波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

オヨナさんと私   第87回

2010-04-30 09:45:06 | Weblog
毎日が何事もなく過ぎていく。ヨナさんの生活はスケッチと、子供との時間であったが、
やはりそれだけでは物足りないものを感じていた。何とか自分の中に充実したもの、しっかりと持っておきたいものを探し、それを掴みたい、そんな思いが強くなっていた。
お天気の良い午後、ヨナさんは図書館へ出かけた。のんびりと歩くことで時間を気にせず、
身体の状態を感じながら行く事が出来る。周りを見ると、忙しそうに何かを求めて、いや
何かをしなければいけないという、追われているような人もいる。それぞれが何か余裕の無い雰囲気で行動しているのが分る。図書館までは約3キロぐらいあるだろうか。着く頃には
汗ばんでいて、身体がすっかり熱くなっている。冷たい水を飲み一息つくといつものように
借りていた本を返却し、書棚の中を歩く、ジャンル別に並べられている本を眺めながら歩き始めると、新しい世界に入るような気になる。そこにはまだ会った事のない多くの作家が
立ち並んでいる。どの人も立派であり優れた作品を書き、それが置いてある。その一つ一つを見ていると、どの本にも自分が持ち合わせていない大きな宝が隠されていて、「サア、あなたにあげる宝がここにあるよ」と囁いているかのように聞こえてくる。
其処に立ちつくしていると、そこから多くのことを吸収して自分の糧として持ち得たいと言う衝動に駆られてくる。あまり難しいものは読めなくなっていた。
しかし読んでみたいものはたくさんあるので、わくわくする。不図気がつくと肩越しに
何か優しい果物のような爽やかな匂いが漂ってきた。それは図書館にはふさわしくない匂いであったが、それが何なのかあまり気にしないでいた。暫くして振り向こうとして向きを変えると、其処に一人の女性が立っていた。若くは無かったが年を感じさせない装いはセンスの良さを表していた。ヨナさんは思わず、「誰の本をお探しですか。」と声をかけていた。
「三浦綾子さんです」短く答えが返ってきた。「ああ、三浦さんの」そして、そのまま立ち去ろうとしたのだが、何か惹かれるものを感じ、そのまま立ち尽くしていた。
二人はやがてそれぞれ本をとると、借り出しを済ませた。「どうですか。お急ぎでなければ図書館を出たところの公民館にお茶を飲む所があるので、少しお話しませんか。」
ヨナさんは自分でも不思議なくらいに積極的に声をかけていた。

              思いつくまま

2010-04-28 11:33:54 | Weblog
桜が終わると、一斉にいろいろな花が咲き始める。その中でも私の目を引くのは「はなみずき」の花である。街路樹としてあちことで見る事が出来るが、この花を見ると今年も春が来たな静かに思うことが出来る。桜は花見の騒乱のような落ち着かなさがあるが、ひっそりと目立たぬ風情で咲いていてくれるのが良い。この花の様子を見ているだけで落ち着くのである。しかし名前と言い、花の様子といい、いかにも日本的で情緒たっぷりな木が、何と日本の花ではなく、ワシントンへ贈られた桜の返礼で、貰ったアメリカ原産(アメリカヤマボウシ)だと知り、歌に国境が無いように花にも国境が無いことをつくづく思わされた。
一日の内で、少しの時間を人間性を深めることを考えることにしようとしているのだが、
なかなか実感としてつかむ事が出来ない。どうしてだろうかと考えてみると、それはある程度満足した幸せな時間の中からでは生まれないからではないだろうか。むしろ逆境の環境の中にあって、そこからでなければ得られにくいのではないかと思う。
その逆境の中にあっても人間を失わないで、この世の生活を自立させていくことの中で人間性を深めていくことが出来るような気がする。そのためには、根底に愛の力が働いていなければならないのだが、今時、不幸が人生で必要であるとか、自己犠牲も時には伴うとか
愛の力があって人生を完成させ、人間性を深めるのだと言うことをどのように教え、説明することができるか、それは殆ど不可能なことなのかもしれない。
従って、人間性の向上と言うことは言葉では在っても、有名無実なことでしかないのかもしれない。
話は変わるが、フランスの郊外を走る列車の線路に作られている遮断機は人の通る幅一杯にしていないで、わずかに(50センチ程度)隙間を空けてあるそうである。(日本では目一杯か)それは一応ルールどおり遮断機は下ろしますが、皆さんの自由は自由として空けておきますので、好きにしてくださいということらしい。
私たちも人生に隙間を作って、自分で自由に何かを考えて自分なりに人生を再構築することを考えてみるのも、大事かもしれない。
あまりにも杓子定規な考え方で利を追い求めることだけに終始するするのは、考え直しても良いのではないだろうか。

             オヨナさんと私  第86回     

2010-04-26 10:16:56 | Weblog
家庭を持ったことの無いヨナさんには、家庭の温かさが分らない。また家庭の良さも分らない。このまま一生を終わるのかと思うと一度くらい家庭を持ってその暖かさを味わいたいとも思うことがある。そんな相手が現れないかと友人の顔を見ながら考えていた。
「上の子の言葉の遅れが気になっていてね。病院にも通っているんだが、よくならないんだ。」「まだ幼稚園前だろ。そんなに心配することでもないだろ」と気軽に言うと、
「とんでもない。同じ年頃の子なんか、べらべらしゃべっていて、大変だ。うちの子となんか比べ物にならんよ。」「少し成長が遅いだけで身体に障害があるわけじゃないだろう。」「医者に言わせると、特別悪いところはないと言うんだが、良く分らないのかもしれない」
ヨナさんは家にいるときの子供との関係について聞いてみた。やはり気に入らなかったり、いらいらしている時は子供に当って怒ったり、怒鳴ったりすることがあるらしい。また、あれをしてはいけない、これはだめとうるさく干渉もしているらしい。気分の悪い時には
手も出ることも在ると言う。其処まで聞くと、これは子供の問題ではない気がしてきた。
むしろ、それは父親の問題である。四歳の子供では父親の存在は大きい。まして、女ではなく、男では力もあり、手が出るようではもってのほかである。子供は恐怖の世界に入ってしまう。「今までと正反対のことをするしかないね。徹底的に子供にやさしく接することだ。
きっと、おびえて全ての成長に影響しているのかもしれない。だから躾とか、教育とか、そんなことは二の次にしてこの際、自由にのびのびとしたいようにさせながら危険なことだけは注意するようにしてみたらどうだろう。」自分も子育てをしたことが無いので、あまり
無責任なことは言えないが、父親になった彼も経験は無いのだから、同じかもしれない。
つまり子供とのコミュニケーションのとり方であったり、接し方を知らないから、また子供の気持ちを図ることも出来ない。まして子供の育て方をマスターしているわけでもないとすれば止むを得ないことかもしれない。自分流の育て方では自分の感情に流されることも多くなっても仕方がないことでもある。そう考えてくると、子供が出来ても、子供の本当の育て方についてどれほど関心と注意を払っている親がいるのだろうかと、新たな問題を思わせる気がしてきた。暫くハーブテイを楽しんで話していた友人も、何か考えるところがあったのか、「分ったよ。」と短く言うと、元気よく帰って言った。

             オヨナさんと私   第85回

2010-04-23 11:23:44 | Weblog
年のわりには早い結婚で、子供もすぐ出来たと聞いていた。まだ小さいはずだが、学校へ上がったら、ここへも来るのではないかとヨナさんは思っていたのだが、何を悩んでいるのだろうか。それはさておき、彼の表情で、気分を変えてやりたちと思い、いつものお茶ではなく、ハーブテイを用意することにした。「レモンバーベナ」といわれているが、レモンの香りが特徴だが、それも入れかたによって違ってくる。普通は干してポプリにして入れるのだが、今日は生の葉を入れてみることにした。庭で取れたものを直接小さく刻んで少し入れて
熱い湯をかけると香りが強くなる。人間は目で見たこととか、耳で聞いたことは良く覚えていて、結構記憶に残っている。また手で触れるものも忘れないでいるものが多い。
だが、匂いはどうだろうか。その匂いを嗅いだとき突然、その時の状況を思い出すことがある。逆に言えば、匂いはある時すっかり記憶から消えて忘れているものなのだろう。
しかし、どんなに忘れていてもその匂いをかいだときに、その匂いに関わる記憶がよみがえってくることになる。ヨナさんはこの「レモンバーベナ」の匂いをかぐと思い出す一人の女性がいた。それは会社務めをしていた時の事務の女性だった。そのお茶を出され、薄き色のテイを草のような葉をよけながら飲んだのだが、悪い気はしなかった。
「気に入りましたか」興味深げに飲んでいる様子を見て聞いてきた。「いや。始めてなのでね。変な気分なんだが悪くない。」そんなことを言った。
彼女は翌日、苗を植えてある鉢を包んで持ってきた。ヨナさんはそれ以来、それを持って帰り
それを育てている。とても丈夫で大きく育つので楽であり、必要な時に葉を取って、使えばよいので、簡単である。黙ってコップを差し出すと、彼はすぐ「これはいい香りだね。」
と表情が変わった。「たまにはこんなお茶もいいもんだよ。」ヨナさんは笑う。
二人は黙ってお茶を飲みながら、多分それぞれの思い出にふけっているのかもしれない。
彼もこのテイにまつわる何か記憶がよみがえっているのか、黙っている。
暫くしてから「子供さんいくつになった。」と聞く。「二人いてね。上は4つの男の子なんだ。」「下は」「まだ2歳だよ。」「理想的だね。」たわいの無い話が続いていた。
話は何事もなく続き、これで終わるのではないかと思われた。

            思いつくままに     

2010-04-21 08:58:51 | Weblog
4月に入っても、天候が不順で雪を見たりする始末だった。(17日)我が家のチューリップも開いたり、しぼんだり忙しい日々を過ごしていた。やがてゴールデンウイークを迎えようというのにこれでは春をゆっくり味わう気持ちにもなれないかなと、少し贅沢な思いでいる。いつも行く寺の庭園にはボタンが咲き始めている。来週ぐらいが見ごろになるだろう。そしてこの頃になると、何時も思い出す行事がある。数年前になるが、孫達と一緒に
「たけのこ掘り」に行ったことである。初めての経験で簡単にできると多寡をくくっていたが、これがなかなかの作業で、平地で簡単に取れるものだと思ったいたが、坂道の途中のような場所で鍬を使い、掘り起こす作業は素人がいきなりやってもできるものではないことが分ったのだ。孫達は喜んで、何時までも頑張って掘り起こしていたが、たけのこの根は強くしかも太い。それなりの力と要領がいることが分った。この時期にしか出来ない風物詩として思い出に残っている。好きな人には「山菜取り」の時期でもある。ある好事家に聞いたことがあるが、その時期、場所、はその人しか分らないノウハウであり、絶対に他人には言わない秘密らしい。その日を一日千秋の思いで待って、出かけていきその収穫にあったときの喜びは一入であり、何物にも変え難いものだと述懐していた。
春はこうしていろいろな人に、様々な喜びと希望をもたらしてくれる。ささやかな人生の中でほんの一つか二つでも良い、輝く瞬間があってそれをきちんと確認する事が出来れば、
それで生きていることが感じられる。どこもかしこも明るい人生なんか、かえってつまらない気がする。ぽつん、ぽつんと少ないけれど確かな灯火が実感できたら、それで満足しよう。取ってきた山菜を見ながら、今年も取れたと眺めるとき、涙が出ることさえあると言う。それは当に感動であろう。
毎日が変わりなく過ぎていく中で、大切なことは自分がではなくて、生かされている中で
何が自分に感動を与え、それが自分の糧として生かしていくことができるかを覚える時であろう。それをつかむ事が出来た時生きていることの喜びを確認できる。
これから春本番を迎えようとしている。一日、一日を大切に過ごしていきたいと思う。

            オヨナさんと私   第84回     

2010-04-19 10:12:31 | Weblog
お茶の香りと程よい暖かさの中でオヨナさんは何時しか眠りに入っていた。そして自分がどこか知らないところにいるのを感じていた。気持ちの良い風に吹かれて歩いている。砂浜である。どこかの海岸を歩いているようだ。海は静かに打ち寄せたり、返したり穏やかである。肩に何か重いものを感じ、後ろを見ると大きな荷物を担いでいる。それは形ではなく、また物でもない。始めは少し元気良く歩き出していたが、やがて少しづつその速度が遅くなる。でも一歩。一歩歩いている。止まるわけには行かないからだ。途中で急にのどが渇く、持っていた水の筒から水を飲む。少し元気が出る。また歩き始める。日差しが強くなり、熱くなる。空腹を覚え、腰から糒の様なものを取り出し、かじる。
目の前には何もない。ひたすら砂浜である。疲れてきた。肩の荷物が急に重くなる。足が痛み、歩くのがつらくなる。「少し休もう」立ち止まる。そして不図後ろを見た。
足跡が二つ見える。確かに一人で歩いてきたはずである。しかし足跡は間違いなく自分のと並んでもう一つ見える。それはしっかりと深く、強いものであった。
息を呑み、驚き、心臓が鼓動した。そして目が覚めた。オヨナさんは深く深呼吸をして息を整えた。不思議な夢だった。人は何時か死ぬ。家族や友人、知人と多くの人との交わりを持ちながら最後は一人で旅たつことになる。その時のことは自分にも、誰にも分らない。
孤独と言うことでもない。孤独は自分の力で生かすことが出来る。しかし死と言うときを前にしたとき、人は何を思うのだろうか。まして病をその身に持っていたら、尚更のことであろう。生きている限り、人は自分が何よりも、誰よりも大切になり、全てがそのことを中心に考えて行動する。そしてそのことがその人の生き方、一生を左右していくことになる。その軸足をどこに据えるか、そのことが大きな影響を与え、その人を左右する。
確かに足跡は一つではなかった。あの足跡は誰のものであったか、誰が自分と一緒に歩いていたのか、オヨナさんは夢の続きを見ているような思いの中にいた。
「こんにちわ」突然、玄関のほうで大きな声がした。出てみると、暫くあっていなかった友人が立っていた。「どうしたんだい。急に、まあ、上がれよ。」ヨナさんはあまり広くない
部屋の椅子に案内した。「お前はいいな。何時までも呑気で」と友人は減らず口をたたいている。お茶をすすめ、「元気そうだな。」と聞くと、「それがそうでもないんだ。」と急に表情が曇った。

          オヨナさんと私    第83回

2010-04-16 09:32:08 | Weblog
子供たちの来ない日はオヨナさんには休息の日であり、充電の日でもあった。その日もゆり椅子に座り、何時ものお茶を飲みながら庭を眺めていた。人は毎日何を考え、何を求めて日を過ごしているのだろうか。仕事は何のためなのか、生活を維持することにあるとすれば生活とはどのようなものなのか、そんな思いに追われて日々を過ごしているうちに、ただ時間のみに追われてしまい、自分を顧みる事が出来なくなっているのではないだろうか。
人が生きていくうえで一番大切なことはなんだろうか。ただ、生きるための手段にのみとらわれてその為に時間を用い、その為に全てを犠牲にし、すべてのことを忘れてしまう、現在のこの世の苦しさから逃れるために、または自分だけが存在したいために、ほかの事がおろそかになってはいないだろうか。新聞に見る社会問題はそれらのことを反映しているような気がするし、また出てこないまでも多くの家庭で起こっている現象ではないのだろうかと思われる。どんなに貧しくても、どんなに不自由であろうとも、一つ一つの家庭が其処に生きる家族によって大きな愛に囲まれて成り立っていれば、生活はどの家庭よりも豊かであり、どの家庭よりも暖かいものになることを知らなければならないと思う。もし、何でもお前の望みを叶えてやろうと言われ、心ならずもしてしまうことさえあるのである。また、そうすることで望みがかなったとしてどれほどのことになるのだろうか、不安と悩みのうちに囲まれて逃れることが出来なくなり、苦しむことになることを知らされるはずである。
物質的な栄華が、どれほどのものか(無いよりは良いと思うか)心の豊かさ、平安にこそ
幸せがあると考えるか、人間のもつ問題として生きている限り、この事を悩みながら生き続けることになるのか。最近ヨナさんの周りにも身体の具合の良くない人の話を聞く事が多くなった。聞くたびに他人事ではなく、自分のことのように思うし、もし自分だったらと思うことがしばしばである。もし自分であったら、どんなに不安であり、不自由であり、悩むことであろうか。そしてどうして自分を冷静に、平常に持たせることが出来るかと思わざるを得ない。何よりも健康が大切なことは分っていながら、如何することも出来ない大きな問題である。やはり大切なことはどうその病と向かい合っていくかと言うことになる。
その向かい合う姿勢がそれぞれ異なり、その影響も違ってくる。その差は大きく出てくる。
それが大事ではないだろうか。

              思いつくまま  

2010-04-14 09:15:50 | Weblog
桜のお花見シーズンも関東地方を通過してどうやら北上していったようである。私も人並みにこの近所を中心に数箇所の桜を楽しんでいるのだが、その中に直ぐ近所にある50メートルほどの商店街に植えてある20本ほどの桜がある。その桜に今年異変が起きていた。
昨年まであった枝がものの見事にばっさりと切られて、花を見るのに見上げなければならないことになっていた。桜の下を通る車の障害になるので、枝の剪定をしたのだという。
それにしても「ほうき」を立てたような街路樹様の桜ではお花見の気分にはならない。
[桜切る馬鹿、うめ切らぬ馬鹿」と言うたとえを思い出したが、これは剪定の必要性を教えたものだとありましたが、桜も確かに剪定は必要かと思いますが、これでは遠くまで花見にいけない近所のお年寄りの長い間の楽しみを、完全に踏み潰した結果になったようで、その嘆きが聞こえてくるようであった。切るにしても楽しみにしてきた人の気持ちを配慮した剪定が出来なかったものかと同情したものである。
それにしても桜はやはり日本人の心に「いやし」「和やかさ」を持たしてくれる代表的な花と言えるだろう。桜は「そめいよしの」に代表されると思っていたら、この桜はクローン種で人工的に掛け合わされたものだと言うこと、「そめい」は地名で「吉野」はある植木屋さんの命名と知って、勉強になった。種類もソメイヨシノ、山桜、を始めとして、600種類もあるとのこと、改めてその深さと歴史を知らされた。今日あたりは花吹雪でまた一段と風情をそそられることだろう。そして不順だった春の気温も、少しづつ落ち着いてくるのかもしれない。我が家の庭には鉢植えのチューリップが咲き始めた。昨年、特別に本場富山から取り寄せた球根である。どんな花を見せてくれるかと楽しみにしていたが、期待にたがわず見事な豪華な咲きっぷりで、色といい、形と言い、貫禄充分で見ごたえがある。(気のせいもあるかもしれないが)やはり球根の違いはありそうである。
話は変わるが、人間も70歳を過ぎたら少しづつ自分が変わることを自覚するようになる気がする。自分のことより相手のことを考え、人の心の複雑さ、多様性を認めつつ現実とその先にある哲学、宗教を融合した目利きになれるようになる気がする。まだぼけるには早い。
少しでも心を磨き、この世に生かされている意味を噛みしめながら、日々を過ごしたいものである。

            オヨナさんと私   第82回

2010-04-12 09:39:58 | Weblog
江戸時代末期、千葉の成田に近い佐倉というところに名主の佐倉宗吾という人がいた。本名は木内惣五郎と言う人らしいが、なかなかの人物だったらしい。当時農民の不作が相次ぐ中で厳しい課税の取立てを強いられていることに発起し、何とか少しでも負担を軽くしてやりたいと単身自ら減税をしてやって欲しいと直訴に出た。しかしこれが受け入れられず、民心を乱すと磔の刑に妻子共々に処せられたという。そしてその時、印旛沼の渡しの手助けをした甚平なる船頭もほう助した罪で同じく磔の刑に処せられたとある。今でもその遺跡が残っていて、祀られているのだが、今日の目的地の「うなぎや」が其処にあるのだ。
印旛沼のほとりに来て道路を走っているとうなぎの水産センターがあり、道の両側に急にうなぎの店や川料理の店が立ち並び始める。どの店に止まるのかときょろきょろしていると、道端の汚い看板もないような店の裏庭のようなとろろに車を入れた。「ここだよ」と言われて降りると、其処は車の置き場もないほどであり、次から次へと入ってくる。降りた客は番号札を貰い、早くて一時間待ちの状態である。待ち時間の間にその近所を歩いてみる。店はいくらも有るのだが、どの店にも車は止まっていない。ほんの僅か一台か二台位か。
件の店は入りきらないほどの盛況である。そして黙って時間で呼び出されるまで待っている。「何故か」印象としては店の構えとして、小さく(10人ほどがやっと)テーブルも
その他の調度品も粗末である。調理場は店から丸見えでばたばた作っているのが見える。
やがて、順番が来て席に着く。とりあえず並を注文して食べてみる。うなぎは程よく焼かれやわらかく、たれも特別甘くなく、辛くなく、ほどほどである。米もふっくらと食べやすい。しかし、そうかと頷くほどの味でもない。特別に印象に残る味でもなく、(残念ながら分らない)食べ終わったのである。時間は既に午後の2時を過ぎていたがお客は続々と続いていた。帰途、あの賑わいは何故なのか、もう一度検討してみた。強いて言えばくせのない味であり、マイルドな焼き方、たれも万人向きな自然なものであった。何か強い印象を残す味かと期待していたが、逆にほどほどに出来ていて若者から、婦人、そしてお年寄りまで食べやすくなっているのが良いのか、それと料金が他の店と比較して何故か安いことに気がついた。(1260.:1400)しかし、値段が安いと言うことでこれだけ客が集中するのかと言うことも考えにくいところである。考えれば考えるほどに不思議な店であった。

            オヨナさんと私  第81回

2010-04-09 09:03:07 | Weblog
近所のじい様から声がかかった。何しろオヨナさんの近所には若者らしき姿を見ることは無い。小学校へ通う子供の姿も稀である。当に老人国になりつつあるのかと不安になるときもある。朝、夕に犬の散歩に連れて歩いているのも老人である。静かで悪くは無いが、活気らしき雰囲気が漂わず、デイケアの車が行き交うのを見るだけである。
「ヨナさん、今日当り時間があるかね。ちょっと私たちと付き合わんかね。」「何ですか、」近所のお付き合いは大事にしている。親切にしてもらい、野菜を届けてもらったり、時には惣菜を頂くこともある。若い者が一人でいるのを見かねて心配してくれるのかもしれない。自分は何も出来ないが、顔をあわせれば挨拶をしてお話は聞くようにしている。勿論話が合うことも無いので、滅多に話をする機会も無いのだが、中に気さくな人がいて、若いヨナさんにも声をかけてくる。聞いてみると以前この町会の会長をしていて、とても詳しいことと生来の世話好きのようである。(どこにも一人ぐらいこのような人がいるようで、それぞれの町が成り立っているのかもしれない。)「いやね、天気もいいしちょっと遠出をしてうまい「うなぎ」でも食べに行こうかと思っているんだがどうだね。」ヨナさんはうなぎと聞いて少し気持ちが動いた。うなぎは嫌いではない。むしろ好きなほうかもしれない。
しかし、確かにこの辺には美味しいうなぎを食べさせるところは無かった。
たまにはうなぎもいいかと「連れて行ってくれるんですか。」「近所のばあさんと一緒だ。」爺さんの運転で、二人のばあさんが同乗した。何でも正、五、九といって正月と5月と9月の月に成田さんのお参りをかねてうなぎを食べて帰るのだそうである。今日は予定していた爺さんが具合が悪くなったようで、空いたらしい。話を聞いているとばあさんは80歳と90歳ぐらいらしい。それにしても元気である。運転している爺さんも80歳ぐらいだ。(内心、大丈夫かなと心配しないでもなかったのだが)車は走り出した。
しかし、目的地へ真っ直ぐ行くのではないらしい。確かにナビはその方向を指しているが、
そうでもない、運転しながら解説が始まる。新しい通りや町に入るとその場所の故事由来であったり、現在の姿と過去の姿の説明であったり、忙しい。後ろから声がかかる。「今、白いタイヤキの店があったわ。帰りに買うから寄ってください」真に賑やかで、楽しい雰囲気である。「ちょっと、ここから道を外れてみよう。何かあるみたいだ。」急にルートを外れて違う道を走り出す。ヨナさんは落ち着かない。