先週お休みを取って、三年ぶりに台湾を訪れた。37年前に始めて行くようになってから
仕事を兼ねて年に数回行っていたが、仕事を離れてもこうして行く機会をもてるのは、何か不思議な気がしている。行くたびに思い出が出来て日本とは違った感慨を持つことが出来るのだが、何かの絆のようなもので結ばれている思いもあり、それは自然の流れの様でもある。日本人は台湾の女性のとりこになる傾向があると思われるだろう。確かにそれは事実である。私自身も似たような経験をしたことがある。それは「はしか」のようなもので、一時大きな熱にうなされるようなものでもあった。そしてその病気にかかって日本の生活に大きな異変をもたらした人を何人も知っている。表には出てこないが、そのまま帰らなかった人もいるのだ。それは女性の魅力だけではなく、この国の持つ独特の環境の所為かもしれない。それは未だに謎であるが事実である。さて、今回の出発は殊のほか心が爽やかで静かであった。毎回出発前になると、ある種の緊張感と気負いのような責任感(主に仕事上の)で自分がいつもと変わっていくのを覚えたものだが、息子と一緒と言うこともあって全くの自然体であった。空港までの道から空港での手続き、そしてフライト到着後もバスでホテルへ
案内されて、全てが予定通りだった。夕刻だったので、早速チエックインした後すぐ市内の散策に出る。通りは会社帰りのラッシュタイムとあって、車とオートバイであふれていた。
コーヒー店は外資系の(スターバック、ドトールなど)とローカル(ダンテ、いかり他)
とが軒を連ねている。食べ物の店も多種多彩で麺専門、自賛(セルフ)、餃子、定食、パン専門、弁当専門と何でも揃っている。嘗て歩道は凸凹が多く、歩きにくかったが、拡幅され大分整備されていて良くなっていた。不図、通りの角を見るとドレスアップした男女が寄り添ってポーズをとっているのが見えた。カメラマンが撮影しているので、映画のロケかと思ったら、終了間際に派手な花火を揚げている。何のことは無い結婚衣裳のお店の宣伝用のデモンストレーションのようであった。そうかと思うと交差点の角で大きな声を張り上げて女性用のバッグのたたき売りをしている若者がいる。見ると3000元(9000円)の定価のものを300元(900円)にすると書いてある。そして、ライターでそのバッグに火をつけて、本物の革であることを証明している。いやはやそのすさまじさをみて、これじゃあ日本の寅さんも真っ青だなあと苦笑せざるを得なかった
仕事を兼ねて年に数回行っていたが、仕事を離れてもこうして行く機会をもてるのは、何か不思議な気がしている。行くたびに思い出が出来て日本とは違った感慨を持つことが出来るのだが、何かの絆のようなもので結ばれている思いもあり、それは自然の流れの様でもある。日本人は台湾の女性のとりこになる傾向があると思われるだろう。確かにそれは事実である。私自身も似たような経験をしたことがある。それは「はしか」のようなもので、一時大きな熱にうなされるようなものでもあった。そしてその病気にかかって日本の生活に大きな異変をもたらした人を何人も知っている。表には出てこないが、そのまま帰らなかった人もいるのだ。それは女性の魅力だけではなく、この国の持つ独特の環境の所為かもしれない。それは未だに謎であるが事実である。さて、今回の出発は殊のほか心が爽やかで静かであった。毎回出発前になると、ある種の緊張感と気負いのような責任感(主に仕事上の)で自分がいつもと変わっていくのを覚えたものだが、息子と一緒と言うこともあって全くの自然体であった。空港までの道から空港での手続き、そしてフライト到着後もバスでホテルへ
案内されて、全てが予定通りだった。夕刻だったので、早速チエックインした後すぐ市内の散策に出る。通りは会社帰りのラッシュタイムとあって、車とオートバイであふれていた。
コーヒー店は外資系の(スターバック、ドトールなど)とローカル(ダンテ、いかり他)
とが軒を連ねている。食べ物の店も多種多彩で麺専門、自賛(セルフ)、餃子、定食、パン専門、弁当専門と何でも揃っている。嘗て歩道は凸凹が多く、歩きにくかったが、拡幅され大分整備されていて良くなっていた。不図、通りの角を見るとドレスアップした男女が寄り添ってポーズをとっているのが見えた。カメラマンが撮影しているので、映画のロケかと思ったら、終了間際に派手な花火を揚げている。何のことは無い結婚衣裳のお店の宣伝用のデモンストレーションのようであった。そうかと思うと交差点の角で大きな声を張り上げて女性用のバッグのたたき売りをしている若者がいる。見ると3000元(9000円)の定価のものを300元(900円)にすると書いてある。そして、ライターでそのバッグに火をつけて、本物の革であることを証明している。いやはやそのすさまじさをみて、これじゃあ日本の寅さんも真っ青だなあと苦笑せざるを得なかった