波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

     思いつくままに

2011-06-29 11:57:13 | Weblog
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」と言う言葉を聞いたことがある。
(確か私の記憶に間違いが無ければ野球の野村監督の語録の一つだったと思う)
この言葉が野球観戦(TV)の度に思い出される。どんなゲームでも勝ち負けには、その
原因となることがあるが、勝ちには何故か原因の分らない勝ちがあるというのだ。(それは運とかつきとか言われる場合がある)負けの場合は不思議の負けは無く、原因がはっきりしていると言うことらしい。人は毎日この世の生活の中に身を投じて夢中で過ごしているが、此処にも勝ち負けに繋がる生き方をしているようなことに気付くことがある。
そしてその事が各々の生活に微妙に影響をもたらしていることに思いを置いてみたい。
どんな毎日であろうと、その一日は二度と繰り返すことの出来ない一日である。
その日はその日だけの与えられた大切な一日である。其処に自分が生かされて存在していることを覚え、その日を大切に自分らしく生きることをどれだけ考えられるだろうか。
それは周りの人に目立つような際立ったという事をするということではない。むしろ逆であって、その事が仕事であれ、勉強であれ、家事であれ、家族との時間であれ、何でも良いのだが、その時間の中で自分の心(信念、霊)がどう生かされ、どう使われているか、
人との関わり、触れ合いの中に相手のことを思い致すことが出来ているかどうかを思うことである。そして一日が終わり、床に就くときに静かに振り返り、その時々のことを思い辿る時、其処で自分で思い気付くことのいくつかが浮かんでくるはずである。
そしてそれは自分なりに充実感なり、満足感、反省感となって蘇ってくる。
負けに不思議の負けはないということはこの時の反省点を指摘しているのかと思うし
思いがけない小さな喜びを感じた時は、「あれはなんだったのだろう」と不思議に思うこともあるだろう。そして大事なことは悪かったことを他人の責任にして自分が悪かったとしないことに注意すべきだろうと思う。とかく人は悪いことを人の所為にして済ませることが多いがそれは明日の勝ちには繋がらないことを知るべきだと思う。
そして少しづつ勝ちに繫がる日を重ねられれば良いなあと一日を大切に思いながら考えている。

  オショロコマのように生きた男  第6回

2011-06-27 09:40:08 | Weblog
二人は商店街を抜けて、川の流れている土手に沿って歩いていた。町から離れた少し静かなところにあまり目立たない割烹があった。川に面した静かな部屋へ案内されて、彼女はなれたように部屋へ案内した人に「いつものお料理にビールを一本つけてお願い」と言った。やがて料理が運ばれ、二人はビールで乾杯を形だけすると食事を始めた。
特別な話があるわけではなかったが、二人は出てきた料理をつまみながらぽつぽつと身の上話をしていた。「宏さんはいい男だから好きな女の子がいるんでしょう。」宏は黙って料理を食べている。彼女は少しビールが入って気持ちもほどけてきたのか、亡くなった主人の話も無く、頭にあまり無いらしくご機嫌である。「どんな女の子が好きなの。太っている子、やせてる子」「どんな子だっていいじゃあないですか」面倒くさくなって宏は投げやりに言う。彼女の家庭での夫婦生活には不満が合ったらしい。古い商家で農園を持ち、古いしきたりや縛りがあり、自由が無かったらしい。自分自身が自由に育ってきた所為もあり、婚家先での生活はストレスがたまるものだったのか、夫も地元の付き合いが多く夫婦での時間が少なく、旅行も買い物をあまり出来なかったらしい。一人で飲みながら
そんな愚痴話を聞く羽目になっていた。よほど溜まっていたのかもしれない。
「せめて子供でも出来ていればまだ気がまぎれて変わっていたかも知れないわね。お義理で何度か抱かれたことはあったけど、結局子供は出来なかったわ。」女はいよいよになると男でも口にできないようことでも言えるものかと宏は改めて彼女の顔を見ていた。その表情には女としての不満とそれだけではない一抹の寂しさが漂っていた。
食事が終わり、帰ろうとして立ち上がった途端、彼女が急にふらついて宏の方へ倒れ掛かった。慌てて抱き抱えた途端、彼女の唇が宏の口に重なり、二人はそのまま其処へ倒れかかった。どのくらいの時間だったのだろうか。そのまましびれたように二人は動かなかったが、やがて落ち着くと、どちらとも無く立ち上がり、何ごとも無かったように二人は玄関へ向かった。外へ出ると何時の間にか小雨が降り始めていた。
彼女の持ってきた傘を二人でさすと家のほうへ向かった。やがて家が見えてきた。
別れ際、「元気で頑張るのよ」と言うと、彼女は振り向きもせず、家のほうへ向かって小走りに帰っていった。宏はまだ雨の降る中を黙って見送るだけだった。

  オショロコマのように生きた男  第5回

2011-06-24 09:40:28 | Weblog
数日会社を休みごろごろして考えてみたが、良い考えも浮かばずそのまま辞表を出して
会社を辞めることにしてしまった。それには今の仕事への情熱がなかったこともあったし
自分の思うことが出来ない不満もあった。若さもある。仕事なんかその気になれば何とかなる。辞めることへの悲壮感は無く、気楽であった。唯一つだけ、それはあの女主人に会うことが出来なくなる事だけが心残りだった。「そうだ、一回挨拶がてら顔を出してくるかな」ちょっと照れくさい気持ちもあったが、どうしてももう一度会ってみたいという未練が強かった。会社へは何の遠慮もなくなったので、その日はいつもの仕事着ではなく、少しお洒落なスタイルで出掛けた。店はいつもの様子と違っていて、「休業中」の看板がかけてあり、戸が閉まっていた。どうしたのかと夢中で母屋の方へ回り、玄関で声をかけてみた。暫く玄関前に立っているといつもの女主人がひょっこり顔を出した。
「こんにちわ。いつもお世話になっています。どうしたんですか。お店が閉まっていたんでこちらへ廻ったんですけど」「野間さん、何時もお世話様ね。実は突然なんだけど、主人が交通事故で亡くなったもんだから、ちょっと落ち着くまで店の方をお休みしているのよ。」「そうだったんですか。ちっとも知らなくすいません。遅くなりましたけどお悔やみ申し上げます。」「ありがとう。それよりも野間さんこそどうしたの。今日はいつもと様子が違うけど何かあったの。」「いやあ、特別なことが合ったわけじゃないんですけど
会社で喧嘩しちゃって、自分から辞めちゃったんですよ。それでどうしてもこちらだけはお世話になったので、挨拶をと思ってきたんです。今、風来坊です。良い仕事が合ったら紹介してくださいよ。」と言って笑った。「そうだったの。若いわね。でも今のうちだからくよくよしないで思ったとおり何でもやったらいいわ。そう、じゃあ今日は仕事じゃないのね。ゆっくりしていらっしゃい。私ちょっと着替えてくるから待ってて」そのまま
奥へ入って行く。特別用事は無いのだから後は成り行きだった。どうなっても良いやと
待っていると外着に着替えた女将が出てきた。その様子はいつもとがらっと変わり、一段と美しく輝いて見えた。「さあ、出掛けましょう。私も気持ちがくさくさしていたところだったので、ちょうど良かったわ。美味しいものでも食べましょう。あなたはどうせ飲めないんでしょうけど」知らないと思っていた女将が、何時の間にか宏の酒の飲めないことを知っていたのだ。

思いつくままに

2011-06-22 10:16:21 | Weblog
先週、最近の体のことで気がついたことを書いてみたが、その後まだ気になることがあって一週間過ごしたのだが、いろいろなことが分ってきた。
その一番大きな事は健康であることの喜びである。調子が悪かった時の状態と良い状態になった時の違いがこんなにも大きいものかと言うことである。若いときには感じなかった
(感じていたかもしれないが、)この年になるとその感じ方は格段と違う。
具体的には先ず、食事であろうか。おなかが空く。食べたいものが食べれる。今度はあれを食べてみたい。その意欲は健康に直結する。馬鹿なこと言ってんじゃないよ。そんなこと当たり前だろうと思われるかもしれないが、これは経験して始めて分る喜びの一つだ。もう一つは自分の計画していること、やりたいことがどんどん出来ること、つまりからだが自分の思うように動くと言うこと、これも当たり前だと言ってしまえばそれだけのことだが、何もする気がおきない、なにかしようと思っても身体が言うことを聞かない。
このつらさ、いらだたしさは想像以上である。もういい年なんだからそんな時こそ、ゆっくり、のんびりしていれば良いではないかと、周りの人は思うかもしれないが、逆である。まして僅かなことであれ、その日の日課を計画し、それを実行しているとその日の事が出来ないことに後悔が残り、悔しい思いになるものだ。
人間の究極の目的に「幸せ」がある。人は誰でも、幸せを求め、自分が「幸せ」の状態でいたいと願うものだ。しかし、「青い鳥」のようにこの幸せを確かに掴んだ、見つけたと思った人はいない。もしいたとしてもそれはその瞬間であって、その瞬間を過ぎれば
また、自分の不幸を嘆くことになる。でなければ、次の幸せを探し、求めて彷徨うことになる。結局死ぬまで満足することなく生き続けることになるのだろう。
あるお医者さんの話によると「健康とは全身すべての臓器の存在を感じないこと」だと言っています。臓器の存在を感じるとは胃であれ、心臓であれ、膝であれ、その存在を感じる時、つまり違和感を感じる時が不調の兆しなのだと言うことらしいです。
普段そのことに全く感じない時、それが健康であり、幸せであると言うことなのです。
しかし、中にはそんなの当たり前で、そんなの幸せでもなんでもないという人もいるかもしれません。しかし、このことこそが何よりも幸せの基本であり、其処から新たな幸せが生まれてくることを、もう一度改めて覚えることが出来たことを感謝したいと思うこの頃です。

 オショロコマのように生きた男   第4回

2011-06-20 12:42:45 | Weblog
和夫が帰った後、暫くしてその時聞いた話が急に気になってきた。「お前、木梨を知ってるだろう。あいつが親父の資金でと言うより、親父の名前で会社を始めるらしいぜ」
「あのぼんぼんが会社を始めるってか、あいつにそんなこと出来るわけねえーじゃねえか。学生時代遊びまくって、親父の金でやっと卒業できたんだろう。そんなやつに何が出来るんだ。」「それがどういう風の吹き回しか知らないけど、マジで本気になってるらしい、それで俺のところへ電話してきてさ、誰かいねえかと聞くからさ、俺はとっさにお前の顔が浮かんで野間がいるじゃねえか。と言ったんだ。」冗談じゃねえや。あんな遊び人と一緒に仕事なんか出来るかよ、咄嗟に口にしそうなった言葉をぐっと飲み込んで
「何をやろうと言ってんだよ」と聞いてみた。「俺も良く分らないんだが、何でも磁石の原料みたいなものを作るらしいんだ。木梨の親父がこの仕事の専門らしくて教えているらしいんだが、これがブームになって売れるらしいんだ。」宏はその時の話を落ち着いて
考えながら、今の仕事とは全く違う異業種だが、商売には変わらない。今より自由に仕事が出来るなら面白そうだなと思い始めていた。
その後、そんな和夫との話を忘れるとも無く忘れ、変わらない毎日が始まっていた。そんな中で宏の頭にはりんご園の女将のことが忘れられなくなっていた。二ヶ月に一回の営業訪問が待ち遠しく、その日が近くなると仕事が上の空になりそうだった。
ある日、会社の経理の女性から呼び出された。「野間さん、今月の経費が合わないわ。もう一度計算して清算して見て下さい。」そんな事はないはずだと思いながら、領収書やメモを調べて報告すると、接待用に使った額が限度を超えていた。お客との食事代やお土産代が嵩んでいたのを忘れていたのだ。そんな時は自腹を切って処理することになっていたが、宏はあまり気にしていなかった。「必要経費として何とか特別に認めてよ」と突っ張ってみたが、経理はそのままそれを上司へ報告したらしい。
部長から呼び出されて同じような押し問答が繰り返された。「部長が其処まで言うんでしたら、会社辞めてもいいですよ。」「君、何を言い出すんだ。私はただ規則どおりに守ってくれなくちゃあ困るんだと言っているだけだよ。」「分りました。部長が面倒見てくれないんだったら、考えさせてもらいます。」此処まで来ると引っ込みがつかなくなっていた。今更頭を下げて、自腹で金を出すのも面白くない。

  オショロコマのように生きた男  第3回

2011-06-17 09:50:32 | Weblog
がぶっと一口食べると口いっぱいに甘酸っぱいりんごの香りが拡がる。普段は滅多に食べないが、こうして食べてみると味がしみて新鮮であった。それは彼女と一緒に食べている
こともあり、何かしら興奮していることもあったかもしれない。その後、熱いお茶を飲み
暫く雑談をして帰った。
「おい、居るか」突然大きな声が聞こえたと思うと、玄関の戸をたたく音が聞こえた。
のんびり楽しみながら休んでいた気持ちがすっかり消えて現実に戻されていた。
普段あまり付き合うことも無い学生時代の友人の和夫だった。「いないかと思って来たんだが、今日は居たんだな。」「金も無いし、行くところも無いからね。」宏は自虐的に
ふてくされた言い方をした。付き合いは少なかったが、和夫とは少ない友達の一人で気のおけない仲だった。「お前、今の仕事あまり面白くないんだろう。どうしているんだい」
「まあね。満足はしてないけど他にやることもないし、当分この仕事で食っていくしかないかなと思ってるんだ」聞き様によっては全くふてくされた返事である。「まあ、そんなにやけくそにならなくてもいいじゃないか。お前ならその気にさえなれば他にも仕事は
いくらでも見つかると思うよ。」彼は宏の才能を認めていた。「そんなに簡単には見つからないよ。第一俺には金もコネもないからね。」「じゃあ、今の仕事を続けるのか。」と
しつこく聞いてくる。親しいと言っても何でもかんでも本音で話すほどの間柄でもない。
男は寡黙で黙っているのが一番無難だと小さい時から聞かされていた祖父の言葉がどこかに残っていて、誰としゃべっていてもそれが邪魔をする。暫く雑談をしていたが、
その煮え切らない態度に、さすがに和夫も何か話したかったらしいのだが、何も話さずに適当に消えていた。
野間宏、30歳、地方から東京へ出てきて一応学卒ではあるが、特に専門的に得意なことがあるわけではない。人付き合いも悪くは無いが、酒を飲まない所為か、友達も少ない。話をしても深入りすることも無く通り一遍で終わる。女も嫌いではないが、自分から声をかけてナンパするようなことは無い。しかし、彼を見る女性の目は他の男性を見る目よりも
熱いものが感じられた。何か不思議な魅力を感じるようである。
今つとめている会社は下町にある卸業の中小企業である。関東地方の小売店や農協を中心にメーカーからの仲介卸の営業である。営業マンは地区別に別れそれぞれの地区を担当している。売り上げもそんなに波は無く、ノルマも厳しくないので、普通に仕事をしていれば楽なのだが、宏にはそれが消化不良になっていた。

     思いつくままに

2011-06-15 09:59:43 | Weblog
このところ体調が優れず、毎日の日課が思うように出来ないでぶらぶらする日が続いていた。原因が不明で症状としては「どうき」がするだけなのだが、これがやっかいでこの症状が出ると、何となく落ち着かなくなり何もする気が起きなくなり、食事をする気も無くなる。仕方が無くて病院へ行き、検査をして調べてもらうのだが、心電図を始めできるあらゆる検査をしてもらっても、何の異常も出ない。結局医者も「一過性の心因性のものでしょう」と言うだけで、分ったような分らない答えしか出てこない。仕方が無く常備薬の鎮静剤のようなものを飲んで安静にしていると、何時の間にか落ち着いている。
しかし、「どうき」が始まると落ち着かなくなることも事実出し、血圧も上がるのも気持ちが悪い。対処の仕様がはっきりしないままに様子を見ているうちに少しづつ落ち着いてくる気がしている。はっきりとした病気とも言えず、人に話すと、「高齢化から来る一種の更年期障害かもしれませんね」と言われる始末だ。成る程、そういわれてみるとそんな気がするなあと納得しながら思う。更年期障害は何も女性に限らず、男性にもあっても不思議ではない。良く「四十肩」とか、「五十肩」とか言われる肩の痛みも突然起こり、自然に治るが、この症状も年齢から来る身体の変化の一種かもしれないと思うようにすることにした。そんなわけで、このところ情緒不安定な日々を過ごしているのだが、もう一つ心当たりとすればやはり精神状態の持ち方にも影響があるのかもしれない
自分では普段どおりいつもと変わらぬと思っても心のどこかに「気にかかるもの」があり、それが潜在的に頭のどこかにあって、それが脳に影響をもたらしているのかもしれない。人間はそれぞれ人には言えない秘密を持ち、誰にも話せないことも持ち合わせている。それは決して人には言えない自分本位の欲望であったり、汚い心であったり、また、現状に関する不満であるかもしれない。その様な一種のストレスのようなものが身体へ何らかの反応を伝えるのかとも思う。
明治の思想家であり、クリスチャンでもあった「森有正」はそのことを明白に喝破し
人間は心の片隅に秘密を持つものである。それは神に対してのみ話せることだとして
神への祈りこそ大切だと説いている。
心の平安はこの世に生きている限り安定するものではなく、すべてのものが備わっても
それで得られるものではない。それは深遠な尊いものへの祈りによってしか得られないことを思わせる。
幸い、小康を得て自分の与えられている目的を見出し、少しづつ意欲が湧きその目的に向かって歩き始めることが出来るようになってきた。この気持ちを大切にもう一度自分の
生かされていることを見出していきたいと思っている。

  オショロコマのように生きた男   第2回

2011-06-13 09:39:53 | Weblog
目をつぶると今日一日の流れが頭に浮かんでくる。お客の顔が次々に浮かびその時のことをなぞるように思い出している。いつもと変わらぬ心の通わぬ会話であり、自分の都合だけを思わせるやりとりが続く。どうでも良いような話を次から次へと聞いているうちにうんざりしていい加減嫌になってくる。ただその記憶の中で強く残っていたのは、りんご園を経営している店の女主人の姿だった。時々その店の社長の用事で顔を出すのだが、言葉を交わしたことは無い。社長からは行くといつも声をかけられていた。「君はまだ新人だな。しっかり頑張れや」と言われ、照れくさく黙って顔を赤くしたおぼえがあある。
その店には月に一度か二ヶ月に一度の訪問で忘れるとも無く忘れていたのだが、その女主人の女将のことは残っていた。今日もいつものようにその店で仕事をしたのだが、いつもの社長の姿が無く、女主人が仕事をしていた。気にも留めることなく仕事を進め、片付けていたのだが、店にいるその姿の立ち居振る舞いがなぜか気になっていた。
帰ろうとすると、急に後ろから声がかかった。「今日はご苦労様、遠いのに何時も大変ね。こんな田舎まで来るの億劫でしょ」始めて話しかけられて、急にドキドキしたが、
「いやあ、仕事ですから別に何とも思いませんよ。」いつものようにそっけなく返事をして帳簿を片付けて帰ろうとすると、他に誰もいないことを確認するようにあたりを見回し「宏さん、りんごをむいてあるの。食べていらっしゃい」、いつもはコーヒーが出て、それが宏には嬉しく、そしてそれが楽しみにしているのだが、今日は珍しい。本当は甘い団子か饅頭の方が良いのだが、内心思いながら、「ありがとうございます。ご馳走になります」とお愛想を言って店から裏へ回り、母屋の方へ向かった。
大きな庭に面した廊下があり、そこには何時の間にか用意されたりんごとお茶が出されていた。庭には女将の手で植えられた季節の花がたくさんの花を咲かせている。
エプロンをとった和服姿の女将がりんごを向いた皿を載せたお盆を載せて持ってくる。
お茶を飲み、りんごの甘酸っぱい味をかみ締めながら庭を眺めていると、さりげなく話しかけてくる。「何時か聞こうと思っていたんだけど男の人なら聞いてもおかしくないわね。幾つになるの」突然のぶしつけな質問だったが、何となく惹かれるものを感じていた人だけに何の抵抗も無かった。「いくつに見えます。本当はこの仕事をしている同僚はみんな若いのが多いんですが、私はちょっと回り道をしたこともあり、結構年食っているんですよ。もう30近いんです。」「そうなの、それじゃあ、私とあまり違わないわね。」
「それじゃあ、奥さんいくつなんです」思わず口に出そうになって慌ててお茶を飲み込んだ。

  オショロコマのように生きた男   第1回

2011-06-10 10:47:51 | Weblog
彼が家に落ち着かなくなるようになったのはいつ頃からのことだったろうか。順調に学生時代を過ごしたあと、就職先を探しに山梨の田舎から出てきて仕事に就いたのだが、その事には一つの満足感も無かった。仕事は単調で担当ごとに地方の農協や問屋を廻って、自社製品の紹介と注文取りをするだけである。
「俺は何時までこんなことをしているのだろう。何をしても納得が行かないし、面白くも無い。」一日が終わるとむなしい疲れと後悔の様なものがふつふつと湧き出してくる。
同僚は仕事が終わると近くの飲み屋へ仲間同士で一杯やりながら談笑しているが、彼は何時も孤独だった。酒を受け付けない体質であることは小さい時から分っていたので、その仲間に入ることは無かった。仲間は片付けをしている彼に声をかけて来る。
「宏、今日はどうだった。」「まあ、まあだ」「あそこの女主人、美人だろう声かけられなかったかい」少しあごの張った意志の強そうな顔は、クールでニヒルなものを感じさせ仲間の彼の見る目は何となく少しやっかみ気味なものがあった。
しかし彼の反応はそんな言葉にも何時も鈍く無関心であった。「あそこは今頃行くと
りんごが上手いんだよなあ。ご馳走になったか」飽きもせず、しつこく話しかけてくる。
「あー、りんごか、食べてきたよ」「美人の女将と食べるりんごは一味違うだろう。」
冷やかすように突っ込んでくる。「別に変わらないね。」愛想もそっけもない返事をしながら、と言って嫌がる風でもなく相手になっている。しかし、話しながら何となく空々しい手ごたえの無い答えに仲間は何時の間にか消えたいた。
気が付くと何時の間にか事務所は宏一人になっていた。大きく背伸びをして回りを見渡し
机の上の書類を片付けると誰も待っていない下宿へ帰るだけだった。
アパートは会社から電車で30分ほどの下町の駅前で歩いて10分ほどのところだった。
大店舗が出来ない小さい町で駅前の商店街には古くから続いている小さい店とコンビに
フアーストフードの店、そしてパチンコ屋が並んでいるだけである。
二階への階段を上がり、2DKの部屋には彼の好きそうな洒落たソフアが置いてある。
ステレオのスイッチを静かに押すと、いつものオールディズが流れてくる。
服を脱ぎ、何をすることも無く、其処へ寝転がる。この時間が彼には一番癒されて
心が休まる時間だった。
ぼんやりと曲を聞いているうちに、今日一日のことが頭に蘇ってくる。

    思いつくままに

2011-06-08 10:18:13 | Weblog
兼好法師の徒然草にこんな言葉があるという事を聞いた(私が読んだわけではない、)
「春暮れて夏になり、夏果てて秋の来るにはあらず、春はやがて夏の気を催し、夏より秋は通い、秋はすなわち寒くなりて‥‥‥」と続くのだそうだ。この言葉を聞いて、現在の自分の立場で考えているうちに、今はまだ春の終わりに近い時だが、まだ夏には早いなあと思ったり三日も続けて雨が降ると「梅雨」に入ったのかと思い、27度くらいの暑い日があると
今年は夏が早いのかと落ち着かない。兼好法師のこの文を読むと、そうではないよと言っているのかもしれない。つまり春の続いているうちに夏の気配が少しづつ漂っていることを知っているのが良いのだと教えているような気がする。毎日の生活で(お天気だけではないと思うが)右往、左往させられることが多いのだが、兼好はそんな天候の感覚を持ちながら書いたのかもしれないが、冷静に見極めれば春の中に夏の気配があり、それを重ねれば秋のことも考えられるのだと言うことを言いたかったのかも知れない。
そしてこれは単に自然現象だけではなく、人の生業から人生全般、大きく言えば国の動きや企業の盛衰、人気の浮き沈みまですべてに通じるものがあると言おうとしているのかもしれない。
つまり人それぞれの一生を考えても同じことが言えるのだろう。人間の夏の盛りと言えるのは30代から40代の頃だろうか。私自身のことを考えても無我夢中で仕事をしていて
先のことなど考えたことなど無かったし、不安、心配事など何も考えることは無かった。この時期はまさに人生が一番輝いていた時期であり、夏の盛りだったのだろう。
しかし、良く考えればこの時既に50代から70代への老年期に向かう秋の気配が潜んでいたと言えるのだが、‥‥‥
しかし、この感覚を女性の立場で考えると少し違うようだ。彼女達は毎日鏡を見る時間を持っている。そしてその度に自分自身を見つめる時間を持ちその中で自分の肌の衰えとか肉体の変化に気付く時間を持っている。(個人差はあるかもしれないが)だからその気配を察しながら準備をすることも出来るし、している人もいるのだろう
其処へ来ると男は全く無防備である。定年に達して突然秋(または冬)の気配を知り、
もう夏ではないことを知り、愕然とすることが多い。(私自身もそうであったが)
今までの延長で何とかなるような楽観的な考えのまま(つまり夏のまま)なので、忍び寄る秋の気配に耳を傾けていなかった分だけ驚き、慌てる分が大きいと言える。
社会的な立場や家庭における居場所を探すのに戸惑うことになるのだ。
徒然草の最後にはこう書いてあるそうである。「秋即ち寒くなり‥‥、木の葉落つるもまず落ちて芽ぐむにはあらず‥‥」として兼好法師は早々に出家したとある。
しかし、我々凡人、俗人になるとそうもいかない。
私自身で言えばまだ、何か出来るぞ、といろいろなものに挑戦してみてはその限界に慨嘆してしまうのがオチだが、それでも良いかなと思っている。生きているかぎり、見ること、話すこと、試みることの中に自分の存在を証しすることが出来ればそれでいいのではないかと‥‥