昨年の念頭から突然発生したコロナ病の災害が始まり一年が過ぎた。いつ終わるともまだ先が見えない状態のまま私たちは自粛生活を強いられている。全世界が活力を失われ、生きる喜びや楽しみを忍びストレスと不自由な生活を強いられ、中には生活自体もままならない状況の中で苦しんでいる。
私の記憶では日本では今から70年ほど前の第二次世界大戦の東京に似ている状況といえる。当時戦争がはじまり、その戦火と共に国中に緊張と統治が」始まり、毎日が空襲と避難の連続であった。しかしこの時は最低限定された国であったが、今回は世界全体である。おそらくこのような災害は歴史的にも初めてということで記憶にとどめられることであろう。一年を過ぎようやくワクチンによる成果を問うことが出来る準備が始まったが、その成果を問うのは今年一年かかることだろう。しかしいずれにせよ何とか成果の効果が実ることをナガワざるを得ない。
さて、そんな日々の中で私たちは何をすべきか、単に自粛と称して、日々を無駄にしてはいないか、自らを省みなければならない。そしてこの与えられた環境でいかに生かされている立場を意義あるものとして活用することを考えてみよう。そうすれば今まで気づかなかった知恵や行動が生まれて、新しい力や能力の活性が働いてくる。それぞれが置かれた場所と環境をどのように生かすかはそれぞれであろう。しかし、この環境をただ無駄に過ごすことだけは避けたいし、ましてそのことをストレスの原因として自暴自棄になることだけは避けたいものだ。
高齢者はまだしも学生をはじめ子供や若者には酷な環境であることを同情せざるを得ない。然しおそらく二度とないこの大切な時間を何とか有意義に過ごす時間に生かしてほしいものだと願うものである。
私自身もそんな思いで日々研鑽を続けている。
私の記憶では日本では今から70年ほど前の第二次世界大戦の東京に似ている状況といえる。当時戦争がはじまり、その戦火と共に国中に緊張と統治が」始まり、毎日が空襲と避難の連続であった。しかしこの時は最低限定された国であったが、今回は世界全体である。おそらくこのような災害は歴史的にも初めてということで記憶にとどめられることであろう。一年を過ぎようやくワクチンによる成果を問うことが出来る準備が始まったが、その成果を問うのは今年一年かかることだろう。しかしいずれにせよ何とか成果の効果が実ることをナガワざるを得ない。
さて、そんな日々の中で私たちは何をすべきか、単に自粛と称して、日々を無駄にしてはいないか、自らを省みなければならない。そしてこの与えられた環境でいかに生かされている立場を意義あるものとして活用することを考えてみよう。そうすれば今まで気づかなかった知恵や行動が生まれて、新しい力や能力の活性が働いてくる。それぞれが置かれた場所と環境をどのように生かすかはそれぞれであろう。しかし、この環境をただ無駄に過ごすことだけは避けたいし、ましてそのことをストレスの原因として自暴自棄になることだけは避けたいものだ。
高齢者はまだしも学生をはじめ子供や若者には酷な環境であることを同情せざるを得ない。然しおそらく二度とないこの大切な時間を何とか有意義に過ごす時間に生かしてほしいものだと願うものである。
私自身もそんな思いで日々研鑽を続けている。