波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

「秋の墓参」

2020-09-28 10:52:20 | Weblog
生憎その日は小雨の降る日ではあったが、娘の家族が迎えに来てくれて出かけることが出来た。平成3年といえばもう30年を過ぎるが、東京近郊に墓地を求めることが出来た。まさか50歳で妻がなくなるとは思わなかったのだが、墓地を求めることになった。幸いあまり遠くないので年2回の墓参には今のところ来ることが出来ている。そして来るたびに亡き妻の前で罪悪感の公開をすることになる。結婚前に私の家に手伝いを兼ねてきていた人なので、少し走っていたが、静かな人だという印象しかないのだが、両親に勧められて結婚することになった。新婚当時から経済的にも貧しい暮らしであったが、最初から最後まで口らしい泣き言を聞いたことはなく、辛抱強い人であった。後日聞いたところ八王子に住んでいた義理のお兄さんには何度か儀地話を聞いてもらっていたと聞いたが、口うるさい姑女の愚痴も我慢して、子供のお産も実家の親に世話になり、何一つ面倒はかけたことはなかった。
それをいいことに私自身は年中家を空けて夜遅くまで会社人間としてお付き合いをして家を顧みることはなかった。(最低限のことはしたつもりだが、)私が妻の病を知ったのは発作が起きて救急車で運ばれるときであった。それからは度々発作のたびに病が重くなり、どこの病院でも無理と言われるようになり、(若年性アルツハイマー)静かに天国へと旅立っていったのだ。
歩行が困難になり始めたころ、私は車いすで彼女と江戸川の土手を何度も散歩しながら一人語りをしながら歌を歌って聞かせていた。「白いブランコ」
そんなときが妻とのある意味真実の交わりだったかもしれない。最後まで愚痴をこぼさず涙も見せず静かに旅立った妻を私は墓前に立つたびに、思い起こし罪悪感で懺悔せざるを得ないのである。

「一冊のノート」

2020-09-21 13:51:54 | Weblog
自粛生活が続いている。この生活形態を健全に過ごすことも大きな仕事であり、勤めかもしれないが、世間では様々な問題が起きつつある。特に女性に対しては影響が大きいらしい。普段なら何とか生活を維持しているが、このようにあれこれと経済的な問題を含めて生活形態を今まで通り保っていくことがままならなくなると、ストレスが過剰にかかり影響が出てくるらしい。今朝の新聞によると自殺者が多くなっていると告げられていた。そのほかにも飲食関係であるとか、観光地のような密集しがちな場所での仕事であるとか、業務形態も変わりつつあるのでよほど努力をしなければこの状態を正常に保つことがむつかしいようだ。その意味では新しい人生感覚を身につける必要があるかもしれない。そんなことを考えながら新聞を読んでいたら福島の姪っ子から小堤が届いた。珍しいなあと開けてみると私の20代の頃の古いノートや写真などが入っていた。ノートは学生時代の粗末なものだったが、恥ずかしいほど幼い内容で、自分でも恥ずかしいものであった。もう処分して早く忘れたいと思いながらお礼の手紙を書いたのだが、改めて自分の人生を振り返る時間を持つことが出来た。兄の厳しい監督下で自由時間がなかったが、放送劇団でのお稽古と教会での礼拝の時間だけは許されていたのでその時間が生きがいだった。後は自由時間がないので娯楽は一切なかったが、田舎へ買った弟と違い、自分でもよく辛抱したと思っている人生を振り勝っている。人生はそれぞれの道でもあるが、いま改めて感がると感謝しか浮かばないほどである。

「自粛生活とペット」

2020-09-14 10:49:24 | Weblog
」暑い夏もやっと終わりに近づき、涼しげな気配が漂い始めた。今年のもう夜をやり過ごした達成感がある。そんなある日、息子が訪ねてきたので
ころなについてはなしを聞くことにした。「いったいこの病気はいつまで続くのだろう。」「全くわからない」。「実態はどうなっているのだろう」
「其れもわからない」つまり誰もがこのコロナのことについて決定的な決め手について何もわかっていないようである。患者一人一人が持つ症状によって対処療法にあたり、それぞれの治療で時間をかけて回復していくようである。従って個人差があり、場合によってはその患者の既往症でその回復が」異なるのもとくちょうなのであろう。問題は「いつ終息宣言」が出るのか、そしてじゅうらいのせいかつ環境に戻るのか、さらに言えば再度ウイルスの蔓延が考えられるのか、まで心配になる。先の見えないことほど何によらず不安なことはない。そんな状況の中で最近のニュースではペットのことが盛んに出るようになった。気になったので調べてみると猫を飼う人が急増しているようで、犬の数より多くなっているようである。やはりこの時期、家でこもっていてはやはりそのストレスを何らかの形で癒すことを感げざるを得ないのは人情かもしれない。ペットを飼うこことはそれなりに大変なことだろうと思うが、今はそれどころではないのでろう。猫と一緒にいることで心が癒されるならとの思いなのだろうか。
然し動物を飼うことはそれなりに責任も伴うし費用もかかることであるし、まして多頭飼育になる弊害もある。その辺は心配の向きもあるが、今はそんなことを言えない時期なのかも位知れない。いずれにしても「コロナウイルス」の終息を一日も早く願うものである。

「秋・台風」

2020-09-07 16:30:30 | Weblog
子供の頃、母親に教えられて正月になると「百人一首」のかるた取りをしたものである。意味は分からないが、漠然と上の句と下の句の頭を覚えて父が読み上げる上の句から下の句へ移る時に真剣になって取り合いをしたものであった。自分の持ち札を取られまいと子供心に夢中になったことをいまさらながら懐かしく思い出す。そして秋が来ると何故か「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」の句を口にする。
この句が詠まれた数百年も昔の句が21世紀の今日に何の変りもなく生きていることが嬉しい。まだ連日30度を超す夏日が続いているが、そんな中をさわやかな風が頬をかすめる時、その涼しさがひと際涼しく感じるのはわたしだけであろうか。「朝の涼しいうちに片づけておこう」と仕事に取り掛かる時でも昼の厚さを感じる今日この頃でさえ、9月の風は「あれ、違うな」と感じさせる涼しさがある。その時ふとこの俳句が浮かんでくる。古今集を謡った歌人が感じた風も今も変わらぬものが残っているのだ。厚さは変わらなくても一瞬頬かすめる風の涼しさに秋を感じることが出来るのは日本の四季の変化を残してうれしい。これから台風シーズンに入る。すでに九州ではその先ぶれがおそっている。今年もいくつかの台風が日本を襲うことだろう。そして同時にあの熱い猛暑から涼しい秋へと変わるのである。久しぶりにやってきた息子と話をした・「この暑さは台湾も顔負けだね。変わらないよ」そう台湾の暑さを日本で覚えるとは、まさかと思っていただけに一層親近感を覚えるこの頃である。。