日本でカジノができるかもしれないという話が出ている。かつてサラリーマン時代にソウルへ仕事で行ったとき郊外にあるカジノを見学に行ったことがあるが、確かにそのときの印象も入場に検査があったり、一般の人が気軽に入れるような雰囲気がなかったことを覚えている。日本も海外からのお客さんが年々増えてきて世界のVIPやセレブの人たちも増えてきているので、そんな意味では世界波になりつつあるのかと思うがオリンピックの開催を含めてタイミング的にはあっているのかもしれないが、日本人にはなんとなくそぐわない感じもしている。一般的には今でもパチンコとゲームセンターのレベルと感覚が強いし、まさに一部の特別な人のためとしかいえないもののような気がする。昭和39年のオリンピックの時代にも高度成長期があり、日本は景気が高揚して何かと派手にさまざまなものがはやったものである。当時はカジノではなく、日本ではマージャン全盛時代であった。私もサラリーマンの一人として毎日のような借り出されていたが、夕方になると幹事はメンバー(4名)の確認と場所、時間の設定、特に場所は限定されていて原則予約制であり、場所取りがたいへんである。特にメンバーがVIPになるとどこでもというわけには行かず指定されるだけに、取れないとなると懲罰ものである。したがって午後になるとおちおち仕事も手につかず、ましてお帰りのときのお土産、満貫賞品の準備なども用意しておかなくてはならない。
時間になるとお迎えに始まってゲームもそつのないように終了させお迎えの車のお見送りまで気が抜けなかったものである。
当然勝ち組と負け組みは最初から決まっているようなものでただひたすら失礼のないようにほどほどにお相手をすることだけであった。
それはまさに勝負を争うのではなく時間つぶしの時間で言ってみれば「修行」の時間のようなものでもあった。
21世紀になり、時代は「カジノ」の時代になったのだが、果たして日本の風土にそぐうのか、すでに園準備が進んでいるのかもしれないが、このことで外貨を得ることが果たして日本のためになるのか、私自身は疑問にも感じるが、時代は進んでいくことだろう。
マージャンはいまや老人ホームのゲイケアの遊びと化し現代でも細々と生きているようだが、
カジノの話をきいて久しぶりに昔を思い出すことになった。
時間になるとお迎えに始まってゲームもそつのないように終了させお迎えの車のお見送りまで気が抜けなかったものである。
当然勝ち組と負け組みは最初から決まっているようなものでただひたすら失礼のないようにほどほどにお相手をすることだけであった。
それはまさに勝負を争うのではなく時間つぶしの時間で言ってみれば「修行」の時間のようなものでもあった。
21世紀になり、時代は「カジノ」の時代になったのだが、果たして日本の風土にそぐうのか、すでに園準備が進んでいるのかもしれないが、このことで外貨を得ることが果たして日本のためになるのか、私自身は疑問にも感じるが、時代は進んでいくことだろう。
マージャンはいまや老人ホームのゲイケアの遊びと化し現代でも細々と生きているようだが、
カジノの話をきいて久しぶりに昔を思い出すことになった。