波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

パンドラ事務所  第三話  その1

2013-08-29 09:00:44 | Weblog
秋葉原の事務所での日々は続いていた。定期的に顔を出してくれる管理人のスタッフも苦笑いを浮かべいながら「毎日暇ですね。」と皮肉の一つも言って帰るが、青山には一向に気になることはない。むしろ来訪者がなく、静かに自分の時間をマイペースで過ごし、家と違った環境での過ごし方を楽しむことが出来ていた。
まだ暑さが続いていてエアコンの音を消すことが出来ないでいたある日、珍しく小さくドアーをたたく音がした。「どうぞ」と大きな声で答え、ドアーを開けると小柄で少し老境に入りかけた婦人が立っている。一目見て見覚えがあるなと思いだそうとしていると
「杉山の家内です」と名乗った。そうだ、杉山君の奥さんだ。会うといつも明るく陽気で
冗談を言いながらもてなしてくれた人だったと思い出していた。「青山さんですね」と言われ、「暫くですね、どうぞ」と招き入れた。もう何年になるだろうか。最後にあったのは杉山君の死を聞かされ、葬儀に駆けつけて以来だからもう10年くらいになるだろうか。「もう七回忌も済ませて終わりました」と聞く。「お変わりありませんでしたか。」というと、「お陰様で二人の娘たちもそれぞれ嫁に行って、孫もできてすっかりおばあちゃんしています」と笑っている。
青山はお茶を入れながら、杉山君と過ごした10年前を思い出していた。若かったこともあり、お互いに下手なゴルフに夢中になって休みを利用してプレーをしていた。
何しろゴルフブームであちこちのゴルフ場が満員でプレーできないことが多く、彼の地元(館林)公営ゴルフ場を抽選でとってもらい、東京から早朝出かけて行ったものだった。
帰途、自宅に立ち寄り食事をごちそうになったりしてお世話になったこともあった。
「その節は大変お世話になりました。」と礼を言うと「こちらこそ」と少しさびしそうである。つい昔を思い出して「杉山君が元気だったら定年後、ゴルフクラブを手作りで作って楽しんでいるでしょうね。」「そうだと思います。お酒を飲んでいるときとゴルフをしているときが何より楽しそうでしたから」と話す。
思い出とともに昔話は尽きないが、「所で暑い中、遠いところをわざわざ訪ねて下さったのは東京へ何か御用でもあったのですか」と話を戻すと「実は青山さんなら何でも分かって下さると思ってちょっとご相談に来ました。」「どんなことでしょう」見当もつかず
聞くと「あの当時はただ、ただ夢中で葬儀や目の前のことに追われ何も考えられなかったのですが、こうして落ち着いて何もすることがなくなると主人の最後のことが思い出されて眠れないことがあるんです。」

思い付くままに  「希望とは?」

2013-08-26 09:06:27 | Weblog
今年の10月で102歳を迎えられるという日野原重明先生の講演で次のようなこを
話されたことを聞いた。「希望とは自分の心の内に耐えることのできる力の大きさのことである。」自分勝手に軽く、希望を持とう、希望を持っていれば必ず良いことがある。又
希望を持ち続ければ必ず叶うものである等と思っていたが、逆に希望とはむしろ重い荷を背負って歩く姿にも似て「耐えている姿」であるというのだ。年齢を超越した含蓄のある言葉として改めて考えさせられている。
それにしても最近の世相を見るに老いも若きもどんなに「耐える力」の弱まりつつあることか。それは新聞などで「キレル」と言う言葉で表されて起きている現象を見ても分かる。この世の生活は仮にどんなに改革が進み、様々なことが訴えられたとしても、各人が満足する状態になることはなり得ないし、もし仮に少し満足するような政策なり、状態になったとして、「新しい家に入ることが出来た。」「車を買った」「外国旅行に行くことが出来た。」「ブランド品を買った」等が叶えられたとしても、もう十分と言うことにはならない。不思議なもので更に新しい欲望が生まれてくるからである。
暗くつらいことを「闇」として考えれば、その「闇」に負けない希望の星を見つけるしかないのである。
聖書にそのことを象徴的に表した出来事が書かれている。「エジプトの奴隷として長い間虐げられていたイスラエルの民がモーセによって脱出に成功し、奴隷から解放されて
新しい土地に向けて出発した。それは長い旅であり苦しい旅でもあった。(人生)
初めは解放されて喜んでいた民も、次第に旅の苦しさと不自由さに音を上げ始め、「おいしい水がのみたい。」「肉が食べたい」と勝手なことを言い始めた。モーセはその都度
彼らの要望に応えていた。」3000年も前の話であるが、現代の私たちをそのまま映し出していると考えても少しもおかしくないのである。
では私たちはどのように考えなければいけないのか。最初の先生の言葉にあるように
「耐えて待つ力」を少しづつ培い、養って力をつける努力をしなければならないのだと思う。ここで事ごとにあきらめたり、恨んだり、人のせいにしたりするのではなく、そこから新しい知恵と力を生みだすことを考えて生きることだと思うし、そこに必ず新しい
発見があることを確信しています。
今年の夏が猛暑で新しい耐暑グッズが生まれたのもその一つかなと思ったりしつつ。

パンドラ事務所  第二話  その5

2013-08-22 09:20:48 | Weblog
「その本にはかなり具体的な内容で説明が出ていた。最初に食事療法として男子は野菜系を出来るだけ取るようにする。女性は反対に肉食系を中心に栄養を取るようにする。その状態を一か月以上続ける。そしてその期間は性行為を自粛することとあった。二人は半信半疑であったが、これをだまされたと思って実行することにした。やがて妊娠し、そして
順調に経過し、その結果待望の男子誕生をもたらしたのだ。
二人は驚きの中にも喜びに包まれて親にも報告が出来た。こうして幸せな家庭として始めることが出来た。子供が成長し、父親は仕事で外出が多く、家族がそろって行動することは殆どなくなったが、それでも幸せだった。」こうして日記を読む毎日は続いたが妻の様子に変化はなかった。むしろ少しづつ、体力の減退とともに弱っていくようになり、反応も鈍く感じるようになっていた。青山はラジカセで音楽のテープを聞かせた。それは二人が若いころ、夢中で聞いて心を躍らせていた1970年代のフオークソングであり、演歌でもあった。しかしその効果もむなしく、最後の時を迎える時が来た。
その日青山は所要があり、外出していたのだが容態が変わったことを聞き、ホームへ駆けつけたが、すでに遅く妻は一人で旅立っていた。自分だけが取り残された空しさと後悔だけが残されていた。何かやり残していた事、何か忘れていたことがあったのではとそればかりが頭にあり、考えるのだがそれが何であり、何をすればよかったのか分からなかった。二人が一緒になった時から寡黙であった妻の姿勢、それは忍耐であり、我慢の姿であった。自分の思いや望み、したいことや言いたいこともあったであろうに、それを聞こうともせずこ、言われないままに良いこととして過ごしてきた日々、子供の成長だけを楽しそうに見つめ続けていたその姿だけが印象的であった。
人は皆、いつか死んでいくことは分かっていながら現実には目の前のことしかわかっていなかった。しかしこうして死の姿を見たときに人生の厳しさ、大切さ、また生きている時間の尊さその意義、それらが一度に走馬灯のように頭の中を駆け巡ったのだ。
今、こうして子供たちとも離れ妻に先立たれ一人になった自分を顧みて青山はこれからの人生をいかに大切にしながら最期を迎えるかを改めて感がるのであった。

 思い付くままに   「夏休みの思い出」

2013-08-19 10:15:34 | Weblog
間もなく夏休みも終わりに近づく。始まる前のわくわく感がもうすぐ学校が始まるという少し緊張感と宿題や課題のことを考えざるを得ないこの時期はすっかり変わってきていることだろう。そんな中で、この休み中の期間を過ごして何が残っているのだろうか。
未曽有の暑さ(35度越え)が続き(昨年より高温が続いている)身構えなければならないほどの警戒心を要するようななかで対処対策を考え、体力の衰えを計算しながら過ごしてきたが、夏を楽しむというよりは如何に夏を無事にやり過ごすかを思い、冬が恋しい思いが強くなる。
例年この時期(旧盆)は墓参をすることを恒例としているが、今年も何とか済ませることが出来た。掃除と供花をそこそこにしながら墓前では天に挙げられた妻のことを思う気持ちが年々強くなる。生前全身で愛し、守ってやることが出来なかったことがよみがえり、その思いが強くなるからだ。
教会学校の夏季学校の一日も良い思い出になった。孫同様の子供たち数人と聖書を学び、ゲーム(吹き矢あて、ビンゴ、工作)作文、お弁当、かき氷などを無邪気に過ごした一日はなかなかできないこととして、貴重であり、まだ自分の果たさなければならない勤めを
思わされたことである。
夏休みと言えば我が家の孫たちの来訪が恒例であったが、成長とともに訪れることもなくなり、それぞれが自分たちの計画に基づいて過ごすようになったことで静かである。
そうなると、中々顔を合わせる機会がないとあって今年は爺のほうから申し入れをして
時間を作ってもらい、「食事会」と称して集まることが出来た。
身長が160センチを超す姿を確認して成長を認めることが出来た。
すっかり大人のような様子で、各々がスケジュールに追われていることを知って、すっかり自分の生活と比べて逆転していることを知るところとなる。
町内の夏祭りも行われて散歩がてら覗いてみた。
町内会の主催とは名ばかりで、どこの人かわからない人がぱらぱらと集まり、出店も僅かに子供目当てのものになり、中央の踊りの櫓もどこからか頼んで来たバイトらしき人の
太鼓の音では盛り上がりもかけても仕方がないことだろう。
商店会も数軒と激変し成立させるのも難しくなりつつあるようであった。
かくして今年も夏は過ぎていくことになる。様々な思いの中に今年もこうして夏の思い出を残してくれたことを感謝したいと思う。

パンドラ事務所  第二話 その4

2013-08-15 08:51:24 | Weblog
この話は僕たちのことなんだよと思わずしゃべりたくなる思いを押さえながら青山は
優しく言葉をかける「どうなるのかなあ。読んでみないと分からないよ」と答える。
「そうね。今度次を聞く時が楽しみだわ」と言いながらあくびをしている。そんな姿を見ながら「今日はこれぐらいにして寝ようね。」と車椅子を押しながら部屋へ帰る。
この病気は痛みを伴わないことが一つの特徴かもしれない。老人性の痴ほう症も記憶がすぐ消えるのが特徴だが、苦しむことはないと言われ、難病指定とされる膠原病やパーキンソン病なども含めて治療効果が見つかっていない難病である。アルツハイマーもその一つと言える。
構わないでおくといつまでも静かに寝ている状態である。しかしそれは精神的にも肉体的にも病気を進行させても回復には向かわない。昼間は出来るだけ園内の緑の木陰を求めながら歩くように努めた。
「二人には可愛い子供が二人出来た。最初の子は女の子で生まれた時から髪の毛がとても多くて櫛が通らないほどで元気も良かった。名前を付けるときに田舎の祖母がどうしても
自分の名前を付けたいと言い張って、(良子)ってつけたんだが、本当はじぶんたちでつけたかったんだ。二人目は男の子がほしいという家族の希望が強かった。それは兄の子供が二人とも女の子で、家系が途絶えることを心配した祖父母の気持ちでもあった。
でもこれだけは天からの授かりものだからと思っていたしね。」そこまで読むと妻は反応した。「そうよ。赤ちゃんは親のおもちゃじゃないわ」「そうなんだよ。だから二人はとても困ったんだ。」日記は続いていた。
「二人は親の希望を叶えることが出来ないかと言うことを無視することは出来なかった。
もちろん自分たちもできれば男の子をと思わないわけではなかった。ある日本屋で立ち読みをしていた時、その棚に「男女の産み分け法」ドクトル千恵子著と言う本に目が留まった。何気にその本をぱらぱらとめくると絶対ではないが、確率的には80%ぐらいあるとあった。信じたわけではないが、冷やかし半分でその本を買い、読むことにした。
少しでも努力したことにすればどっちになっても後で言い訳ぐらいにはなるだろうと思ったからだ。」青山はそこまで読むと、居眠りをしている妻の寝顔を見ながらその当時のkとを思い出していた。遠い昔のようでもあり、つい先日のことのようにも思い出しながら。

  思いつくままに  「夏祭り」

2013-08-12 11:16:51 | Weblog
先日隅田川の花火大会が開催されたが、悪天候のために初めて中止になったと報じられていた。この時期どんなところでも年に一度のお祭り行事の一つとして欠かせない風景である。私自身はどうもこの行事になじめないところがあって「待ち遠しい」とか、「楽しみにしている」と言う感覚を持ったことがないせいもあって、お祭り行に参加したことはあまりない。所が今年は老人会の友人に誘われて久しぶりに出かける羽目になった。
とは言ってもそんなに大それたものではなく、ある「特養ホーム」主催の納涼祭のようなものであった。ホームの老人を介護している職員の慰労を兼ねたもので、ホームの人と家族、そして職員が一体となって行われたものであった。女子職員は全員浴衣を着て、ホームの人たちと庭に出てお弁当、焼きそば、焼き鳥、ウインナー、かき氷、綿あめと屋台がずらっと並んでいる。宴たけなわとなったころ、男子職員のコスプレした相撲大会、そして賞品つきのクイズ大会とにぎやかに行われていた。そんな中、あとの慰労会のことを配慮して早めに切り上げて帰宅したのだが、こんなお祭りもありだなとつくづく考えさせられた。日ごろ24時間を真剣に老老介護で寝る時間も惜しみながら働く職員、失礼を承知で言うならばそんなに高級待遇とも思えない職員がホームの人たちと心から楽しんでいる。一年を考えれば短い僅かな時間の中である。(ホームの人たちには長時間は無理と思われる人も多い)その全員が心を一つに喜びを分かち合っている姿をみて、これこそ本当の「お祭り」だとの感を強くしながら心を温かくして変えることが出来た。そして帰宅途中どこかで上げている打ち上げ花火の音を遠くで聞きながら、今年も夏が過ぎていく思いを持った。人生における「喜び」の時間は物質や金銭で得られるものではなく、「心」の中にこそあるのだ、それは外から見ればどんなに小さく、貧しく見えても気持ちと心の持ち方で大きく変えることが出来ることを発見することが出来たのだ。
今年は嘗てない豪雨とか、高温に見舞われ戸惑うことが多い。地球温暖化が着実に進んでいることを感じざるを得ない。それは何を意味しているのか、人間に対する神の警告にも聞こえる。謙虚に自我を満足させ、自己のことだけを考えるのではなく、世界全体のことを考えるときでもあると思う。

パンドラ事務所  第二話  その三

2013-08-08 09:17:57 | Weblog
二人の出会いは唐突であった。彼女は青山と同じ事務所での仕事をする間であり、共に働いていた女性の一人と言うことだけであり、何の気もなく仕事に専念していた。
学生時代から女性との交際が下手で経験のない青山にとって彼女の存在は薄かった。
酒が飲めないこともあって仕事帰りの一杯と言う時間も作れなかった。そんな二人に声をかけたのは二人の上司であった。「偶には二人でお茶のみでもしたらどうだ。俺が知っている店を紹介するから食事でもしながら話でもして来いよ。」否も応もなかった。
古い考えかも知れないが上司の言葉は命令のようなものであり、従うしかなかった。
小さな町の中央に少し目立った洋風のレストランがあることは知っていたが、入ったことはなかったのだ。二人の関係の始まりでもあった。
青山はそんな結婚前の関係の流れを日記風にノートにまとめて書いていった。そして
療養所での午後のお茶の時間になると所内を散歩しながらベンチに腰かけて、妻にその日記を読んで聞かせることにした。青山は妻がこれを聞いて何か記憶を戻してもらえるように出来るだけ事実をそのまま読んで聞かせることにした。
「レストランに入った二人は緊張しながら店の隅のテーブルに座った。ここで良いかな。
メニューに目をやりながら、最初に何か飲み物でもとって、その内食事を決めようね。
二人は毎日同じ会社で仕事をする中でありながら、まるで初めてであった男女のように固かった。「食事は決まったかい。」「まだ。」「じゃあエビフライにしょうか」それは
二人が初めて食べた食事であった。」
青山は営業課であり、お客さんとの商談は得意であったが、彼女を前にして何を話していいか戸惑うばかりで勝手が違い、困っていた。「どうだい。」「えーとてもおいしかったわ。」二人の会話は僅かなものであったが、二人は満足していた。
店を出ると各々家路を急いで帰路に就いた
日記を読み聞かせながら青山は時々妻の表情を見る。そしてその変化を探るのがが、その表情は初めて聞くものであり、興味深く聞いている様子である。しかし自分のこととは思っていないらしく、「それから二人はどうなったの」と聞いてくる。
どうやら話は分かっているらしい。また関心も持っているようだ。それならこのままこの話を続けよう。いつか何か新しい発見があるかもしれない。

思い付くままに   「夏休み」

2013-08-05 09:28:02 | Weblog
今年も夏休みがやってきた。子供たちにとってはこの期間は大きな意味を持つ時間となると思う。それは学校と言う限られた環境とあまり興味を持てない?学習時間の中に閉じ込められているところから解放されるからだ。人間が成長していく過程で最も活発な成長期に出来るだけ視野を広くし、日ごろ経験できないことをして多くのものを吸収することは将来の彼らの夢にもつながり(夢実現への動機にもなることも)大きな意義があると思うからだ。その過ごし方は様々であって学校で行う林間学校形式のものから近所のプール、夏祭りへの参加、祖父母の田舎への帰郷、そして海外旅行など果てしない。
この様に夏休みの過ごし方は時代とともに少しづつ変化していくものだろう。
自分自身のことを考えると、あまり強い印象で残っている思い出がないことに気が付く。その中でただ一つ残っているのは東京から横浜にいる叔母の家へ遊びに行ったことだ。
東京のにぎやかな街から離れ、家の近くを流れる小川や緑の多い公園、そこで戯れた虫や蛙やトンボとの触れ合い、都会では決して味わえない開放感のようなものだった。
そして隣にいた同級生の女の子との交わりは異性との初めての感覚であった。それは人生における男女の最初の経験であり、女の子の感性を知ることになった。
その印象は強く残っていて、時間を忘れ夢中であったことを思い出す。
時代とともに夏休みの過ごし方が変わっていくことはやむを得ないとしても、その内容がただの無機質な単なる観光であったり、旅行のようなもので、「面白かった。」「楽しかった」で終わって、刹那的な時間とするのではなく、何か心に残こる一ページとしての持ってもらいたいものだと思う。
それは派手に時間とお金をかけることではなく、むしろ心と心の触れ合いにつながるようなことを心掛けてもらいたい。最近は子供の考えではなく、親や大人が自分たちの望みをかなえるために考えて計画していることも多いと聞いている。
それでは本末転倒であろう。あくまでも子供中心で考えながら親も楽しむということを考えてもらいたいと願う。
私も人並みに孫たちが小学生までは身体の許す限り、この時間を共有して楽しむことが出来たが、今では行動を共にする体力もなくなった。そんな中で今年はお互い忙しい中を調整して、「食事会」と称して顔合わせをすることにしている。
成長した姿を確認するとともに、昔を懐かしく思い出すためだ。

パンドラ事務所  第二話 その2

2013-08-02 09:37:41 | Weblog
二人だけの生活になって、妻の看病をしながらの生活は初めての経験と言うこともあってすべてが不慣れのことばかりであり、失敗の連続であった。妻も日常生活の立居は出来ていたが、昔の記憶から次第に忘れることが多くなっていった。現在の、今の置かれている状況は分かっているようだが、傍にいる彼の存在が夫と言うことが判別できていないのか、親切で優しい人が自分の世話をしてくれているという感じであった。
時折、訪れてくる息子や娘の家族と会っても、彼らを見る目は家族としての目ではなく、他人を見る目であり、可愛い子供を見る目であった。
青山はそんな日々の中で何とか妻の意識を現実のものとして記憶を少しでも取り戻すことが出来ないかと考えていた。歩行を少しづつ不自由になってきた。そんな姿を車いすに乗せ、嘗て二人で楽しんだ公園や河原へ連れてゆき、歩いてみた。そしてその時歌った歌を口ずさみながら、その時のことを話して聞かせてもみた。
それを聞きながら妻はにこにこと気持ちよさそうであるが、それは記憶を取り戻したということではなく、あくまでもその時の気分であった。
そんな時間ではあったが、変えは満足できた。「まだ時間はある、焦らないで少しづつ二人の時間を楽しみながら昔を取り戻したい。」「気持ち良いわ」と微笑んでいる妻の様子が慰めだった。
時々突然のように襲ってくる発作が彼女の肉体への影響を与え、徐々にその病気は進行しているようであった。このままではいつか自分の手に余ることもあるかもしれない。
青山は自宅を離れ緊急時に備えがある療養所を探した。
出発の日、車に乗せるといつものように散歩へ行くかのように変わりはなく、静かに家族に見送られて二人は長く住んだ家を離れた。
3時間ほど休憩をはさんでかかって、東京を離れ静かな山間にある療養所に無事につくことが出来た。二人で予定されていた部屋に落ち着き、新しい環境での生活が始まった。
今までと違い食事をはじめ身体の検査など、全てが整っていて青山は今までの負担が軽くなった。少し気持ちにも余裕が出来てきた。
新しい住まいで慣れてくると、ここで何か新しいことを始めようという意欲が出てきた。
「そうだ。本を読んで聞かせよう。幸い時間はたっぷりある。」
人生の最後の時間を大切にしたい。そして今までのことを振り返りたい。そんな思いであった。