波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思いつくままに   「退屈ほどの不幸」

2016-07-31 09:57:48 | Weblog
最近のTVで「ポケモンゴー」の画面を見た。高齢者には全く無縁の事なので気にもならないが
全国で流行しその影響によるトラブルが発生していると聞いている。
日本も貧困から立ち上がって現在は嘗てないほどの豊かさを満喫している。そして毎日のように新しいものが生まれ、使い方や其の道具によっては夢中のあまり事件やタラブルに繋がっているようだ。生活を豊かにする事はこういうことかと思うとむしろ豊かさのゆえにむしろ不安と心配が感じられるのだが、大丈夫なのだろうか。
私たちの小さいころは遊びはビー玉、めんこ、ロー石などであった。中でもロー石は宝のようなものでこれを三階のもの干し場で遊んでいるときに屋根裏へ落としてそれをどうしても拾うをとして、屋根に下りて拾いあげて安心したときに手すりを放してそのまま1階の路地裏まで落下して九死に一生を得た事があるが、おおむね危険な遊びは少なかった。
一日を如何にすごすか、それは仕事を持つものだけの問題ではなく、この世に生きるもの一人
一人が考え泣けれ場いけない大事な、大切な時間であり、『日々、小さな目的を果たす」ことの
大事さを覚える時間でもある。それが他人の目にどんなにくだらない事であろうとどんなにつまらないことであろうと、それをこの日の勤めとして果たしえる事がその日の「平安」につながることを考えたいと思う。
「ポケモン」で夢中になるのも悪くはないが、其の事で大事な其の日の勤めを忘れない事も大切だのだがと思う次第である。

足跡   「世界は動いている。」

2016-07-28 09:42:18 | Weblog
最近の世界の動きを見ていると一つの変化が見られる事に気づいた。それは女性による首相
つまりフアーストレデイが増えている事である。私の知っている限りでも、ドイツ、イギリス
スコットランド、韓国、ブラジル、マヤンマーそして間もなく誕生が予測されているアメリカ
などである。嘗て主要な国のトップが女性であることがこれだけあったかどうか、かぶんにしてよく知らないがこの事がこれからの世界へどのような影響を与える事になるのだろうか。
確かに女性の進出の目覚しさは気づいていたが、これほどに増えている事は知らなかった。
世界は現在地球温暖化とともに全体に暑くなりつつある傾向があり、様々な過去には見られなかった問題(テロ事件他)が多発して其の対応に苦しんでいる。
しかし、日本だけは安全で不安はないとはいえないのであって、これだけ情報網とボーダーレスの方法が網羅されると直接的にも間接的にもその影響は受けざるを得ないんである。
そのような時に女性が国のトップになり、其の国を動かしていく事が今の時代に適していることなのか、どうかは分からないところだが、良い方向への兆しになる事を願ってやまない。
元来男性と女性が共存する事は創生の時代における神の意思でもあったといわれ、其のどちらも必要である事が明らかであるが、それは人間の持つ原罪を補い合う必要性もあったと考えられる。「夫婦相和し」の言葉ではないが、これからの世界が今までにないフアーストレデイによって新しい世界への一歩になる事を期待したいものである。

思いつくままに   「五年間」

2016-07-25 10:05:40 | Weblog
昨日、あるプロ野球の選手が5年間の怪我の治療の末に現役復帰を果たし公式戦に出場して
勝ちを収めたと言う記事が出ていた。もう忘れかけていた選手だっただけに、この出来事に
驚きと選手をはじめ関係者の努力を改めて思い、感動を覚えたのである。
スポーツ選手にはどの分野でも怪我は避けられず、また其の怪我によっては大きな影響を受け、最悪では選手生命を失うことさえある。其の中で地道に治療に励み、リハビリから現場への
努力を続けた事は、其の裏にどれだけの努力と意思が働いたのかと驚くばかりである。
この世では何時、何処で、何が起きるか分からない時代になりつつある。毎日のように報じられるテロ問題も其の大きな問題の一つだが、日々どこかで事件が起きている。
そんな時、何が大切で、何が必要であるかを考えたい。やはりどんなときにも常に「冷静」さをもって判断する訓練が必要であろう。そして其の問題に対して困難であればあるほど「勇気」をもって対処する力を持つ事であろうか。
それは大きな希望となって結実するのである。上記の選手はコメントで「言葉ではなく、この投げる姿を見てください」と言っていたが、当に其のとおりだと思う。
人はうわべでや其のあり姿で感じたり、思ったりするものだが大事な事は内面を如何に磨き
力をつけるかと言う事を思わざるを得ない。
そして其の内面から出てくる力こそが本当の力となっていざと言うときに、優勝と言う結果をもたらすのではないだろうか。
それは誰に見られるとか、ほめられるとか、認められるとか言うものではないとおもう。
人間の品位が魂が高められる事を目指したいものである。

足跡   「ある日、ある時」

2016-07-22 09:51:16 | Weblog
毎日をどのように過ごそうか。大体頭の中であれこれと考えているが、其のとおりにすごせることは少ない。予定通り動いている最中に気持ちが変わったり、電話が一本入って用件次第で気持ちが変わり予定を変えてしまうこともあり、そうでなくても突然思いついたり、忘れていた事を思い出したりして、どんどん最初の予定が変わって行ってしまっていることに気づくのである。
このように一日の過ごし方も様々であるが、予期しない喜びを受ける事もある。
台湾の人たちとの交流も取引先を通じて何人かの人との交わりを持っているが、それは仕事上の付き合いであってそれ以上のものではない。其の中にあって個人的に身の上話を聴いてくれる人も中に入る。そして個人的に親しくなり、お互いに助け合うと言う気持ちが生まれてくることもあるのだ。例えば取引がある一定の額に達したらボーナスをつけるとか、希望価格を要請する事に対して普通はこれ以上は無理だと断るところを、更に検討してみようとか、今までにはなかった事まで協力してくれるようになったのだ。
嘗てこのような協力的な話はなく、むしろビジネスライクにドライな対応が普通なのだが、身内であるように親身になって話を聞いてくれたので、むしろこちらが驚いたほどである。
人との交わりは様々である。普段は親しくてなんでも協力してくれそうであっても、立場が変わると突然今までの付き合いがなかったような態度をとる人もいないわけではない。
しかしどんな人との交わりの中にあってもその人を恨むわけには行かない。すべては自分のなせる業の結果であることを、もって知るべしである。

足跡    「暑い夏」

2016-07-19 09:10:51 | Weblog
今年も暑い夏がやってきた。若いときは夏が来るのが待ち遠しく海へ山へと活動する事の楽しみでいっぱいだった。しかし寄る年波とともに夏の暑さが耐え難い苦痛に変わってくる。
それは冬の寒さと違い身体への影響が大きい事である。そして其の暑さも年々世界の気候変動とともに変質している事が分かる。つまり「地球温暖化」現象である。
突然30度を越したかと思うと40度近くなりそれが何日も続くと言う始末だ。これでは弱い体力では持たない。どのように避難するかと言う事を考えなければならない。
それは毎日の生活に大きな影響を与える事になるし、精神的にも良くないからだ。
最近世界の情勢も変わってきた。一言で言えばあちこちで暴動や事件が起きて毎日のように世界のどこかでたくさんの犠牲者が出ている。其の記事を読むたびに心を痛めるのだが、これらの現象と気候の現象の変化は関係がないのだろうか。
人は毎日の生活の中で様々な思いの変化ノン加にあることに気づいているだろうか。
いつも平穏にしている事ができるだろうか。突然気持ちが高揚したり、また下がる事もある。
この変化の中で思想的なものが影響して自分でも考えられない行動に走る事もある。
そんな日々の中で如何に自らを律し、正しく保つかを考えなければならない。秘訣があるわけではないが、「冷静」と「勇気」は大事な要素となる。
そして自分でづべてを律するのではない事を肝に銘じて考える事であろうか。
そして「平安」な時間をどれだけ一日の内に保ちえるかが、心の戦いになることを感がるべきであろうか。
しばらくはこの暑さとの戦いを如何に過ごすかを考えてみたいと思っている。

思いつくままに    「突然の事」

2016-07-16 12:00:32 | Weblog
ある日一通のはがきが来た。それは取引先会社の社長の退任の挨拶と新任社長の知らせであった。期中であり、人事異動の時期でもないのに何事かと不思議に思った。
そして車内の人に話を聞いてみると、現役社長は5月のゴールデンウイークのお休みを利用して九州のほうへ旅行に出かけていたらしい。そこで食事中に身体の変調が見られ、一緒にいたひとに言われてすぐ病院へ向かったとのことだった。「脳梗塞」の前兆と言われて静養する事にしたが、その後無事回復して健康を取り戻して出社したところ、臨時の株主会議が行われ既に新社長が選任され挨拶状が発信されてしまっていた、
健康を取り戻し仕事に復帰する事を願っていた社長はそのまま、会社を去ることになり現在取引先の関係者に仕事を探してほしいと相談をしているとのこと。
彼は香港の事務所を長く任され成績も順調だったらしい。そして帰国後招かれて社長に就任して
まだ数年であり、年齢も50台である。
ただ車内での評判は必ずしも良いものではなかったらしく、強引な自己主張が強くかない厳しい責任体制であったらしい。それは長い海外生活で身についたものか、本来の個性によるものか分からないが、それは成績にも反映し業績もそのまま反映していたようである。
しかし、この突然の異動は周りの人にはあまりにも急であり、その理由も明らかにされていない。本人は職探しをしていると聞けばなおさらである。
世の中は複雑であり、表面は静かであってもその人の力関係で動かされる事があるとことを知らされたが、現実は厳しいと言う現象であろうか。

足跡     「空き家」

2016-07-13 07:33:19 | Weblog
最近、少し注意深く辺りを見ていると新しい家が続々建っていることに気がつく。嘗て大会社の寮であったところだとか、古いアパートだとか駐車場だったところとか、少しの空き地だと思えていたところへ新築の家が続々建っている。これも一つの再開発なのだろうと思うが、果たして
人が住むようになるのだろうか。確かにそうなればこの辺もにぎやかになり人通りも多くなるので商店街なども出来るのかもしれないが、今のところあいたままのところが多い。
この辺は『陸の孤島」とも言われ車でもないと何処へも行けないところが多いので、昼間などは人気もないところだ。バスも500メートル歩いて一時間に3回ほどである。
不便と言えば不便だが静かと言えば静かである。近所も一人暮らしの年寄りが住んでいたいつの間にか誰もいなくなり、其の後に誰か来るのかと思っていたら誰も住む人もなく空き家のままである。若い人も古いところへ済む気になれないのか、
こうした風景を見ていると日本も一極集中で集まるところには集まるが、不便なところは自然に人がすまなくなり、何処へも行けない年寄りの最後の棲家で終わるのかもしれない。
夕方年寄りが犬の散歩姿をちらほら見るだけで子供の元気な声など聞く事もできない。
ある意味「ゴーストタウン」になりつつある。
しかし考えようでは静かであり、安全でもあり、方法としては宅配もあり、便利ともいえる。
物は考えようかもしれない。
そういえば、先日の老人会で『レストラン」で注文しないで帰った爺友はすっかりはずされて
次回からは声をかけない事になったと知らせがあった。
娘が嫁に行って独りぼっちになった爺とももいよいよ孤独に負われてしまったようだ。
何とかしてあげたいと思っているが、なにが出来るか、こちらも自分のことで精いっぱいだと思うときが重い。」

思いつくままに    「気ままに生きる」

2016-07-10 12:03:13 | Weblog
久しぶりに梅雨らしい雨になり何となく落ち着いた気分になる事ができた。焼き尽くす暑さの後だけに『慈雨」である。今年はダムも渇水気味だといわれているので少しは補給の役に立っているかもしれない。私は毎月一回ある女性と会うことにしている。と言うといい年でまだデートしているのかと思われるかもしれないが、既に平均年齢を越した880歳を超えたおばあさんである。合うといつもお互いの健康状況を確認し身辺の出の出来事を含めた近況を話し合い、ピザとコーヒー」のランチで時間をつぶすのだが、心休まるひと時でもある。
この婦人には10歳年下のご主人がいるのだが、長い間釣具店で働き、定年後はお天気の良い日だけのバイトで暮らしている。したがって生活は楽ではない。既往症の心臓病もあり安心は出来ないのだが、其の生活態度はどんなときも変わらないのだ。愚痴をこぼしたり、なきがはいったり、人に物を頼んだりした事はない。そして深刻な表情を見せた事もない。
日々の生活の中でそんなにのんきに暮らせるはずはなく、一人で悩んだりしているのではと勝手に想像しているのだが、彼女からそんな表情を見た事がない。
「くよくよしても、しょうがないでしょ」と言うのが口癖でそれ以上のことはきいたことがない。そこには彼女の信念か、強い意思か、諦めか、そんな哲学が潜んでいるのかもしれない。
そしてむしろ周りの人を気遣う気持ちのほうが強いのである。
人生は様々であるが、一番強く大事な事はこの強い意志をしっかりと自分のものにして生きる事ではないかと教えられている。

足跡     「他人事ではない」

2016-07-07 10:10:58 | Weblog
いよいよ暑くなって来た。今年はと言うよりはここ数年空梅雨のようになってきている気がする。昔のようにしとしと降るか降らないかと傘も差し掛ける程度という風情の雨で「あじさい」の花を見るという風景がみられなくなってしまった。降らなければいきなり30度を越すもうしょであったり、振り出すと嘗てない豪雨で雹まで混じり災害にまで引き起こす事になるようになり
季節感こそ残っているが、其のあり姿はオゾン層の破壊の影響を受けて「熱帯型」になってしまった気がする。このパターンは将来も変わらないのかと思うと子供のころの梅雨が懐かしく思い出される。当然年を重ねて自分自身にも体力の衰えを覚えて余計そう感じるのも仕方のないところでもある。
そんな事を思いながら先日の出来事を振り返ってみた。其の日用事が出来て数年ぶりにある知人を訪ねた。しばらく会っていなかったのでどうしているかと思いながらしばらく話をして帰ったのだが、後日家族の人に話を聞く機会があって聞くと初期の認知症になっていて、現実の状況が把握できていない状態だと聞いた。話をしている限りでは全く異常は見られなかったが、「まだら現象」のようである。そんな事があった後地元の「老人会」の食事会があって出席したのだが
(7名)其のうちの一人がレストラン会場であるのに何も注文せず、ただひたすらしゃべり続けてそのまま解散となった。後日幹事の人から話しがあり、店に大変迷惑をかけて恥ずかしかったとし、この昼食会は今回を持って解散とすると通達があった
これも認知症の一例かもしれない。身の回りにこんな事があると「他人事ではなく」明日はわが身かと思わざるを得ない。老いるとはこういうことかと覚悟はしているものとしりながら
何とか人に迷惑をかけない生涯をと願わざるを得ない。
暑い夏空を見上げながらそんな事を考えてみた。

思いつくままに   「台湾有情」

2016-07-04 10:28:52 | Weblog
夏が来ると台湾を思い出す。始めて日本を離れて海外へ行く事ができたのが今から40年前の夏だったからだ。そして仕事を通じてこの40年の間に何回か訪れる事になった。主に仕事が主であったために観光コースをめぐる事はないので良く知らないが、それでも数箇所は行く事ができた。中でも「故宮博物館」は日本では見る事のできないものばかりで、貴重な歴史を見る事ができたが、正直言ってあまり興味がわかなかった。私にとっては生きている人間こそが関心であり、興味だった。台湾は嘗て日本の統治下にあった事から日本語の分かる方が多く(特に中年以上)不便を感じる事もなく動く事ができたし、食事も不便がなかった。
其の事がいろいろな面で影響した事も事実である。私自身も始めて泊まったホテルのフローアの女性に興味を持ち、色々と教えてもらったり、頼んだりした事があったが、そのほか食事に行っても買い物をしても特に親切であった。当時日本から台湾へは多くの企業が進出してたくさんの人が派遣された。其の中には当然台湾の日本にはない「情け」にすっかり信用し、そのままそこに生きる事を考える人も多くいたのである。知人の中にはそのまま日本へ帰らず、そのまま台湾へ居を移して人生を過ごした人を多く知っている。
それは今の日本人に残っていない人情と優しさとに心を奪われてしまった性かもしれない。
台湾の人がそういう人ばかりとは限らない野のだが、特に女性は日本の男性にあこがれて、取り付いてしまう傾向があったのかもしれない。
しかし大半の男性はビジネスライクであり、結構ドライである。やはり一人で生きていかなくてはいけない運命を本能的に身に着けていて良い仕事があるとすぐ転職して独立する事を考える傾向が強かった。