波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

「初めての取材」

2019-10-28 10:26:25 | Weblog
ある日、私の所属しているシルバーセンターの広報部から連絡があり、「次の広報誌に掲載する記事の取材を頼みたい」と言われた。突然の依頼で何故と訝しく思ったが、どうやら先日の懇親会の自己紹介の時の発言で「趣味は」と聞かれて「ブログと囲碁」と話したことがきっかけのようだった。その時同席していた人の紹介で広報へ伝わったらしい。何しろシルバーだけに若い人がいない。適当な人が見つからないのでということで話が回ってきたらしい。一週間後の予定でその取材日が決まっているのでさっそく下見の見聞に出かける。何しろ歩きで初めての所へ行くのだから全く自信がない。とにかく現地の実地検分をして周辺の情報を調査することから始めた。当日の予定については当日の責任者の地区長さんに連絡してその日の行事予定を概略聞き取りができて何となく様子が想像できる。そして現地を足で歩き、通りがかりの人に声をかけてできる範囲の情報を集めることができた。何となく当日の空気を感じながら調査を終わり、当日を迎える。
幸い良いお天気に恵まれ、会員の人たちに会い、挨拶をかわす。20年以上続いているボランティア活動で作業は順調に進む。しかし何といっても高齢者が多く、それほどの時間と労力はかけられず作業は二時間ほどで終了。私はその間、あちこちに立ち回り写真の撮影と作業の活動状況をチエックしながら、夢中でコメントをとる。そんな時間であっという間の終わってしまった。
ランチタイムやビンゴゲームの憩いの後解散。無事終了となった。学生時代に新聞部にいて将来は記者をと目指したことを思い出し、若いころの気持であったが。帰宅したとたんにどっと疲労を感じてその後体調を崩してしまった。
しかし代えがたい体験であり、まさかの経験であり、この年齢でこんなことができるのかという大きな喜びに浸ることができたことは感謝である。

「新聞週間に思う」

2019-10-21 08:41:20 | Weblog
毎年10月には新聞週間が設けられている。(15日~22日)この時間に関心を持っている人はあまりないかもしれない。一部の関係者だけがこの時間を大切にしていて特別なセレモニーもあるわけではない。しかし「新聞」の持つ役目を大切に出来るだけこの文字から見える大きな変化を読み取り自らの備えとしなければならないことを知るべきだと考える。最近は本を読むことも物を静かに読みながら考えるという習慣が次第に減っている傾向がある。TVやスマホによる機能で短絡的にその便利さと自己の目的だけを達すれば、あとは必要としないものの考え方が増殖しているようだ。しかし静かに考えてみよう。日本は言うに及ばず世界は日々刻刻変化しつつあるのだ。そしてその影響は自らの周辺にも影響しつつあることを一人一人が知るべきであろう。そしてそれぞれが置かれた立場において備え考えるべきであろう。
決して他人事ではないのである。新聞は日々の出来事は言うに及ばず世界の動きをできるだけ知らせようと世界にネットを張り、体を張ってその様子を知らせている。アメリカはトップとしていかに自国を守りながら世界の安定を図るかをか苦慮しているし、中国も香港問題をどのように安定させるかを考え、イランはシリアを安定させんと戦いを続けている。これらは多くの難民を招きかねない大きな問題につながり、ヨーロッパの国々への影響は少なくないことにつながる。事程左様に世界は今や他人事ではなく日本への影響と直接連結していることを認識すべきであろう。
翻って日本も日々事件が起きていて、平安な日が一日としてない。
しかし他の国々に比べれば島国であることで直接的な他の国との関連問題が起きないことで安定しているかに見えているだけである。
このような状態であることを他人事にせず新聞を通じて認識し自らの糧として自覚し、しっかりと自己の立場を認識する責任を持つべきであろうと思う。新聞週間はその問題を改めて惹起させる大きな役目を担っているのである。

「台風19号に学ぶ」

2019-10-14 10:54:15 | Weblog
12日から13日にかけて関東地方を吹き抜けた台風の影響で大きな被害がもたらせられたが、まだ今日現在もその影響は継続している。今回の台風による被害は嘗てないものであり、予測を上回るものであり、且つ又過去に例のないものであっただけに気象庁をはじめ多くの情報機関の放送がありながら防ぐことのできないで多くの被害と犠牲者を出したことは誠に残念であり、心を痛めるものであった。
翻ってこの台風の問題を考えてみるに台風自体の起こる現象の数とその進路についてである。昔から台風自体についての知識は秋、9月を中心に日本の西方を通過するのが通例であり、その被害もさほどではなかった気がしている。しかし近年の台風はその進路もその規模の大きさも徐々に変わり今回のようにかつてない進路である関東地方縦断するというのはおそらく初めてではないだろうか。ましてその大きさも次第に強く大きくなっていることも異常ともいえるほどである。このよって来る原因は年々高まりつつある「地球温暖化」による様々な影響の一つにある太平洋南海上の温暖化によるものとされ、水温の高まりにつれてその現象が変化し、台風の規模や進路にも影響をもたらせているものとされているようである。何れしてもこの関東を縦断した台風は相応の準備と対策がなされながら。それを上回る被害をもたらし死者、けが人はおろか、特に想定以上の雨量による増水で河川の決壊による家屋の浸水、決壊、停電をはじめ鉄道等のインフラへの被害は想像を超えるものになったことは誠に残念なことである。問題は初めての経験で、どれほどの影響があるか何が起きるかを想定できなかったことやその準備も十分でなかったことになるが、これはやむを得ないところもあるだろう。ただ被害にあった人たちには動くことがままならぬ高齢者が多かったことで、この人たちにおける対策はどうであったのか、十分検討されたなければならないであろう。
嘗て昔から「怖いもの」として言い慣らさていた「地震。雷,火事、親父」の格言は「台風、地震、火事、車事故」としなければならないようだ。

「消えた女の子」

2019-10-07 08:59:09 | Weblog
キャンプに行っていた7歳の女の子が居なくなってしばらく過ぎている。捜索も一応解散したとの報道で行方不明のまま過ぎている。私も若い頃似たような経験をしたので親の気持ちになればこのままではどんなに不安であろうかと同情に堪えない。私の場合は妻が小学一年の女の子を学校へ連れて行った留守に下の男の子の守りを頼まれた時のことであった。倉庫で仕事をするので5歳でじっとしていない子を車の運転台に乗せて荷下ろしをしていたのだが、ひと段落したところで運転台を見たところ子供はいなかったのである。どうやら勝手に運転台から降りて一人でどこかへ行ったらしい。よちよちだが自分で歩けるようになっていたので近所にいると思い隣近所を見回したが、いないのでその距離を広げてみたが見当たらない。そのうち近所の人たちも聞きつけて騒ぎは大きくなってしまった。家は下町の駅前で駅にも商店街にも近く道路にはどぶ川もあった。交番にも届けて駅にも声をかけて心当たりを探して貰ったが見つからない。その間3時間くらい過ぎていただろうか。何となく悪い予感を感じていた時、商店街のある店先で「見かけない男の子がおもちゃをいじっている」という人がいて、それが息子であったことが分かり連れ戻したことがあった。今回の場合はわずか20分の空白時間のようだが、これだけ探してもいないのは人為的な作用が働いたとの推測も考えざるを得ないのかもしれない。「神隠し」という言葉で昔は片づけられたこともあったが、今回の場合はこれだけ探して見つからないので事故ではなさそうである。ただ言えることは「一人でいたこと」そして知らない人にあったとしても「知らない人には話をしない」ということも必要なのかなと思われる。子供は疑うことを教えられていないとそのまま行動するので、疑うことも教えておく必要があるのかもしれない。
そんな思いで昔を思い出しながら子供が見つかることを心から願っている。