波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

波紋   第9回

2008-07-28 12:02:08 | Weblog
加代子とはまだ特別な感情まではなかったが、二人でいる時間は楽しかった。自分も
少しづつ飲みながら相手を嫌がらないでいてくれる事がとても気持ちを楽にさせてくれることが分り始めていた。彼女はいつも明るかった。家が新聞販売店で家族揃って仕事をしているらしい。家族も多いがとても仲がよい事が分る。だからどんな話題でも明るく暗くならない。そんな彼女と話していると疲れていやなことがあった日でも元気を貰うような気がしていた。
容貌は目立つほどの美しさは見られないが、返ってそれが彼を落ち着かせていたのだ。
「そこでだ。ここでお前さんも管理職になることだし、大人の貫禄つけるためにも東京へ帰るときは一人でなく嫁さんを連れて返ることにしたらどうだ」中山は感情を抑えながら出来るだけ冷静にゆっくりと話しかけた。黙って聞いていた松山は暫く黙ったままだった。アルコールが少し入り身体が少しづつ温まり、緊張感もゆるみ何となくゆったりとした気持ちの中で今聞いた上司の言葉を噛みしめていたのである。嬉しかった。会社にはいろいろな人がいたが、高校卒の自分が何となく惨めに思えてくじけそうになることもあった。口もそんなに上手じゃないし、目立った行動も苦手である。そんな自分のことをこんなに心配してくれていたことが分り
ただ「ありがとうございます。」ただけ言うのがやっとであった。
急に飲むピッチが早くなった。今の言葉で少し興奮して気分が高揚してきたのだろう。でも言葉のほうは逆に重くなり返って口数は減っていた。
「ところで好きな彼女は見つかったかい?」追い討ちを掛けるように痛いところをつかれて益々何も言えなくなっていた。
「それがなかなか見つからなくて」と口ごもっていると「パートで来ている彼女と時々飲んでいるようじゃないか。彼女とはどうなんだい。」ずばっと遠慮のない上司の言葉に「知ってたんですか。彼女とは冗談言いながら酒を付き合ってもらっているだけでなんでもないんですよ。」「そうか。それじゃあ、私からお前のことをどう思っているか聞いてみるよ。断られるかもしれないがな。何しろノンべのお前のことだから、まして千葉の田舎じゃいやと言うかもしれないな。」
話はそんなところで終わった。二人はいつもどおり、食事をして店の前で別れた。
会社で借りている一人用のアパートへは電車で30分のところにあった。
その夜、和夫は興奮と、あれこれ頭を巡らせて寝付かれなかった。
中山の自分への気持ちはとても嬉しかったし、加代子のことも気になった。
しかし、自分では何も出来ないもどかしさもあり、落ち着かなかったのである。

波紋   第8回

2008-07-25 10:19:08 | Weblog
和夫は好きな日本酒を飲みたかったが何か大事な話があるらしいので、あまりいい気で酔うわけには行かないと用心して焼酎のお湯割を飲むことにした。お任せで頼んだ串焼きは間をおきながらカウンターに置かれ、二人は出来立ての熱々をつまみにしながら飲むのだがおなかも空いていて腹にしみておいしかった。
少し時間が過ぎて次第に客が入って来た。店が賑やかな声に変わり、ママの高い声が店に明るさと元気を振りまいているように聞こえてくる。
「松山、お前もう幾つになるんだ。」唐突に中山は話し始めた。「いやだなあ。もう今年で30ですよ。」「そうか。そろそろ嫁さん貰うと年だよな。もっとも俺は少しませていたので、その年には嫁さんがいたけど」「所長は結婚は何歳だったんですか。」と追いかけるように聞かれるのを聞こえなかったように無視して不図
自分の結婚当時を思い出したいた。中山には苦い思い出があった。学生の頃から付き合っていた彼女が妊娠してしまい当事あまり例のない「出来ちゃった婚」をせざるをえなくなり、親にも散々叱られ、親戚ほかの関係者にもカモフラージュをして何とか体面を繕ったのだが、えらい苦労をしたのだった。
「俺のことはいいんだよ。お前嫁さん欲しくないのか。」「別に欲しくないわけでもないんですけど、なんだかめんどくさくて……」和夫は本音を言えば、女にお愛想を言って、気を遣いながら付き合うことは苦手だった。口下手であまりお世辞を言うことも好きではなかった。一人で上手い酒さえ飲めればそれでよいと言うのが心境だった。中山もそれを知らないわけではなかった。そしてそれが彼のよいところだとも認めていた。その少し重い喋りと誠実に聞こえる話し方が聞いている相手に信用をもたらせる。それが彼の持ち味だとそれを見込んで大阪へつれてきたのだ。「確かにお前はめんどくさがりやだし、どっちかといえば一人で酒を飲んでいるほうが気楽だしな。」とからかい半分に笑った。
和夫はネタのよい味の串焼きを確かめながら今日の話は嫁さんの話か、あまり気の乗らない話だなと思いながら「嫁さんの話なら、そのうち自分で見つけますよ。任して置いてください。」と少し弾んで答えていた。
「いや、本当はそうではないんだ。お前も少し仕事が出来るようになったので管理職へ昇格の話が出て、それに東京へ戻そうと言うことなんだ。つまり転勤の話だ。」「そうなんですか。まだ大阪へ来て3年ですからもう少しやりたいですね。」と言いながらふっと加代子の事が頭に浮かんだ。まだ時々飲むだけの付き合いだが、よい話し相手であることには違いない。特別な感情はないが、この話を聞いて少し気になっていた。















随想     一日の朝

2008-07-23 10:25:13 | Weblog
私の朝はそんなに早くない。早い時でも起きるのは7時で遅い時は8時ごろになるときもある。そして起き上がってもすぐ動くほどの躍動感はない。
朝から暑いこの頃では何となく気だるく頭がぼうっとしている所為かもしれない。
普段着に着替え携帯電話を首にかけるといつもの服装スタイルになる。
2階の部屋の窓を開けると少し涼しい風が入って来るのを感じる。(雨のときは閉じたままなのだが)
床の間の写真の前においてある水の入ったコップを持って階段を下りる。その水を新しく入れ替えて床の間に置きその前で祈りをささげる。
台所のある居間の雨戸を開けると目の前にたたみ二畳ほどの庭が見える。そこに僅かだが野菜が植えてあり、今はなす、きゅうり、トマトが大きくなっている。
しかし、実がなっているのはきゅうりだけでトマト、茄子はまだ実が付いていない。「実の一つだになきぞ悲しき」と言ったところか。どうやら花が咲いても交配が上手くいってないのかも知れない。
表玄関へ出ていつものように庭の花に水を掛けてやる。先日買ってきたホースが長いので便利である。何しろこの時期は一日何回か水を掛けないでわすれていると、いつの間にか「さよなら」して首をたれてしまうので大変である。
春先からいろんな花が楽しませてくれていたが、この夏になって花も終わりに近くなり、今は僅かにダリヤとキキョウ、ビロードが咲いている。
玄関先には風船かずらと朝顔の筈が種を間違えて夕顔のつるが延びている。
ネットを伝わって伸びて夏らしい雰囲気だが朝顔でないのが残念である。
新聞を持って家に入り、朝食の支度にかかる。テーブルに娘からの贈り物で買ってもらったランチョマットを敷き、そのうえにトースト、フルーツ、コーヒー、ヨーグルトなどが並ぶ、。支度が出来るとCDにスイッチを入れる。先日教会の礼拝堂で行われたパイプオルガンを収録したものである。
新聞を片手に持ち、コーヒーを一口飲む。そして、時折目の前のささやかな家庭菜園の野菜を見る。きゅうりの食べごろの大きさを楽しむ。
不図、その横を見ると5月に植えたホーセンカの花が可愛い花をつけている。
そんな朝食を済ませて薬を必ず飲む。近所から物音一つ聞こえない。
こうして今日の一日が始まる。至福のひと時である。

波紋    第7回

2008-07-21 10:35:36 | Weblog
ほかにも社員はいたが地元で採用したものでなじみの薄いこともあった。それとなく二人が時々揃って帰るのを見ていて付き合っていたのは知っていたが黙ってほほえましく見ていた。松山が大阪へ来て3年が過ぎた頃、東京へ転勤の話が持ち上がった。本社からの指示である。
中山は転勤の話をきっかけに二人のことも話さなければならないことを感じていた。「彼もそろそろ30になる。嫁さんを貰ってもいい年だが、あいつは酒だけ飲んでいりゃあご機嫌で女に関心があるのか、ないのか、分らないからなあ。どうしたもんかな。」とひとりごちた。
時間は何時しか過ぎていき、中山もこれ以上このままにしておくわけにはいかなくなった。「おーい。松山今晩予定は入っていないか。もしなければ俺とちょっと付き合わないか。」「分りました。しかし、所長珍しいですね。私なんかでいいんですか。」今日は所長のおごりで酒が飲める。中山の頭は何の計算もなかった。
ただ気楽に飲めること。そして少しでもストレスを発散して気分がよくなれば良かったのだ。やがて所員が一人一人挨拶をして帰り、会社には二人だけになった。
「さーて、そろそろ出かけるか。大阪は串焼きが名物でおいしいんだがお前知っているか。」「聞いたことはありますが、正式なものは食べたことがありませんね。」「そうか。それじゃちょっとおいしい串焼き専門の店に行こうか。そこでおいしい酒を飲もう。」連れて行かれたのは北の新地の中にある洒落た暖簾の出た店であった。店に入ると右側がカウンターで足の長い椅子がずらっと並んでいた。
反対側には小さいテーブルが並んでいたが、中山は一番奥のカウンターに巣に腰掛けた。そして松山を横に座らせた。「中山さん。いらっしゃい。暫くじゃないの。いつもきれいな女性と一緒なのに珍しいわね。」奥の暖簾を分けて髪をアップにした和服のママさんらしい中年の女性がにこやかに出てきた。
「しーっつ。駄目じゃないか。その話は内緒だろ。今日は部下と一緒で大事な話があるんだからお手柔らかに頼むよ」中山は悪びれた様子もなく、上着を脱ぎ、出された手ふきを取り上げた。この奥の席が彼のいつもの席らしい。
まだ少し時間が早いと見えて、店には自分達以外には誰もいなかった。ビールでとりあえず乾杯として各々好きな酒を注文した。カウンターには黙ってお通しから串焼きが順番に出てくるのである。揚げたての油の香りがする串を少し塩を振りながら食べると何ともいえない味が口いっぱいに広がり、すぐ酒を飲みたくなる。
「こりゃー気をつけないと酒が進みそうだ。」和夫は頭で言い聞かせていた。

波紋    第6回

2008-07-18 10:19:55 | Weblog
「私もそんなに詳しくないですけど、帰りがけに立ち寄るデパートの屋上にビヤガーデンがあるのを知っていますわ」と答えた。家族以外に男の人と口を利いたことが久しぶりで何か緊張していた。学校を出てからずっと何気なく過ごしてきたが男の子から声を掛けられることもなく、あまり関心もなくいたが、もういい年になっていた。家族からは時々冷やかされることはあったがあまり気にもならなかった。
小柄ではあるが決して醜いことはない。地味なたたずまいが加代子をあまり目立たせないこともあるが、話すとひょうきんで明るかった。しかし普段はそんなそぶりを見せないこともあり、誰もそんな加代子の一面を知る人はいなかった。
「それは嬉しいね。是非そこへ案内してよ。一人で飲むより二人で飲むほうがおいしいものね。ご馳走しますよ。」と機嫌が良かった。
会社から歩いて20分ぐらいのところ、そこは加代子が通勤で乗る駅の近くであった。和夫は普段は家の近くで買い物を済ませるし、デパートなど用がなかったので来た事はなかった。
二人はテーブルに座るとジョッキを注文して乾杯をした。
おいしそうに飲み始めた彼の様子を見ながら加代子は自分も何時のまにか彼のペースにはまっていることに気がついた。お酒が飲めるとは思っていなかったが、父の毎晩の晩酌を見ていてお酒には抵抗がなかった。
時間も早かった所為もあり、客はまばらで二人はのんびりした雰囲気で楽しむことが出来た。少しアルコールが回り、緊張がほぐれてきたのか、和夫の口数が少し増えてきた。会社では見ることも、聞くこともなかった彼の様子が見えてきた。
無口で無愛想な人と思っていたのだが、結構おしゃべりであり、話すことも明るかった。加代子もいつの間にかそのペースになじみ話が弾んでいた。
その日の出会いは偶然であったが、それがきっかけでその後も何回か二人で食事に行き、話をするようになっていた。しかし、会って飲んで、食事をして楽しく話をするだけでそれ以上でも、それ以下でもなかった。
和夫は飲むとそれだけで満足し、機嫌よく帰って行ったし、用事がある時は加代子が先に帰ることが多かった。それでも彼は一人で適当に飲んで帰っていたようで
話題もそんなにあるわけではなかったし、共通の話も少なかった。
とにかく彼にすればおいしく酒が飲めればそれで良しとして満足できたのである。
そんな二人を所長の中山は何時からか暖かい目で見ていた。松山は自分が調教から連れてきた部下であり、入社以来ずっと営業で一緒だった。

波紋   第5回

2008-07-14 12:26:00 | Weblog
あくる日の朝、加代子はお寺、葬儀社と連絡を取り、葬儀の段取りをしなければならなかった。こんな時頼りになる男手があると助かると思わないでもなかったが、
和夫の弟の靖男が駆けつけてくれて何とか頑張ることが出来た。
靖男は四才下で独立して家を出ていた。あまり顔をあわせることはなかったのだがすぐ飛んできてくれて黙って手伝ってくれた。
やがて、関係者も少しづつ集まり、家の中の準備も進み始めた。しかし問題は彼が死んだ時の様子である。いったい彼の身の上に何が起きたのか。そしてどのような経緯で死に至ったのか。そしてそれが何故翌日の朝まで誰にも知られずに置かれたままだったのか。その肝心なストーリが見えてこないままなのである。
通夜の夜、みんなが寝静まった頃、加代子は眠れずに縁側に座った。暑い6月の夜で蒸していた。団扇を仰ぎながらいつもなら和夫の夕食の片づけをして、お風呂上りの身体を涼みながら二人で話をしている頃だった。
加代子はいつしか和夫と一緒になる前のころを思い出していた。加代子の実家は西宮でアルバイトで勤めていた会社へ転勤になって東京から来た和夫との出会いであった。会社は5人ほどの小さい事務所であり、加代子はバイトなので毎日の仕事ではなかった。従って営業で毎日外へ出て、遅く帰ってくる和夫と顔をあわせることは殆どなかった。ちょっと顔があっても挨拶程度で、何も話すことはなかったし、加代子には何も胸がときめくような気持ちにはならなかった。
田舎臭い雰囲気がそうさせていたのかも知れない。和夫もまた女性には淡白であった。女嫌いではなかったが、自信がないことと、生来のものぐさもあった。そして自分のことは何でも自分で思うようにやりたいという器用さもあったので不便もなかった。そんな二人の距離が急に接近したのは全くの偶然であった。
その日の夕方、会社の人が出払っていて加代子は留守番を頼まれていた。本来ならとっくに帰れる時間であったが誰かが帰ってくるまでということであった。
そこへ和夫が帰ってきたのである。「西山さん、まだいたの。ご苦労様だね。遅くまでごめんね。」と言いながら自分の机の上を片付け始めた。
加代子は着替えをして化粧を直し、挨拶をして帰ろうとしたら和夫から声を掛けられた。「俺もこれで仕事が片付いて帰るんだけど、暑いんでちょっと涼んで帰ろうと思うんだ。どこか適当なところ知らないかな。何しろ来たばかりでこの辺よく知らないもんで、」何の計算もなく、和夫は声を掛けてきた。
無視して帰ろうとも思ったが朴訥な何の悪げもない和夫の言葉に加代子も素直になったいた。

波紋   第4回

2008-07-11 10:34:35 | Weblog
救急隊が駆けつけて手当てをしようとしたのですが、既に呼吸は止まっており、数時間経過して死んでいることが判明しました。担当医の診断では「くも膜下出血によるもの」との事でした。スーツに入っていた持ち物から住所氏名が分りましたのでお知らせしました。一応変死扱いになりましたが身元もはっきりしているので病死と言うことで処理します。葬儀社を紹介しますのでお引取りをお願いします。」事務的に説明する警官の声が遠くから聞こえてくる汽笛の音のように聞こえて何も感じるものはなかった。あの部屋の台の上に寝かされている夫の姿がぼんやりと頭に浮かび、もう本当に死んでしまったのかと心に問いかけているのだった。
それからのことははっきり覚えていない。警察の係りからあれこれとアドバイスを受けながら事は進んでいた。遺体を載せた車に同乗して自宅に帰ったのはまだ明るさは残っていたが夕方に近かった。
葬儀屋さんの係りの人によって、座敷に敷かれた布団に遺体が寝かされ、誰もいなくなると、静寂が襲ってきた。
何をどうして良いか分らないまま、又ぼんやりしていると、子ども達の「ただ今」という元気な声が玄関から聞こえてきた。学校が終わっても友達と話したり、遊んでいたりして帰りはいつも夕方になる。
部屋にかばんを置いて奥の客間にいる母を見つけて駆け寄ってきた。「どうしたの。何があったの。お父さん具合が悪いの。」と聞いてくる。「お父さん死んじゃったの。」「えー。うそ。信じられない。だって、昨日まであんなに元気だったじゃない。何があったの。」二人の娘には現実が見えていないらしく父が病気で寝ているとしか思えないらしい。そして母の説明を聞いているうちにもう起きてこない父の姿に取りすがり、大声で泣き始めた。
加代子はまだ信じられない思いと、どうしようもない現実とが入り混じり複雑な心境であった。悲しいはずなのに素直に泣けない。その気持ちには何か悔しい思いがあり、その怒りを何処にぶつけて良いか分らず、もどかしさで一杯だった。
会社からは何の説明もない。何時トイレで倒れ、どうして翌日の朝まで誰も分らなかったのか。仕事をしていた夫の姿が見えないことを誰も気付かないでいたのか、
もし、誰かがいないことを不思議に思い、探して見つけて手当てをしてくれたら助かったのではないだろうか。考えれば考えるほど、何か割り切れない思いで悲しくなるのだった。
その日の夜、実家の両親、兄弟、親戚縁者に電話をした。それぞれが彼の死に「まさか」の思いと何があったのか、詳しい様子が分らないままに「とにかくすぐ行くから気を落とさないで」と励ましの言葉を聞くのみであった。

波紋   第3回

2008-07-07 10:29:36 | Weblog
電話を置いた後も信じられない思いで気持ちを抑えるのに暫く時間がかかった。
足が地に付かないような感じがしたが何とか身支度を整える事が出来た。
いつもなら車ですぐ何処でも出かけるのだが、東京と聞いて止めることにした。
こんな気持ちで冷静に運転は出来ないし、なれない東京の混雑の中は自信がなかった。家は小湊鉄道の上総牛久駅から電車に乗り、五井駅で乗り換えであり東京へは少し不便であった。
警察へ着いた時はお昼近い時間であった。恐る恐る受付で名前を告げると「こちらへどうぞ」と長い廊下を案内された。薄暗い廊下を警察官の靴音が響き感高く胸に突き刺さった。突き当りの部屋には「霊安室」と書かれてあった。
加代子にはまだ何も感じられなかった。何かの間違いで夫がこんなところで死んでいると言うことを現実のこととして受け止めることは出来なかった。
昨日あんなに元気で何事もなくいつものように出掛けて行き、交通事故でもあればそれなりに受け止めようもあるが、ただ死んでいるので身元確認をしてくれと言われてもなんとも考えようもなかったのである。
通された部屋に入ると広い部屋の正面に祭壇のようなものがあり、蝋燭に灯がともっていた。その祭壇の前におかれた台の上に夫の身体が横たわっていた。
だらしなくスーツがかけられ、ズボンの裾のほうは汚物で汚れ、臭気が漂っていた。まさしく変わり果てた夫の姿である。それは間違いのない現実であった。
青白くなった顔は苦痛にゆがみ、死後硬直が始まっていた。加代子は思わず駆け寄り「あなた、どうしたの、何があったの。どうして死んじゃったの」と声をかけすがりついた。
冷たくなった手を胸に当ててその手をさすり始めながら涙がどっとこみ上げてきた。傍に誰もいなかったのか、誰にも看取られないで何処で、何時、どうしていたのか。何があったのか。その手を握ったまま夫の顔を見つめながら泣き続けていた。「奥さん、ご主人に間違いありませんね。」後ろから警官に声を掛けられ、
やっと我に返り、「間違いありません」と返事をした。「そうですか。大変ご愁傷さまです。それではご説明しますので、こちらへもう一度お願いします。」
と促されて、いったんその部屋を出た。
「実は今朝、○○ビルの管理会社から電話があり、委託している清掃会社の人がある階のトイレの掃除をするためにドアを開けたところ男の人が倒れていて動かないと言う連絡が入ったのです。」

波紋  第2回

2008-07-04 09:42:42 | Weblog
加代子は早速電話をすることにした。本来なら自分からすることはないのだけど
今朝はとてもそんな余裕はなかった。時間はまだ始業前だし、会社にいても迷惑をかけることもないし、皮肉の一つも言われるかもしれないが元気な声が聞ければそれで安心できる。それだけのことだった。
呼び出し音は鳴っている。しかし何度も鳴っているが電話には応答がなかった。
机の上においたままトイレにでも行っているのかしら、とも思いつついったん切ることにした。10分ほどして又かけてみたが電話に出る気配はなかった。
加代子は少し不安になってきた。いつもと違う空気を感じたのである。何か夫の身に起きたのかもしれない。不安が加代子を動かし部屋の中を歩き始めた。
何かあったのだ。間違いない。あの几帳面な彼が昨日から今朝まで連絡もせず、こちらから掛けても電話に出ない。そんなことは考えられない。
急に頭が熱くなり、全く何も見えなくなり、考えられなくなった。どうして連絡が出来ないのか。どうすることも出来ないままに不安は募るばかりだった。
それからどのくらい時間がたったのだろうか。何も考えられなくなったまま座り込んでぼんやりとしていた、その時突然電話が鳴った。
「松山さんのお宅ですか。」「はい。松山ですが」「失礼ですが、奥様ですか。」「はい、そうです」「実はご主人が亡くなっておられ、警察の方で変死体としてお引取りしていますが身元確認のためにお出で頂きたいのですがお願いできますか。」「えーっ。亡くなっているんですか。」突然の電話で耳を疑うような思いで繰り返したが電話の向こうではすぐ来て欲しいと繰り返すばかりだった。
にわかに信じられないことであったが、加代子は自分でも信じられないほどに冷静であった。「分りました。どちらの警察へ伺えばよいのでしょうか。」「こちら○○警察です。よろしくお願いします。」電話を切った途端、力が抜けてその場にへたり込んでしまった。とても信じられない電話であった。
人違いだと思う気持ちと電話に出なかったことで何か夫の身に起きていたのかと思う気持ちで揺れていた。その事情については警察は何も説明はなかった。
要はとにかく来てくれと言うだけである。状況についてはその時説明すると言うことであった。

随想    アジサイとユリ

2008-07-02 13:46:58 | Weblog
6月の末から咲き始めたアジサイがいよいよ終わろうとしている。
私はこの花にあまり関心をもてなかった。第一地味であるし、これと言うほどの特徴があるわけでもないし、雨と言うイメージも手伝って何となく敬遠していた。
しかし、花暦でも寒い冬から春にかけて楽しませてくれた花もこのアジサイとユリで一応終わることになり、暫く暑い夏をすごすことになる。
そんな思いでアジサイを見ると一入、とても此花に対する思いが強くなり、関心を持って観察するところとなった。
よく見ると色の変化もさることながら、種類もあり、大きく分けると「ガクアジサイ」と西洋アジサイと言われる「ハイドランジア」とある。元々日本が原産であることも嬉しい。そんなわけで色も土壌によるものでアルカリ性と酸性のいりまじりから生まれると言うのも楽しいものである。
そしてこの花暦の最後を飾るように「ユリ」が咲き始めている。ユリも日本独特の花と言うイメージで「大和撫子」と言われる日本の女性を「立てば芍薬,座ればボタン歩く姿はユリの花」とあるように日本女性の立ち姿を連想させるものでとても落ち着くのである。
さて、このように私たちを楽しませてくれた野の花を聖書ではこのように書かれているのを読んだことがある。「野の花がどのように育つのか注意して見なさい。
働きもせず、紡ぎもしない。……今日生えていて明日炉に投げ込まれる野の草でさえ神はこのように装って下さる。ましてあなたがたにはなおさらのことではないか。」私たちは毎日あれが欲しい。これがあればとぜいたくを考え、又装ぅことを考えるが、自らが美しい花の一つであることに気づけばそんな愚痴やわがままは感じることはないのだがと自らを考えるとこの花を見ていてすがすがしい思いになれるのである。