波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

           オヨナさんと私    第58回     

2010-01-15 11:19:16 | Weblog
美術館(エムオーエー)を出てぶらぶら坂を下りて行くと海岸へ出る。景色が一変し、目の前一面に海が広がり、爽やかな風が頬に気持ちが良い。昔は人通りも多く、賑やかであったろう温泉街も人影もまばらで昔の面影も無い。すると目の前に唐突に、場違いな大きな松ノ木が見えてきた。そばに寄って見てみると句碑とお宮の松の看板があった。
尾崎紅葉の作になる「金色夜叉」の主人公である貫一、お宮のクライマックスになった場所のようだ。とすれば現在もうもうとほこりっぽい道をダンプカーが走っているこの道は、当時三保の松原のような美しい海岸線で男女の出逢いやデイトスポットとして人気の場所であったのだろう。其処に作られている像は芸者姿のお宮とそのお宮に足蹴にしようとしている貫一の学生姿があるのだが、果たしてそんな事を考えてこの場所に立ち寄る人がまだ居るのだろうか。「明治は遠くなりにけり」を見た思いであった。
そこに4歳ぐらいの子供をつれた、まだ孫とするには少し若い婦人が居た。守りなのか、散歩なのか、あちこち動き回る子供を追いかけている。オヨナさんも片隅に腰掛けて休憩をとることにした。その内、おやつと飲み物を持った子供は婦人のひざで居眠りをし始めた。
「この子の親が仕事で働いている間、私が子守をしています。」「そうなんですか。大変ですね。ここへは始めて来ましたが、お宮の松もお客さんを呼べなくなったようですね。」
「そうですね。もう興味がある人もなくなったようで、立ち寄る人も殆どなくなりましたし、分る人もいないんじゃないでしょうか。」スケッチブックを取り出したが、描く意欲も無く居ると「ちょっと、お聞きしたいことがあるんですけど」と話しかけてきた。
婦人の娘は二年ぐらい前に離婚したらしい。経済的な困窮が原因らしい。お互いに納得して協議離婚だった。養育費をいくらか貰うことになっていて、最初の頃は毎月送ってきていたが、そのうち自分の生活が苦しくなってきたのか、送ってこなくなり、話も途絶えてきた。
孫のために少しでもお金が欲しいのだが、何とか方法は無いものでしょうか。と言う相談だった。弁護士のところへ行って相談しなさいと言えば簡単に済むことであったが、それでは
木で鼻をくくった返事になってしまうと、思い直した。「父親であることに変わりは無いのですから、養育費の義務はあります。だから苦しい中からでも少しづつ貰うことは出来ますよ。手続きは近くの家庭裁判所へ行けば教えてくれますよ。」と説明した。
子供が目を覚ました。お礼を言いながら帰る婦人を見送りながら、少し淋しく感じる熱海の町とが重なって見えた。