秋葉原の事務所での日々は続いていた。定期的に顔を出してくれる管理人のスタッフも苦笑いを浮かべいながら「毎日暇ですね。」と皮肉の一つも言って帰るが、青山には一向に気になることはない。むしろ来訪者がなく、静かに自分の時間をマイペースで過ごし、家と違った環境での過ごし方を楽しむことが出来ていた。
まだ暑さが続いていてエアコンの音を消すことが出来ないでいたある日、珍しく小さくドアーをたたく音がした。「どうぞ」と大きな声で答え、ドアーを開けると小柄で少し老境に入りかけた婦人が立っている。一目見て見覚えがあるなと思いだそうとしていると
「杉山の家内です」と名乗った。そうだ、杉山君の奥さんだ。会うといつも明るく陽気で
冗談を言いながらもてなしてくれた人だったと思い出していた。「青山さんですね」と言われ、「暫くですね、どうぞ」と招き入れた。もう何年になるだろうか。最後にあったのは杉山君の死を聞かされ、葬儀に駆けつけて以来だからもう10年くらいになるだろうか。「もう七回忌も済ませて終わりました」と聞く。「お変わりありませんでしたか。」というと、「お陰様で二人の娘たちもそれぞれ嫁に行って、孫もできてすっかりおばあちゃんしています」と笑っている。
青山はお茶を入れながら、杉山君と過ごした10年前を思い出していた。若かったこともあり、お互いに下手なゴルフに夢中になって休みを利用してプレーをしていた。
何しろゴルフブームであちこちのゴルフ場が満員でプレーできないことが多く、彼の地元(館林)公営ゴルフ場を抽選でとってもらい、東京から早朝出かけて行ったものだった。
帰途、自宅に立ち寄り食事をごちそうになったりしてお世話になったこともあった。
「その節は大変お世話になりました。」と礼を言うと「こちらこそ」と少しさびしそうである。つい昔を思い出して「杉山君が元気だったら定年後、ゴルフクラブを手作りで作って楽しんでいるでしょうね。」「そうだと思います。お酒を飲んでいるときとゴルフをしているときが何より楽しそうでしたから」と話す。
思い出とともに昔話は尽きないが、「所で暑い中、遠いところをわざわざ訪ねて下さったのは東京へ何か御用でもあったのですか」と話を戻すと「実は青山さんなら何でも分かって下さると思ってちょっとご相談に来ました。」「どんなことでしょう」見当もつかず
聞くと「あの当時はただ、ただ夢中で葬儀や目の前のことに追われ何も考えられなかったのですが、こうして落ち着いて何もすることがなくなると主人の最後のことが思い出されて眠れないことがあるんです。」
まだ暑さが続いていてエアコンの音を消すことが出来ないでいたある日、珍しく小さくドアーをたたく音がした。「どうぞ」と大きな声で答え、ドアーを開けると小柄で少し老境に入りかけた婦人が立っている。一目見て見覚えがあるなと思いだそうとしていると
「杉山の家内です」と名乗った。そうだ、杉山君の奥さんだ。会うといつも明るく陽気で
冗談を言いながらもてなしてくれた人だったと思い出していた。「青山さんですね」と言われ、「暫くですね、どうぞ」と招き入れた。もう何年になるだろうか。最後にあったのは杉山君の死を聞かされ、葬儀に駆けつけて以来だからもう10年くらいになるだろうか。「もう七回忌も済ませて終わりました」と聞く。「お変わりありませんでしたか。」というと、「お陰様で二人の娘たちもそれぞれ嫁に行って、孫もできてすっかりおばあちゃんしています」と笑っている。
青山はお茶を入れながら、杉山君と過ごした10年前を思い出していた。若かったこともあり、お互いに下手なゴルフに夢中になって休みを利用してプレーをしていた。
何しろゴルフブームであちこちのゴルフ場が満員でプレーできないことが多く、彼の地元(館林)公営ゴルフ場を抽選でとってもらい、東京から早朝出かけて行ったものだった。
帰途、自宅に立ち寄り食事をごちそうになったりしてお世話になったこともあった。
「その節は大変お世話になりました。」と礼を言うと「こちらこそ」と少しさびしそうである。つい昔を思い出して「杉山君が元気だったら定年後、ゴルフクラブを手作りで作って楽しんでいるでしょうね。」「そうだと思います。お酒を飲んでいるときとゴルフをしているときが何より楽しそうでしたから」と話す。
思い出とともに昔話は尽きないが、「所で暑い中、遠いところをわざわざ訪ねて下さったのは東京へ何か御用でもあったのですか」と話を戻すと「実は青山さんなら何でも分かって下さると思ってちょっとご相談に来ました。」「どんなことでしょう」見当もつかず
聞くと「あの当時はただ、ただ夢中で葬儀や目の前のことに追われ何も考えられなかったのですが、こうして落ち着いて何もすることがなくなると主人の最後のことが思い出されて眠れないことがあるんです。」