波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思い付くままに   「新しい足音」

2017-01-29 09:48:32 | Weblog
アメリカの新大統領が正式に就任して第一声が正式に発表された。それは「TPP」からの離脱だった。このことは就任前から選挙中に公約していた事なので、分かっていたが如何にも実利主義者らしい彼の人柄を表しているように思える。貿易交渉において「話し合える国々とギブアンドテイクの輪を作っておこう」という主旨のTPPに対して「国ごとと話し合いをして自国に有利な内容で自国の繁栄をまず中心に行うということなのだろうが、考えようによってはどちらもあまり変わらないのではないかと思うし、むしろ連帯性を持たせておけば、場合によっては国同士の様々な問題を話し合い、(安全保障、気象問題その他)が出来てアメリカにとっても決して不利だとは思えないのだが、やはりここでは自国への強いアッピールとしてそのポーズをとらざるを得なかったのかとも考えられる。
「メキシコの壁」のもんだいもこれからだが、その問題だけにとどまらず国同士の信頼の問題へと波及することが心配である。
これらはこれから徐々に具体的な政策が実施される事で見えてくるのだろうが、前大統領とのギャップが大きくて刺激的に写ることが増えることだろう。その裏には現在のアメリカの実態が数年前と比べてある意味余裕がなくなりつつあるのかもしれないし、その力を実力で見せたいのかもしれない。しっかり優位性を具体的に示そうとしているようにも見える。
イギリスのメイ首相との最初の会談もかなり印象的でもあるし
世界は今年から様々な形で「乱気流」と「偏西風」の狭間で影響を受ける事になりそうである。
こんな時こそ国内はしっかりと軸足を固めて右往左往することなく日本として正しい対応をとれる体制を整えておく必要があるだろう。

足跡   「誕生日」

2017-01-26 10:15:00 | Weblog
正月を迎えるといつも思い出すのは「元旦や明度のたびの一理塚目出たくもあり、めでたくも無し」という句だが、誕生日も同じような観想が起きる。しかし小さいころは外国人がするように
家庭で家族や友人を呼んでケーキを中心にプレゼント交換や楽しい時間を持ったものである。
しかし平均寿命を過ぎての誕生日はさすがに素直に喜んでるわけにもいかない。と言ってもこの日をおろそかにも出来ないのだ。本来バースデーは高齢になるほどにその意義が高まる事を知るべきだし大事である。しかし残念な事に高齢と共に病気、介護などの負荷があり、その負荷と共に誕生日が重荷になってしまうケースが多いからだ。
私も今日を持って82歳を迎えた。そして自分自身その重荷をしっかりと自覚するようになっている。父は94歳の生涯だったが、その直前まで遠く離れていた(岡山ー東京)息子を思い
毎週励ましと愛の手紙を送ってくれていた。そこには「信仰、希望、愛」その三つの言葉がかかれてそれが年齢を重ねるほどに意味深くわかるようになっていた。特に「愛」に突いて強い信念を持っていたようで、今も大事に持っている。
現在では男子の平均年齢が80歳を超えるようになり、自分もその一人になったと思うと同時にこの誕生日に新しい思いがよぎったのだ。それは80歳で一生が終わったと考えられると言う事だ。とすれば今の自分は「生まれたばかりの幼児」として考えてもよい。だとすればいままでのこの世において若気の至りで犯してきた多くの罪から開放されて純粋な「生まれ変わり」と考える事も許されるのか。とすれば無垢の状態で日々を過ごしていく必要がある。
二度と罪を犯さない人間として最後を迎える勤めがある。そんな考えが浮かんだ。
(しかし生きている限り罪を犯さないわけにはいかないが)
自己欲望、自己満足と自己中心的な考えではなく感謝と祝福、そして平安を望む日々を祈る
日々として過ごして生きたいものだと考えたのだ。
誕生日の過ごし方はそれぞれであろう。しかし静かにこんな思いで過ごす事も大事かなとふと思って次第である。

思い付くままに  「今年の景気を占う  ②」

2017-01-23 10:20:08 | Weblog
経済の専門化が様々な資料を分析して今年の計器を発表する事だろう。庶民の私が首を突っ込む事ではないが、何となく私ならこんな事を考えると一言いってみたい。
今年は干支では「酉年」と聞いている。あまり関係ないかもしれないがなぞ賭けで言えば「かごから放された鳥ととく」心は「空を羽ばたくでしょう」そんなことが浮かぶが、そうは行かないようである。何しろ日本は年々高齢者大国になりしかも長寿国で75歳以上の高齢者の全体率が年々増え続けている。この構成から新しいエネルギーは期待できないわけだから景気もよくなるという基盤がない事になる。変動要因である輸出入貿易による為替の貿易益が大きいが世界のどの国も輸入に関しては高税率を検討してガードしているので、ヒット商品であっても期待できない。何しろあの中国さえも輸出による外貨が減少しつつありその対策に頭を悩ましている。
(鉄鋼他)とすれば経済の原則である「費用対効果」に沿って費用を抑えることになる。
しかしこれも限界があり必要経費は最小限あるし、日本は外交的にも近隣諸国への援助もある。ましてアメリカの新政策は日本の防衛費は削減は間違いないといわれているから費用は増えても
減る事はなさそうである。小池知事のように自ら自分の手当ては「半分でよいわ」などという偉い方々がそう出てくると思えないので期待できない。
そんな事を考えていたら新聞に今年の訪日外人の数の予測が昨年の2400万人から2700万人に増えるだろうと出ていた。何しろ2020年の東京オリンピックの呼び声も合って世界の
話題は日本に集中しつつある。それに訪日した人々の日本の評判は口コミであるいはネットで世界中に広まりつつある。
そんな訳で僅かではあるかもしれないが個々に活路を見出すことが出来た。
しかし外国の人は最悪テロを含めてその「功罪」もある事は計算しておかなくてはならないだろう。対策を立てていても予測できない事もある。これらの問題はあるとしても日本は世界の人と手をつないでいかなくてはならない。
アメリカの新大統領のトランプさんの新政策を分まえて今年は挑戦の年ではある。

足跡     「今年の景気を占う。①」   

2017-01-20 10:15:16 | Weblog
世界中の識者がこの年のはじめに「今年は一体どんな年になるのだろう」と考え、あらゆる知識や情報を元にその知見を発表し始めている。それはスポーツの予想のようにそれぞれが自分の意見をあたかも「これが正しい」と自信たっぷりなものからそうでないものまで、色々である。
私もそのひとりとして野次馬的に否、真面目にそれなりに学んでみたいと思った。やはりなんといっても今日(20日)に就任するアメリカの大統領の新方針が大きな根拠となるのだが、その内容が見えない。しかし共和党の特色を分まえて保護主義的にまず自国の経済と繁栄を重視する事は間違いないことだろう(具体的な政策はまだ見えない。)そして昨年EUを脱退して移民を制御して保護主義を成立させたイギリスも新しい一歩を踏み出している。そして今年はこれからイタリヤ、オランダ、フランス、ドイツとヨーロッパの主要国の選挙による変動が予測される。アジアでも既にフイリッピンの新政府賀スタートしているし、韓国も大統領の交代に伴う政策の変動は免れない。中国も世界の各国の変動によって従来の計画を再検討しなければならない事も間違いないところだ。こうして世界を見てくると昨年までの比較的均衡を保っていた状況から新しい世界観での対応に迫られる事は間違いない。
安部総理はいち早くアメリカを始めヨーロッパ、アジアと歴訪して、それらを調査され打つべき政策をされている矢に思われる(この行動は歴代の総理には見られなかったと思うが)
精力的な行動力は結果はともかく賞賛されて良いと感じている。
今年はそんな若絵でまず日本を取り巻く「地球儀俯瞰」の見直しとその外交をリスクを計算の上で再検討し日本独自の自立的な(海外に頼らない)外交を検討しなければならないようだ。
その上で自国の経済を如何に維持するかを作成する事になるだろう。
上記のような世界では各国が保護的に動かざるを得ないわけで、協力、援助、などはあまり期待できないと見なければならない。
その事実を覚悟の上で日々の動きを注目しつつ対応を怠らないことが大事であろう。
厳しいが個々で日本の実力を発揮する時期として捕らえるべきであろうと思われる。

     思い付くままに   「新しい歩み」

2017-01-17 10:13:16 | Weblog
2017年の新しい歩みが始まった。というものの表面的には何も変わったことはない。しかし
内面的に心の持ち方はその考え方で、変えることは出来る。しかし中々簡単にはいかない。長い間の習慣や体調のありかた、それらは言い訳に聞こえるかもしれないが怠惰な時間へと繋がっていくものだ。しかし心の持ち方や身体の使い方で一日の過ごし方はいくらでも変えられるはずだ。ただ言い訳をしながら怠け癖と身体の衰えのせいにすることが多いのだ。
毎年の自分の姿の衰えの中で何が出来るか、それが私にとっては大きな課題である。昨年から今年にかけて少しずつ変化があることを感じている。
一つには今まではする事のなかった台湾とのコンタクトの業務の一端を行う。これは色々と専門的な面や判断の難しい問題やタイミングの問題そして忘れてしまう大きな欠点もあり、かなり厳しい面が多いがその責任も大きい。そして日々心を慰めてくれる花鉢の手入れ(昨年敬老の日に頂いた小さな花の鉢を毎日、水をあげながら育てている。)こんな小さなことがどれだけ心を癒してくれるかという事をはじめて知った思いである。
ブログを書く事も大切な心の鍛錬だと考え、常に身を正す思い出考える事ができる。また読書のたびに参考になる事を学ぶことができることが大事だと考えます。
こうして生活面での自活全てに目を配りながら一日を過ごす事でその日の平安と喜びが与えられることを喜びとしています。
一日は短くそして変える事のない大事な時間の連続です。たとえそれが人の目からくだらない事であっても何でも一生懸命考えて一日を大切に過ごしたい。
そんな歩みを始めています。

足跡   「罪と罰」

2017-01-14 10:13:36 | Weblog
アメリカの新大統領が間もなく正式に就任する。今までの大統領とは異なるイメージとして(政治家ではなく、事業家?)どんな就任演説をするか、今まで以上に興味深いものがある。
(オバマ氏のイエス、ウイーキャン!)既に何回かのメデイヤとの会見でも摩擦をおこしていることもあって、その言動から目が離せない。しかし人間は誰でも完全ではありえない
ロシアの文豪ドフトエフスキーは「罪と罰」の中で善行をつむことで罪の償いが出来ると考えた主人公の生き様を通じて罰によって死ぬ事を証明しているように、罪は罪として消えるものではないのだ。この世にあって人間はどんな世界でも人と人は主張、意見、信念の対立から逃れられないものである。そしてその対立は感情を伴って憎しみを生み、憎しみは憎悪となって激しくなる。その結果は何処までも続き時間の経過で消滅はしない。むしろ双方に悲しい心の傷跡と不安を残しそこから何かしらの後遺症がトラウマとなる。
「罪と罰」はそのことを一つの物語として教えているのだが現代でも、何時の世でもそれは永遠に変わらないことだろう。それは現代のようにすべてが豊かになり、望むことが叶うようになり、平和になればなるほど自由を盾に主張し波紋を広げる事になるのではないだろうか。
勿論その前提と歯止めには法的な規制もあり限度もあり表面上は何もないかのように見えるが
それらは消えるのではなく沈潜化した形で残っているのである。
お正月の初詣での「家内安全」「家庭円満」はそのときだけでなく、常に心に沈潜している
罪の意識を忘れず、心の中に起きる「罪」との戦いに負けないように勝利する日々を送ることこと大事だと考えている。

思い付くままに   「成人式」

2017-01-11 09:59:17 | Weblog
今年も100万人以上の若者が成人式を迎え大人の仲間入りをした。我が家でも孫が成人式を迎え母親が成人式のときに着た晴れ着の和服を手直しして出席した。数年後にはそれを二番目の孫が着たいと今から張り切って待っている。こうして世代が引き継がれていく姿はほほえましくも
美しくもある。身体的には160センチを超える体型でたくましくも見える。日本全体がこうした若者によって支えられ築かれていくことを心強く思いたい。
私も60年前に自分自身の成人式を思い出していた。福島の地で学生の身であって成人式を迎えた事を覚えている。現代のようにセレモニーや祝い事があったか、どうかは記憶にないが大人としての自覚を持つ事を考えて、父の信仰を継承する事を決心して告白をしたことを改めて思い出す。ユダヤ人は12歳ごろになると首都エルサレムの宮殿に出向きラビによって成人としての祝福を受けるのが慣わしのようだが、世界各国でそれぞれの習慣があることだろう。
しかし大事な事は形式的な行事もさることながら精神的な構造も大人としての分別を備える事にある、酒、タバコの解禁によって自分自身を解放し、制御することが出来なくなるような不祥事は毎年あるが、注意してもらいたいものである。
そして今まで以上により良い大人としての言動を見に付けてほしいと願うばかりである。
今や日本は世界に冠たる位置にあり、注目を浴び、羨望さえされている。昨年の訪日外国人も過去最高の2400万人を越えるという多さでもある。
4年後の東京オリンピックを迎えるにあたって、このチャンスに成人を向かえた若者が中心になってその良さを充分に発揮し更なる優秀さを示してもらえる事を望んでやまない。

足跡      「歩き始める」   

2017-01-08 09:49:03 | Weblog
それほどの寒さもなく、今年の歩みが始まった。年々毎日が愛おしく覚えるのは何故だろうか。やはりこの世での生活を大切にしたいと心のどこかで思っているのかもしれない。無意識に一日を無駄にしたくない。そこには時間を大切にする事と「隣人」交わりのできる全ての人との人間関係を大切に自分らしくありたいと「どうかあなたがたの心を励まし、また強め、いつもよい働きをなしよい言葉を語るものとしてくださるように」と祈らざるを得ない。
そんな歩みの始まりだがその心を励まし和ませてくれるものもある。それはこれから始まる大相撲、そして世界レベルのゴルフなどのスポーツは心を和ませ、希望を膨らませてくれる。
今年は孫が成人式を迎える年でもある。新しい芽がふくらみ、成長していく姿を見る事はどんなに励みになり、夢でもある。最近は会う機会こそ少ないがその成長や近況を聞くだけで充分である。私自身も考えたり、身の回りのことなどの勤めはある。その一つ、一つをきちんと果たしていくことが周りの人への義務だとも考えられる。
日本も世界もこれから様々な問題に対処することになる。まして日本は東京オリンピック準備の元年としての大きな課題がある。世界の人たちの注目でもある。そのことを自覚して恥ずかしくない「おもてなし」の準備を望みたいものである。そして今年も訪れるでああろう多くの外国人をしっかりと満足させる事も日本の責任となる。そしてそのことが日本の繁栄につながり、連帯感へと繋がる事だろう。
一日の時間はあるようで短い。そして無駄に過ごしてしまう事も多い。それだけに日々の歩みはよきにつけあしきにつけ大切なのである。
いよいよスタートである。

思い付くままに  「2017-目標」

2017-01-05 10:49:15 | Weblog
正月の風情もスタイルも年々変化をもたらし今年の正月も終わり、新しい活動が始まった。
誰もがそれぞれに何がしかの感慨を覚えながら生活に取り組み始めている。日本は全体に穏やかな雰囲気の中でしかもお天気もよく、例年より暖かいお正月だったので初詣も無事終わることが出来たことだろう。しかし世界を見渡すとシリア、セルビア、トルコを中心に難民が国をはんれ安住の地を求めて彷徨っている姿をニュースで見るたびに心が痛む。そしてそれらの難民を受け入れる中東をはじめヨーロッパの国々もまたその負担を抱えて今年も過ごす事になる。
世界はアメリカを始めドイツ、イギリスも政権の交代もよていされ、イギリスもまたEU脱退の新体制の為に新しい組織を検討しなければならない。
いずれにしても何らかの変化が予測されるが、大きな影響の出なように共存共栄になる事を願っている。いまや世界は何処で何があっても全体に影響する仕組みになっている事を各国のリーダーはしっかりと自覚していただきたいと願っている。
そんな中で私もまた新しい足跡を残すべく歩み始めている。年齢や男女は関係なくこの世に生きている限り、自分の存在で何が出来るか、精一杯考えて何かを「興す」ことを考えたい。
それが何であろうと少なくとも停滞したり、後退するようなことではなく前向きに築く事になるか、興すことになるかとにかく前進に繋がる事に努力しながら生きて生きたいと思っている。
小さなことであれ、なんと思われても良い、自分で出来る事で自分自身を進化させることが出来れば嬉しいと思っている。
そしてそのことが「隣人」へどんな影響を与えられるか、それが神からの命令であるとも信じているからである。僅かな時間で僅かなエネルギーを大切にしながら考えて生きたい。

足跡    「新年ー2017」

2017-01-02 11:54:05 | Weblog
元旦の朝、私は日曜の礼拝を守るためにだかけた。町は静かであり、人の数も少なく華やいだ雰囲気は全くなかった。いつもの日曜の朝であり、いつもの休日の朝出あった。電車も歩いている人の姿にも華やかさはなく普段着のままであり、お正月といわれなければ分からないほどである。この現象は何時からだろう。元旦に出かけることがなかったので分からないが、おそらくここ数年こんな状況だったのかもしれない。
嘗て私の小さいころはお正月が近づくと眠れない夜が続き、元旦の朝は家族そろってのお雑煮のお祝い、羽子板、凧揚げ、初詣、お年玉と恒例の行事が続き、町へ出ると華やかな和服姿の男女の姿であふれ、にぎやかな獅子舞の姿などを見ることが出来た。
今はその面影もなく、消えている。(一部の神社仏閣、そして商店街は特別)時代は21世紀に入り日本のそれらの風習を変え、新しい時代を迎えている。
日本もまた世界の国々と共に新しい時代に即して新しい風習が生まれつつあるのかもしれない。それはそれで素直に受け入れ、その新しい時代に即して生きなければいけないのだろう。
さてともあれ、新年を迎えた。2017年は始まったのである。この年がどんな年になるのか、またどんな年にするのか、それは各人の「生き様」であり、誰の影響でもない。各人がどのように生きる覚悟があるのか、それが決めるのである。従ってそれは人それぞれであろう。
80歳を過ぎた私にとって今年は更なる大事な年、(時間)になる。日々何時、何があってこの世の生活が終わるかもしれない時間を過ごしていく事は極端に言えばあるようでないものかもしれないのだ。そんな思いを年々強く感じる。そしてこの貴重な時間を無駄にしないように、できるだけ公開のない時間にする事を願いつつ過ごして生きたいと思わざるを得ない。
私の時間は自分で決めることが出来ない。それゆえにその時間は貴重でもある。その時間を
有意義に、すこしでも「良かった」と平安に過ごすことが出来る時間にしたいものと願わざるを得ない。何も望むことはない。交わりのある家族をはじめ全ての人の幸せを望み祝福賀ある事を望み、すごしていくことが出来ればそれが喜びである。
そして災害における被害者のない事、争いによって犠牲になる事ない事、正解の平和の中で全ての人が平安に生きる事だできることを名川ざるを得ない。