波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思い付くままに   「一年を顧みて」

2016-12-28 10:46:27 | Weblog
間もなく今年も終わる。年末というほどの感慨もないが区切りの時間として考えてみると、さまざまなことが思い浮かぶ。事象現象を取り上げるつもりはないが、やはり大事な事はいかにこの一年の時間をどんな思いで何が出来たかということである。そして二度と還らないこの尊い時間をどれだけ悔いを残さないで(充足感)過ごしてくることが出来たかを考えざるを得ない。
残念ながらそれは満足感の得られるものではなく、むしろ罪悪感と後悔
一年であったといわざるをえないのだが、それは偽らざる気持ちであり、反省でもある。
その中にあってこの一年を顧みるとき、まず健康を持って過ごせた事を感謝せざるを得ない。それはまだこの世にあって、為さなければならないことがあることを思わせられるし、それが何であるか(悔い改め)をしっかり見つめなおさなければならない。
そして私を取り巻く人間関係に対する(友)への「愛」について何処まで果たしえているかを考えるときでもある。人間は罪を犯しながら生きている存在である。その罪をどれだけ意識して
その贖罪の念を持ちながら生きることができるかという事は大事だな事と考えている。
それは若いときには自己中心でしか考えて生きてくることができなかった事への回生でもある。
こうして全てを為し終えてその人生を終わらんとするときにこそ、その思いを強くもって
残る人生の時間を大切にしたいと思うからである。
「友のために自分の命をなくす事ほど大きな愛はない」とは聖書の言葉であるが、私もまたこのような小さな片隅に生きていながら何が出来るかを考えつつ生きている。
先日クリスマスに民生委員の人が中学生の子供たちとお祝いのプレゼントの花を持って訪ねてくれた。私はこの喜びに応えることに僅かな「飲み物」を用意した。こんな気持ちになれることで
小さな交わりを持つことが出来たし、頂き物を近所の人へおすそ分けできた事も嬉しかった。
一日、一日は誰の目にも留まらず、静かに過ぎていくが、その中にあってどんなに小さく僅かな事でもその「愛」に応える事のできる人生を来年も持つことが出来ればとささやかに考えている。





















足跡    「変革の予兆」

2016-12-25 09:43:47 | Weblog
クリスマスを迎えると間もなく年末になり、今年も終わる。全ては何の変わりなく動いているかのようであるが、地下が蠢動するように静かに変化が感じられる。今年も終わり新しい年がそこまで来ているが、まだ見えていない。しかし今年を顧みてみるとその予兆は何となく見える気がする。世界はアメリカを中心に変わるだろう。それがどんな影響をもたらすかは分からないが今までとは異なる変化になるだろう。そしてそれに連れて世界はその影響を受けて対応に右往左往する事になるかもしれない。日本は幸い国の中心部が確立され計画された政策が少しづつ実施され、その時間を縫って首相自ら世界の国々とのコンタクトを取れるようになり、(韓国との対比で分かる)計画を進めることができている事は幸いである。まして東京オリンピック準備の年とあってはなおさらである。なんとしてもこのチャンスを最大に生かして日本の将来の繁栄に結びつけなければならないからだ。
そして人々も新しい力とエネルギーでその実力を養わなければならないだろう。今おかれている環境の良さに甘えて「ガラパゴス現象」に陥らないようにしなければならない。若い力がその基礎になり、甘えの中に閉じこもらずに世界へ進出して苦労し困難にぶち当たり、それを克服していく力を養ってもらいたい。兎角豊かな行状に甘えがちな若者のままでいたら、オリンピックは
悲惨な結果を招く事になる。経済的にも自立の精神でのたくわえが必要であろう。
訪日外人数の増大をいかにして有効に、しかも長期的に綱いていくかはこれからの計画と実行にある。決して時間は多くないのだ。
そして確固たる準備の上でオリンピックを迎えて世界へ日本の存在を示したいものと思う。
その予兆が来年から始まるのだ。全ての世界に「世代交代」があり、新しい動きがはじまるのだ。従ってこれからの時間はある意味大きな意味を持ち意義がある時間となる。
大切に、そして有効に無駄にしないで考えるべきときだと考える。
新しい年はそこまで来ている。その年を迎える心構えが飛鳥名年の瀬である事をこのときに考えさせられている。

思い付くままに  「2016年  ③」

2016-12-22 10:05:10 | Weblog
今から8年前アメリカの大統領が始めての黒人として挨拶をした。その時の言葉で
「YES.WE Can」と人差し指を上げたポーズが流行したことがある。それほどまでに騒がれたが、現在ではニュースにもならなくなった。しかし彼がこの8年を世界平和を目指し貢献した事は事実であり、その貢献度は評価されなければならないだろう。
そして今回の大統領選挙で始めて実業家出身のトランプ氏の登場である。彼の第一声は
「AMERICA FARST」であった。つまりアメリカは世界でNO1でなければならないことを明確にしている。そしてその政策は来年の1月からスタートする。
つまり来年以降の8年はアメリカが中心であることを重点的に政策が行われる事を示唆しているのだ。これほど明確な方針発表は嘗てなかったかもしれない。今年を振り返ると世界的にも
落ち着かない一年だった。特に韓国での船の沈没事件、そして暮れの大統領弾劾事件と歴史的のもない大きな出来事で国全体の影響も大きい。中東ではシリアの難民事件と各国で引き起こされるテロによる事件は今も続いている。そしてイギリスのEU撤退と中東を含めて日々落ち着かない年でもあった。
アジアでもフイリッピンの大統領の交代による政策の実施でアジア全体への影響も変化しつつある。このように世界全体がいまや大きく揺れ始めていることがわが国にどのように来年以降影響してくるのか、これは大きな問題であろう。どのような形で影響が出てくるか、そしてその対策は出来ているのか。これらは大きな問題である。
幸い自民党を中心に国全体としては安定しているので、政策が大幅に変化する事はなく対処法に時間がかからないことがメリットであろう。
どんな問題が起きようともしっかりと対応できるよう準備をして来年を迎えたいものである。

足跡      「年末  ②」

2016-12-19 11:42:00 | Weblog
私はここ名十年か日誌だけは書き続けている。そこには健康記録(血圧他)天候、ブログアクセ数などとその日の出来事がかかれおおよそ何があったかが振り返ることが出来る。忘れかけている出来事を時々思い出して振り返る事もある。
今年は波乱の年であったといえるだろう。人生は「旅人」といったのは私だが、今年のたびは苦しいたびであったといえる。旅はいつも良い事ばかりはない。盗賊に襲われる事もあり、災難に会うこともある。今年はそんな意味で今まで経験した事のない苦難と試練にあうことになった。
それは長年努力し励んでいた家業を閉鎖せざるを得ない事であった。
顧みれば反省する事ばかりであり、「費用対効果」の原則を無視した経営方針に合った。全ては見込みでの計算でその見込みは実現せず費用だけが増え続け資産と運用資金を使い果たした事ニとになる。素人の生兵法であり、あくまでも経験不足と甘さで阿多とすべては反省と公開のみである。そして最大の危機が迫った。
今後の生活保障である。初めは何とかなると「縁故就職」を頼りに数社に声をかけたが、これまた甘く時代は遠くに過ぎて嘗ての地縁派全く期待できる状況にはなかった。
「万事休す」という状況の中でその日稼ぎのバイトへと生涯初めての経験もしながら対策を検討していた。しかしどうする事もできない。そんな時昔の投資金の返却であったり、僅かな援助もあり、何とか苦しみながら努力を続けていた。
そんな中、殆ど取引のなかったある得意先で「人を探している」との情報を得て九死に一生を得て再就職を得ることが出来た。本当に薄氷を踏む思いであった。
台湾の取り引き先の人の理解もあり、自主的に援助を申し出をいただくことが出来たり、最後に残った仕事も継続することが出来て来年への未通しがつきかけてきた。
何よりお正月を平安な思いですごせることができることが本当に嬉しく感謝である。
親子ともどもストレスに悩まされ身体も不調に陥り医者通いは継続しているが、最大の危機を乗り越えた事は事実である。
この経験を糧としてこれからは地道に再興への道を努力したいと表いる。
人生は平坦ではない。しかし絶対にあきらめないで努力する事に神の助けがあることを心から信じると共に感謝と信じる祈りを強く持つ事を改めて心に刻んでいる。

     思い付くままに   「年末  ①」

2016-12-15 09:03:31 | Weblog
私には子供が二人いるが振り返ってみて本当に子供を愛し、子供のことを考えて育ててきたかと問われれば「ノー」といわざるを得ないだろう。厳しかった兄の管理下で青春時代をすごし、その反動でその管理下から開放されると同時に自分の世界に飛び込み、なにもかもがじぶんのためであり、自分の欲望を満たすものであったと今にして思う。そんな背景の中で家庭生活を持った事オアって家庭を顧みる事は殆どなかった事を告白せざるを得ない。
そしてその罪の為に妻の発病と看病という試練を受ける。子供の生活管理はその時介護の役で着てくれた一人の女性に全てを託し任せ切りであった。それは子供たちの心の中に消える事のない傷となって残っている事であろう。
だから私は子供たちに今となっては何もいえない立場におかれている。従ってどんな状況に置かれても親の権威で命じる事はないし、全ての事は自分で責任をトラ泣けれ場ならないと覚悟をしている。そんなある日の事、娘夫婦が忙しい中を休みを利用して出かけてきた。一年ぶりくらいになる。一人暮らしの家の「大掃除」が目的であった。狭いアパートとは言え玄関から台所、便所、風呂場、応接間と全室を清掃する事は中々の肉体労働となる。
お陰で見違えるほどに気持ちよく明るくなった。中でも寝具をすっかり取り替えて新しくしてもらった事は何より気分転換になった。
お茶をしながら「少早めのお正月だね」と思わず言ってのだが、当に大掃除であり、年末行事が終わった感じだった。
思いがけない、全く予測していなかったこの申し出になんともいえない感動を覚えながら新しい住まいの環境で過ごしているが、子供たちの心境は計り知れないものであり、まして私への
親孝行とも思えないのだが、ただただありがたいと感謝のみである。

足跡     「新聞週間」

2016-12-12 09:58:04 | Weblog
旧聞になってしまうが、毎年10月の半ばごろ新聞週間が受けられており様々な行事が行われている。今年は新聞協会が主催した新聞記事を読んでその感想についての原稿募集があった。早速応募したのだが、どんな記事が取り上げられるのか、来年が楽しみである。そんな訳で新聞について一考してみたい。前にも書いたが私の生活は起きてすぐ読む新聞からその日の一日が始まる。そして朝食をはさんで必ず読む箇所の一読が終わるのだが、その日によって興味の強弱もあり、楽しみである。しかし最近はデジタル派が増えて新聞の読者が減りつつある事は事実であり、残念だと思う。これには時代的な背景が大きく影響しているのだが、ある意味止むを得ない事かもしれない。しかし我々高齢者には習慣的なことも会って止められないものだが、その文字から来る文字の含蓄差に影響されて学ぶところが大きい。
しかし一言希望を述べるとするとその文字表現がいかにも高尚で難解であることである。たしかに各紙共に競ってそのレベルを保つ事を考えれば、自然とその表現もレベルアップしていく事は止むを得ない事かもしれないが、読者としてはいささか難解であり、消化不要になる事もある。
特に今の読者は高齢者に依存しているのだから、そろそろその辺も考慮して少し容易な平意語で表現してもらいたいと思っている。
最近TVでわざわざ世界のニュースを解説しなおかつその質問を受けてその意味と意義を理解させている番組が人気を呼んでいるが、これなどもその影響ではないかと思うのだが、どうだろう。
小池さんが質問の回答でカタカナ語を使って、その意味を付け加えているのを見るが、書くほうは習慣となって読者は皆理解するものと思っているのだろうけれどそろそろ少し気を使って分かりやすい表現も採用してもらいたいものと思っている。
それはレベルを下げる事にはならず、むしろ多くの読者に説得力を増すものと新いているからである。

思い付くままに  「モニタリング」

2016-12-09 10:00:49 | Weblog
たまたま見たTVで「モニタリング」と言う番組があった。どんな意味かと調べたがそんな意味の言葉がない。強いて言えばコンピュータ用の専門語の一つらしいが、ここでは「ありえない
状況を想定して人間の反応を見せる」意味で使っているTV用語のようだ。その中で子供に
町の人たちにランダムに「あなたにとって人生とは?」と質問させて答えを聞いていた。
答えの中には「パズルのようなものだ」「自転車で走っている」とか、様々な答えが出ていたが、それぞれそれなりの意味があって興味深かった。中には難しくて簡単に答えられないと逃げ出す人もいたが、考えようによっては哲学的な質問であり、正解はそれぞれ違うであろう。
もし私が聞かれたら、素直に「人生は旅人」今の心境なら応えるだろうと思う。
人は自ら生まれたときからある意味終わりの日つまり「死」の日に向かって歩き出す「旅人」に似ている。自ら目的地が分かっているようで分からない定めのない旅を続け(中には自分の計画通りのコースをマイペースで歩きとおす人もいるが、殆どの人は自分の重いとは違った
コースを苦労をしながら歩くことになるだろう。私自身も目的地も目的も何も分からぬままに自分のたびをしてきたよう泣きがしている。途中の必要なものも自ら得たのではなく与えられたものであり、自分自身が「生かされたものであり、」自らの力で生きているのではないと思っている。そしてその旅はいつか終わるのである。
「パズル」と答えた人は一つ一つのピースが埋め込まれて最後に一つの「絵」それはその人の人生となって出来上がるのだと考えているようだが、そのピースもまた自分の思うピースで埋めるわけには行かないのだ。
事ほど左様に「人生」ほど不思議なものはなく、何がある川から名からこそ楽しくもあり、
想像できない事も起きる。その中で小さな幸せと喜びを如何に見つけることがdけるかが
その人の人生を如何に美しく仕上げる事になるかであろう。

足跡        「表と裏」

2016-12-06 09:20:47 | Weblog
「あなたから聞いたお話と正反対でした」と取引先の人から電話があった。台湾の仕入先の会社の状況を事前に聞いていた事を話しておいたところ、先日台湾から来た会社の人から直接聞いたところ、事実はぜんぜん違っていたと言うのである。「そうですか。それはよかったですね。悪い話がなかったら心配ありませんね」とその場は済ませたが、後味の悪い気分になっていた。
私は直接は聞けないその会社の実態を裏から聞いて情報として知らせたつもりだったが、表から出てきた対面上の話は不安のあることが出るわけもなく、それをそのまま鵜呑みにしたらしい。
私の話したことが裏目になり、かえって私自身の信用を落としてしまったことになった。
「会社の悪い話をお客さんのところで話すわけはない」と思いながらも「それは本当ではありませんよ」ともいえず、そのまま話は終わったが、こんな話は世間では良くある事だと思う。
つまり、人の話には「表と裏」があり、話はそのまま鵜呑みにする事は出来ないということである。うわさ話になるとますますその程度も深くなり、事実関係がわからなくなることが多い。
人間は自分の都合に合わせて自分に有利になるように解釈して話すことが多いし、都合の悪い事は曲げて話す事も多い。まして知ったかぶりで話した事など面白くないことがあれば、それを貶める事を考えることもよくある話である。
事ほど左様に世の中の事や世間のうわさはなし、そして中傷などは心して聞かなくてはならないだろう。全てこの世の事は「表と裏」のある事は心得ておかなければならない。
逆に言えば真実のことは隠されて中々聞けない事だし、また聞く必要もない事かもしれない。敢えて言うならば「根掘り葉掘り」する事はないわけで出来るだけ他人の事は口出ししないことが賢明なのだと思うべきだとおもう。
今回の事も良かれと思って話した裏情報だったが。全くの「やぶへび」に終わった事を反省している。

       思い付くままに   「2016年を顧みて ②」     

2016-12-03 09:47:48 | Weblog

私は今、陽がさんさんと振り注ぐ部屋の机に向かってブログを書いている。昨日思いがけずにいた
娘夫婦が訪れ、すっかり家中を大掃除してくれた。狭い家(アパート)だけに簡単にできる事もさることながら、こんなにも気分が変わるものかと新居気分である。
さて日本も今年はオリンピック開催を起爆剤として元気が出てきた。その一つに東日本大震災(5年前)以来の外国人の訪日数である。当初一千万人ぐらいかと予測されていたが、この年末を待たずして2千万人をはるかに越えたのである。このことは日本の世界における位置づけを大きく変えたことになる。最初は繁栄した中国人の「爆買い」から始まったのだが、秋ごろから日本本来の文化を中心に訪れる人が増えてきたことは喜ばしい事である。
大きさも手ごろで様々な生活文化があちこちにあり、僅かな時間でもたのしめることがよいらしい。かてて加えて治安のよさ(テロほかがない)そして日本人の礼儀良さは訪れる人の心をひきつけてリピートに繋がった事だろう。これから4年後のオリンピックへ向けて徐々に増えていくことが予測される。(2020年は3千万人を見込む)
そしてもう一つの気にかかる出来事は高齢者の増加と共に増えてきた「高齢さや運転の事故増加」である。本人は自信があり、自覚症状が出ない限り運転を止めない人がまだ多い。
しかし平均的に70歳を越えたころから老齢化による身体的変化は間違いなく始まっているのである。個人差はあるとは言えこれだけは覚悟と心得が必要であろう。
(私自身は80歳で運転暦を中止)この現象はこれからも続くであろうが、当人の自覚に待つほかはない。不自由さを伴うが何とか意識改善をしてやめることをお勧めしたい。
自分はともかく周りの人への影響を深く考慮することが大事だと思うからである。
かくして今年も平穏の内に終わろうとしている。今年のこの世の時間を感謝すると共に
来るべき新しい年を如何に迎えるべきか、「一日一生」を旨に考えて生きたいと思っている。