波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

      波紋    第70回

2009-02-27 09:42:17 | Weblog
忘れるとも無く小林のことを忘れてしまった。もう自分には過去の人であり、関係ない気がしていた。中山にも断りをして、いずれ改めてのお話にしてくださいと了解を取った。身辺を整理してしまうと、何となくさっぱりして、心にかかることは無かった。毎日を無難に過ごし、ミスが無ければ日は過ごせる。責任も昔に比べれば軽くなり、上からとやかく言われることはほとんど無かった。
営業活動も昔に比べると、すっかり落ち着いてしまって何の問題も無い。あるとすれば、定期的な人の異動であり、転勤、転職の話だった。
親しく、協力関係にあった商社の一人に井坂氏がいた。家が近いこともあって、プライベートでゴルフを一緒にしたり、酒を飲んだこともあったが、イギリスへ転勤になって、数年になる。帰国したことを聞いてその後の様子を聞くと、今度はアメリカだと言う。「海外の生活は楽しいかい。」と聞くと、「昔は良かったと聞いているけど、今はとても厳しいよ。下手すると給料じゃやっていけなくて、持ち出しになることもあるよ」「そりゃあ、大変だね。外から見ていると良く見えるけど、楽じゃないね。」「それと、一度、海外へ出ると、余程の事がないと、国内の仕事に戻れないんだ。何しろ、高度成長期と違って、縮小気味だからね。人余りなんだ。」「君のところみたいな、大会社でもそうなんだ。」そんな話をして別れたが、井坂氏はその後アメリカへ行った後、噂でその会社を辞めたらしい。
日本へ帰国することも無く、現地で転職をして頑張っているとか、松山は人それぞれの運命を噛みしめながら、何となく力が抜ける思いがあった。
自分には何があるのだろう。家庭があり、仕事もある。それなのに何故か、燃えるような生きがいが感じられない。年をとった事もあるかもしれない。仕事が安定していて、何の不安も無いからかもしれない。しかし、そのもっと、奥のほうに何か足りないものを感じていた。それが何なのか、自分は何を目的に毎日を生きているのか、そんな不安と頼りなさを覚えた。自分は何を頼りにすればよいのか。万が一の時には誰に相談すればよいのか。そう考え始めて見ると、自分には何もない。
そして、誰を頼ることも出来なかった。本来ならば、世話になってきた中山であり、小林であるはずなのだがそんな気持ちには到底なれなかった。
いったい、自分はどうすればよいのか。どうすればこれから安心して人生を過ごせるのか。

思いつくまま

2009-02-25 10:08:24 | Weblog
2月も間もなく終わる時期になりました。昔から2月は「逃げる」とも、もじられて
短いのですが、意外と大事な時間であることを今年は学んだ気がしています。
一年でもっとも天候も悪く、花も無く、寒いので気も滅入るのだが、こんな時に充電を図るのである。一年をどのように過ごしていくか、そのための準備はなされているか、そんなことを考えるには一番適している気がする。プロ野球もこの2月に一年のペナントを過ごす体と練習をつむと言う。始まってしまえば、体の手入れも練習も出来ないのである。ある意味昨年から、この時期までの時間で一年が決まるようなものである。私たちも同じであろうか、そんな思いで過ごしてきて、わたしなりに、一年の過ごし方のマニュアルが少し出来た気がしている。
要は年齢に関係なく、「いい男」「いい女」らしい生き方を見つけることだと思う。そんな事言われても今更しょうがない等と開き直らないで、考えてみてください。一説には「可愛げのある男、女」ということらしい。それは美男、美女とは
特別に関係ない。もう少し言えば「ほどがよくて、人生を面白がっていること」とでも言うのでしょうか。やはり生きている限り、生かされている自分を見つめながら自分の役を全うしようとしている人のことではないかと思う。
さて、オバマさんはこの一ヶ月の間でいくつかの政策を打ち出してきた。その成果が出るには時間が必要である。でも種は植え付けて、(良い種であることが条件であるが、)育て始めている。日本はまだ種の植え付けまで行っていない様だが(21年度予算案の成立前)、まだ、余力があるうちに政府と国民が一体となって、良い環境つくりに入ることが望ましい気がする。
経済界も各企業はこの時期、あまり表面には見えてこないが、真剣に努力をつづけている気配を感じる。恐らく、在庫調整、そしてエコを中心にした、新しい企画を具体化させ、それが未来につながる商品として収益をもたらせるかの準備をしているはずだ。間もなく「春」が来る。今年は気象庁でも平均気温が例年に比べると高いことを認めている。桜も例年に比べれば早く、3月の中旬には開花の便りが聞けるような気がする。不思議なもので、そうなると、人間はまた、前向きに気持ちが変わる。その時のために、もう少し、充電に励んでおきたい。

波紋    第69回

2009-02-23 09:48:42 | Weblog
コーヒーを飲みながら、暫く世間話が続いた。「ところで今日はどんなご用件ですか。」松山は少しじれて切り出した。「ああー。たいしたことじゃないんだけど、今度、息子と一緒に仕事をはじめることにしたんだ。と言ってもちっぽけな会社を始めるのだが、一応挨拶をしておかなくてはと思ってね。」やっぱりか。いつかそんな時があるのではと考えないでもなかったが、小林が仕事を始めるとなれば、どうしても競合することは避けられない。下手すると自分の仕事を取られることもあるだろう。影響は大きいと覚悟しなければならない。「そうですか。どこのものを扱われるのですか。」「いろいろと協力してもらえる所があるので」具体的には詳細は言わなかったが、あまり突っ込むわけにもいかない。「そうですか。お手柔らかにお願いしますよ。」「君のところで、扱ってないものだから、あまり迷惑をかけることは無いと思うからよろしく頼むよ。本来なら、君のところのものを少し手伝い方々仕事をさせてもらいたかったけど、仕事をもらえなかったからね。」
数年前には共に同じ会社で、上司、部下の関係で仲良く仕事をしていたのだが、今や、ある意味、敵、味方のような関係になったのだ。今までのようには付き合えないことを感じた。業界もせまいし、いろいろ影響も出てくることを覚悟しなければならない。用件だけを言うと、小林は去って行った。松山はタバコを取り出し、暫く考え込んでしまった。
そしてこれからは割り切っていくしかない。残された時間を大過なく終わらせて定年を迎えることだけを考えよう。
その年も終わりに近づき、忘年会の季節を迎えていた。松山は暫く行っていない
居酒屋が恋しくなり、途中下車した。酒が呼ぶのか、ママに惹かれるのか。自分でも分らない。そんなことは理屈ではなかった。家では味わえない空気の中で、酒が飲めるのは、やはり独特なものがあり他ではうずめる事が出来なかった。
「お酒。」一言言って座った。この雰囲気がいいのだ。どこでも味わえない独特な時間と空気が心を和ませる。
「どうしたの。今日は特に静かね。いつもそうだけど。」ママは変わらなかった。
「ママ、銀座にいたとき、ライバルみたいな人いなかった。」「いたわよ。女の世界は男の人にはわからないけど、すごいのよ。表立って、お店でするわけには行かないので、結構陰険なこともあるし、嫌がらせみたいなものもあるわよ。でも私はあまり気にしなかったわ。だって、張り合っても、選ぶのはお客さんだからと割り切れていたわね。」「そうか。ちょっと、自分にもライバルが出来てね。」松山はどうしても小林の事が引っかかっていた。

       波紋    第68回

2009-02-20 09:42:23 | Weblog
二三ヶ月前まで大きな声で元気一杯に仕事をしていた人が、突然、死んでしまった。青天の霹靂であり、訃報を聞いても想像もつかず、信じることが出来なかった。直接の原因は「くも膜下による脳出血」と言うことだった。週末を家族と一緒に過ごし、帰宅した直後からの頭痛から始まって、病院へ行ったが、休日とあって、充分な処置が取れなかったことも原因したらしい。あっという間の死であった。残された家族はただ呆然とするばかりであったという。松山は葬儀に参列し、改めて遺影を前にして生前のことを思い出していた。
何事にも前向きで社長と言う重責にありながら、常に第一線に立ち、国内、海外と立ち回っていた。その人脈、交流は業界を網羅し、その信用は会社の業績と相俟って増していた。社長交代の人事は突然であった。当時その話は業界でも、もっぱらの噂になり、その背後の理由が取りざたされていた。退任後に松山も話をする機会があったが、何か釈然としないものがあり、本人も不本意でいるのでは推察された。葬儀には年老いたご尊父も出席されていたが、杖を付いての姿はあまりにも痛々しく、見るものも胸の痛む思いであった。
松山はこの時ほど、人生のはかなさを思わないときは無かった。どんなに活躍し、どんなに名声を高めた人でもいずれは死ぬ。だとすれば、やはりそのことは生きている以上、何時も頭にあっても良いのではないか。そうでないと、悔いの残ることもあるかもしれない。悔いの無い人生でありたい。自分はどうだろう。
これからは、何の野心も無く、定年までを無難に過ごし、家族の元に返り、のんびりと過ごしたいものだ。そんな時を迎えられればどんなに楽しいだろう。
おいしい酒を晩酌にして、つまみは加代子の作ったものを少し食べ、嫁に行くだろう娘の子を孫として抱くことが出来れば、どんなに幸せだろう。
月に一度のゴルフも楽しいだろう。そんなことを考えながら帰途についていた。
定年退職した小林さんが会社へ訪ねて来た。「暫くですね。お元気でしたか、」と声をかけた。この頃は来客も少なく仕事もそんなに忙しくなかった。「時間があるので、お茶でもしに行きませんか。この近くにおいしいコーヒーを飲ませる所があるんですよ。」と誘った。コーヒー好きであることを知っていたので、小林は喜んだ。「君も元気そうだね。身体のほうはどうだい。酒は毎日だろうけど。」「ありがとうございます。おかげさまで今のところは大丈夫です。」松山は小林の来訪を少しいぶかしげに感じていた。

        思いつくまま

2009-02-18 09:50:59 | Weblog
人には「無くて七癖」と言われて、それぞれ癖があるといわれている。しかし、自分自身を顧みて、どんな癖がそんなにあるかなと考えてしまう。いくつかが心当たりとして気がつくものもあるが、「まだあるよ」と言われても分らないことが多いい。それほどに自分のことは自分で気づかないで、言ったり、行動していることがあるのだ。それが、人に迷惑をかけたり、不快感を与えないものならよいが、知らず知らずに、相手を傷つけたりすることがあってはいけないと思っているが、意外に注意を忘れていることがあるので自戒している。
私は昨年、減量を目的に少し努力したのだが、一年間かかって2キロやせるのがやっとであった。賄いでお世話になっている栄養士の婦人に言わせると、その原因は「間食」にあるという。知らず、知らずに夜、テレビを見ながら、せんべいであったり、スナックであったり、時には甘いものであったり、無意識に食べていたのである。口淋しかったり、口直しだったり、言い訳をしているが、卑しいだけの話である。特に、夕食の後の間食はてきめんらしい。こんなことも知らなかったのか、とお恥ずかしい話だが、急遽「断、間食」を始めることにした。
そして、これも特製なのだが、「野菜サラダ」を薬と言う意識で食べている。
やはり、何か努力してつづけなければ結果は出ないのであろうか。
もう一つは、出来るだけ人の話を聞くことと、相手の話を意に沿わなくても同意することである。「癖」として、自己主張が強く、それを押し付ける傾向が強かった。そのために人間関係がどれだけ、ギクシャクしてきたことか、時には揚げ足を取ったり、勝手であった自分を顧みて恥ずかしい思いである。
完全に消すことは出来ないにしても、基本的に自分を消すことを前提にすれば、出来ないことはない。そして周囲が見えてきた気がする。
そうしてくると、不思議に気持ちに余裕のようなものが生まれてくる。(あきらめに近いかもしれないが、?)「まあ、こんなところかな。」と言う気持ちである。
そして、どんな場面、どんな状況に置かれても、この気持ちを持ち続けることであろうか。人のためではなく、自分のためである。
春一番も吹き過ぎた。寒い日も、長く続かず、少しづつ暖かくなっているのをおぼえる。厳しい寒さと、景気の悪い日が続いているが、その中でどう生きるかを知ることで、また新しい知恵と力が与えられることを信じて、日々を楽しみたいと思うこの頃である。

       波紋     第67回

2009-02-16 10:28:32 | Weblog
その日店は暇だった。カウンターに若いアベックが一組で夢中になってしゃべっているだけで誰もいない。和夫は「銀座で働いていた時、いろんなことがあったろうね。いいこともあったんじゃないの。好きになった人がいたりして」と振ってみた。「そうね。いたわ。」あっさりと昔を思い出すように話し始めた。
「ホステスはみんな自分を指名してくれるお客がいないとやっていけないの。だから私もお客が付いてくれていて、指名してもらってたの。その中で、とても真面目であまりお酒は飲めないのだけど、話が上手で楽しい人がいたの。他の人には無い雰囲気が好きで、好きだったわ。お食事も何度かして同伴もしてもらったわ。その人から何か言われたら、私、きっと断れなかったと思うけど、その人からそんな話は出なかったわね。その人に一回二人で旅行しないって、誘ったの。そしたらその人、即座に、いいよ。いつでも行くよ。ただし旅費は割りかんだよ。その言葉ですっかり冷めて、止めーたってと言って大笑いしたのよ。冗談だよって言ってたけど、そんなことでごまかしたんじゃなかったのかしら。」
お客が入ってきた。慌てて、応対している。そうか。そんなこともあったのか。
色気も、スタイルもそんなに良いとはいえないけど、人にはそれぞれ好みがあるものだが、強いて言えば気風の様な爽やかさかな。むしろ女性的でないところが良いところかもしれないな。松山は横から観察しながら、杯を上げた。
「でもね。良いことばかりは無いのよ。」新しい酒を持って、小さい声で話し始めた。「付けを残したまま、店に来なくなって、催促しても振込みの無いお客もいてね。店には自分で立て替えて払わなくてはならなくて、つらい思いもしたわ。」
「そうだろうね。お客を自分で選ぶわけにはいかないものね。」相槌をうちながら和夫は出来上がっている自分を感じた。気分もすっかり落ち着いた。
定年までの時間を全うすることにして、明日中山へ断りの電話をすることにした。
翌日、会社へ出ると、部長の木本から呼ばれた。自分より若いのだが、上司とあって態度は大きい。「松山君、訃報が入っているよ。葬式には顔を出すように、香典は用意しておくから」「誰ですか。」「T社の相談役だよ。」「エー。まだ若いじゃないですか。何だったんだろう。」驚きだった。確か自分と年はあまり変わらないはずだ。
何ヶ月か前に社長を交代して相談役になったことは知っていたが、確か60才ぐらいのはずだ。

波紋     第66回

2009-02-13 09:31:26 | Weblog
改めて中山の気持ちを考えているうちに松山は自分の歩いてきた道が自分ひとりで歩いてきたはずがそうではないことに気がつき始めていた。前の会社が事業を縮小し、自分のいた所がなくなることを知って、今の会社へ連れてきてくれたのも中山さんだった。決心の付かない結婚を促してくれたのもそうだった。すっかり忘れかけていた大事なことを思い出した。今の人間関係が自分が築いてきたものであるかのように思っているけど、本当にそうだろうか。
こうして、忘れないで声をかけてくれる人こそ本当に自分のことを思っている人ではないか、そう思うと今の自分の周りの人たちがどれだけ自分のことを考えていてくれる人かが分るような気がしてきた。「よく考えて返事をしよう。」
誰に相談できることでもないことは分っていた。また相談しても自分のことを本当にわかって、親身になって相談に乗ってくれるとも思わなかった。加代子に相談しようか、不図そう思う。でもきっと「あなたがいいと思ったら、そうすればいいわ」そんな答えが返って来そうだ。それから和夫は仕事をしながら落ち着かなかった。そして、また、いつか寄った店に顔を出していた。「暫くね。もう来ないかと思っていたわ。」そういいながらママは嬉しそうに笑った。いつものように熱燗の酒を黙って飲む。和夫は飲み始めるとほとんどつまみ入らない。加代子には身体に悪いから、何か食べながら飲みなさいといつも言われているが、空きっ腹の酒の味がたまらないのだ。今日もそうだった。ママも注文しなければ突き出しを出してそのままである。和夫は思い出すとも思わないままに中山の言葉を思い出していた。
「どうしたの、今日はいやに静かね。最もいつも黙ってるけど、今日はやけにおとなしいじゃないの。」まだ客の少ないこともあって、ママが声を掛ける。「ママ、実は転職を考えているんだ。」ぽつんと言ってしまった。「そんな良い所があるの。」「いや、そうじゃないんだ」和夫は簡単に経緯を話した。「そうなの。考えちゃうわね。」「いらっしゃい。」お客が入ってきた。
後、二年で定年である。どっちにしても止めるしかない。それからでもいいかな。
話してみようかな。ここまでやってきたから、どっちにしても最後まで勤め上げるのも区切りかもしれないし、酒が頭の回転を少し良くさせたのか、少し元気が出てきた。「で、どうするの。」ママが合間を見て声をかけてくる。「やっぱり、定年まで頑張って、それからでも遅くないかもしれない。」「そう、そうね。それがいいわ」元気の出てきた和夫を見てママは笑った。

思いつくまま(2月11日分)

2009-02-10 16:08:36 | Weblog
私の住んでいる関東地方でも、ここ数年この時期には一回や二回の降雪を見ることが出来ていたが、今年は雪を見ないで終わりそうである。気圧の流れが今までと違っていて、北からではなく、西からのものが多い。そのための影響と言う説明である。全体に暖冬傾向でもあり、今年の気象の特徴かもしれない。このことがどんな影響をもたらすのか、其処までは見当もつかないが、このまま春を迎えそうである。この一月から二月にかけてガイドブックによる原稿募集に作品を応募することが出来た。といっても大げさなものではなく単なる作文のようなものを書いたのだが、しゃべる代わりに、このように考えていることや、思っていること、また想像出来ること等を書くチャンスを持てた事がとても嬉しかった。
僅か二千字程度の短文であれば、そんなに負担にもならないし、書いていて楽しい時間である。従って、一日の時間を有効に使うことが出来た。
最近は修道女の慣用句の「メメントモリー」(汝、死すべきことを思うべし)
ではないが、何となく時間が貴重に感じられるようになって来た。
仕事が出来ている時は追われるように時間が足りなかったが、今では別の意味で、
時間が尊く思われ、大切にしたくなる。とは言っても、テレビでぼんやりしている時間もあるのだが、以前ほど、迷うことは無くなった。
つまり自分に課せられたことはたくさんあることに少しづつ気付き始めているのである。つまり毎日毎日が自分を試しているような生活、とすればこれは一つも退屈しないのである。牧師の説教で日々の生活は戦いであると聞いたことがある。そのときは意味が分らず、何のための、誰との戦いかと悩んだが、一つには自分との戦いであり、罪との戦いの中にあるということが分ってきた。
話は変わるが、最近見たアメリカの刑事ドラマからアメリカンジョークを紹介したい。結婚を間近かに迎えようとしている中年の刑事を祝おうと仲間が集まりパブで
飲み会が始まった。そのうち、一人の若い刑事が「お祝いに一曲うたいます」と
マイクを持ち「マイウエー」を歌い始めた。それを見て主人公の刑事が隣にいた仲間にこう言った。「あいつがツーコーラスを歌いだしたら、俺を思い切りぶん殴ってくれ」如何にも刑事らしい、ブラックジョークで思わず笑ってしまった。

     波紋     第65回

2009-02-09 09:59:22 | Weblog
よく見ると、大きなつぶらな瞳がきれいで魅力的である。確かに若くは無いがどこと無く垢抜けた美しさがある。女を見る目があるわけではないが、松山は改めて見直した。「私、銀座でホステスやっていたの。長かったわ。」「そう。道理で違うと思ったよ。」「いつまでも出来る仕事じゃなかったから、いつか小さいお店をやりたいと思っていたの。」「そうだったの。じゃあ、念願かなったわけだ。」「そうでもないけど、他にやることも無いし。」お客が入れ替わり、ママも忙しくなった。初めての店だったけど、居心地が良かった。何となく疲れのようなものが取れて気が楽になり、気分が楽になった。「ママ、また来るよ。ご馳走様。」支払いを済ませて、表に出た。
お供で何回か行ったことのある銀座を思い出した。自分達の住むところとは別世界のところで、とても落ち着けるところではなかったが、彼女達もまた仕事として働いていたのだ。またゆっくり話を聞きながらおいしい酒を飲めるかと考えていた。
数日過ぎた頃、中山から電話がかかってきた。前の会社の上司であり、仲人でもある。すっかりご無沙汰しており、思い出すことも無く忘れかけていた。
「松山、元気かい。」「ご無沙汰しています。お変わりありませんか。」「ありがとう。ぼつぼつだよ。ところでちょっと話があるんだけど、一度こっちに寄ってくれないか。」中山の会社は秋葉原にあり、個人で自営業をやっていた。「分りました。近いうちに時間を作って出かけます。連絡しますから」電話を切って、何の用事だろうと首をひねった。中山は会社を辞めてから独立して、仕事をしていることは聞いていたが、その内容については全く分らなかった。
しかし、嘗ての上司であり、加代子との間を取り持ってくれたこともあり、放っておくことも出来ない。ある日、仕事を早めに上げて、直帰と言うことで帰り道に立ち寄った。「やあ、たいしたことじゃないんだがね。君にうちの会社へ来てもらって、手伝ってもらおうかと思っているんだ。一緒に仕事をして、気心も分っているし、安心だからね。君、もう幾つになったんだ。定年まで後、どれくらいなんだ。」
想像もしていない中山の話で、松山は戸惑った。「もう58歳で、定年まで2年もありません。」「そうか、もうそんな年か。早いもんだね。」そういう中山も還暦を過ぎていて少し白いものも目立っていた。「とてもありがたいお話で、嬉しいです。少し時間をいただけませんか。」「勿論だ。すぐに返事を貰うつもりは無い。ゆっくり考えてくれ。相変わらず、酒は飲んでいるか。」いつもの砕けた調子で中山が笑った。

     波紋    第64回

2009-02-06 09:35:12 | Weblog
何となく仕事を虚しく思えてきた。これだけ一生懸命やっても、自分にとってそれはどんな報いがあるのだろう。何が残るのだろう。家族のためであるが、会社にとって自分の存在は何だろう。今まで考えた事のない、思いつかないことが気になり始めた。自分に何が出来たのだろう。単に誰でも出来ることをやってきただけなのか、自分で無ければ出来ないこと、それはなんだったんだろう。次から次へと過去の出来事が走馬灯のように廻り始めていた。会社という車の一つの歯車として廻ってきただけか。こわれて、使えなくなれば、新しいものに取り替えればよい、そんな部品の一つだったのかもしれない。
その日、そんなことを考えながら電車に乗ったのだが、いつの間にか乗り換えの駅で降りていた。駅前をぶらぶら歩いていると、赤提灯が見えいいにおいがしている。松山は誘われるように暖簾をくぐった。「いらっしゃい」声がかかる。おでんのナベから湯気が上がり、その湯気の向こうにあねさん被りをした、ママが見えた。そんなに若くは無いが、そんなに年でもない。どこかで見たことがあるような
色気を持っている。松山は酒を頼み座り込んだ。店のカウンターを囲むように客がぽつん、ぽつんと飲んでいる。味のしみたおでんを頼み、ぼんやりと飲み始めた。
「お客さん、初めてね。」客の愛想をしながらママが松山に声を掛ける。
「あー。そうなんだ。何となくぶらぶらしてね。この電車で会社へ行っているんだ。」「そうなの。うちのおでんおいしいから偶に寄ってね。」それだけ言うと、
他の客と楽しそうに話し始めた。いつもなら乗り換えて、すぐ我が家へ帰るのに
今日はどうしたんだろう。自分でも分らない。何となく、すぐ帰る気にならなかった。そして時間をつぶそうと思ったのかもしれない。こんなところで何も気にしないで飲むのも悪くはないなー、熱い酒が胃に沁みておいしかった。
もう数年で俺も定年だ。定年になったら、何をしよう。子供たちも大きくなって巣立っていなくなるだろう。そしたら加代子と二人で百姓でもやるかな。近くに貸してもらえる畑もあるし、食べるぐらいは自分で作ってみるのも悪くない。ゴルフも
出来そうだ。年に一回ぐらいは佳代子を旅行に連れて行ってやるのもいいな。いつの間にか銚子が何本かあいていた。「ママさん、この店をやる前、何かやっていた?」少し酔いがまわり、口が軽くなっていた。「あら、分る。そうねえ」と少し間をおいて思い出すかのように話し始めた。