波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

パンドラ事務所    「最終回」

2014-05-30 10:47:40 | Weblog
青山は秋葉原の事務所を閉めることを決心した。この三年間ここへきて日々を過ごしてきたが、
正直、疲れを覚えるようになっていたからだ。
最初のころは世相を垣間見る事に興味と関心があり、その場に自分をおいてみて自分の存在感と自分の役目を見ることに意欲を覚えていた。確かに幾らかは隣人のために何らかの役目が果たせたこともあったかもしれないし、何の役にも立っていなかったかもしれない。
そして自分一人だったら考えることもなかった現実の色々な問題に接して自分をその場において共に悩み共に考え共に問題を解決することに参加してみたのである。
結論から言えばそれは究極の解決にはなっていなかったし、仮に解決したかに見えたとしてもそれは一時的なものであったと思うし、本当の解決とは言えなかっただろう。
問題は誰かに援助を求めるのではなく自らが苦しみ、悩み、痛みを感じながら解決へと進むことが大事であり、それを継続することが大事な事であろうと思う
人生は所詮儚いものであり、どんなにきらびやかでセレブに見えたとしても、或は楽しく過ごした時間であっても又美しく見えたとしてもそれは束の間の短い時間でしかないのだ。
その実態は苦しみと悩みと忍耐と努力の連続の合間の事でしかないような気がする。だから人はそれを追い求めるのではなく、もっと現実を深く見つめてその最奥に潜んでいる心の平安に結ばれるものを追い求めなければならないのだと思う。
人生には様々な場面、問題が日々起きるものである。そのどんな局面におかれても冷静に正しく、そして人間らしく堂々と立ち向かうことが出来る準備をすべきだと思うし、その備えを必要とするだろう。
今、静かに自分の部屋に立ち返り、窓から見える川辺を眺めながら青山はロッキングチエアーにゆっくりと座り静かに座っている。
これからは人ではなく、まだ見ぬものを求めて生きていきたい。それがなんであるか、そこから何が示されるのか、全く予想も何もわからない。然しそれが何であれ、それが問題ではないのだ。むしろ
そこから示されるものを、深く思いめぐらしていきたいと思い始めていた。
傍のデスクには「聖書」が置かれていた。

    思い付くままに  「昼下がり」

2014-05-27 09:18:54 | Weblog
思いがけなく日曜日の午後、あまり行ったことがない大井町まで出かけることになった。
昔は重要な要件でもないことで出掛けることに抵抗があったが、この年齢になってあまり出掛けることがない日々になると何処でも出かけることに関心が起こる。それは普段受けることのない生活の変化と刺激のような好奇心が呼びさまされるからかもしれない。
人形町の甘酒横丁は毎日のように人通りも多く、昔からの老舗が人を集めて楽しい。
新橋の地下街が昔の面影が全くなくなり、すっかり近代的な雰囲気の店が並んでまばゆい限りだ。浜松町で乗り換えて目的地の大井町に着く。地図を頼りにあちこちきょろきょろしながらぶらり歩きになる。目的地の場所に着く少し手前に小さな公園を見つける。少し時間もあったので
涼しげな木陰のベンチに飲み物を持って休憩することにした。
すると隣のベンチに母子連れがお昼をしている。3歳になったばかりの女の子と生まれたばかりの赤坊である。パンくずを投げて鳩を追いかけている女の子の母親に話しかけると知己を得たように話してくれる。「三歳になる娘が赤坊に話しかけると、何時でもにこにこと笑って楽しそうなのに私があやしてもにこりともしないの。憎らしいくらいですのよ」と真面目に言っている。公園には同じように諸学校に上がったばかりの子供たちが親と一緒に思い思いに遊んでいる。「平安」人間はこの世の生活を続けていく上で様々な苦悩が付きまとうことになる。そしてそれは生きている限り続くのだが、その中でも「死」につながる病は一番大きい存在かもしれない。その他にも家族内の人間関係であったり、経済的な問題、そして男女関係の争いなどもあることだろう。いずれにしても考えたくはないが心にかかり気になることが無くなることはないはずだ。それは終わることなく付きまとうのである。
そんな毎日の中にあって何もかも忘れてこんな平和で安らぎを覚えることのできる時間があることを知らされたのだ。その恵みを私も思いがけなくあずかることが出来た。そしてしばらくの間すべてを忘れて憩い、まどろむことが出来たのである。
厳しい現実が続くこの世であるからこそ尚更に価値がある。そこには人間の「優しさ」があふれ
この世の平安に満ちているからである。

   パンドラ事務所   第八話  その6

2014-05-23 10:22:22 | Weblog
その日の話はそれで終わった。これ以上話を続けても意味がないと分かったので、青山は帰ることにした。そしてこの話はこれで終わった事として済ませることにした。婆さんにこれ以上話しても納得させることが出来る自信がなかった。やっと静かなもとの生活に戻りほっとしていた矢先に例の婆さんからまた電話があった。とにかくどうしてももう一度会って話がしたい、こちらから東京まで出かけても良いが足が不自由なので、何とか頼むと言われてしまった。
青山は気が進まなかったがこれも人助けかと気持ちを切り替えて、出かけることにした。
新緑の季節とあって郊外に出かけるには絶好であり気分もさわやかである。こんな事でもなければ出ることもなかったかもしれないとすっかり気持ちも軽くなっていた。
「青山さんごめんなさいね。わざわざ遠くまで来てもらって」とお茶を入れながら話し始めた。「あれだけ心配かけたもんだから申し訳なかったという気持ちとどうしても報告したいことがあったもんだから」と言う。悪いことでなければと心配していると「あれから一か月ほどしたときに議員の先生からまた電話があってね。封筒貼りの仕事を4000枚ほど頼まれたの、前にもやったことがあるので、いいわよ持っていらっしゃいとその仕事をしたらお礼にとウナギをご馳走してくれたの。その時食事が終わったら先生から改まって先日は大変失礼な事を言って悪かったと丁寧なお詫びの言葉が出たのよ。びっくりしてどうしたのといったら、あなたにあんなことを言うつもりはなかったのだが、他に言える人もいなくて自分の気持ちを抑えることが出来ず、つい口走ってしまったのだ、申し訳なかったと頭を下げられたの」
やっぱりそうだったか。青山は自分が考えていたことが間違っていなかったことにほっとしていたが、それ以上に婆さんの顔はほころんでいた。「私はそれを聞いてすっかり気持ちがすっきりしたよ」「そりゃあ、良かったですね。あなたに甘えていたんですよ。なんだかんだと言っても
長い間の信頼関係があるんですものね。これでゆっくり眠れますね。」というと、
「あなたの話で納得していたつもりだったけど、こうして先生から言われるとこれで胸のつかえがなくなったようですっきりしました。」といかにもほっとしたようだ。
「青山さん、お礼と言うのも恥ずかしいけど新潟の土産を持って帰ってください」と言いながら新潟特Aコシヒカリと笹団子を持たされた。
東京までこれを持って帰るのかといささか荷が重かったが、これも婆さんの気持ちだと思い直して帰ることにした。

思い付くままに   「母の日に思う」

2014-05-20 15:48:06 | Weblog
今年も母の日がやってきた。最近はあまり大きく騒ぐこともなかったようだが、アメリカを中心に世界中の母が子供たちから注目を集めたことは間違いないと思う。ましてキリスト教の教会ではこの行事を大きく取りあげてカーネーションの花を贈り物にしているが、これはあるクリスチャンの家庭で亡くなった母をしのんで生存中大好きだったこの花をこの日のシンボルにしたことから始まったと聞いている。アメリカではこの日を国の祝日として決めているが、日本でも90年ぐらい前から、取り上げて行うようになった。
ある日、電車に乗ってきた母親が乳母車に乗っている子供をあやしている姿を見た。一生懸命に静かに過ごそうと母親が子供の面倒を見ていたが、その姿を見ている内に私まで心が癒されているのに気づいていた。そしてそんな光景を見ている内に忘れかけていた亡き母の事を思い出していた。私が生まれて間もなくお産の時に取り上げてくれた助産婦が家の近くを通りかかり、赤ん坊の様子が見たいと申し出た時、私の母は素っ気なく(何を思ったのか、)「今、お昼寝でとても気持ちよく寝ていますの。また今度にしてください」と言って断ったのです。さすがにそれを聞いた産婆さんは気を悪くしてそれから二度と来なかったと後で聞かされたことがある。そ
(真偽のほどは分からない)私と上の兄との間にいた姉を小さい時に亡くしたという事があった所為とも聞いたが、それほどに母親の子供に対する愛情は本能的であり、無条件なのかもしれない。そんな母親も老いてくると逆転して子供が母親を負うことになり、「戯れに母の軽さに驚きて三歩歩めず」となるのだが、何時の時代になっても母と子の世界は形を変えて続くものであろうし、母の子に対する気持ちは永遠であり、純粋であり続けるのだろう。
今は額縁の中にいる母の写真を眺めながら忘れかけていた母の在りし日の日々を思い出して
自分自身の小さい時のころを思い出して、感慨にふけることのできる時間でもあった。
大事な事は贈り物ではなく、親を大切にして尊敬の念を忘れないことにあるのだろうが、親もまた子供の前で恥ずかしくない姿でありたいとも思う。
とかく最近ではその境界が薄れ自分は自分と言う思いでお互いにぶつかることも多いと聞くことが多い。この日を機会にお互いを見つめある時間とするのも良いことだと思うがどうだろうか。

   パンドラ事務所   第八話  その5

2014-05-16 10:03:43 | Weblog
婆さんは話しながらお茶を飲み、のどの具合が悪いのか薬を飲みながら何かぶつぶつ言っている。「ほんとにしゃやけるよ」と。新潟弁らしいが意味がよく分からないが、悔しいとか、腹が立つとかそんな事だろうか。「大体の話は分かりました。これから私が話すことが正しいかどうかわかりませんが、私の考えを説明しましょう。議員の先生があなたのことを信頼して頼りにしていることは間違いないことでしょう。また、病気になった婆さんの事も良く知っているのでしょう。そしてその時電話で頼まれたことについても真剣に受け止めて救急車の手配、病院への手配、懇意にしている医者への口添えをしてくれたことも本当でしょう。
そしてそれがあなたへの批判のような悪口に変わったのはあなたへの直接の言葉ではなく、病人の家族の態度にあったのだと思いますよ。退院したことも知らされず、ましてそれだけ世話になりながら何の挨拶もないという事は普通では考えられないでしょう。本当に急病の病人を抱えて困っていた時に助けてもらったわけだから、退院して落ち着いたら家族からお礼の挨拶があっても良いと思っていたと思いますよ。それをあなたに退院の話を聞くまで知らなかったんだから、先生も「あーそうだったの」だけでは済まされない気持ちだったんじゃないですか。
議員の先生ともなれば自分のプライドもあるし、病院や口をきいたところへの挨拶もあることでしょうし、彼としては大人の常識として考えていたことでしょう。そのことについてお礼のあいさつもないことに切れて我慢が出来なくなって、そのとばっちりがあなたへの言葉となったんじゃないでしょうかね。」
青山の話を黙って聞いていた婆さんは分かったのか、分からないのか、まだ納得しているようではなかった。「寿司屋でご馳走になったまでは良かったんだけど、その後急に立ち上がって
真剣な顔つきで婆さん言いたいことがあるんだけど、言ってもいいかって言うから、あー良いよ。何でも言いなさいって言ったら、この婆あって言い出してね。私は何でこんなことを言われ
なければいけないのかと腹が立つやら、情けなくてね。」と又、振出しに戻って同じ愚痴を聞くことになってしまった。
青山はこれは一度間をおいてすこし時間を稼がななくてはどうにもならないと、話を変えることにした。
「その時お寿司屋さんで何を食べたの。」「私は茶碗蒸しが好きでね。その時、二杯もたべたよ」と屈託ない。

思い付くままに    「まんま、くったかい」

2014-05-13 09:45:14 | Weblog
その日は毎月行っている歯の検査の日であった。予約時間が午後の2時だったこともあって、
1時30分を過ぎたころ、散歩を兼ねて出かけた。春の暖かい日差しが心地よく家の庭の
モクレンもようやく花をつけて私の心を慰めてくれている。
道の途中でばったりいつもの「ババとも」に出会った。手に荷物を持ってどこかへ買い物にでも出かけた帰りなのだろうか。不自由な足が曲がっていて痛々しい。
「こんにちわ」と挨拶すると、いきなり「飯食ったのかい」とかえってきた。「えー」と思いながら「済ませましたよ」と言うとほっとしたかのように「そうかい」と言って別れた。
いつもの検査を済ませて家に帰り、そんなことがあったことを忘れていたが、その日寝る前に
なって不図その日の事がよみがえり、あの言葉が心に浮かんだ。
「ババとも」が無意識に言った言葉なのだろうが、何時も一人でいる私の事は知っていて気にしていたのかもしれない。ちゃんと食事をしているのか、そんな事を気にしていたのかもしれない。その気持ちが咄嗟にあの言葉になったのかもしれない。
そうでなければ、道でばったり会ったとたんに、直ぐ出ることはないだろうと思えるからだ。
私はあの言葉をもう一度かみしめながら、胸が熱くなるのを禁じ得なかった。
その言葉は計算でも、思い付きでも、お世辞でもない。裸の真実の言葉だと思えたからだ。
真実な真心がそう言わせたのであり、いつも気にしていたからこそ私の姿を見た時に出たのだろう。そうでなければ出る言葉だとは思えないからだ。
人は他人の事よりまず自分の事を思い無意識に行動するものだ。全てが自分中心であり、自分が何でもできると考える。だから本当の姿が見えないことが多い。まして他人の気持ちや心を思いやることはなかなかできないものである。(そのことが悪いと言っているのではない。ごくあたりまであり、普通であろう。)
一日は自分中心の時間で過ごされるのである。だから自分以外の人への気遣いはごく限られた人と時間になるのも仕方がないことである。
しかし、こういう言葉で心を和ませ温かい心を生み出してくれることもあるのだと反省と共に
考えさせられたのだ。常に自分より隣人への気遣いが生み出したのだと思う。
人間として大事なことだと勉強させられると同時に「あなたも隣人を自分のように愛することが出来るか。」と問われているような気がしたのである。

パンドラ事務所    第八話  その4

2014-05-09 16:21:38 | Weblog
「私は先生が怒って言った言葉の意味がよく分からなくてね。それからと言うものはそれを考えるとよく眠れなくてね、どう考えてもどうして私がそんな事を言われて怒られなくてはいけないのかと思うと悔しいやら、何故だろうとか」青山はここまで話を聞きながら分かった事は友達の婆さんのために良かれと思って先生に頼んだことが原因の一つであることは間違いないことだと思うが、どうやらそれだけではないようだ。それは先生が別れ際に婆さんに言った、これからは
もうその人には出来るだけ関わりを持たないように付き合わないようにしなさい」と言う言葉にあると考えた。何故そんな事をわざわざ行ったのだろう。その理由については触れていない。
その病人の婆さんとは長い友達として、お付き合いをしてきたなかであった。まして女同士で
の話は愚痴であったり食べ物の話であっても楽しいものであり、トラブルのようなことは一度もなかった。そんな二人の仲を裂くようなことを先生はどうしていうのだろう。
これからも元気になればお互いに行ったり来たりすることになると思うのに、「かかわりを持たないようにしなさい」とだけ言われてもどうしたら良いかわからない。
まして「もう来ないで」と鍵をかけて締め出すようなことは出来ないと思うのだった。
青山は話を整理するために、救急車を呼んで病院へ行くように指示した夜の様子から整理をしてみた。確かに呼ばれていった友達の婆さんの様子は尋常ではなかった。だからおろおろしている子供たちに自分が余計な事と思いながらとっさに命令したことは事実だった。
そして病人は病院で手当てを受けて入院して無事に退院できたことも事実であった。
ここでわかっていないことは議員の先生が病院へどんな手配をしてくれたのか、そして病院の先生と議員の先生との間でどんなやり取りがあったかという事である。
常識的に考えればこうして何とか退院できて落ち着いたとすれば病人の家から議員の先生へ何らかの挨拶があったかどうかという事かも知れない。
そういえば、「退院したことも知らなかったよ」と寿司屋で話していたことを思い出していた。
そこまで考えを整理してみると、青山には何となくひらめくものがあった。議員ともなれば例えどんなに地方であってもいささかのプライドやメンツもあることだろう。
まして病院への世話、先生への口利きもしたとあればそれなりのやり取りもあった事だろうと察しが付く。それが退院したことも知らなかったとあってはメンツ丸つぶれもいいところだったとしか言いようがない。

思い付くままに    「ゴールデンウイーク」

2014-05-06 10:15:53 | Weblog
今年も好天に恵まれてGWを迎えている。小学生、中学生の子供たちを中心に家族そろっての
エンジョイを共有する時間を持つことはコミュニーケーションが普段とれてなくても、この時ばかりは全てを忘れて気持ちを合わせて喜びを分かち合うことが出来る、それだけでも意義があり、大切な時間ともなる。然し高齢者にはGWは違った意味を持つ。
身体を動かすことの不自由さとその後の疲労の影響を考えるとこの期間に行動することにメリットを感じるより、負担の方を考えてしまうからだ。
だから、この時に頭に浮かぶことは過去の若かりしときに家族と共に過ごした思い出であり、その時の家族の一人一人の姿である。
然し同時にこの期間に過ごしたことが何の意味があったろうかと言う疑問もある。それは単に時間と金の浪費だけに終わっていないか。という事である。
遊ぶこと、楽しむことだけに心が一杯になっていて、何も考えず何も思っていないと何も残らないことになる。何らかの「目的意識」があっても良いのかなともおもえる。そうでないと親は子供に約束を果たしたという事だけで、時間と経費を無駄に浪費しただけになっていないだろうか。そうでなくても人間は知らず知らずのうちに年齢を重ねて老いていくものである。
そして過去を振り返り、その場面を振り返りそこに思いをはせるものである。
考えようによって日々がGWとも考えられる。「今日」をどのように楽しみ、喜びと感謝の日にするかと考えるとき、その一日は新しい一日として考えられる。
私の周りにもこの時間を本当に大切に過ごしている人が何人いるだろうかと考える。むしろ
自分自身の肉体的精神的な欠けや病のためにその日を十分エンジョイできないで、もんもんと
悩みつつ終わる一日を過ごしている人のどれだけ多いことか。
そんな事を考えると、人が生きている時間、生かされている時間をどれだけエンジョイできるか、しているか、それがGWの本来の目的につながるのではないかなと思う。
決められた特定の期間、特定の時間だけでなく、日々のどんな時間であってもその時をGWとして生かすこともできるんだ、何処にいても、何時でも、何をしていてもという事ではないだろうか、何も特別な期間、特別な時間だけがGWとすることではないのではと思う。
もしそうであれば、「その場限り」「その時だけ」の人生であり、楽をしたときだけの自分であったりしてしまいそうである。
毎日が「GW」とすることが出来るようにしたいものだ。

  パンドラ事務所   第八話   その3

2014-05-02 12:03:31 | Weblog
婆さんの話は続く。何しろ話好きでそれはストレス発散であり、ある意味楽しみなのかもしれない。「それで話が済んだと思っていたら、ある日わたしがその時世話になった議員さんから電話があったんだよ。選挙の時やなんかで封筒はりやビラはり、その他お手伝いをしていたこともあって、私の事をお母さんお母さんと言ってくれて頼りにしてくれるもんだから、わたしもそのきになっていたんだがね。時々電話をよこして今日は寿司でも食べに行きませんかと誘ってくれたんだよ。そんな訳でその日も迎えに来てくれた車で寿司屋へ行き、好きなものを食べなさいと言ってもらってご馳走になってそれで帰るのかと思ったら、その先生が急に態度を変えて「一言言いたいことがあるんだけど言わして貰っていいか」と言い出したんだ。私は少し驚いたけど
何も悪いことをした覚えもないので、「何でも言いなさい」と言ったら、立ち上がって「このくそ婆、お前が余計な事を言ったから俺は恥をかかされたんだ」と言ったんだよ。
私は何の事だかわからなくてね。その場はああそうかい、それは悪かったね。と言って終わったんだけど、良く考えても心当たりはないし、何で私がそんな事を言われなきゃあいけないのか、それからそのことが頭を離れなくてね。夜もゆっくり寝られないんだよ。」
私は話を聞きながら、大変なことに巻き込まれるんじゃないかと心配になってきた。余計な事を言わないで帰りたかったが、このままほっとくわけにもいかない。
「もう少し詳しく話を聞かないとよく分からないけど、もう一度話をゆっくり聞かせてもらえませんか。」と落ち着かせた。
「私が先生に電話でお願いしたのはその近所の婆さんが具合が悪くなって、子供たちもおろおろしているだけだったから、見るに見かねて病院の世話と施設のお願いをしたときだけだったんだよ。だからそれが先生に迷惑をかけたとしか考えられないんだけど、それが悪かったのかねえ。」「それだけじゃあなさそうですね。」「そういえば、その時先生はもうその婆さんとはかかわり持ったり、付き合ったりしないようにしなさい。余計な世話も焼かない。そんなことも言ってたわ。」「そうですか。それは何か意味がありそうですね。」青山はしばらく考え込んだ。まだ何かありそうだ。もう少し状況証拠を調べたほうがよさそうだ。
「他にも何か聞いたこととかありませんか。」と聞いてみる。
すると、また考え込んでいたが、「そういえば、その後病人は退院して家で療養しているんだけど、その子供が家に来てね、あまり騒がないでくださいと言ってきたよ。私は腹が立って、
何を騒ぐことがあるんかねといいかえしたけどね。」