波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

     白百合を愛した男   第89回

2011-04-29 10:19:00 | Weblog
無事に調査が終わり帰国し、数日後その報告会と総括が行われた。それは今までの
考え方を大きく変えるものとなった。それまでは日本の優位性を強く考えていて、中国の
力を軽視したものであった。まだまだ日本との差は大きく負けることはないという感覚が
今回の視察で変わったのである。主原料である酸化鉄(勿論そんなに高品位のものではない)も充分あり副資材とするバリュウム、ストロンチュームも豊富に埋蔵している。何れこれらは中国から仕入れなければならなくなるだろう。酸化鉄も価格競争になれば負ける。
製品はまだまだ技術的に劣るが、彼らは商売になり、利があれば必ず競合してくる。
そしてそんなに遠くない日に日本の市場を獲得する力を持つことになるだろうとの意見は
全員の見るところであった。これは今まで考えていなかったことであり、今後の日本の立場に大きな影響をもたらすことでもあった。既にその兆候が、日本では見られなくても
海外では見られるようになっていたのだ。
シンガポール工場の異変は当にこのことであったことが分った。この報告は連絡されたが、今後の営業対策はまだ具体的には作成できなかった。まだ日本にはその影響が無かったからである。一段落して落ち着いた頃、又、シンガポールから連絡が入った。
シンガポール工場の約50%を占めている台湾の日系のお客さんが注文を断ってきたと言う知らせである。マグネットの製品価格が中国品との比較で高く、売れなくなった。そのために原料の値段を下げて欲しいとの強い要請があり、それを飲むと赤字になるので、拒否した。すると、他から安い原料を探さなければならないといわれ、困っていると言う知らせだ。日本の国内では考えられない、国際問題になってきている。
そして、それは猶予もならず、もう一段エスカレートして企業合同の問題へと進んだ。
つまり、一緒にこの問題を取り組むか、シンガポール工場を台湾側で買収したいと言うことだ。こうなると、親会社でも無関心で入られなくなり、面子もあり、急遽現地へ乗り込み、検討が始まった。どうするか、それは将来を占う大きな問題であり、これを解決する簡単な対策は無かった。結局は先方の申し出を断り、大きなユーザーを手放すことになったのである。この事がシンガポール工場にどんな影響が出るかは、その時考えられる人間はいなかった。そして今までどおりの生産が続けられていた。

 思いつくままに

2011-04-27 11:27:31 | Weblog
「君は自分の顔に自信があるかい」と言う人はあまりいないと思うけど、もし言われたとすれば、どんな返事をすればよいのだろう。「とんでもない。自信なんてあるわけないですよ。」というと思うのだが、あまり投げやりなのも少し無責任すぎるような気もする。
先日もある女性から「最近やせてきた所為か、前よりみっともなくなったわね」と率直に言われて、少なからずショックを受けたのは正直な気持ちであるが、20年も付き合っていて、昔のイメージで言われても無理だよと言い訳の一つも言いたくなる。しかし、女性は正直で思ったことをそのまま言うことを何とも思わない所があるので、そのまま納得している。男はそこそこ太っていて、貫禄のあるほうが頼もしく、頼りがいがあるように見えるのだろう。そこで反省も込めて「最近、心の窓が少し曇っているからかもね」とかわすと「そうかもね」とあっさり言われてしまった。
「目は心の窓」とも言われ、朝起きて洗面所で顔を洗い、鏡に映った自分の顔を見ながら
健康の度合いを確認しながら「今日もまあまあかな」と言い聞かせているが、自分の顔も自分で見るのと、他人が見るのでは大きな違いがあるのだろうとつくづく思わされる。
写真なども写す人によって同じ人物が、全然違ってくるように、それぞれのレンズによっても変わってくるものなのだろう。俳優さんやタレントなどはその意味では、自分の仕事に影響するとあって大変神経を使っていることだと思う。
人は誰でも年齢と共に容姿は変わっていくのは当然だが、その変わり方はその人の人生を物語ることもある。それは美醜のことではなく、むしろ内面的なもので、それが容姿に影響してくるのだ。若いときには無かった品性や思慮深い年輪のようなものがその人の容姿に映し出されていることがある。それはその人の生活習慣であったり、考えている内容が出ているような気がする。確かに健康こそが人間にとって、究極の目的かもしれないが、
健康は生きるための一つの条件であってもすべてではない。だからそのことだけにあまりむきになるのも良し悪しであろうと思う。
「人の知恵は顔に光を添え、固い顔も和らげる」と言う言葉を聞いたことがある。
いよいよ春真っ盛りになってきた。我が家のチューリップも満開になり、次々にいろいろな花が和ませてくれる。今年の花を出来るだけ観賞して、その美しさを心と顔に映し出したいものだと思う。

白百合を愛した男    第88回

2011-04-25 11:34:27 | Weblog
翌朝、ホテルを出てから通訳を頼んでいた現地の商社の人に聞いてみた。「いったい何が起きたのか。」詳しい事情は分らなかったが、夜中突然地元の警察が入り、今晩此処へ止まっている日本人が女性を同伴して泊まっている。それは売春行為を補助した罪になると
言うことで部屋を調べると言う地元警察の取調べだったらしい。ホテルの主人が中に入って説明し、絶対その様な行為はないと言ったが、聞き入れられず宿泊者を連行して取調べを行うと言うことだったらしい。暫く時間がかかったが、主人が何がしかの金を握らせ、
何とかお引取りを願ったらしい。ここでは正当な言い分が通じないこともままあるらしく、法律があっても、その通りに行かないことはあるらしい。まして現地の言葉のやり取りによっては話が通じないことがあってもおかしくなく、その意味では何が起きても不思議は無い様子である。要は自分達の利になるようにされることもあるのだ。何によらず、
頼るところも無いところでは出来るだけ無難に過ぎることを願わないわけには行かない。
ようやくの思いで其処を離れ、目的地の工場の見学を済ませ、そこそこに香港までフエリー船にて、帰国することが出来た。船着場から香港の市内へ入るまでの道をタクシーで走っていると、道の横で大きな袋を持って手を上げている人たちが大勢出てくる。
運転手は顔見知りとあってか、当然のように車を止める。何ごとが起きるのかと又不安になっていると、口々に何か言いながらその袋から木の実を出してくる。「ライチ」と言っているらしい。そうか、これがライチか、あの楊貴妃がこの木の実をとても好きで、遠方にあってもこれが食べたいと、宮殿まで取り寄せて、毎日食べていたと聞いていた、その
ライチである。日本円で百円も出すと、袋一杯にくれる。どんなものかと楽しみに持ち帰りホテルの冷蔵庫で冷やして味見をする。なんとも言えない上品な甘味と香りがほのかにしてその実は口に広がる。果肉は大きな種のためにそんなに口で味わうほどではないが、
それが又野趣味を持たせ、なんとも言えない。楊貴妃でなくてもこの味の良さは分る気がして、何とか日本へ持ち帰りたいと思った。検閲では原則持ち込み禁止であるが、何とか工夫をして土産にしたいと本気になっていた。
北の技術班も香港へ帰り、全員が集合し、無事に調査を終了することが出来たことを祝って乾杯をする。まだ成果がどのようなものであるかは未確認であったが、初めての中国での磁性材調査が無事終わったのである。

白百合を愛した男    第87回

2011-04-23 10:54:44 | Weblog
北京で営業班チームと技術班チームに別れる。営業班は上海経由で広州へ技術班は武漢から大連へと向かう。何しろ日本と違って広くて大きい、それでも象の尻尾ぐらいしか見えないかもしれない。営業班は上海でも一日を移動日として休息日とした。町を散策すると空から白い綿のようなものがしきりに落ちてくる。良く見ると柳の木から落ちる花の芽のようでそれが綿のようにふわふわと散っている。中国はこの時期(6月)が一年で一番良い季節とされ、人々の顔も和やかだ。夕方早めの夕食後「上海技芸団」の演技を鑑賞する。はじめて見る演技であったが、そのやわらかい身体能力の高さと長い訓練の上に完成されたその演技の高さに感動を覚える。やはり10億を超える国民の中から選ばれた人たちでなければ生まれないだろうと思われるもので、なんの華やかさも無い中にも真剣に演技をしている姿は立派と言わざるを得ない。
広州は南の商業都市であり、アジアの中心都市でもある。年に一度の広州で開かれる「貿易展覧会」には各地からビジネスマンが集合し大きな取引が行われている。
我々の行く先はその市外から遠く離れた郊外の工場視察である。そこでチャーターしたタクシーに乗り100キロ近く行かねばならなかった。メーターなど無いポンコツタクシーは乗ったときから不安であったが、案の定、途中でえんこし、車を乗り換えてやっと目的地に近い町へ到着。そこで一泊となる。夕方散策を兼ねて数人で歩いていると、日本では見られない漢方薬の店を見つけた。入ってみると、全く見たことも無い草木を始め、動物の内蔵を含めた、身体の部分を乾燥したものや、ビン詰めにしてある。聞いてもそれが何に効果があるのか、さっぱり分らないが、殆ど客の姿も見られない。
ホテル(大飯店)には我々以外に客は無く、テーブルに出されたコップもテッシュでよく拭かなければ使えないような感じで、何とか夕食を済ませる。早めに各部屋へ別れて休む事になり、何時の間にか寝ていると,突然大きな怒鳴り声で目を覚まされた。
全く何が起きたのか、分らないが、階下から中国語での怒鳴り声とガチャガチャとする大きな音がしている。出て行くわけにも行かず、すっかり目は冴えて眠ることも出来ず、不安な気持ちで外をうかがっていたが、やがて静かになり、ホッとする。それは何の騒ぎで何があったのかは全く分らないまま朝を迎えた。何しろ我々意外には客のいないホテルで全く不気味である。又言葉があまり通じないところでは何があってもおかしくない。

思いつくままに

2011-04-20 08:47:42 | Weblog
時々自分は不幸な状態なのか、幸福でいるのかと自問自答することがある。そうでなくてもふっと自分を顧みて、これで良いのか、不安だなあと思うことは誰しももつのではないだろうか。自分が幸せか、不幸かと言うことを何を基準にして考えたら良いのだろう。
一つには他者、つまり他人との比較を無意識にしているところからきているだろうと思う。それもごく身近な人と比べているのだ。他人のことなど気にすることはないと言われても、この世で生活している限り、周りの人を無視して生きていくわけには行かない。
そして何時の間にか自分の立場を見て、考えてしまっているのだ。
だとすれば、その比較の対象の半径を少し広げて下げてみてはどうだろう。(誤解の無いように言えば、それは決して馬鹿にしていっているのではない。)つまり極端に言えば、
海外の未開発国の人たちのことを考えるとか、まだまだ充分な生活物資のない人たちの事を考えてみてはどうだろうか。そうすることで「幸せの価値観」が違ってこないだろうか。そう考えることで幸せと言うものが単に「裕福」な状態に自分があるということだけで計れるものではないことも分ってくる。「裕福」が幸せの条件かもしれない。また、そう思う時もはあるだろう。しかし、それが全てであろうか。
こんな話を聞いたことがある。「大皿は入れたものをすぐ冷やす」という言葉があるそうである。つまり大宮殿のような大屋敷に住んで、何をするにも全てのものが整っていて
自分は何もしなくても、全てのことが思うようになり、運んでいる。必要なものは何でもある。このような環境で生きている人の感情や心はどんなものだろう。少なくても熱く燃える心、喜びを分かち合う触れ合い、涙が自然に溢れるような感動、これらのことをあまり期待できないのではないだろうか。
自分が幸せか、どうかと言うことを他人との比較で決めることは少なくてもおかしいと思うべきだし、良く考えて見回してみれば、身近なところで心が豊かになることは一杯あることに気付くはずだし、平安の気持ちこそ大事である。そしてそのことに気付く時自分がどんなに幸せであるかを気づく時でもある。逆に「あの人は幸せそうだなあ」と見える人でも、心に大きな悩みを持っている人だとすれば、その人は不幸なのではないだろうか。
昨日、桜も終わったある寺の庭を訪ねた。其処には、其処にしか見ることが出来ない
「山吹」の花の群生がある。誰にも知られず静かに咲いている黄色の美しさにしばし足を止めて見入ったものである。一日はどんな劇場の特等席でドラマを見ているより、ずっと
ドラマチックなドラマを見る特等席にいるようなものである。
そんな意識を持って一日を過ごしてみたい気がする。

白百合を愛した男   第86回

2011-04-18 11:38:42 | Weblog
「魔が差す」と言う言葉があったことを思い出した。全くあまり理由が無いのに、自分が何をして、何が悪いことかと言うこともなく、行動していることがある。人間が如何に弱く脆いものであるかを今回のことで思い知らされていた。親会社への呼び出しも少し変わりあまり行くこともなくなり、従来の仕事に専念することが出来るようになって来た。
そんなある日、のんびり会社でモーニングコーヒーを楽しんでいると「シンガポールから電話ですよ」と言われた。一時間の時差なのであまり違和感を感じないで済むのが良い。「みんな変わりありませんか。」と世間話の調子でいると、受話器の向こうからいらいらした声で「此処のところ注文がばったりなんだ、何か日本であったのか、何が原因なのか、何か聞いているか」突然の質問で眠気がいっぺんに覚めた感じになる。「どうしたんですか。こちらではあまり変化は無く順調ですけど」と言うと「今までシンガポールの原料を使ってくれていた台湾や、中国のお客さんから注文が入らなくなった」と言うのだ。
詳しいことは分らないが、中国で同じような原料が安く出来るようになったらしく、日本の高い品物でなくても良いと言うことらしい。まさかと思っていた現象が始まったらしく電話の声は落ち着かなかった。「分りました。早速事情調査と対策について検討して連絡します。暫く時間を下さい。」電話を切手からも何かまだ現実のこととは思えず、信じられない気持ちでいたが、まず、本社へ報告を入れた。こうなると情報は地方や海外に頼るわけには行かない。やはり東京がすべての中心であったし、一番速く事実を掴むことができるところであった。「そういえば、これから先のシュミレーションの話が出ていたな。
のんびり安心していたが、新しい変化がもう既に始まっているのかもしれない。」
数日後、親会社の関係スタッフが集まり、情報交換と検討会が開かれた。
結論としては現地調査をすることとなり、「中国現地調査ミッション」が結成され、
チームを二組に分け、出発することになった。そのチームの一員として中国へ行くことになり、北京へ向かった。ここで原料酸化鉄のメーカー調査とマグネット工場を中心としてメーカー調査と別れる。営業は主に工場訪問と実態について調査することとなり、大連、上海、広州と行くことになる。北京の日航ホテルは立派な日本人向けの設備が整っているが、其処で働いている従業員の中国人は一様に表情が固く、全く愛想も無ければ話もしない。用件のみの対応で(それでよいのだが)あまりの違いに戸惑うこともあった。

白百合を愛した男   第85回

2011-04-15 10:29:18 | Weblog
人間には生まれながらに本能的な欲があって、その欲望が富を生み、権力をもたらしその権力が名誉欲を生み出していくと言うことなのだろうか。また、人には「生まれながらにして」すべてに恵まれていて、すべての物が備わっている人もいる。
えらいさんを見ていると、何か自分とは違う世界に住んでいる人のようで考えていることもすることも違うから、私たちのことなど分らないのかもしれない。
こんなことに使うお金のことも、このお金が何のために使われ、どのように使われなければいけないかということをどのように考えているのだろうか。自分の心が痛まない金なら何に使っても良いと言うことなのだろうか。
そんなことを考えているうちに、すっかり自己嫌悪になり、毎日が憂鬱になっていった。
何日か過ぎて忘れかけた頃、又電話がかかってきた。何時もの時間に、いつもの場所である。しかし、それを断る勇気も理由も見つかることが出来なかった。場に引かれていく牛のように出かけるしかなかったのである。請求書は次第に増え、それを本社へ送るたびに心が痛んだ。本社からはその事についての、注意も、コメントも無かった。
それだけに余計に苦しむことになった。そんなある日、親会社の定例の打ち合わせの会議に出かけた。えらいさんはまだ部屋へ入って来ない。ひそひそとスタッフの連中がこそこそと話し合っている。詳しくは分らないが、あまり良い話ではなさそうだ。
「昇格が見送られたらしい。」「どこかへ飛ばされるかもしれない。」そんな言葉が聞こえた。どうやら、今回の連日のご乱行が、上の耳には言ったらしい。奥の院へ呼ばれて詳しいご注意を受けているらしいとのことであった。当然ながら当人に関連している関係者も名前が出て、共犯的な的になっているようである。確かにそれについては否定することは出来ないし、いい訳も出来ない。今から考えれば、はっきりと断ればいいことであって何の意味も無いことであった。当事者が単に一人の女性のとりこになり、言いなりになって連日、大事な経費を無駄に使用していただけの話である。その理由が一般的な男女関係だったのか、(少なくともそんな素振りは見えなかったが)淋しさを紛らせるためだったのか、あるいは仕事の癒しのためだったのか、全く分らない。
その日の打ち合わせ会は、とうとう責任者のいない時間のまま過ぎて終わったのである。
何時かこんな日が来るのではないかと心配はしていたが、その日が来てしまったのである。

     思いつくままに

2011-04-13 11:06:50 | Weblog
「失礼ですが、お幾つですか」「いやー恥ずかしいですが、もう70歳を過ぎました」
そんな会話が聞こえてくる。若い人はあまり年の話はしないものだが、年齢を増すごとに年のことが気になる。幾つになっても若さを求め元気でいたいと思うのは当たり前だが、
何時しか年を重ね衰えていくのだ。
肉体は兎も角、それでは頭の方はどうなのだろう。それだけの時間を過ごしてくれば
それだけ知識や体験が豊富になり、人間としても幅や奥行きが出てきて、それぞれに
人間味と言うか味が出てきそうなものである。しかし実際はどうだろうか。自分自身のことを考えてみても、ただ我慢ができなくなり、それだけ身勝手になっている自分を見ることになる。こうした錯覚のような感じは若いときからずっと続いていて、二十歳ぐらいのときは40代50代の人は物事を深く難しく考えていて行動していると思っていたが、実際その年になってみると、意外と単純に浅くしか考えていないことが分った。
そして60代、70代と年齢を重ねたら、次第に落ち着いてきて、若いときには気が付かなかった高邁なことに気付くようになるものだと思っていた。
しかし、実際は深く高邁な精神を持ち合わせるどころか、身勝手で自己中心な自分になっていることに気付いていないことが多い。
年をとってきたことで自分が人よりも偉大だと思われたいとか、馬鹿にされたくないとか、そんな思いが強くなっている。
「年をとる」と言うことは「年を取る」つまり年を減らしていくことだと考えてみたらどうだろう。減らしていくことで(つまり子供かえっていくのだ)と言う考え方で
自分を見失わないようにしていく方が間違いない生き方が出来るかもしれない。
経験してきたことや身につけたことや耳学問で、知ったかぶりをする老人が多い中で、反対に「そうでしたか」と、今まで身につけてきたことをもう一度習い直す気持ちで
話を聞き、やり直すことの方が間違いないような気がしている。
その事が「誕生日」を迎えるごとに自分を祝い、自分を生んでくれた両親を思い、
感謝することが出来るのではないだろうか。遅ればせながらお彼岸に出来なかった墓参をしながら、そんなことを考えてみた。
今年は桜も例年より遅く、少し強い風に吹かれてちらり、ほらりと舞う、そしてたんぽぽや土筆をみながら春を満喫することが出来た。

白百合を愛した男   第84回

2011-04-11 13:02:58 | Weblog
店の女性やママに見送られ、えらいさんの後について迎えの車の待機している場所へ向かう。のろのろと乗り込んだ車の後から敬礼で見送り、ようやくお勤めが終わる。
もう終電車の出た後とあって、電車は無い。無線タクシーを利用して帰るように指示されて帰ることになる。シートに背を持たせ走り出して、ほっと一息つく。少しづつ我に返り
自分に戻る気持ちになる。あの時間は何だったのだろう。少なくても慰労ではない。
まして宴会でもない。そんなことを考えているうちに、店にいたときのことを思い出していた。「ねえー、君、血液型は何型?」隣に坐っている若いホステスに話しかける。
「何型だと思う。」「そうね。日本人はA型が多いって言うからA型かな。」「はずれ」
こんな若い女性と話す機会がなかった、やはり無意識に気持ちが浮いていた。「えー、じゃあB型かな。」「あたり。」「そうなの。実は私もB型なんだよ。」「そうなの。じゃあ縁があるのかしら」「でもね。B型っていうのは、特徴があって好奇心が強く、何でも新しいものに飛びつく癖があって、しかも長続きがしないで、いい加減な所があるって聞いたことがあるよ。」「そうなの。」完全に調子付いて周囲のことを忘れていた。
とその時、隣の席から大きな声が飛んできた。「馬鹿言ってるんじゃない。お前だけがB型じゃない。何を言ってるんだ。」みると、こちらをにらんでいるえらいさんの顔がこちらを見ている。雰囲気の良さの中で、つい浮かんだ思いを冗談をしゃべったつもりだが、ひょっとしたら、彼もB型で自分の悪口を言われたと勘違いしたのか、
、何が癇に障ったのか、虫の居所が悪かったのか、突然の怒声であった。「しまった」と思ったが、もう遅い。「すいません」小さい声で言ったつもりだが、言葉にならなかった。それからの時間の長かったことが忘れられない。いつもの悪い癖が無意識のうちに出てしまったことを、苦い傷になって残っていた。
食事の店も、銀座の店も同じママであったこと、そういえば、この夜の時間のパターンは
今日が始めてではないらしい。既に少なくても、暫く続いているらしい。そしてその費用負担を自分の自由に出来る予算の金額から捻出すると同時に、自分の管轄している関係会社、商社に負担させていると聞いていた。とすれば、このケースは今日だけでは終わらないのか、だんだん不安と心配が頭をよぎってきた。確かに自分の会社の東京予算もある。それは自分の責任に任されていた。それは本社の、社長の自分に対する信頼である。
その信頼を裏切ることにならないか。帰りの車での思いは、次第に悪い方へ傾いていた。

白百合を愛した男    第83回

2011-04-08 10:49:30 | Weblog
エレベーターを降りると、薄暗い廊下のようなところを歩く。その突き当たりに黒いドアに金色にあしらった看板の前に出た。軽くノックするとすっとドアが開き蝶ネクタイをした男が一礼をしている。三人が入ってゆくと「早い御着きだったわね。」と声がした。
見ると、先ほどまで割烹着にエプロンだった女将が、ブルーのロングドレスに髪をアップ
にして、立っていた。まるで人が変わったかのような早代わりである。あっけにとられながら、席へ案内される。まだ9時前とあって客もほとんどいない。そんな中奥のボックスシートに腰を下ろすと、えらいさんは何故かホッとした様子で表情が緩んだ。どうやら此処がお気に入りらしい。しかし、昼間眉間にしわを寄せながら、ぶつぶつと若い者に文句を言いながら書類に目をやり、社内の廊下をもたもたと歩いている人が、夜になるとどうしてこんな行動を取るのだろうか。確かに自分達も、夜の社外行動が無いわけではない。
しかし、それらには列記とした大義名分があった。それは大事なユーザーの招待であったり、会議の打ち上げであったり、慰労会であったり、お祝いとかである。
しかし、この流れは全く違う。単なる内輪のプライベートな行動で、何処から見ても、何の意義も考えられるものは無かった。むしろそれが煩わしいので、避けているのかもしれない。始めてこんな所(高級クラブ)へ連れて来られて、何の目的で、何をすればよいのか見当もつかず、ただぼんやりを坐っていると、「いらっしゃいませ」と笑顔で挨拶をしながら、客の間に一人ずつ、ホステスが坐った。程なくピアノの演奏が流れ、何となく
それらしい雰囲気が漂ってきた。デーブルには高級ブランデーが置かれ、グラスに注がれ、乾杯が始まる。えらいさんはそのグラスには手をつけず、ウーロン茶を手にしている。客が同伴で入ってきて、ボツボツと席は埋まり、カウンター前のホステスの動きも忙しくなる。そろそろこの店の時間になっているのだろう。何人かの客がピアノに合わせて歌っている。何時もカラオケやギターと違った雰囲気である。
えらいさんは隣に坐っているホステスと、何か楽しそうに話している。時々ママが顔を出し、何か欲しいものが無いかと聞いている。お供のわたしたちは所在無さに、ただ虚しく時間が過ぎるのを見守るしかないのだが、心の底で、「自分達は何のために、何をしているのだろう」とそのことだけがずっと消えず、ひたすら顔色を伺うのみであった。
やがて気が付くとラストの時間になっていた、ママが挨拶代わりに「そっとお休み」の歌を歌いながらお礼を言っている、客は三々五々消えていた。「いつもの所へ車を呼べ」と命令した。