波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

           思いつくままに     

2009-12-30 11:20:38 | Weblog
私なりに来年の景気の事が気になる。今年の1月のはじめのメモにこんなことが書いてある。「外需依存の弱点露呈、GMショック、GDPはマイナス1%。景気回復は早くて今年後半」しかし、実際に一年を顧みて1月から4月がボトムであったことは事実だが、底を抜けているはずの現在も総体的には悪いままで来年を迎えそうである。しかし、来年を私なりに考えてみたい。(やはりいろいろな意味で自分にも影響があると思えるので)少しマクロで見ると物の生産と在庫が大幅に増えると言う話がある。例えばパソコン、携帯電話、デジタルカメラ、液晶テレビなどが
大幅に増加しそうだと言うのだ。因みに私の関係しているマグネットの市場はこの秋からフル生産に入り納入先のモーターメーカーもフル操業で一部正月休みも僅かでやっていると言う話も聞いている。つまり在庫圧縮の効果が効いた様で特にアジア諸国にその兆しが出ている。鉄鋼も約15%程度の生産量増加が見られるとの話である。僅かに化学産業市場にその兆しがまだ見られないのが残念だが、総じて
生産拡大のトレンドは来年を通じてアジアを中心に見られそうなことは喜ばしい思いである。ただし、アメリカを始めとする先進国の冷え込みはまだ続きそうでこの影響がアジアの景気に影響を及ぼすことも考えておく必要がありそうだ。
話は変わり、スポーツ界も今年は大きな変化があったと思う。それは石川選手に
代表される世代交代だった。この傾向は来年へと続き新しい力が期待される。
それにつけても相撲界で若手の成長が見られなかったのは少し残念であり、来年こそ生まれてもらいたいと楽しみにしている。
干支は「牛」が去り「寅」を迎えることになる。寅の字にまつわる故事は沢山あるが、中でも「虎穴にいらずんば虎児を得ず」「虎の衣を借る狐かな」などはその代表と言える。来年は新しい年への挑戦として虎穴にいって虎児を得る年としたいがどうだろうか。ある程度の危険を冒すぐらいの覚悟で虎の子を掴む気持ちで新しい年を過ごすことにするのも悪くない気がする。
高齢者に限らず老いもわかきも自分の出来ること、出来ないことでも挑戦することで自分自身の成長を考えてみたいと思う。そして人との交わりで身構えて話すことの臆病さを止めて素直に自然体でその時そのときを大事に生きて生きる事が出来ればよいなと思いつつ今年を終わる。

           オヨナさんと私    第53回   

2009-12-28 12:37:14 | Weblog
「わたしは48になります。76歳の母と21歳の娘の三人暮らしをしています。妻は今から10年ほど前に出て行きました。離婚しています。母親が20年ほど前に脳梗塞で倒れ、右半身が不自由になり、言語障害もありました。妻は懸命に介護をしてくれましたが、限界だったのでしょう。しょうがないと思っています。
その後は私が一人で面倒を見ているのですが、ここ5年ほどの間に少しづつ悪くなり、言動も妄想も多くなり、手がかかります。ヘルパーさんもつけられず一度専門の病院に連れて行き、入院していましたが、3ヶ月で出された形です。そして又もとの状態で介護を続けているのですが、私も最近はあまり良い状態ではありません。自分としてはこれからも何とか頑張らなければと悔やむ思いで一杯なのですが、これ以上はどうすることも出来なくています。今日は娘が私のことを見かねて心配して休養して来いと出してくれたので、家のことを気にしながら一日休みを取ってきたのです。」と其処まで一気に話した。それはまるで胸の内に溜めていたものをすべて吐き出すような矢継ぎ早の口調でもあった。
改めてその人をまじまじと見るとまだ若いのに暗い影が差し、淋しげに見える。何も知らないで見れば何の苦労も無いように見える人でもこんな悩みを抱えているのかと知るところとなったのである。
「大変だったんですね。男で一人でここまで良くやってこられたと思います。充分つくしておられることが良く分りました。身体を壊しては意味がありません。大事にしてください。後は出来ればプロの方にお世話になる方法を考える時です。
人の世話になる事が悪いことではありません。それは若いお母さんが保育園へ子供を預けることに罪悪感を持つのに似ているようにそれは考えすぎなのです。
子供たちがそれで満足しているようにお母さんがどこかの施設に入るにしてもあなたが責任を放棄したことにはならないです。それも立派な親孝行ですよ。」オヨナさんの話を聞きながらその人はホッとした様子だった。
「サア、もう一度お風呂へ入っていやなことを忘れて今日はぐっすりやすみましょう。そうでないと娘さんの好意が無になってしまいますよ」
誰も居なくなった部屋で二人は立ち上がった。
静かな夜の庭に、何かががさがさと音を立てて歩いている。

           オヨナさんと私    第52回

2009-12-25 09:58:24 | Weblog
翌日は箱根登山電車にて強羅まで上る。ここには「彫刻の森美術館」や友人の関係している箱根寮がある。美術館は40年ぐらい前に開館され、年々充実さを増している。以前にも来たことがあったのだが年々新しいものが加えられ広大な敷地の中を四季折々に木々や草花を楽しみながらオブジェや彫刻、絵画を楽しめるところは他にはないような気がする。オヨナさんはスケッチの意欲に掻き立てられながらひとりで時間の経つのを忘れていた。絵画館、ピカソ館は特設になっていてその他は様々なジャンルに分かれていて心を和ませてくれる。館内を全部歩くと大分歩くことになるのだが、それをあまり感じさせないほどに工夫されているのが分る。
中でもロッソコレクションに見る数々の人物像の一つ一つは身近に感じるものでその人物から伝わってくるものを感じさせます。
充分楽しんだ後、其処から程遠くない友人の寮へ案内されたのです。その昔山県有朋の屋敷跡を使用していると聞かされていたが、当に古びた造作であったが、しっかりとメンテナンスが出来ており、何といってもその屋敷の中庭の構成は手の込んだもので印象的だった。何組かのお客が逗留していて食事は食堂での合同で和やかなものだった。
食後談話室に夫々が思い思いに集まり、テレビを見たりしながら過ごしている。
オヨナさんもその雰囲気に誘われて隅の椅子に腰掛けた。温泉のぬくもりが身体を包み、何もなくても充分な満足感を覚え静かに瞑想状態になっていた。少し睡魔にも襲われていた。どうやら昼間の見物の疲れが出ているらしい。
窓際に坐っていた一人の男性が不図立ち上がり、「お茶をどうぞ」と持ってきた。
そばにお茶菓子も付いている。「ありがとうございます」と言葉を交わしながらそのまま二人は黙ってお茶を飲んだ。「ここは静かですね。」何時の間にか二人を残して他の客は部屋へ帰り、誰も居なくなっていた。
オヨナさんもそろそろ部屋へ帰ろうかと思いながら所在無げにしていると、「少しお話をしても宜しいでしょうか。」と言われてしまった。何か話しやすい様子に心がほぐれたらしい。いやそれよりも自分の中にある思いを誰かに聞いてもらいたい事が我慢できなくなったのかもしれない。自分ではどうすることもできない気持ちを分ってもらいたかったのかもしれなかった。

     思いつくままに

2009-12-23 10:31:24 | Weblog
今週はクリスマス週間でもあります。どこの教会でも20日の日曜日にはクリスマス礼拝が行われていましたが、キリスト教で無い人もこのクリスマスには関心を持っていたことでしょう。(因みにキリスト教関係者は日本の人口の3032239人と発表されている。)しかし、その思いは年に一度の外国のお祭りに便乗することかイベントに参加する程度にしかならないことは、少し残念な気もします。
「信仰というものは99%の疑いと1%の希望だ」とフランスの小説家であり、
思想家であるベルナノスが言ったとありますが、この世における憎悪や罪の渦巻く世界での人間の神への信頼と魔性の戦いは永遠に続くものです。
その中にあってただの1%でも希望を託して信仰を持つことは人間性を保つ上で尊い意義として考えられないかと思う。それは人間にとって肉体と霊魂そのどちらかの一方が欠ける事では考えられないからであり、肉体は現実のもろもろの中で生活を続け霊魂もまた人間の内面でいき続けなければならないからです。
さて、皆さんにとって今年はどんな年だったのでしょうか。振り返って考えてみると自分にとって今年ほど年齢を感じさせられた年は無かったと言わざるを得ません。私的なことになりますが、兄を天国におくり、4歳年下の弟が発病して入院の知らせを受けると言うことを聞かされ私一人が取り残された形になり、今健康で居ることの不思議さを当たり前ではなく、当に自分の力でなく、大きな力によって支えられ生かされていることを感じたからです。そしてそれを裏返すように自分をこのまま退化させること無く輝かすために何が出来るかを真剣に考えた年でもありました。こんな老いぼれに今更出来ることなどないことは承知です。しかし、その中で他人にはどう映ろうと自分らしく時間を過ごすことを考えさせられてきました。
まだまだ努力不足であり、怠けることもありますが、無理のない生活スタイルを続けました。その一例として昨年まで年齢と共にスランプになり、止めようかとあきらめかけていたゴルフを息子に励まされて続けていましたが、最終のラウンドで新しいフオームとリズムでのプレーを発見する事が出来たのです。
何か大げさですが、甦った
ように自信が付き、来年への課題が見つかりました。今年はチエンジと牛歩の一歩が目標でしたが、来年は又新たな目標のもとに生かされていきたいと思います。

            オヨナさんと私   第51回

2009-12-21 10:15:25 | Weblog
その年もくれる頃、友達に誘われて箱根まで出かけることになった。湯本駅まで出迎えてくれた友達と商店街を歩き、橋を渡ると其処は「塔ノ沢」になる。
その一軒に「去来苑」があった。瀟洒なけばけばしい飾りも無く、渋い看板があるだけの目立たない宿だが玄関には吹き抜けの床があり、上からの光に輝いて一羽の鶴が立っているのに驚かされる。嘗てその昔にはある著名な作家が、ここを定宿にして書いていたとあって、その部屋を見せてもらったがさほどのつくりでもなく、ひたすら心を静めるにふさわしい雰囲気だけが漂っていた。部屋数は少なく、数えるほどであり、派手さは全く無い。風呂場も大きくなく、ひたすらあふれる湯で輝いていた。通された部屋の床の間に「阿修羅像」が置いてあった。
確か向田邦子の作品に「阿修羅のごとく」と言うのがあり、ドラマになって話題になったことがあり、オヨナさんも始めてそのことを知ったのだが、この像がインドの八部衆に属する仏教の守護神で古代インドの魔神アスラから来た名前で生命、生気の善神といわれていることは知らなかった。その形は「三面六び」で三つの顔を持ち、六つの手を具えて立って
いる。その異様な姿からは様々な思いが生まれてくる。ドラマの作品では女は一皮向けば戦いの神様であり、定年後過ごす父、しとやかな母、夫々の人生を送っている四人の娘、一見平穏そうな家族関係の中にひそかに渦巻く嫉妬、(父の浮気)猜疑心を辛らつに且つ繊細に描いたものであったが、
場面、場面に出てくる阿修羅の顔がその時の人間の心を痛烈に映していたことを思い出す。特に母が父の浮気を知る所となる場面の表情は当に阿修羅のごとくであったし、人は表面的には穏やかでありながら、ひとたび信頼に裏切られ、すべての虚構が暴かれ、真実が見えた時はこの阿修羅のようになることをあらわに示されているような気がするのだ。
夕食に出た「豆腐いかだ」?は印象的で皿に乗っているやっこ豆腐にひとたび箸をあてると見事にそれはさながらすだれのように美しく崩れ、そのままそばを食べるように食べれるのだが、その感食は例えようも無く美味であった。
客の居ない一人湯で、あまり広くない湯船にゆっくりと温まっているとやはりあの阿修羅像が出てくる。人の罪の大きさとその隠せない罪の重さ、そしてその罪がもたらす傷を思わずにいられなかった。

               オヨナさんと私   第50回

2009-12-18 18:09:00 | Weblog
男と女、この世にはこの存在しかない。しかし、この二人は相容れないものを持って存在している。男が女を愛し、女が男を愛する形は結婚として結ばれるが、それは永久に続く愛とはいえない。そしてそれは本当の意味で愛であろうか。
マザーテレサは終生不幸な人に愛を注ぎ続けたが「不幸な人の面倒を見ることよりも愛を注ぐことのほうがもっと難しいことである。」と言っている。
男と女が力をあわせ助け合い、理解しあっておたがいに面倒を見ているようで本当の意味で愛していない姿を見ることがある。
愛とはその人の罪を憎むのではなく赦す事が出来ることで始めて生まれるものであることを知らなければならない。
このご主人が妻以外の女性に気持ちが移ったことを責めればそれは益々そちらへ気持ちを傾斜させることになり、気持ちが戻ってくることにならない。
そのことに耐えることはとても苦しいことではあるが、この時期ご主人の頭はその女性のことで一杯であろう。従って今は方法は無いと思うしかない。
あえてできるとすれば離婚の申し出には絶対応じないで居ることだけでしょう。
人は年を重ね、時間がたつほどに冷静になり、落ち着いてくるものであるから、その間は娘さんと力をあわせ慰めを受けながら我慢しましょう。暫くの間知らない振りをするのです。いつもどおり振る舞い、決して責めたり、咎めたりする言動を避けるべきです。それは決して許すことではありません。しかし男女が暮らしていくことはお互いに最低限で妥協し、許容して成り立つものです。
この場合はその線を越えるものかもしれない。しかしだからこそ大きな力が必要であり、それだけに心が戻った時二人の間に今までに無かったものが生まれて居るのではないだろうか。そのアシストとして娘さん二人に期待したい。
子供にとって親の存在は良い形であることが自分たちへの反映になることを知って欲しいし、間違いなく反映するものである。傷は傷として残り、その後遺症も出来ることを覚悟しなければならないからだ。
オヨナさんはぼんやりと返事を書かなければと思いつつスケッチブックを取り出して其処に大きなりんごを描きはじめた。
真っ赤なりんごを二個並べてその横に「愛とは赦す事なり、」と一言書き添えた。自分も愛を語るべき資格の無いことを感じながら……

             思いつくまま

2009-12-16 10:32:14 | Weblog
今年も後3週間を残すのみで終わろうとしている。アメリカのオバマ大統領の誕生に始まって日本も政権交代といわれる民主党がスタートした。それは「チエンジ」と宣言した言葉に代表される年でもあった。しかしその足取りは幼児のごとく弱弱しく力の無いものだった。これからも続く歩みの中でどれほど力強くたくましくなって成長していくのか。それとも力つきて途中で挫折するのか。その将来も見えない。この一年を顧みるとそこはあらゆるものが渾然とした状態のままですべてのものが漠然としているかのごとくである。霧がかかって良く見えていないものが次第に見えてきたとき、それが清く、正しく美しいものに変わっているのか、それとも前よりも醜悪なものになってしまっているのか分らない。
アメリカのグリーンニューデール政策も日本の新マニュフエスト政策もまだその効果は見えないが、来年を待つこととしたい。
今年そんな中で際立って目立ったのが中国の台頭である。2009年度のGDP
8%目標達成はおろか、来年も9.1%と更に伸ばそうと、またるその実績は自動車の新車販売台数1200万台(1月から11月まで)を突破で示し、「一人っ子政策」を見直し、来年は「二人制」を検討中と発表している。それは高齢者の増加が16.7%となり,そのための国力強化の一環でもあるという。また政府は海外移民を国策として力を入れている。日本にも既に定住者が80万人と言われ、オーストラリヤのラッド首相も「ラブ中国」と歓迎し、カナダもバンクーバー周辺に中国移住者のタウンができていると言う。また、外貨保有高も200億ドルを越え、その膨張する中国マネーで政府が後押しの体制で世界のめぼしい企業買収を積極的に開始している。最近ではアメリカのナスダック上場会社の買収にも成功し、来年へ向かって本格的にM&Aが活発になると見られる。
これは嘗て日本が高度成長期にやってきたことであり、それを中国が国の成長と共に行おうとしているのである。急速に追いついて来る中国の足音が次第に大きくなって聞こえてくる。来年は「寅年」である。何となく、平穏な年と言うより波乱を呼ぶようなイメージもあるが、どうだろうか。
経済も底を脱して、徐々にでも回復基調の成果を期待したいものである。

             オヨナさんと私  第49回  

2009-12-14 10:43:16 | Weblog
寒くならないうちに子供たちを遠足をかねて近くの公園へ連れて行くことを計画していた。そこは飛行場跡地に出来た公園で広大である。中にはバラ園、日本式庭園、人工池とボート、アスレチックフイールド等が揃っている。10名ほどの子供たちとバスを乗り継ぎながら到着。お天気も良く、気持ちが良い。子供たちは一斉に散っていった。これがオヨナさんの年二回の行事でもあった。
アスレチックで汗をかき、人工池のボートで時間を使い、休憩ハウスに行くと其処では様々な催し物があり、虫の観察、珍しい植物の観察、折り紙の指導等が準備されていて、楽しめるようになっていた。時間が足りないほどに遊んですっかり満足して無事帰る事が出来た。少し疲れを覚えながら郵便箱を見ると一通の手紙が届いていた。前回の便りのことを思い出した。あわてて二通の手紙を開いてみた。
誰かにオヨナさんの事を聞いたのだろうか。(子供の親の口コミか?)
其処には赤裸々な悩み事が書かれてsあった。「私には主人と娘二人がいます。三ヶ月ほど前に主人から離婚して欲しいと言われました。お前に愛を感じなくなた。これからの人生をリセットしたいと言うのです。主人は50歳になったばかりですが、ここの所夫婦生活も無かったし、少しおかしいとは思っていましたが、自分には心当たりは無くどうしてこんなことを言われなくてはならないかと考えていました。そんなある日、主人のメールを見てしまったのです。其処にはデートの約束が書いてあり、その日も会う約束が出来ていました。私以外に女性がいたのです。
考えてみると主人は約3年ほど単身赴任で家を離れていたことがあり、どうやらその時知り合った人らしく、その間私も自分の両親の病気の看病や手伝いで世話の出来ない時がありました。そんな時期に二人は付き合い始めていたらしいのです。
私としては何の不足もないし、娘も居るし、(二人ともこの事は知らない。)出来れば主人の気持ちを取り戻したいと願っているのですが、どうしたらよいか分りません。どうか良い方法を教えてください。」深刻なその内容を読みながら本当に世の中には不条理なことの多いこと、そして一人では解決できない悩みで苦しんでいる人のあることを知らされ、心の痛む思いだった。
しかし、簡単にこうすればよいのですと言う答えが出る問題でもなかった。
読んだあと、何もこれと言うほどの考えも浮かばず、又暫くの日にちが過ぎていったのである。

             オヨナさんと私   第48回   

2009-12-11 09:29:40 | Weblog
男からでは理解できない彼女の変わり方であるが、彼女に何があったのだろうか。
単にお付き合いをしていた時間に気にならなかったことが、指輪を贈られたことで
これは話だけでなく現実の問題として意識するようになってきたのだろうか、彼の母との同居の問題、結婚後の自分の娘との関係など次々と不安な考えが出てきたかもしれない。そしてよく考えるとそれらの問題を乗り越えていくだけの智慧も勇気も無かった。
そしてこんなに不安で悩むくらいならいっそのことこの話は無かったこととして、今までどおり一人で暮らしているほうが良いと考え直したのかもしれない。
嫌いではないが、新しい障害を乗り越えていく勇気も無ければ相手の男性への愛情も芽生えていなかった。そして共同生活が始まったとしても始まってすぐ分ることなのだがお互いに無意識に持っている棘でお互いを傷つけ合うことになるかもしれない。それは俗に言うヤマアラシ症候群かもしれない。
そう考えてみると彼女の申し出は正しいかもしれない。男性からすれば、そこまで
深刻に考えられないことを女性としての繊細な神経での判断で出てきたのかもしれない。「ご縁が無かったのかもしれませんね。あまり深く考えないでそっとしておくほうが良いかもしれません。傷が深くならないように早く忘れことですね。」オヨナさんは冷たく聞こえるかもしれないがそういわざるを得なかった。
男は急に立ち上がると、空のコーヒーカップを勢いよくゴミ箱に投げ捨てるとそのまま黙って立ち去っていった。その後ろ姿に言いようの無い怒りと悔しさ、そして
淋しさを見る思いであった。
帰って庭を眺めてみる。夏の間次から次へといろいろな花を咲かせて楽しませていたが、この時期になり、すっかり様子が変わった。今は鉢植えのビオラ、シクラメン、撫子が並び、裏にはハボタンが正月に向かって準備をしてくれている。
近所を散歩すると、あちこちにピラカンサの赤い実がたわわに垂れ下がっていたり、山茶花の花が冬の趣を見せてくれている。
畑には大きなカブがかけられたシートを持ち上げるように大きく育っている。
そんなある日、一通の手紙が届いた。全く知らない女性の名前が書いてある。
どう考えても心当たりがないが、宛名は間違っていない。オヨナさんはとまどい
封を切らず、その手紙をそのままおいておいた。そして何時の間にかその手紙のことを忘れてしまった。

思いつくまま

2009-12-09 14:45:41 | Weblog
最近の新聞で「現代の30代から40代の女性で子供と持ちたくないという人が
42.8㌫いる。20代の女性だと50㌫を越える」という記事を見て「えー、そうなの」と驚くと同時に日本の女性も随分考え方が変わったものだと思わざるを得なかった。私も古い人間であるが、女性と言うものは古来、成人になり、ある年齢に達すれば結婚し、家庭を持ち、子供を生む(中には希望しながら不妊の方も居るが)事がつとめであり、夢でもあったし、子供を育て子孫の繁栄を願うことこそが日本の家族主義であったはずだ。それが何時頃から女性の意識から消え、変わってしまったのだろう。そしてその原因は何なのだろうか。
勝手な想像だけど、やはり時代の流れに伴う自分たちの暮らしの関係が大きいことが分る。子供を持つこと、育てること、イコール経済的な負担が重くなる。現状から将来を考えて理想的な子育てが出来そうもない。(未通しがたたない。)ならば
子供を持つことをあきらめて自分たちだけでも人生をエンジョイして相応の生活を続けたほうが良いではないかということなのだろうか。
嘗ての考え方とは根本的に違ってきている。「産めよ、増えよ。地に満てよ」と神は天地創造の時に言われている。また「子供は授かりもの」との観念もあり、結婚イコール出産の枠の中で金銭的な考えは無かった。どんなに貧しい家庭でもどんなに苦労しても親は生まれた子供に全力で愛情を注ぎ、平等に育てたものであった。そしてそこから優秀な日本民族が継承され国家は繁栄してきたと思っている。
ここ数年日本の人口は減少中である。(50年後には今の半数ぐらいになる)
そんな中で、そうでなくても若者が少なく、高齢者社会の傾向になることは日本のパワーを失っていくことにならないだろうか。自分たちのことを考えるのもわからないではないが、子供の存在、子孫と言う本来の考え方にもう一度考える時ではないだろうか。
弟が病気になったと言う知らせを受けて10年ぶりに故郷へ帰る機会があった。
見舞いの後、良い機会を得たので、古い友人に会う時間を持った。暫く話をしているうちに不思議なことに話し始めると10年のブランクを全く感じさせ無いほどに昔にタイムスリップしていることに気がついた。それは単に親しいと言うことだけでなく、やはり過去の交わりの蓄積がしっかりと根付いていることによるのだと言うことを改めて知らされた思いでもあった。そして当時言えなかったり、気がつかなかった誤りや間違いを素直に認めて許しあうことの出来た時間でもあったことに気づいたのである。それは別れた後に心の休まる尊いものであった。