるのかと一人悩んでいた。
久子もそんな辰夫を見ながら「お父さん、心配してもしょうがないわ。二人に任せて見守ってやりましょう。」と笑っている。
その足で、本社へ顔を出す。知った顔もあるが、特別に親しくしている人もいない。所轄の事業部へ顔を出す。「岡本さん、ヨーロッパ調査お疲れ様でしたね。どうでした」
お愛想笑いの中に社の経費での海外旅行への羨望が滲んでいる。
辰夫はそんな空気を読みながら「いやあ、日本に比べると地味だよ。みんな質素に暮らしていると言う感じだね。仕事にも派手さはなく、費用対効果をしっかり計算しているようだった」意外な答えに部長の顔には何となく当惑した表情があったが、辰夫は
そ知らぬ顔で席を立った。常務に挨拶をしておかなくてはならないとアポを取ってあった。そこには何かしらのコメントを待つ気持ちが含まれていた。
挨拶と報告が終わり、別れる間際にもそれらしい言葉は出なかった。
辰夫は何となく、期待はずれの気持ちと疎外感を持たざるを得なかったが、約束の言葉を捨てることは出来なかった。

思いつくままに   「本音」

2013-04-22 09:52:31 | Weblog
私たちは毎日の生活の中で普段何事もない時は、割合に整った、言い方を変えれば
「よそゆき」の態度で過ごしていることが多いかもしれない。だけど少し自分の身の回りに変わったことが起きたり、予期していないことがあると普段のよそ行きの顔でいられなくなって自分本来の姿が出てしまうものではないでしょうか。
例えば、事故にあうとか、火事が起きるとか、病人が出るとかして、とっさの判断をしなければならないような時に、無意識に自分の本音が出ていることが多いのではないだろうかと思います。又、もう一つの場合は他人が不幸な場面に立たされているようなことが分かった時とか、自分が幸せな状態に置かれているときとかには、自分が気がつかないうちに「本音」が出ていることがあるのです。逆に人が非常に幸せになっている時には自分が中々素直に同じように喜べないことに気付きます。そして陰でけちをつけることさえあるのです。普段はその人のために親切なことを考えて話したりしているくせに、いざそういうことが分かると急に意地悪な態度になっていて、抑えようとしても我慢できない感情があるのです。
又、逆に人が不幸になっているのを見ると口では同情的に親切そうなことを言いながらも、その人が自分の力の及ばない相手だったりするとその不幸がうれしく思えることさえあるのです。だから何事もない時の人間の顔と言うものが本当かどうか、それは分からないと思うことが大事かもしれません。
人間と言うものは良いにつけ、悪いにつけ、このような存在だと考えて、これを避けることは出来ないのです。しかし、だからといってこのままで良いともいえません。
勿論、人それぞれに考え方、接し方に違いがあり交わり方にも色々あるのですが、その中で大事なことは人の力を超えた大きな存在、「神」の存在を信じているか、どうかということで人生が大きく変わるのです。人間が「愛」と言うものを知らないで生きているか、愛されて生きているのだと思えるかどうかを考えれるか、ということで生きがいが違ってくると思うのです。もう一度自分自身をみつめ、自分が一人であっても
一人ではないことを確かめてみることが大切だと思うのです。

コンドルは飛んだ   第48回

2013-04-18 11:29:18 | Weblog
フランスはパリに着いて、食事をしている。それは世界のどの都市と比較しても、引けを取らない一段と違った感慨を覚える。それは何処から来ているのだろう。たぶん小さい頃から目や耳に入っていた独特の憧れのような華やかさ、芸術と文化の香りを感じていたからだろうか。そして今、その場所にいるのだと思うと何となく胸がわくわくするものを感じないわけにはいかなかった。テーブルに出てきた白飯を懐かしく食べて終わると、辰夫は「明日の予定はみんな知っていると思うので、今日はこれでお開きとしてフリータイムとしよう。明日ホテルの食堂へ7時集合として今日はこれで解散さんとする。自由に時間を使うように」と言った。
数名の全員に何かほっとした、そして何かを期待するような表情が浮かんだ。何人かが「ここから凱旋門が近いから散歩がてらいってみようか。」と言うと、「じゃあ行って見よう」と歩き始めた。まだ夜とはいえ時間も早いせいか、人通りも多いし、通りに面した有名なブランドショップは光こうと輝いて美しい。
やがて凱旋門が見えてきた。嘗て歴史上で数々のエピソードを残しつつ現在も悠然とパリの市を見下ろしているが、その下を通過する。するとその先にコンコルド広場に出る。散歩を楽しむ人やカップルでの時間を過ごす人、年配の人、そして子供たちが思い思いにすごしている。一人が「帰りはみんな別々にホテルへ帰ることにしよう。迷わないようによろしく」と言う掛け声で全員が散った。
何しろ英語は通じないと聞いていたし(と言って英語で何でもしゃべれるわけでもないが)総じてドイツ人と比べると背丈は日本人並みに小ぶりでそれほどの違和感はない。
ただ道を歩いて気がついたことはイメージと違って、道路が意外と汚いことだ。道は古い通りほど石畳だが、至る所に「犬の糞」がちらばり、注意しないとその弊害にあうことさえあるぐらいで、すっかり冷めてしまい、パリの憧れはその瞬間消えた。
そして僅か一夜のパリ滞在は終わった。翌朝はこれも憧れの「TGV」の試乗である。
これも楽しみの一つだった。日本の新幹線に比べて優れている時かされ前評判も良かったので、期待していたが、これをおおはずれの感である。車幅が狭い感じがして、ゆったり感が感じられず、速度もそれほどではない。ゆれは普通であったが、これなら日本のほうが優れていると言えるのではないか。世界に誇ってもいいなと感じていた。
パリの市を離れると一気に野山の風景に変わる。ぶとう畑であったり、牧場のような風景が続いて当に農業国の雰囲気であり、そこにはルーブルの夢もなかった。

思いつくままに   「見たいものは見える」

2013-04-16 09:03:03 | Weblog
男と女は身体の構造から思考力に差があると思う。男は総じて想像力がたくましく、それにつれて考え方に幅が出来る気がするが、女性はあくまでも基本的には現実に即した考え方に立っている気がする。(女性でなければ分からないところもあるが、)
例えていえば男は「武士は食わねど高楊枝」の世界があるが、女の世界では「食わねば
高楊枝は使わない」ということであろうか。
しかし、人間として考える場合、その思いは別である。先日長く続いていた地元の老人会が解散となり、お別れ会があった。メンバーが80歳を超えて何時お迎えが来るかわからないままでは、継続に責任を負える人がいなくなったわけで、区切りをつけて終わったのだ。ある老婦人に一人息子がいたが、家庭を持って家を出てからは一度も母を訪ねて、家に帰ることがなかった。娘がその母を介護をかねて診ていたが、その母がある時、(それは死の間際であったが)娘に「息子が見舞いに来てくれたよ」と嬉しそうに語ったのである。来るはずのない事を娘は分かっていながら「そう、良かったわね」と
母に優しく答えたそうである。
ここで人は「見たいと強く思い、願っていることは見える」と言うことが分かる。
母は息子がどう思っていたかは関係なく、ずっと息子が会いに来てくれることを願っていた。
頭がやや、錯乱状態になっていたとはいえ、息子に会えたことは良かったと思わざるを得ない。
先日の新聞には地震学者の発表で断層の事実誤認があったという記事が出ていたが、これも思い込みによる錯覚の一つかもしれない。
この世の生活は全く思うように理想的に運ぶものではない。むしろ逆に考えて思っているようにならないもの、願っているようにはならないのが世の中だと考えていることが大切だと言う人もいる。
だからこそ、それを願うことが強くなることもあることは仕方のないことだと思う。
「見たいものが見える」「願っていることが叶う。」と思うようなことが、その結果として起きたとしても良いではないかと思う。
それは私たちには分からないとしても、その錯覚の現実は「神からの贈り物」として
素直に受け取れば良いのだから。

コンドルは飛んだ  第47回

2013-04-12 10:00:47 | Weblog
辰夫はヨーロッパでの印象を南米の生活といつの間にか比べていた。それはあまりにも違っており、歴史と文化の違いでこうまで変わるのかと言うことでもあった。
工場で使用されている原料の一部をこのドイツの工場から購入しているとあって、その工場見学をすることになった。ライン川に沿って山間の道を車で走ると、その山間のなかに古城が見えてくる。数百年前の地方の貴族を始め、その地方を治めていた王と称される人たちの遺跡であろうか。それは日本でも見られる地方の古城に似たもので、当に歴史そのものをうかがわせるものであった。ライン川は歌で歌われていて、何か独特の雰囲気を持った絵本に出てくるようなものを想像していたが、ごく自然なもので、むしろその悠然とした流れに圧倒される。ローレライのようなものも想像しようと思ったが、もっと現実的なものであった。
川のほとりに忽然と工場が現れ、そこへ立ち寄る。工場見学をした後そこへ一泊することになり、夕食のもてなしに預かる。特別な料理ではなく、芋を中心にした肉と野菜の料理であっさりとしたものであった。同席した工場の管理者と共に地元のワインやアルコールを飲むほどに、あけるほどに声が次第に大きくなる。何しろそうでなくても日本人に比較すればゲルマン族特有の体格は豊かであり、大きい。(それは男性よりも女性での印象が強く、スリムさのようなものは到底感じられない気がした。)
余談だが町の公衆便所へ入ると、日本人は小人用を使用することになる。なぜならば
通常の大人用では用を足すことが出来ないからである。
そんなわけで宴もたけなわとなると、彼らはボトルを振り上げ、肩を組み手を振りながらの合唱となる。これこそ彼らの醍醐味なのであろう。いつの間にかわれわれゲストも全員での大合唱のうちに宴会は終わった。
数日後はパリへ到着した。日本を離れて一週間が過ぎていた。慣れないたびと食事
そして言葉の違い、気候の違いなどでいつの間にかストレスが溜まり、体調を崩すものも出始めていた。
パリのホテルへ投宿し、夕食となった。とはいっても通常の夕食を取る事は考えられなかった。日本でのフランス料理と称するものとはいささか異なることと、経費的にも影響が大きい。辰夫はさすがに旅なれていて「この近くでチャイナ料理店を探そう」と提案した。不思議なもので世界中、探せば中華料理の店がある。中華であればどんなになれない日本人でも、何とか食事が取れる。

     思いつくままに  「能舞台」

2013-04-09 09:20:05 | Weblog
亡くなった母は元気で若かった時は人一倍多趣味なところがあった。茶道、いけばな
お琴。川柳と年齢と共にその幅は広がり、釣堀の釣り、パチンコと果てしない。その中に高齢になって習い始めた謡曲があった。父の取引先の知人が師匠で父はしなかったが、母はすぐ夢中になった。母が一人で習っている分には別に影響がないのだが、困ったことにその都度アシストのように私がその孫弟子のように習わされることであった。
好むと好まぬをよそに強制的に行動させられるのであった。
お陰で裏千家のお茶の作法や謡曲の何曲かを今でもうろ覚えに記憶が残っている。
謡曲を習っている時に能楽を知り、自分も仕舞いを舞ってみたいと思って師匠に聞いたことがあるのだが、残念ながら師匠は仕舞いは出来ないとあって断念した。
今になってこれらのことを思い起こすと日本の「古典芸能」と言われるものは「形」から入ると言うことが分かる。従って修行の基本はひたすら師の動きを真似て動くことだった。謡曲の場合も当然ながら師匠の謡いかたを真似ることである。つまり「口伝」である。意味などわからなくてもよいと言うか、教えることはない。ひたすら謡い、それを真似るだけである。理屈ではなく身体に徹底的に覚えこませることが伝統芸能の修行だと言える。その時思ったことは「形よりも心の持ち方」のほうが大切ではないかという疑問がわいた。つまり心が決まれば形も整ってくると考えるほうが正しいのではと言うことだったが、しかし、ある本に「形を整えれば自然に心も整う。所作を美しくすれば心も美しくなる」所作を疎かにしたのでは人の修行などできる筈はないというのが
禅の考え方だとあり、納得するところとなった。
肉体は嘘をつかないが、心はしばしば揺れるものであり、自己欲に負けることがある。
しかし、修練された肉体による習慣が出来ていれば基盤となって、そこに心が入ってくれば強固になると言うことらしい。
毎日の平凡な生活も手を抜かず、掃除、整理整頓を始め、自立した規律をしっかり守って過ごすことが健全な心が生まれ養われていくのかなと改めて自分の生活を見直して
見た次第である。
暖かくなって庭を見ると、いつの間にかチューリップ、モクレン、ムスカリ、ナデシコ
等がにぎやかに咲きそろっている。こうして冬を耐えた後の喜びを受けられることを
とてもうれしく思う。

 コンドルは飛んだ  第46回

2013-04-05 16:03:27 | Weblog
専務の何時にないにこやかな表情を見て辰夫は内心ほっとしていた。今日の話は悪い話ではなさそうだ。そう思うと少し気持ちにゆとりが出来て「今日は特製のコーヒーを入れようか。」と言うと自分でコーヒーメーカーを棚から取り出した。めんどくさいのでめったにしないのだが、今日は特別だった。いつもと違う香りを二人は楽しみながらコーヒーをゆっくり味わう。「どうだい。いつものインスタントとは違うだろう」と社長も満足げだ。「いや、大した事じゃないんですけど、先日ヨーロッパのユーザーを管理している商社の人から連絡があって一度、メーカーとしてお客さんへ挨拶を兼ねて訪問されたらいかがですか」と言う打診があったんですよ」「そうか。あのD社さん?」「そうです。D社はドイツのフランクフルトに店があり、そこからの依頼らしいですよ。」シンガポールの工場の製品が今、ドイツ、フランスのユーザーへ出荷されているのは知っていたが、まだ行ったことはない。「少し落ち着いたことだし、品物も安定してきたことなので、今ならちょうど良い時期かと思って相談して、よかったら出掛けたらどうかと」
辰夫に異論はなかった。そうでなくても田舎で燻っていることに忍耐をしている毎日である。まして海外であれば水を得た魚だ。きっと元気が出るに違いない。
今まで自分が出かけたところはニジェール、ボリビア、チリー、メキシコなどどちらかと言えば都会ではない。世界は広い。一度訪ねてゆきたいものだと内心思っていたが、
突然のようにその機会が来た。「それは良い話だね。是非、この際いってみようじゃないか。君たちも苦労したのだから、一緒にどうだ。東京の部長も連れて行こう」話は即決だった。「専務、スケジュールは任せるから早速準備と段取りをよろしく頼むよ。」
辰夫の念願はここにあった気がした。東京への転任の事もあったが、岡山での苦労がこんな形で報われるとは思っていなかっただけに嬉しかった。
そしてその時がきた。旅程としてはドイツ、フランスと3社のユーザーを訪問して工場見学と今後の打ち合わせだった。観光旅行ではないので、観光地はないがその移動日と移動の途中には各都市を回ることになる。初めてのヨーロッパはやはり励みになった。
ケルンは静かな都市でそこではユーザーのオーナー夫妻の公式夕食会があった。
工場は地味で規模もそれほど大きくないが、研究室を少し大きくしたような場所で地道に製品が作られていた。

思いつくままに   「プロ野球開幕」

2013-04-02 09:03:27 | Weblog
色々なスポーツがあり、夫々の良さ楽しみ方があるが、小さい頃から慣れ親しんだプロ野球は親しみがあり、特別な思いがある。若い時には「アンチ巨人」を自称していたが、歳を取るほどに拘りがなくなり、今は各チームを冷静に見られるようになった。
そんな所から私も一ファンとして今年のペナントを予想してみたくなった。
昨シーズン終了と共に秋のキャンプ、そして2月からのキャンプ、そしてオープン戦
を消化しながら新戦力を整え、強化し、若手の育成そしてけが人の発生も抱えながらスタートしたわけだが、どのチームも100%の仕上がりとはいかなかったようだ。
さて、セ・リーグだが、①位の巨人は動かないようだが、②阪神③広島④ヤクルト
⑤DNA⑥中日は僅差で殆ど差はないと見た。従って僅かの変動要因で順位は変わる展開で興味深い。パ・リーグは①ソフトバンク②日本ハムは僅かに他のチームより戦力が整っている気がするが、③楽天④オリックス⑤西武⑥ロッテとしたが、上位2チームを除けば混戦である。中でも投手陣を如何に整備して力を発揮させることが出来るか、打撃は厚みと迫力がほしいが、一年間の長い間に波もある。やはり投手力のウエイトが高い。そして混戦になれば成るほど、監督、コーチの手腕が問われることになって、その力量が分かるのではないかと思う。そして今年は新人の活躍から目が離せない。
若手の中から突出して成長して「おお化け」する選手が出てくることを期待したい
どちらにしても両リーグとも、ずば抜けて強いチームがないだけに混戦が続くような気がして、例年より面白くなりそうな気がしている。
又、全チームが5割の勝率で争う形が、一番面白いドラマが毎日見られることになるわけで理想だが、予想は「よそうよ」というしゃれではないが、当たらなくても良いのだ。むしろ予想をまるっきりひっくり返すような展開こそが楽しいのだ。昔から
「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と言うではないか。
折りしもさくらは満開、並木の下を歩くと桜の甘い香りが風に乗って鼻をくすぐる。
やっと暖かい春がやってきた。今年も健康で一年を楽しく過ごしたいと思うこのごろである。