波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

   オショロコマのように生きた男   第24回

2011-08-30 09:39:02 | Weblog
新しい工場での生活が始まった。それに伴って工場の近くへアパートを移すと宏は仕事に没頭するようになっていた。
仕事が終わると心を癒すために立ち寄っていた「ラナイ」へは行けなくなり、親しくしていた店長に会えなくなった事は、ちょっぴり淋しかったが、仕方がない。久子にはお義理のように時々電話で話をしているが、いつも特別なことはなく、子供の様子を聞くだけであり、元気であることが確認できるとそれで終わっていた。
新しい仕事は彼の気持ちを引き立たせ、やる気を起こさせた。図面を見ながら、仕様どおりに仕上げていくのが楽しく、出来たときの喜びは自分だけしか分からないもので、自分で満足することが出来た。
試作品を評価してもらい、又新しい要望を受ける。試行錯誤しながら又新しい試作に取り掛かる。そのステップの一つ,一つが
全部自分のものとして感じることが出来た。少しづつお客への納品も出来るようになり、正式な注文ももらえるようになって来た。そんなある日、社長が工場へ視察に来た。「順調のようだね。やはり君に任せて良かったと思っているよ。これから新しい図面も出てくると思うので、よろしく頼むよ」
そんな日々が続き宏は夢中になっていた。今までにない充実感を覚え、池田との約束や木梨のことなどすっかり忘れていた。
すべてが順調に動き出し、少し自信のようなものが出てきたと思えるようになっていたある日、社長から電話が入った。
「野間君、忙しいところ悪いんだが、明日本社のほうへ来てもらいたいんだ。話があるので、待っているよ。」
「分かりました。明日うかがいます。」と電話を切ったが、宏は妙にこの電話が気になった。諸星さんに電話を入れて聞いてみることにした。「社長から突然、本社へ来いといわれたんだけど、用件は何だろうね。心当たり無い?」
「そうね。なんだか分からないけど、社長このごろ、ちょっといつもと違っておかしいのよ。何となく落ち着かなくていらいらしているみたいよ。」「俺もなんだか妙に気になって、社長が何を言いたいのか、見当もつかなくてね。でも明日本社へ顔を出すから、仕事が終わった後でも食事でもしながら話そうか。」「いいわ、時間空けておくから」
結局、何も分からなくて、少し気になったが、話を聞いてみるしかないと、腹をくくって出かけることにした。
「野間君、突然で悪いけど、君に会社を辞めてもらいたいと思っているのだ。突然の解雇通知だった。

   オショロコマのように生きた男  第23回

2011-08-27 17:25:32 | Weblog
少しも変わっていない池田を見て宏は正直ほっとしていた。優しい眼をして穏やかな雰囲気をいつも漂わせている太目の
池田をしみじみと見ながら「お前ちっとも変わってないなあ」と声を掛けた。
隅の囲いの席に座ると二人は落ち着いた。池田はいつものように最初にビールでのどを潤すといつものようにチューハイを頼んで美味しそうに飲み始めた。そんな彼を見ながら宏はウーロン茶をちびちびやりながら適当につまみの魚を食べていた。
長い間会っていなかったはずだが、いつも一緒に居たように二人の間には違和感はなかった。
「会社のほうはどうなんだ。上手くいっているのか」関係はないのだが、自分の居た会社のことが気にかかっていた。
「社長は相変わらずで、何も言わないし、説明もないから良く分からないけど、暇なんですよ。仕事がなくて、何もすることがないんですよ。」「だって、あれほど忙しくてお客に追いかけられていたじゃあないか。」「それが、社長からお客が決められてから、あちこち他のお客へ売ることが出来なくなっちゃって」それを聞いて、宏はなんとなく分かるような気がした。
木梨はあの約束を守って、特定のユーザー中心に仕事をしているらしい。
余剰はリスクを避けることを目的に台湾への輸出に当てたことで、それほどの生産規模のない工場は手一杯になっているらしい。通訳にと契約した小姐の黄姐とはすっかり関係が出来ているらしく、時間が出来ると二人は出かけているらしい。
しかし、池田はそんなことには関心がないらしく、「仕事が暇で時間が余るのもよしあしですね。あまり忙しいのもつらいけど暇なのもつらいですよ」と言いながら、グラスを持つ手は止まらず、お代わりをしている。もう5杯や6杯は飲んだと思うが
まったく酔った感じはなく、かえって元気になったように見えていた。
「しょうがないから、図書館へ行ったり、家電屋さんへ寄ることもありますよ。ところで野間さんはうちをやめてから、どうしてたんですか。」彼には隠すことは何もなかった。今までのM社へ就職した経緯から社長とのやり取り、現在の自分の仕事を詳しく説明してから「時期も見て、君にも話をしようと思っていたんだ。そしてよかったらこの会社へ君も呼ぼうかとも思っていたんだ。この会社は悪くないし、君に向いているんじゃあないかと思ってね。最もここへ来ても俺と一緒に仕事をすると言うことにはならないけどね。社長にはいつか君のことも話しておくよ。」

   オショロコマのように生きた男   第22回

2011-08-27 14:46:17 | Weblog
「実は君も知っている神奈川の工場で新製品を作ることにしたんだ。そこの責任者として君を派遣したいと思ってね。」
話を聞いているうちに、とても興味が出てきた。これは面白そうだ。やりがいがある仕事になるぞ、宏は直感的にそう考えた。
「充分なことが出来るか、どうか、自信はありませんがやらせてもらいます。」「私も出来るだけ行くようにして協力するので
しっかり頼むよ。仕事が増えてきたら、パートはどんどん増やしてもらっていいからね。」社長はご機嫌だった。
事務所での仕事が自分に向いていないことが分かり、いつか社長に頼んでどこかの工場で何か仕事をさせてもらいたいと考えていたところだった。
出発の準備をしながら、不図木梨のことを思い出していた。あいつあれからどうしているのかな、会社は上手く動いているのか、もっとも自分はもう関係ないのだが、なんとなく気になっていた。
「そうだ、池田に電話をしてみよう。」彼は早速、池田の携帯に電話をしていた。「俺だ。ご無沙汰しているけど、元気にしているかい。」「野間さんじゃないですか。しばらくですね。どうしてます。」「いやー、結構楽しくやっているよ。ところでどうだい。仕事の帰りに一度会わないか。」「いいですよ。明日当たりどうですか。」「じゃあ、明日神田駅で六時ごろ」
電話を切ると、すぐ諸星さんを手招きして昼飯に誘った。「俺、今日の午後からエスケープするから後よろしく頼むよ。
何かあったら、連絡してくれればいいから、知っていると思うけど、今度神奈川の工場へ行くけど、会社へはちょいちょい顔を出すから、よろしくね。」あの日以来、彼女の宏への態度は変わっていた。何かがあったわけではなかったが、そこには二人にしか分からない大人の信頼関係のようなものが出来ていた。
宏は昼飯を済ませると、須田町へ出かけた。この界隈は本屋がずらりと並び、好きな本を探すことが出来た。考えていた
参考書を早速探し、今度の新しい仕事の参考にしたいと、彼は自分自身のこととして今度の新しい仕事に真剣に取り組むことを考えていたのだ。
翌日も仕事をそこそこに片付けると、本屋回りをしながら、池田を待つために神田駅まで来ていた。
「よう。しばらく。ご無沙汰しました。」早くから来ていたらしく、池田から声を掛けてきた。
「ちっとも変わっていないなあ。相変わらず少し太めだけど、楽してるな。」相変わらずの悪口に、ニヤニヤ笑っている。
「お前さん、アルコールがないと落ち着かないからなあ。」宏はそういうと、一軒の居酒屋の暖簾をくぐった。

      思いつくままに

2011-08-25 15:59:53 | Weblog
人生をあまり深く考えている人は少ないかもしれないし、そんな必要もないのかもしれない。毎日が楽しく、必要なものが備えられていればそれで充分と言うことであまり気にしている人は居ないだろうし、そんな暇はないかもしれない。
若いときは面白おかしく、年をとってくれば、それなりにたくわえが出来ていて、非常時に備えが出来ていて、余裕があれば
セカンドハウスを楽しみ、環境を整えることだけを考えながら楽に暮らすことを考えるのが、普通だろう。
もちろんその前提としてまずは自らの健康であろうか。健康であって、何でも好きなことが出来て、ほしいものが手軽に手に入る環境であれば人生にあまり不満はなく、何も考えることはないかもしれない。。
しかし、本当にそうだろうか。その状況の中に置かれたら、何の不満もなくすごせるのだろうか。(残念ながら自分自身はそうではないので、不安の中にあるのだが、)今のような人から見れば幸せだろうなあと思われる人にとっても、この世に生きている限り、不安や不満がないということはないのである。(むしろ人から見れば不幸と思われる人より、さまざまな重荷を負っているかもしれないのだ。)つまり人間はこの世に生きている限り、これで満足だと言うことにはならないのだと思う。
こんな言葉がある。「わたしは自分の置かれた境遇で満足することを習い覚えたのです。貧しく暮らすすべも知っています。
満腹しても居ても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合でも対処する秘訣を授かっています。私を強めてくださる方のお陰で、私はすべてが可能です。」
この言葉の背景には人間を超えた大きな力が働いていることが分かります。
人間の出来ることの限界を知らされるのです。弱さの中にこそ大切なものが隠されていると考えなければなりません。
しかし、人間は弱さの中におかれると絶望を覚え、そこから這い出ることが中々難しいのです。
けれどもその弱さの中かにこそ本当の力を知らされるときであり、強さを身につけることのできるときでもあるのです。
「苦難は忍耐を忍耐は練達を練達は希望を与える」と言う言葉もあります。そればその人なりに苦しく、あるときは悲しく、
つらさを伴うものであるでしょう。一人では耐えられず、負けてしまうこともあるでしょう。しかし、人間を超えた大きな力によってそれを乗り越えられたとき、そこには大きな愛の力と希望を持つことが出来るのです。

   オショロコマのように生きた男  第22回

2011-08-23 09:37:20 | Weblog
「実は君も知っている神奈川の工場で新しい製品を作ることにしたんだ。そこの責任者として君を派遣したいと思っているんだが、どうかね。」話を聞いているうちにとても興味が出てきた。これは面白いぞ。やりがいがありそうだ。しかしそれを顔には出さず、「充分なことが出来るかどうか自信はありませんが精一杯やってみます。」「そうか。よろしく頼むよ。私も時間を見つけて出来るだけ行って協力する積もりだし、仕事が増えて人が足りないようだったら、どんどんパートを入れて指導してくれていいよ。」
正直言って、事務所での仕事はうんざりしていた。いつまで続くかと不安もあった。いつか社長にお願いして、どこかの工場へでも出してもらうことを頼むしかないかと思っていた矢先だったので、ちょうど良かったとほっとしていた。
デスクを整理しながら出発の準備をしているうちに、不図、前の木梨の会社のことが頭に浮かんだ。あいつあれからどうしているかなあ、会社はうまく動いているのかな。もう関係はないと思いつつ仲間の顔を思い出しているうちに一人の男が気になった。
池田のやつ、上手くやってるかな。言いたい事もあまり言えないところがあったけど、気持ちの優しいいいやつで宏は、あまり付き合ったわけではなかったが、気になっていた。
宏はいつの間にか池田の携帯電話に電話をしていた。「俺だよ。ご無沙汰しているけど元気しているかい。」「アレー、野間さんじゃあないですか。いつの間にか会社辞めていなくなったと思っていましたけど、どうしてるんですか。」
「まああね。会った時ゆっくり話すよ。それより一度会いたいけど、時間取れそうかい。」「いつでも良いですよ。暇なんだから、」「分かった、分かった。じゃあ明日、神田駅の東口に夕方来いよ。」「分かりました、必ず行きますよ。」
急に楽しくなってきた。あいつちっとも変わってないな、久しぶりにゆっくり話が出来るな、宏は久子のことは気にならなかったが、自分の世界で楽しんでいた。
片づけをしながら、昼の時間が近いことに気づいて、諸星さんを誘った。「どう昼飯、一緒に」「いいわよ。」
彼女の宏への態度もあの日以来、すっかり変わってそこには何のわだかまりもなくなっていた。何もあったわけではなかったが、そこには二人だけに分かる大人の信頼関係のようなものが出来たいたようだ。
食事を済ませ、コーヒーを飲みながら「君も知っているかもしれないけど、俺、今度神奈川の工場へ行かされることになったんだ。」「知ってるわよ。私が知らないと思ってた。」「いや、知ってると思っていたよ。」
「そんなわけで、今日は午後からエスケープするから、後よろしく頼むよ。」彼女は黙って頷いていた。

   オショロコマのように生きた男  第21回

2011-08-20 10:53:13 | Weblog
二人は同じ職場で毎日働き、話すようになり、いつしか付き合うようになっていた。それはごく自然であり、年頃でもあったからで、会社の帰りに食事をしたり買い物をしたりしているうちに将来を語り合うようになっていた。
そんなある日、彼女は彼の突然転勤の話を聞くことになった。「ごめん、今度東京の支店へ行くことになったんだ。しばらく会えないかもしれないけど、メールするからこれからも付き合おうね。」ショックを受けたが、彼の言葉を信じてさびしさを紛らわせながらすごしていた。半年を過ぎた頃からメールの返事がぱったり来なくなった。病気でもなったのかと思ったり、どこかへ出長でもさせられているのかと思ったりしていたが、その後も連絡が途絶えたままだった。
彼女は我慢できなくなり、自分も会社をやめて東京へ出てきた。そして彼にあうことが出来た。話を聞くと、半年ほど前から新しい彼女が出来て付き合っているとのこと、「ごめんなさい」と言うばかりでもう前の関係に戻ることはなかった。
仕方なく田舎へ帰ることもならず、そのまま東京で暮らすことを決めて今の会社へ入っているのだと話した。
宏はそんな彼女の話を聞きながら、自分が何が出来るかと考えたとき、何も出来ないこと、まして優しい言葉すら掛けられないことを知っていた。「大変だったんだね。人間誰でも良いことばかりないさ。まだ美味しい料理が出るからしっかり食べなよ。」
彼女もたまっていた気持ちを全部話したので、少し気が晴れたのか、又、もとの明るさが戻り、元気になっていた。その様子を見ながら宏は女性のほうが男性より、強いなこんなことがあってもへこたれることなく、一人で生きたいけるんだと感心しながら聞いていた。
翌日会社へ出て、いつものように朝礼が終わり、席に帰ろうとすると、社長から呼び止められた。「野間君、ちょっと私の部屋まで来てくれないか。」「分かりました。すぐ参ります。」急ぎの電話を一本かけ終わらせると、社長室へ向かった。
「諸星さん、今日は特別なコーヒーを頼むよ。」社長はご機嫌そうだ。野間がコーヒーを好きなのを知っているかのように頼んでいる。「いやあ、少し慣れて落ち着いたかね。」「ありがとうございます。楽しく仕事をさせていただいています。」
二人は諸星嬢の運んできたコーヒーを飲んでいた。「ところで、君に今度新しい仕事を頼みたいと思ってね。」と社長は話し始めた。宏は何を言われるのかと、緊張が走ったが、いつものように冷静だった。

       思いつくままに

2011-08-18 10:38:40 | Weblog
8月も半ばを過ぎ、連日暑い日が続いている。この暑い夏が一番ふさわしく映えて、それを彩るのは高校野球だ。
今年も熱戦が繰り広げられており、全国を沸かせ、感動を与えてくれている。
私も毎年この8月の高校野球を楽しみにしている一人だが、今年は見ていて、昔とずいぶん変わってきたことに気がついた。
第一点は全国の野球レベルが向上したことと、平均化してきたことである。数年前まではその戦力レベルに格差が見えていて
地方(特に北海道、東北、北陸)は環境による練習量の影響が戦力に影響して大会になるとその差がはっきりと結果に出ていた気がしていたが、今では全国どこの学校も力の差が僅差であり、どこが優勝してもおかしくないほどに均一化されている。
このことは選手レベルが上がっていることと、学校ごとの環境の整備が整いつつあることを証明しているのだと思う。
第二点は140キロを越す速球投手が多数出てきたことである。嘗ても居ないわけではなかったが、少なくて注目されたものだが、今年の投手を見ていると結構140キロを投げる投手が居て、中には150キロを越す球を投げる投手も居た。
その事もあって、試合が一段と迫力を増し、見るものをひきつけた気がする。
選手の基礎体力、身体能力が二世代、三世代と受け継がれてそのDNAが成長したのか、とにかく野球の内容が大人に近いものを感じるようになった。その成長に驚かせられる思いだった。
しかし、これらの若者の成長の結果は単に野球の世界だけではない。どのジャンル、どこの世界でも同じことが言えて年々、
若者の成長がいろいろな形で見えてきているのだ。
ただ、マスコミや紙面に見えてこないこともあるが、若者の成長は高齢者にとって、将来を託するものにとっては本当に楽しみであり、それだけが期待感でもある。(それぞれの家庭における子供、孫も同じであろう。)
それにしても政治家の世界でも二世、三世の方々も居るが、大きく取り上げられる人が少ないのは何故なのだろう。
奥ゆかしいのか、遠慮されているのか、少し残念な気もする。
このほかにも表には表れてこなくても、人々に心優しく、相手を思い、人間関係を大事にしている多くの若者も居るはずである。彼らは決して表に出てくることなく、マスコミや紙面には出ることはないだろうけれど、そのような若者がその影で、
すくすくと成長していることも決して忘れてはならないと思う。

   オショロコマのように生きた男   第20回

2011-08-16 09:28:31 | Weblog
数ヶ月過ぎた頃になると、宏は社内のことが大体分かるようになり、自分のおかれた立場と役目も分かり、落ち着いてきた。
そしてそれなりに仕事にも意欲を持ち、楽しくなってきた。新しいものを扱ったり、創り出すことは嫌いではなかった。
そして案件によってはそれを社長に提案したり、意見を求めて喜ばれアドバイスを受けることも出来た。
まだ商品化につながるものは出来なかったが、やりがいのある毎日がもてて、退屈することはなかった。
いつしか宏は家に帰らず、会社のそばにアパートを移し、そこから通勤するようになっていた。二人はその頃千葉に家を持ち子供も出来ていたが、あまり執着はなかった。「子供はお前に任せるからよろしく。」「あなたの気のすむようにしたらいいわ」
そんな会話で終わっていた。久子は仕事を持っていたので、子供は親に預けそれぞれが自立して生活するようになっていた。
そんなある日、その日の仕事が終わり、帰り支度をしていた諸星嬢の所を通りかかり、宏は声を掛けた。
「良かったら、この後、一緒に食事でもどうかね。美味しいところを見つけたんだけど」宏はアルコールはだめだったが、食事には関心があり、時間が出来ると、あちこちの店を食べ歩いていた。
「どんなところかしら。」「まあ、私を信頼してもらって一度付き合ってよ。」「分かった。じゃあ、ちょっと片付けて後で、会いましょう。」お互いに遠慮したり、照れたりする年でもなかった。自分から女を誘うことなどめったにない宏にしては
珍しいことではあったが、何か考えがあるのかもしれなかった。
店は神田の駅近くにある和食の小料理屋で小さいながら、静かな店であった。小上がりの座敷に仕切りのついたてが立てかけてあり、隣が気にならないようになっていた。料理はお任せでと言うと、懐石の料理が少しづつ運ばれてくる。
彼女はすっかり上機嫌である。めったにこんな機会がなかったのか、「ビールでも少しどうだい。俺は飲まないけど」と言うと、
「いただくわ。」と遠慮しなかった。少し顔を赤くしながら美味しそうに料理を楽しんでいる。そんな様子を宏もうれしそうに眺めながら料理をつまんでいた。
しばらく会社の仕事の話が続いていたが、「野間さん、ちょっと聞いてくれる、こんな話誰にも話したことないんだけど、なんか聞いてもらいたくなって」と話し始めた。彼女は地方の高校を出ると、地元の会社へ就職して働いていた。
そして、その職場で働いていた同僚といつしか仲良くなり、付き合うようになっていたのだ。

   オショロコマのように生きた男  第19回

2011-08-13 09:43:44 | Weblog
宏のデスクは営業部チームの片隅に置かれていた。周りには女性もスタッフも居ない。つまり一人ぼっちだ。しかし、それは
彼にとってはむしろ好都合であり、気楽でもあったのだが、誰に気兼ねすることもなく、自由な時間を持てることが落ち着けることであったからだ。
社長もそんな彼の性格を承知していたのかもしれない。何をしなさいと言う指示もなく、義務のようなものもなかった。ただ
「研修」と言う名目で工場を視察してくるようにとだけ言われていた。
工場は埼玉と神奈川の郊外にあり、それぞれ別々な製品が作られており、倉庫が置かれていた。研究を兼ねた技術チームが
埼玉工場の中にあり、宏はそこに興味を持ち少し時間をとるつもりだった。何人かのエリートがユーザーからのクレームや
新製品の開発に当たっており、社長も週に一回はここに顔を出すらしい。
その部屋へ入り、あちこちきょろきょろしていると、「野間さん、悪いけどここはこれくらいで他へ回ってください。社長命令なんです。」と追い出されてしまった。
毎朝のスタートは朝礼のセレモニーから始まる。挨拶を交わすとその日の当番にあたった営業マンが硬くなって大きな声でメッセージを話す。宏も隅のほうで聞いている振りをしているが、ほとんど耳に入っていない。早く終わればいいなあといい加減である。最も話しているほうも木で鼻をくくったような感じで義務的である。今時、どんな意味があるのか、社長の考えだとは思うが、もう少し近代的なやり方はないものだろうかと思ったりしていた。
営業チームのある二階はユーザー別に管轄が別れていて、朝礼が終わると、一斉に電話に取り掛かるものが多く、部屋が急に騒がしくなる。客との電話のやり取りであったり、工場の担当とのクレーム処理で「ああだ、こうだ」といつまでも埒のあかない
話を続けているのが聞こえてくる。
そのうち、いつの間にか静かになったなあと思っていると営業マンはそれぞれに客周りに外出していなくなり、女性事務員だけになっている。
「お茶でも入れましょうか」社長秘書をしている諸星嬢がにこやかに立っている。「やあ、ありがとう。まだ慣れなくてね。
緊張してのどが渇いていたんだ。」少し驚いたが、落ち着いて振り向きながら答えた。
彼女はこの会社では一番古く、(つまりオールドミスになっていたのだが、)全体でも一目おかれている「お局」様的存在だった。社長の動向をはじめ、全員の情報をほとんど知っているようだ。
彼女とは仲良くしておく必要があるなあと無意識に感じていた。「いつか食事でもしようか。」茶碗を持った手で彼女へのお礼の代わりの挨拶だった。

       思いつくままに

2011-08-11 10:03:48 | Weblog
孫から電話があり、「夏休みの宿題で教えてもらいたいことがるので来てほしい。お昼は私が美味しいものを作るから」と
言って来た。早いもので今年15歳になる。
最初の孫と言うこともあり、生まれる前から関心があり、生まれてからも良く会う機会があり、小さいときは泣き虫でママが居ないとどんなにあやしても大泣きをする子だった。小さいときからの思い出も強く残っている。
しかし、自分で言うのもおかしいが、私は自分が家庭的な人間と言われたこともなく、家族への思いがあったとは思っていない。(子供や孫たちが私をどう思っていたかは分からないが、)
若いときから会社人間であり、家庭を顧みて家族への思いやりや、優しい心遣い出来たとは思っていない。むしろ冷たいと思われていたであろう。そんな自分がこうして呼ばれてみると、いまさらながらもう少し家庭を大切にしていればと後悔の念に駆られる。そんなわけで久しぶりに孫の家を尋ねて会うことが出来た。
宿題は「1960年代の社会」についてのことであり、その当時の世相の様子を具体的に聞きたかったらしい。1960年代と言えば昭和25年から35年にかけての、まさに第一次高度成長時代に当たり、自分自身にとっても30歳前後の人生の緒に
ついたばかりの頃であり、一番輝いていた時だったと言えた。
しばらく聞かれるままに覚えていることや調べてきたことなどを二人で話し合い、手作りのスパッゲテーを食べた。
久しぶりに家族の暖かい雰囲気を味わうことが出来たのだが、子供たちも孫たちもそれぞれ成長して、自分たちの世界が出来ているのがわかる。そして親や祖父、祖母との距離が少しづつ出てくる。それは一見、離れ離れになり、疎遠にさえ見えるが良く考えてみると一緒に居たときよりも絆が強くなり、結ばれている気がする。
いずれは神の元へ帰ることを考えるようになり、同時に家族との別れを考えざるを得ない時が来る。しかし、このようにお互いがその前の段階でこうして自立した環境におかれて生活していくうちに、それぞれが正しい思いで見つめ合うことが出来る時間を持ってお互いを知ることの大切な時間でもあるのではないかと思う。
そう思えば今の時間で家族のことを考えることは、一番真実な心で見えている時間なのかもしれないと、そんなことを思ってみた。帰途、車から見える夾竹桃の花や百日紅の花が、この夏の暑さに映えて印象的だった。