「私は弁護士でも法律家でもないので」と前置きしながらオヨナさんは冷静に話を整理しながら考えてみた。この話はまず親同士の責任はいえないことだ。
けんかの原因やきっかけも双方の話を公平に聞かないと良く分らない。普通はこんな場合、喧嘩両成敗といって双方の責任とするのが常識とすれば治療にかかる費用も法的には請求できるか、どうか判断しにくいところだ。
大げさにするなら裁判所へ訴えを起こすことも出来ないこともないが、必ず、こちらの希望通りになるとは限らないだろう。
親に請求することも出来るが、払わないと言われればそれまでである。それよりも大事なことは二人の娘さんのこれからのことであろう。
「お気持ちは分りました。治療をつづけている娘さんのことを思えば相手にその痛みを訴えたいことでしょうけど、将来のことを考えてみてください。
二人は友達です。出来ればもう一度仲良くなってもらいたいと思いませんか。二人の人間関係は続くのです。いつか二人の間で気づいてお互いに認める事が出来て
何時の日にか二人が仲直りすることを願いたいものです。
だから、ここではこのまま静かに時を待ちましょう。」
母親はオヨナさんの話をどこか納得のいかない表情で聞いていたが、黙って帰っていった。今更ながら人間の争いを悲しく心を痛めて考えていた。
誰がどんな争いでも正しく裁くことが出来る人が居るのだろうか。(法律で裁くことは別としても)
「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい」何時か読んだ本にこんな言葉があったことをオヨナさんは思い出していた。
それから暫くお天気の悪い、寒い日が続いていた。外出の出来ない日が長くなると何となく、淋しくストレスがたまる思いで居たが、ようやく暖かい日が戻ってきた。久しぶりにスケッチブックを持って近くの寺の庭に行く。ここは四季折々に色々な草木が楽しませてくれるのだが、この時期は紅葉である。その木々の色合いは木によって少しづつ色合いが違いオレンジから、赤、そして真紅とまだらにその美しさを見せてくれる。はらはらと風に吹かれて落ちてくる風情もまた格別である。その中にたった一本「寒牡丹」が花をつけているのに気がつく。
今年も一年間、いろいろな花を楽しませてもらい、いろいろなことがあったことを思いながら紅葉の中に身をおいてスケッチをする。
オヨナさんの至福のときである。
けんかの原因やきっかけも双方の話を公平に聞かないと良く分らない。普通はこんな場合、喧嘩両成敗といって双方の責任とするのが常識とすれば治療にかかる費用も法的には請求できるか、どうか判断しにくいところだ。
大げさにするなら裁判所へ訴えを起こすことも出来ないこともないが、必ず、こちらの希望通りになるとは限らないだろう。
親に請求することも出来るが、払わないと言われればそれまでである。それよりも大事なことは二人の娘さんのこれからのことであろう。
「お気持ちは分りました。治療をつづけている娘さんのことを思えば相手にその痛みを訴えたいことでしょうけど、将来のことを考えてみてください。
二人は友達です。出来ればもう一度仲良くなってもらいたいと思いませんか。二人の人間関係は続くのです。いつか二人の間で気づいてお互いに認める事が出来て
何時の日にか二人が仲直りすることを願いたいものです。
だから、ここではこのまま静かに時を待ちましょう。」
母親はオヨナさんの話をどこか納得のいかない表情で聞いていたが、黙って帰っていった。今更ながら人間の争いを悲しく心を痛めて考えていた。
誰がどんな争いでも正しく裁くことが出来る人が居るのだろうか。(法律で裁くことは別としても)
「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい」何時か読んだ本にこんな言葉があったことをオヨナさんは思い出していた。
それから暫くお天気の悪い、寒い日が続いていた。外出の出来ない日が長くなると何となく、淋しくストレスがたまる思いで居たが、ようやく暖かい日が戻ってきた。久しぶりにスケッチブックを持って近くの寺の庭に行く。ここは四季折々に色々な草木が楽しませてくれるのだが、この時期は紅葉である。その木々の色合いは木によって少しづつ色合いが違いオレンジから、赤、そして真紅とまだらにその美しさを見せてくれる。はらはらと風に吹かれて落ちてくる風情もまた格別である。その中にたった一本「寒牡丹」が花をつけているのに気がつく。
今年も一年間、いろいろな花を楽しませてもらい、いろいろなことがあったことを思いながら紅葉の中に身をおいてスケッチをする。
オヨナさんの至福のときである。